チモトコーヒー:ジャマイカ ブルーマウンテン

チモトコーヒーのブルーマウンテンです。チモトコーヒーはコーヒーの卸で、実店舗はありません。

ジャマイカ ブルーマウンテン

ブルー・マウンテン・コーヒー・マップ、Blue Mountain Coffee Group Ltd.より

ジャマイカ

ジャマイカ(Jamaica)は中央アメリカ、カリブ海に浮かぶ島国で、大アンティル諸島に位置しています。首都はキングストン(Kingston)です。全体的に亜熱帯海洋性気候です。

ジャマイカは国土の80%が山地で、そのジャマイカの東南部に位置する最高峰が標高2256mのブルー・マウンテン山脈(Blue Mountains)です。ブルー・マウンテン山脈は青味がかった霧に覆われていることから、その名がつけられました。

ジャマイカとブルー・マウンテン山脈

ジャマイカは1494年にコロンブスによって発見されました。

初期のスペイン人入植者たちは、リグアニー(Liguanea)の南海岸にあるブルー・マウンテン山脈の麓、ヤッラー渓谷(Yallahs Valley)とモラント湾(Morant Bay)の周辺地区に鳩舎や牛の牧場を設立しました。

ブルー・マウンテン山脈は非常に深い森林に覆われていましたが、イギリスがジャマイカを植民地にした後、ブルー・マウンテン山脈の低い位置にある斜面は農業のため開拓され、豊かな森林はジャマイカの熱帯特有の堅木に対するイギリスの巨大な需要を満たすために伐採されました。

かつては森林に覆われていたブルー・マウンテン山脈の低い斜面は、現在はほとんどが草原となっていますが、一部の地域は野菜、スパイス、ブルー・マウンテン・コーヒーの栽培に利用されています。

ブルー・マウンテン山脈の現在の森林限界(環境条件の変化のため森林の生育が不可能となる限界)は、 開発と人口増加のために、北斜面で約600m、南斜面で1,500mにまで押し上げられています。

残された貴重な森林と生物多様性を保護するために、1992年に495.2平方キロメートルに渡るブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズ国立公園 (Blue and John Crow Mountains National Park) が設立されました。この公園は、ブルー・マウンテン山脈とジョン・クロウ山脈(John Crow Mountains)を含む国立公園で、ジャマイカの総陸地面積の約6%を占めています。この公園は、2015年にユネスコ世界遺産に指定されました。

この生物多様性豊富な地域には、800以上の固有植物、500種以上、そのうち半分はジャマイカ固有の種子植物があり、その中には33年に1度しか開花しないジャマイカの竹、クスクェア・アビエティフォリア(Chusquea abietifolia)があります。この竹は、2017年に33年振りの開花を迎えました。

また、世界で2番目に大きな蝶であるジャマイカ・アゲハチョウ(Papilo homerus)や、200種以上の渡り鳥がやってくるカリブ海地区最大の渡り鳥生息地となっています。

ジャマイカコーヒーの歴史

ジャマイカ ブルー・マウンテン・コーヒーの歴史、JMartinezCoffeesより

ジャマイカコーヒーの歴史は、1728年にジャマイカ総督ニコラス・ローズ卿(Sir Nicholas Lawes)がイスパニョーラ島(フランス語:Hispaniola)から最初のコーヒーの苗木を持ち込み、ブルー・マウンテン地区のテンプル・ホール(Temple Hall)の所有地に植えられたのが始まりです。

ガブリエル・ド・クリュー、Wikipediaより

その5年前の1723年に、ルイ15世の時代、フランス海軍将校ガブリエル・ド・クリュー(Gabriel de Clieu)が、ジャマイカの南西1,900kmにあるフランスのマルティニーク植民地にコーヒーノキを持ち込みました。このとき持ち込まれたコーヒーの苗木は、1本であるとも3本であるとも言われていますが、ド・クリュー自身は1本であると述べています。

The story of de Clieu's achievement is the most romantic chapter in the history of the propagation of the coffee plant. (中略)There is also a difference of opinion as to whether de Clieu arrived with one or three plants. He himself says "one" in the above-mentioned letter.

William Harrison Ukers(1935)「All about Coffee」,Second Edition.p2-3

*山内秀文氏の翻訳による文庫版『ALL ABOUT COFFEE コーヒーのすべて』では、この部分が省略されています(当該箇所は、19ページから20ページにかけて)

また、旦部幸博氏の『珈琲の世界史』では、「1人と1本」と書かれていますが、「ド・クリューの自伝によるもの」という但し書き付きです(120ページ参照)。

その後、マルティニーク植民地の総督がニコラス・ローズ卿に贈った1本のコーヒーの苗木が、ジャマイカに持ち込まれました。この1本のコーヒーの苗木から、プランテーション(大規模農園)が誕生するまでになり、9年後には38トンの生産量があり、コーヒーが最初に輸出されるまでに成長しました。これがジャマイカのコーヒー産業の誕生です。

ジャマイカのコーヒー栽培は、1791年に始まったハイチ革命(フランス語:Révolution haïtienne)の難民が持ち込んだコーヒー栽培と生産の技術により、急速に発展していきました。ハイチは18世紀中頃の世界最大のコーヒー生産国でした。

 1725年以降、西インド諸島のフランス植民地であるマルティニーク、グアドループ 、ハイチでのコーヒー生産が飛躍的に増加します。特にハイチでは、1715年頃からカカオ農園で大虫害が相次いでいたところに、1725年のハリケーン、そして1727年に見舞われた大地震でプランテーションが崩壊し、代わってコーヒー栽培が急成長しました。

(中略)1750年にはハイチが世界のコーヒー生産の半分を占める世界最大の産地になっています。

旦部幸博(2017)『珈琲の世界史』,講談社現代新書.p121

ジャマイカのコーヒー生産と奴隷制

1791年から1957年のコーヒー輸出量、CIBより

ジャマイカは19世紀初頭には、世界最大のコーヒー生産国でした。1800年までに686の農園が操業され、1814年の輸出量は15,199トンにまで増大しました。

これは主に、奴隷の労働力によるものです。

ジャマイカでは、逃亡奴隷であるマルーンたち(Maroons)たちが、多くの奴隷反乱を起こしてきました。

イスパニョーラ島の攻略に失敗したイギリスの探検家たちがジャマイカを占領したとき、元の入植者であったスペイン人たちは、手許の奴隷たちを解放して逃しました。解放された奴隷たちは密林へと散り、ブルー・マウンテン山脈の北斜面や島の西部のコックピット地帯 (Cockpit) に、秘密の村々を形成し、そこは奴隷反乱の秘密基地となりました。魔法の力を持っていたとも言われるマルーンの有名な女性リーダー、グラニー・ナニー(Grandy Nanny)は、500ジャマイカドル紙幣の肖像にもなっています。

度重なるマルーンの反乱により、1807年に奴隷貿易が廃止され、1838年に奴隷制が廃止されると、ジャマイカはブラジルやキューバのような奴隷制維持国と、生産力で競争することができなくなりました。奴隷解放による労働力不足や農園拡大による土地の侵食が原因で、ジャマイカのコーヒー栽培は衰退してしまいました。1850年までに、186の農園のみが操業しており、輸出量は1,486トンにまで減少しました。

ジャマイカのコーヒー産業を復活させるため、1890年代までに、ジャマイカ政府は「特定の地区、有能な指導者を派遣することによる耕作と再生の技術に関する指導(Instruction in the art of cultivation and curing by sending certain districts, competent instructors)」という法律を可決しました。

この法律によって、ジャマイカのコーヒー生産は再び回復し始めましたが、コーヒーの品質管理が次の課題として残りました。

A. J. ウェイクフィールドとコーヒー産業公社(CIB)

空から見たクリアリング・ハウス、CIBより

1942年から1943年にかけてのジャマイカコーヒーの主な輸出先は、カナダとアメリカ合衆国でした。しかし、1943年にカナダの輸入業者は、品質ではなく利益重視のジャマイカの輸出業者に対し、一定量以上のジャマイカコーヒーの購入を拒否しました。そのため、ジャマイカコーヒーは市場には流通せず、輸出業者の倉庫に山積みになっていました。そして、第二次世界大戦により、ヨーロッパ市場を開拓することは不可能な状況でした。

輸出業者は販売先を失い、生産者からのコーヒーの買取を拒否したため、生産者は困難な状況に置かれました。生産者たちの高まる不満から、ジャマイカ政府はコーヒーの産業構造の見直しを迫られました。

1944年にイギリスの農業アドバイザー、A. J. ウェイクフィールド(A.J. Wakefield)が作成した「ジャマイカでのコーヒ産業の復興(The REHABILITATION of the COFFEE INDUSTRY In JAMAICA)」という報告書に基づき、2つの組織が創設されることになりました。

1つ目は、1944年のジャマイカ政府によるセントラル・コーヒー・クリアリング・ハウス(Central Coffee Clearing House)の創設です。これはコーヒーの生産量を増やし、精製処理と等級付けを管理することが目的であり、高品質なコーヒー生産を目的としたものではありませんでした。

2つ目は、1950年のジャマイカ政府によるコーヒー産業公社(Coffee Industry Board(CIB))の創設です。これはコーヒー産業の発展と、そこに従事する人々の福利厚生を促進することが目的でした。

コーヒー産業公社(CIB)の創設によって、生産者たちの生産者や政府が精製所を所有し、生産工程を管理することによって、高品質なコーヒー生産を可能になりました。

コーヒー産業公社(CIB)の創設は、1948年12月9日に作成されたコーヒー産業規制法(The Coffee Industry Regulation Act)によって宣言され、ジャマイカの改正法第64章に基づき、1950年6月2日に最終的に創設されました。

*コーヒー産業公社(CIB)の創設は1948年と書かれることがありますが、コーヒー産業公社(CIB)のホームページによると、最終的な設立は1950年6月2日です。

コーヒー産業規制(The Coffee Industry Regulations)は1951年8月23日に作成され、1951年8月27日に政府の行政会議によって承認されました。これによって、ジャマイカのコーヒー産業は、コーヒー産業公社(CIB)の規制の下に置かれることになりました。

コーヒー産業公社(CIB)は、1953年のコーヒー産業(改正)規制(The Coffee Industry (Revised) Regulations Act)、および1983年のコーヒー産業(改正)規制(The Coffee Industry (Amendment) Regulations)に従って、業務を遂行しています。

コーヒー産業公社(CIB)とジャマイカ農産物規制当局(JACRA)

ジャマイカコーヒー産業の構造、CIBより

コーヒー産業公社(CIB)は、ジャマイカコーヒーの品質管理を目的にした団体で、ジャマイカコーヒーはすべてコーヒー産業公社(CIB)の管理のもと輸出されています。

2018年にジャマイカ農産物規制当局(Jamaica Agricultural Commodities Regulatory Authority(JACRA))が創設されました。これによって、コーヒー産業公社(CIB)は他のジャマイカ商品法定機関と合併し、ジャマイカ農産物規制当局(JACRA)の傘下に置かれました。

コーヒー産業公社(CIB)、およびジャマイカ農産物規制当局(JACRA)は、コーヒーの栽培、収穫、精製、販売に関して厳しい基準を設けており、品質を厳密に管理しています。

ブルー・マウンテンと日本

1967年までとそれ以降の取引、CIBより

ブルー・マウンテンは日本と深い関係にあり、その多くが日本で消費されます。

ジャマイカコーヒーの第二次世界大戦以前の主な輸出先はカナダでした。しかしカナダでは、インスタントコーヒー市場が大きくなったため、1953年からジャマイカコーヒーのマーケティングを引き継いだコーヒー産業公社(CIB)は、イギリスと日本で市場を確立しようと試みました。

1950年代と60年代初頭に、イギリスがジャマイカコーヒーの唯一の輸出先となりました。 そしてその後、戦後の経済成長期の日本が主な輸出先となりました。

ジャマイカのコーヒーは、高度経済成長期に、日本に輸入され始めました。この取引はイギリスの輸入業者を通じて行われており、1967年までに、イギリスの輸入業者の購入したジャマイカコーヒーの大部分が、日本に出荷されていました。そのため、コーヒー産業公社(CIB)は、日本の輸入業者と直接取引を行うべきであるという決定を下し、1968年からは日本とジャマイカの間で直接取引がされるようになりました。

「ブルー・マウンテンは英国王室御用達」であるという謳い文句は、ここから来たのかもしれません。

*1953年は、コーヒー産業(改正)規制(The Coffee Industry (Revised) Regulations Act)が作成された年です。

*板寺規四の『珈琲全書』が出版されたのは、この翌年の1954年です。この本によって、ブルー・マウンテン・コーヒーが、1950年代前半に「直接に英国政府の食糧省とカナダおよび合衆国」に輸出されていたことが確認できます。ちょうどこの頃は、コーヒー産業公社(CIB)がブルー・マウンテン・コーヒーの輸出先を、カナダとアメリカ合衆国から、イギリスと日本へと変える過渡期であったと思われます。

また、この本にはブルー・マウンテン珈琲の乾燥式という表現が出てきますが、これがナチュラル精製を指すのかは不明です。しかしこの本の中では、ナチュラル精製のことを乾燥式精製と表現しているので、ブルー・マウンテンのナチュラル精製はもしかしたらこの時期にあったのかもしれません。

英領西印度諸島

英領西印度諸島の珈琲

 英領西印度諸島は世界珈琲総額のわずかに小部分を供給するに過ぎない。すなわちそれは年額約五万俵である。栽培が主として行われているのは、ジャマイカ島およびトリニダード島である。この島の中でジャマイカ島は年約二万七千俵を産する。一九四八ー四九年にドリにダードは一万九千五百俵を産した。珈琲はトバコ島にも産するが、これらの三島の中で最も重要でない。

輸出

 過去二、三年間に珈琲をここの政府は直接に英国政府の食糧省とカナダおよび合衆国に積出した。一九五〇年にジャマイカ島の輸出は総額約二万二千五百俵で、一九五一年前半には一万二千四百俵であつたが、トリニダード島は約一万五千俵を輸出した。(中略)

品質

 ジャマイカのブルー・マウンテン珈琲は空色がかつた緑色の豆で、飲むと大変おだやかで柔い甘い味で香りがはなはだよい。乾燥式のものは広くフレンチロースト(黒いり)として使われる。(中略)

貿易

 ジャマイカでは制限されているブルー・マウンテン珈琲をのぞいて、コーヒーは消費国に対して生産者、あるいは地方の貿易業者の手によつて直接輸出される。ブルー・マウンテン珈琲は個々の荷主によつて輸出されている。

板寺規四(1954)『珈琲全書』,茶と珈琲事業社.p33

また、この本では、マラゴギペ(マラゴジペ)がブルー・マウンテン・エリアで栽培されていたという記述がある。

ブラジル原産のマラゴギペ珈琲

マラゴギペ珈琲は、セイロン、ジャバ等に一九世紀末葉において伝わつたが、同地の銹病恐怖時代(一八六九年以降)に枯れ果てたものである。トリニダトにおいて一八八七年に植物園で栽培頒布され、ジャマイカにおいては一八八三年に栽培され、一八八四年にはブルー・マウンテン地方にあまねく分布された。クインスランドには一八九三年に約六千本の珈琲樹があつたが、その大部分はブラジルから輸入したマラゴギペ種であつたと称せられる。

板寺規四(1954)『珈琲全書』,茶と珈琲事業社.p85

*「ジャマイカが古くから英国領であったことからそういわれていたという説」は、週刊実話の「コーヒー豆「ブルマン」の増量疑惑」に記述がありますが、信憑性は薄いでしょう。

ブルーマウンテンは、中米ジャマイカにあるブルーマウンテン峰の標高800~1200メートル近くでしか採れない貴重種。ところが、その80%が日本向けで、日本人以外はほとんど飲まれていない。その訳は日本が初めて輸入した戦前の1936年までさかのぼる。
 「当時ジャマイカは英国領。そこから輸入業者が勝手に連想して“英国王室御用達”のキャッチコピーを考案したのです。これが大当たり。以後、ブルマンは利ザヤの大きい商品となり、大規模なブランドイメージ戦略を展開して高級ブランドとして定着したのです」(飲食業界紙記者)

コーヒー豆「ブルマン」の増量疑惑」,週刊実話 2014年10月14日.

ブルーマウンテンコーヒー開発事業

1983年、国際協力の推進を目的とする日本の独立行政法人のジャイカ(国際協力機構(JICA))の有償資金協力(円借款)によって、「ブルーマウンテンコーヒー開発事業」が行われました。

UCCの直営農園である「UCCブルーマウンテンコーヒー・クレイトンエステート」も、この事業の一貫として開発されました。

昭和56年(1981年)、アメリカ・ジャマイカの両政府から、日本の農水省に入った栽培技術援助の要請が、前年に発足したばかりの全日本コーヒー協会に届き、それが協会の初代会長を務めていたUCCの創始者・上島忠雄の「ジャマイカに農園を持ちたい」という長年の夢と合致したことがきっかけとなりました。

ジャマイカ東部の山岳地帯でしか生産されないブルーマウンテンコーヒーは、素晴らしい味わいながら生産量は少なく、当時その殆どが日本へ輸出されてはいたものの、日本全体のコーヒー消費量の1%にも満たなかったのです。上島忠雄は、この絶対量の少ない最高品質のコーヒーを日本に安定供給するために、ブルーマウンテンの農園経営に乗り出しました。もちろん、日本のコーヒー業界では初めてのことでした。

直営農園 開設秘話 」,UCC直営農園.

UCCの上島忠雄会長から、ブルー・マウンテンの農園開発を託されたのが、現在「コーヒーハンター」として知られるホセ(Jose.)川島良彰氏です。

 一九八一年十一月二十五日、兎にも角にも、UCC上島珈琲の社員となった私は、その三年前に開港したばかりの成田国際空港から、ニューヨーク経由でジャマイカに向け日本を発った。ブルーマウンテン山脈にこれから作る自社農園の開発を任されて。

 ただ、そのときはこのジャマイカでの農園開発が、その後もハワイ島のコナ、インドネシアのスマトラでの農園開発と続く、二十二年にもおよぶ海外駐在員生活のスタートになろうとは夢にも思っていなかった。

川島良彰(2013)『私はコーヒーで世界を変えることにした。』,ポプラ社.p97-98

ブルー・マウンテンの減産

ジャマイカのコーヒー生産量がピークだったのは2007年です。ジャマイカは度重なる災害と病害虫により、コーヒー生産量が減産しました。

2012年10月にハリケーン「サンディ」がジャマイカとアメリカを襲い、多くのコーヒーの木が倒れるなどの被害を受けました。さらに2013年、コーヒー栽培の大敵である「コーヒーさび病菌(Coffee Reaf Rust)」や、「コーヒー・ベリー・ボーラー(Coffee Berry Borer )」などの被害が追い討ちをかけました。

UCCは、2014年にブルー・マウンテンの販売休止に追い込まれています。

川島氏によると、ブルー・マウンテンの品薄と価格の高騰は、これら災害や病害虫による被害とは別に、2008年以降に起きた事件に原因があるそうです。

 ブルーマウンテン神話が生きていたころ、日本人バイヤーは頻繁にジャマイカを訪問し競って購入していました。すると、一部の欲深い生産者が低級品との抱き合わせ販売をおこなったり、手付金を受け取っておきながらコーヒー豆の引き渡し不履行をおこなったり、中には計画倒産してしまった会社もあります。
 1988年のハリケーン「ギルバート」の直撃で全滅したブルーマウンテンは、1992年以降復活し徐々に生産量を増やしていきましたが、2008年のリーマンショックで経済が冷え切ったため、日本人バイヤーがピタリとジャマイカに行かなくなり、いろいろな理由を付けて買い付けを渋るようになりました。すると、ジャマイカのコーヒー関係者の日本詣でがはじまりましたが、デフレ経済に入った日本では結果は出ません。当然のことながら、精製・輸出業者は農家からの買い上げ量を減らし取引価格は下がり、小農家のコーヒー離れが加速していきました。
 そのころ、日本の輸入商社や焙煎会社は、売れ残った倉庫に山積みにされたブルーマウンテン・コーヒーの在庫を売り切ろうと躍起になっていました。倉庫に置いておくだけで金利も倉庫代も嵩んでいきます。そして、温度も湿度も管理されていない倉庫で劣化したブルーマウンテンが、高い価格のまま平然と販売され続けました。
 結果、愛好家のブルーマウンテン離れが起こりました。また、新しく参入した自家焙煎の人たちからは、ブルーマウンテンは最初からたいしたコーヒーではなく、ただの神話だと言われるようになりました。
 2007年以降、生産量が5分の1にまで落ちた最大の理由はハリケーンでも、サビ病でも、CBBでもありません。生産者が減ったからです。そして、ブランド力も低下してしまいました。
以前は、ブルーマウンテン・コーヒー総生産量の95%が日本向けの輸出でしたが、いまでは65%前後に下がっています。そして、ヨーロッパ、アメリカ、韓国への輸出量が年々増加しています。
 ブランドに胡座をかいていたジャマイカの一部の生産者と、品質は二の次で金儲けに狂騒した日本のコーヒー会社がブルーマウンテン・コーヒーの神話を崩壊させてしまったのです。

川島良彰(2015)『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』,ポプラ社.p149-151

ブルー・マウンテン

ブルーマウンテンコーヒー2015年度公式PR映像、Kuribayashi Takayukiより

ジャマイカは世界で始めて特定地域で生産されるコーヒー豆を、1つのブランドとして確立した国です。ジャマイカ政府による徹底した品質管理のもと、ブルー・マウンテンはブランド化に成功した最初のコーヒーとなりました。

ブルー・マウンテン(Blue Mountain)は、ジャマイカ東部ブルー・マウンテン山脈のブルー・マウンテン・エリア(Blue Mountain Area)で生産されるコーヒーです。ブルー・マウンテン・エリアは、南はキングストン(Kingston)、北はポート・マリア(Port Maria)とポート・アントニオ(Port Antonio)にまで広がるエリアです。

ブルー・マウンテン・コーヒーの定義

ジャマイカのコーヒー生産地、CIBより
ブルー・マウンテン・エリア、CIBより

「ブルー・マウンテン・コーヒー(blue mountain coffee)」は、1953年のコーヒー産業(改正)規制(The Coffee Industry (Revised) Regulations Act)によって、ブルー・マウンテン・エリアで栽培され、ライセンス発行を受けた事業所で取り扱われるコーヒーと定義されました。

"blue mountain coffee" means--

coffee that is--
(a) grown in the Blue Mountain area as described
in the Schedule; and
(b) processed or manufactured at any coffee works
specified in the Schedule and to which a licence
granted pursuant to regulation 5 relates.

THE COFFEE IDUSTRY REGULATIONS, 1953」,Ministry of Justice.

この規制における、ブルー・マウンテン・エリアは以下の通りです。

Blue Mountain Area


Starting at skibo and proceeding in an east-south-easterly direction to Swift River;

thence east-south-easterly to Chelsea;

thence east-south-easterly to Durham (Samba Hill);

thence south-easterly to Belleview;


thence south-easterly along the western slope of the John Crow Mountain to Cedar Grove:

thence westerly to Font Hill;

thence north-westerly to Ramble;

thence westerly to Good Hope;

thence north-westerly to Dallas;

thence north-north-westerly to Industry Village;


thence north-north-westerly to Maryland;

thence north-westerly to Golden Spring;

thence northerly to Brandon Hill:

thence north-easterly to Tranquility;

thence east-north-easterly to Skibo.

Schedule (Regulation 2)「THE COFFEE IDUSTRY REGULATIONS, 1953」,Ministry of Justice.

1983年のコーヒー産業(改正)規制(The Coffee Industry (Amendment) Regulations)においても、定義に変更は見られません。

また、ブルー・マウンテン・コーヒーは、ブルー・マウンテン・エリアで栽培されるコーヒーと定義されているのみで、標高の高さは無関係です。

 さらに、「ブルーマウンテンコーヒー」についての定義が日本とはまったく違っていたことも驚いた。

 日本では、ジャマイカの山の高いところで収穫されたものが「ブルーマウンテン」、中腹が「ハイ・マウンテン」、低地が「プライム・ウォッシュ」と呼ばれていたり、八百メートル〜千二百メートルで採れるのが「ブルーマウンテン」などと定義されていた。

 でも、実際にブルーマウンテン公社が認定した「ブルーマウンテンコーヒー」の規程では、海からブルーマウンテン山脈に向かって標高三百メートルを越すと、そこはブルーマウンテン栽培地区になる。地域内であれば、深い谷底で標高三百メートル以下でもブルーマウンテンと認定されていた。そして、ハイ・マウンテンの産地は島の中部三ヶ所、それ以外は全てプライム・ウォッシュと分けられていた(注:現在、ハイ・マウンテン地区はなくなっている)。

川島良彰(2013)『私はコーヒーで世界を変えることにした。』,ポプラ社.p101

ブルー・マウンテン・エリアの教区

セント・アンドリュー教区、CIBより
ポートランド教区、CIBより
セント・トーマス教区、CIBより

ブルー・マウンテン・エリアには、セント・アンドリュー教区(St Andrew Parish)、ポートランド教区(Portland Parish)、セント・メアリー教区(St. Mary Parish)、セント・トーマス教区(St Thomas Parish)が含まれています。

環境

標高2,350mに達するブルー・マウンテン山脈は、カリブ海で最も高い山の1つであり、ブルー・マウンテン・エリアは、ほとんどが険しい斜面の山岳地帯です。

ブルー・マウンテン・エリアは、霧と降水量が多く、涼しい気候です。豊かな雨とブルー・マウンテンの名前の由来となったユーカリの青い霧が日差しを遮るシェードとなり、弱酸性の土壌に適度な水分を補給します。また、水捌けが良く、窒素とリンを含んだ肥沃な土壌のため、この気候と土壌の組み合わせは、コーヒー栽培に最適です。

特に、ブルー・マウンテン山脈の東斜面には年間7,600mm以上の雨が降り、ジャマイカの人口の約半数に水を供給しています。この地域には、ジョン・クロウ山脈(John Crow Mountains)と合わせて、ジャマイカ最後の熱帯雨林が残っています。

ブルー・マウンテンのコーヒー農園は、その多くが最大4ヘクタールの小規模農園ですが、最大70ヘクタールの広大な農園もあります。合計で約15,000の小規模農家と農園があります。ジャマイカは小規模農家が多いため、年間生産量は400トンから1,000トンと、コロンビアの年間コーヒー生産量の0.1%程度の生産量です。

ジャマイカの1,800mを超える土地のほとんどは森林保護区のため、コーヒーは栽培されていません。

規格(グレード)

ブルー・マウンテン・コーヒーには、No.1-No.3までの規格があります。ブルー・マウンテンNo.1は、ブルー・マウンテン・コーヒーのなかでも、厳正な検査を通り抜けた最高級豆です(No.2とNo.3は主にブレンドで使われます)。

ブルー・マウンテンNo.1の規格基準は、スクリーン17-19の大粒豆、欠点豆の混入率が3%未満、水分含有量10-12.5%、そして国家資格を有する3人以上の検査官による6項目の味覚検査に合格することです。No.1の検査に合格するの全体の30%程度です。

*しかし、ブルー・マウンテンの規格基準は、かつてよりも緩くなっています。

ジャマイカのCIB(コーヒー産業公社)の品質規格は、現在に至るまでどんどん緩くなっている。ブルーマウンテンの最大欠点数は2%から3%へと緩められた(トリアージュは4%から5%へと緩められた)。スクリーン規格の基準以下の最大混入率は4%から5%へと緩められた(ピーベリーは4%から10%へと緩められた)。これはすべてNo.1規格も含めた変更である。さらに、トリアージュのB級品を生み出したり、規格名を‘セレクト’と変えたり、生豆の輸出規格外の焙煎加工品もブルーマウンテンと称したり、最近でも《コーヒー豆の足りない分を補うために》無茶苦茶なことを仕掛けて夢見ている。

鳥目散 帰山人「夢見るナンバーワン」,帰山人の珈琲漫考 2016年11月1日.

通常コーヒーは麻袋に入れられて輸出されますが、ジャマイカは世界で唯一木製の樽に詰められて輸出されます。18世紀中頃のイギリスの植民地時代に、イギリスから船積みされた小麦粉などの空き樽を再利用し、コーヒーやラム酒などを入れて出荷したのが始まりといわれています。

樽に使用される木材は、アメリカの温帯林の木材でにおいがないため、麻袋のように生豆に匂いが移ることがありません。また木が湿度と温度調節の役割を果たすため、輸送時などに発生する急激な温湿度変化を緩和し、生豆へのダメージを和らげます。

樽は輸出前に、ジャマイカ農産物規制当局(JACRA)の検査を通過する必要があります。これには時間がかかり、遅延が発生する可能性がありますが、品質が最優先で厳密に管理されているため、ジャマイカから出荷されるブルー・マウンテン・コーヒーは高品質なものになります。

また、ジャマイカは2008年初頭、欧州連合(EU)または他のヨーロッパ諸国が要求する基準よりもさらに厳しい化学物質の残留と農薬の検査に関して、日本人が後援する多国間協定に署名しました。ジャマイカから輸出されるすべての生豆は、現在これよりも高い基準で検査されています。

検査を通過したものには、ジャマイカ農産物規制当局(JACRA)から原産地証明書が発行されます。

商標

ジャマイカのブルー・マウンテンの商標は、コーヒー産業規制法(The Coffee Industry Regulation Act)によって、細かく規定されています。この法律は、1948年の12月9日に制定され、最後の改正は1998年1月1日です。

ジャマイカのコーヒー産業規制法では、「ブルー・マウンテン」の商標の使用を、ジャマイカ農産物規制当局(JACRA)によって許可されたものに制限しています。ブルー・マウンテン・ブランドの濫用を防ぐため、ジャマイカ農産物規制当局(JACRA)は世界各国でジャマイカ・ブルー・マウンテン(Jamaica Blue Mountain(JBM))の商標を出願しています。

品種

品種はブルーマウンテン(ティピカ種)です。

ティピカは味や香りに優れていますが、病害・虫害に弱いため栽培には細心の注意が払われます。

他の国ではブルーマウンテン・ティピカは、1913年に西ケニアに導入されましたが、ケニアの他の場所では育つことがありませんでした。また、パプアニューギニアに導入された最初のコーヒー栽培品種でもあります。

精製方法

精製方法はウォッシュト(Washed、湿式)です。

ジャマイカのブルー・マウンテンは、伝統的にすべてウォッシュト(Washed、湿式)で精製されてきました。このウォッシュト精製は、ジャマイカで誕生した精製方法です。

 そこで1845年にジャマイカで発明された新しい精製法が水洗式です。乾燥時間の短縮には、果肉をあらかじめこそぎとるのが有効ですが、表面のムシレージを完全に除去するのは難しく、そのままではやはり残った果肉が腐ってしまいます。そこで果肉をこそぎとった後、水槽に一晩浸けておきます。すると水中微生物がムシレージをエサとして発酵・分解し、あとは水洗いすればきれいに取れるのです。

旦部幸博(2016)『コーヒーの科学「おいしさ」はどこで生まれるのか (ブルーバックス)』,講談社.p73

香り高さと穏やかな酸味、甘味、豊かなボディが非常にバランス良くまとまっているのが特徴です。

しかし、スペシャルティコーヒーの概念が生まれる以前にブランド化されたため、取引価格が高く、品質以上にブランドが先行するコーヒーとも言えます。

チモトコーヒーのジャマイカ ブルーマウンテン

ジャマイカのブルーマウンテンは日本でも有名であり、世界でも高級豆の生産地として広く認知されている。

チモトコーヒー 商品説明より

これはブルーマウンテンのNo.1の規格ではありません。

酸味、苦味、甘味、全体のバランスが良いです。コクは少ないので、あっさりして飲みやすいです。No.1規格ではないため、欠点が多く混入しています。

<参考>

BLUE MOUNTAIN COFFEE GROUP LTD,<https://www.bluemountaincoffeejamaica.com/

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