パナマ エスメラルダ農園の歴史 ゲイシャ ベスト・オブ・パナマ エスメラルダ スペシャル
エスメラルダ農園
エスメラルダ農園(Hacienda La Esmeralda)は、パナマ(Panama)チリキ県(Chiriquí Province)ボケテ地区(Boquete District)に位置する農園です。バル火山の裾野、平均標高1,600mに位置しており、豊富な降雨量、天然林など、豊かな自然環境に恵まれています。
エスメラルダ農園は、ピータソン家(Peterson Family)の所有する農園です。現在は第3世代のエリック(Erik)(1966年フィラデルフィア生まれ)、レイチェル(Rachel)(1967年スウェーデン生まれ)、ダニエル(Daniel)(1974年パナマ生まれ)によって経営が引き継がれています。
1967年、スウェーデン出身の銀行家でバンク・オブ・アメリカ (Bank of America Corporation)の頭取であったルドルフ・A・ピーターソン(Rudolph A. Peterson)(1904 - 2003)が、リタイア後の拠点として、チリキ県パルミラ(Palmira)地区に数百ヘクタールを占めるアシエンダ・ラ・エスメラルダ(Hacienda La Esmeralda)を購入しました。その場所は、1940年にスウェーデン人のハンス・エリオット(Hans Elliot)が単一農園としてまとめた土地でした。この数百ヘクタールの土地には、現在のカーニャ・ベルデス(Cañas Verdes)やパルミラ(Palmira)の土地が含まれています。当時、この土地は主に肉牛用の牧草地でした。ルドルフがこの土地を購入したのは、同じスウェーデン人同士であることが関係しているはずです。
購入後の最初の数年間、ルドルフは農園を数ヶ月おきに訪問していました。しかし、 彼は1970年に国連開発担当局長を務めることになり、海外への役割が高まり、農園に行く時間が少なくなりました。 彼は妻のパトリシア・プリンス(Patricia Price)との間に、リネア(Linnea)とプライス(Price)という2人の子供を儲けました。
プライス・ピーターソン(Price Peterson)は、1973年にルドルフから農園経営を受け継ぎました。プライスはペンシルバニア大学で神経化学を学び、1961年に博士号を取得しました。1973年スウェーデンで教師をしていた彼は、父親が引退したときに、それまでの学究としてのキャリアを捨て、チリキ県に永住しようと考えを変えました。当時子供のエリック(Erik)が6歳、レイチェル(Rachel)が5歳で、プライスとスーザン(Suzan)夫妻が子育てをするのにより良い場所であると考えたためです。彼の科学的背景は、農園の経営にとって大きな利点となりました。
1975年に肉牛用の牧草地は乳牛用に切り替えられ、それは現在でもエスメラルダ農園の半分を占めています。エスメラルダ農園では、1980年代半ばまではコーヒーは栽培されておらず、数本のコーヒーノキがあちこちに打ち捨てられた状態でした。1987年に農園の大部分にコーヒーが植えられるようになりました。
コーヒーは少なくとも1890年代から、エスメラルダ農園周辺の土地で栽培されていました。ピーターソン家が1987年にパルミラでコーヒー農園用に土地の大部分を再開発し、さらに最初のコーヒー農園を拡張することを助けたのは、長い間この地域で培われていたコーヒーに対する知識と文化でした。ですが1990年代になって初めてスペシャルティコーヒーという概念が生まれるまで、この時点ではまだ、パナマのコーヒーは農園や品種が混在した大衆向けの商品でした。
1994年には農園に精製所を建設し、コーヒーを直接自分たちで精製するようになりました。1997年により高品質で微妙な違いに優れたコーヒー生産を期待して、バル火山の高地に新しい農園を買い取り、その農園をハラミージョ(Jaramillo)と名付けました。この土地には約15の品種があり、エスメラルダ農園によって有名となったゲイシャはこの土地に偶然植えられていた品種です。その年、ラニーニャが大破壊をもたらし、15の品種のうち幸運にも高地に植えられていたカツアイ(Catuai)、カツーラ(Caturra)、ゲイシャ(Geisha)の3つが残りました。
1999年には、すでに立派な農園となっていましたが、ゲイシャのゆっくりとした成長のため、最初の収穫は2004年となりました。彼らはすでに、品種ごとにロットを分離することを始めていました。ゲイシャは普通のコーヒーとは異なった味わいで、ダニエルは良いコーヒーとは何かに関する考えを改めることになりました。
プライスは、ダニエルにゲイシャをオークションに出品するように説得しました。そこで彼はアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)のディレクターであり、ボケテ地区のカッピング・コースを率いていたリック・ラインハート(Ric Rhinehart)のところへゲイシャを持っていきました。すると、リックはカッピンング・テーブルで混乱し、エチオピア産コーヒーが混じっていると勘違いし、パナマ産コーヒーとは信じなかったそうです。しかし、このコーヒーにエチオピア産コーヒーとは違った特徴があると思い直し、より際立った特徴と味わいがあることを発見しました。
ゲイシャが出品されたベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)では、より大きな混乱がありました。ゲイシャが通常のパナマ産コーヒーとは思えないほどフルーティーすぎるフレーバーであったため、ダニエルは「変な発酵をしている、違う国のコーヒーだ」と思われて、失格になるかもしれないと思ったそうです。幸いなことに、リックがこのコーヒーについて知っていたため、失格になることなく優勝を果たすこととなりました。このコーヒーは1ポンドあたり21米ドルで落札され、当時のベスト・オブ・パナマ(BoP)の最高額を記録しました。当時、ゲイシャの人気は流行り廃りがあり、3、4年でみんな飽きるだろうと多くの人が思っていたそうです。しかし現在においても、ゲイシャは世界中で栽培され消費される人気の品種となっています。
2004年にエスメラルダ農園のゲイシャがベスト・オブ・パナマ(BoP)で記録的な価格で落札された後、ピーターソン家は優れたロット分離、緻密な精製処理、そして健全なオークション形式をサポートするインフラストラクチャの開発に集中しました。エスメラルダ農園のゲイシャのオークションの価格が年々上がるにつれて、それまではウォッシュト精製のみだったゲイシャのナチュラル精製や、各ロットの詳細な情報への要求も高まっていきました。
2007年に、ピーターソン家は10年にわたるコーヒーの品種の研究プロジェクトを開始しました。 その研究プロジェクトの一環として、2012年に開園されたエル・ベロ(El Velo)の標高の高い場所に、400を超えるコーヒーの品種が実験的に栽培されています。そこで栽培されている品種のいくつかは、ゲイシャと同じ遺伝子バンクを起源とするもので、かつて高い標高で植えられていたゲイシャのロットが分離されその素晴らしい香味が発見されたように、この中からゲイシャのような優れた香味を持つ品種が発見されるかもしれません。
ゲイシャ
ゲイシャ(Geisha)は、アラビカ種の亜種です。アラビカ種はもともと栽培に大変な手間がかかり、病害虫にも気候変動にも弱い種です。ゲイシャはそのなかでも著しく生産量が低く、栽培と収穫には大きなリスクを伴います。
ゲイシャのコーヒーノキは、樹高が4mにまで成長します。これは同じアラビカ種であるブルボンやティピカの約2倍の高さです。ゲイシャのコーヒーノキは枝葉が少なく、側枝と側枝の間隔が広いので、機械で収穫することは困難です。パナマの農園は険しい山の斜面に位置しており、手摘みの収穫には厳しい労働と高い精度が求められます。このようにゲイシャは生産性の低いアラビカ種のなかでも特に生産性が低いため、商業生産は困難であると長い間考えられていました。
1970年に、ブラジルで中南米では初めてコーヒーさび病菌が発生しました。その後コーヒーさび病菌は南米諸国に広まり、 やがて中米にまで被害が広がります。1984年までにはパナマを除く、中米地域のすべての産地がコーヒーさび病菌に見舞われました。その後、多くの国でさび病対策のため、耐病性のアラビカ種とロブスタ種の交配種の生産を増やしたため、交配種の普及による香味劣化が問題視されるようになりました。ところが、現在までパナマのみ大規模なさび病の流行が確認されていません 。パナマではコーヒーの大敵であるコーヒーさび病菌の流行がなかったため、ゲイシャの栽培に最適な環境を維持しています。
ゲイシャの発見
ゲイシャ(Geisha)は、1930年代にエチオピアのゲシャ地方で発見されたエチオピア起原の野生種です。
ゲイシャは、イギリス植民地時代のアビシニア(Abyssinia、現在のエチオピア)で、ベンチ・マジ地方(Bench Maji Zone)の領事であったリチャード・ウォーリー大尉(Richard Whalley)が、ゲシャ山周辺で10ポンドのコーヒーの種子を集めた時に発見されました。ウォーリー大尉は、ケニアの農業局長からの指令により、エチオピアコーヒーの野生種の調査の一環として、これらの種子を集めることを任務としていました。エチオピアの原生林はコーヒーの発祥の地であり、その主要品種を調査することで、イギリス植民地でコーヒーの商業栽培が可能かどうか、その実行可能性を評価することが目的でした。
「ゲイシャ(Geisha)」は、もともとは「ゲシャ(Gesha、あるいはGecha)」と表記されていました。それがいつから"Geisha"と表記されるようになったかははっきりしていませんが、現地語のカッファ(Kafa)は口頭言語であるため、ローマ字に置き換える際に"Gesha"に"i"の文字が入ったという説や単純にスペルミスという説もあります。
2. ゲイシャコーヒーエリアへの出発はやや遅れたが、結局1936年1月18日に現地に到着し、心配したとおり、大豊作は終わっていた。
3. 私はこれまでゲイシャのコーヒー(アビシニア人が最高品質と考える)は栽培されていると理解していたが、驚いたことに、すべてのコーヒーが広大な熱帯雨林の中で、アフリカ品種の巨木の陰に自生していた…
2. My departure for the Geisha coffee area somewhat delayed but eventually arrived there… on the 18th January 1936 to find as i had feared that the heavy crop was over.
3. I had always understood in the past that the coffee at Geisha (considered by Abyssinians to be the best quality) was cultivated, but to my great surprise I found all the coffee growing wild in a huge area of rain forest, underneath the shade of huge trees of various African varieties…
"Is it Geisha or Gesha? If Anything, It’s Complicated",Daily Cofee News 2017年11月9日.
1936年にウォーリー大尉が農業局長へ当てた手紙に、ゲイシャについての最初の記録があります。この中では、すでに「ゲイシャ(Geisha)」と表記されています。
フランスの生物学者ジャン・ピエール・ランブイス(Jean-Pierre LABOUISSE)は、2004年から2006年まで勤務していたエチオピア国立農業研究所(EIAR)(Ethiopian Institute of Agricultural Research)で、ゲイシャの伝播について調査しました。ゲイシャは1931年にエチオピアで発見され、そこから1931年か1932年にケニアへ、1936年にタンザニアへ、そして1953年にコスタリカへ、そこから1960年代にパナマへと渡ったと結論づけました。しかし、ウォーリー大尉の手紙には「1936年1月18日に現地に到着し」たと書かれています。そのため、ゲイシャの発見年は1930年代と書かれるのが一般的です。
1930年代にエチオピアで発見されたゲイシャは、ケニアに渡り、その後タンザニアへ、そして海を渡り1953年に中米のコスタリカの熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE) (英語:The Tropical Agricultural Research and Higher Education Center、スペイン語:Centro Agronómico Tropical de Investigación y Enseñanza) (当時は米州農業科学研究所(IICA)(Inter-American Institute for Cooperation on Agriculture))に入りました。
1963年に、ドンパチ農園(Don Pachi Estate)のオーナーで、当時パナマ農業省の職員であったフランシスコ・セラシン・シニア(Sr. Francisco Serracín)(通称、ドンパチ・シニア(Don Pachi Sr.))が、コスタリカの熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE)からゲイシャを持ち帰り、パナマでゲイシャの栽培が始まりました。しかし、ゲイシャは栽培と商業的な困難さのために放棄され、しばらくはそのまま放置されることになりました。
ゲイシャが「ゲシャ(Gesha)」ではなく、「ゲイシャ(Geisha)」と呼ばれるようになったのは、この品種をコスタリカからパナマに持ち込んだセラシン・シニアが、この品種をゲイシャ 2722(Geisha 2722)と記憶していたためです。これはトゥリアルバで「T.2722」と名付けられた系統であると言われており、エスメラルダ農園のプライスは、この他にも異なった系統のゲイシャがあるという「二つのゲイシャ」説を唱えています(この辺りについては、マイケル・ワイスマン『スペシャルティコーヒー物語(原題:GOD IN A CUP)』227 - 232ページに詳しいです)。
ゲイシャの再発見
1960年代以降、パナマの複数の農園で生産されたコーヒーは、すべて品種を問わず混合して出荷されていました。コーヒーを農園ごと、品種ごとに区別して取り扱うという考えは、スペシャルティコーヒーという概念が生まれてからのことです。それまでは、生産者にも、消費者にも、コーヒーを品種ごとに扱うという考え方はほとんどなく、すべてのコーヒーが一緒くたに扱われるのが当然でした。
1990年代にスペシャルティコーヒーという概念の登場によってコーヒー生産が注目を集めるようになると、ピーターソン家は1997年に高地に新しい農園を買い取り、その農園を「ハラミージョ(Jaramillo)」と名付けました。1997年、「オホ・デ・ガーヨ(Ojo de Gallo)」、日本語で「アメリカ葉斑病(American leaf spot (of coffee)」というコーヒーの病気が広まりました。この病気は、植物の葉に斑点を形成し、発光反応を阻害するMycena citricolorという病原体が、コーヒーノキをゆっくりと腐敗させます。
ピーターソン家が買い取ったハラミージョも、この病気で荒れ果てていましたが、ダニエルはこの農園に偶然植えられていたゲイシャのコーヒーノキだけは痛みが少ないことに気づきました。コスタリカに入る以前、ゲイシャは遺伝子バンクやコーヒー研究所のネットワークで交換されていましたが、当時オホ・デ・ガーヨ(アメリカ葉斑病)に耐病性を示すサンプルについて、特別注意が払われることはありませんでした。ダニエルは、それまでゲイシャが植えられていた場所よりももっと高い標高1,650m以上の場所を含む、ハラミージョの多くの場所に、ゲイシャのコーヒーノキを植えることにしました。
ベスト・オブ・パナマ(BoP)
スペシャルティコーヒーという考え方が浸透し始めた2000年代から、コーヒー品評会が生産各国で開催されるようになりました。1999年に、ブラジルが世界で初めてコーヒーの国際品評会であるベスト・オブ・ブラジル(Best of Brazil)(現在のカップ・オブ・エクセレンス (CoE)(Cup of Excellence))を開催しました。その成功を受け、パナマでも2001年からカップ・オブ・エクセレンス (CoE)が開催されることとなりました。
最初のカップ・オブ・エクセレンス (CoE)が開催されるまでに、1989年にコーヒー危機があり、これは文字通り、パナマのコーヒー市場の崩壊を招きました。
パナマの生産者は、解決策を求めて、中米にまだ非常に少なかったスペシャルティコーヒーの生産者に目を向けました。そこで、90年代初頭、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)を手本に、パナマスペシャルティコーヒー協会(SCAP)(Specialty Coffee Association of Panama)が誕生しました。
1990年代初頭、パナマ産コーヒーは主に地元で消費されていました。パナマスペシャルティコーヒー協会(SCAP)の主な目的は、パナマのコーヒー生産を国外に宣伝することでした。そこで、パナマのスペシャルティコーヒーの品評会を開催するというアイデアが急浮上しました。
パナマでは、1996年に当時のカップ・オブ・エクセレンス (CoE)、現在のベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)の前身であるカッピング ・コンペティション(Cupping Competition)が開催されました。この品評会は、ベスト・オブ・ブラジルに先行する世界初のスペシャルティコーヒーの品評会でした。
2003年からカップ・オブ・エクセレンス(CoE)に変わり、ベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)が始まりました。
ピーターソン家は、ベスト・オブ・パナマ(BoP)への出品のために、それまでになかった新しいことを試みました。生産したコーヒーを、農園の異なる区画ごとに極めて注意深く精製処理し、優れたロットを分離したのです。区画ごとに生産したコーヒーをカップ・テストした際に、ハラミージョで生産されたコーヒーだけが、特別に素晴らしい香味を持っていることを発見しました。それから、独特の香味を持つこの品種を選別し、分離して栽培し始めました。それまで忘れられていたゲイシャが、最初にエチオピアで発見されてから約70年後に再発見されることとなったのです。
そして2004年のベスト・オブ・パナマ(BoP)で、エスメラルダ農園の出品したゲイシャ「ハラミージョ・スペシャル(Jarmillo Special)」が1ポンドあたり21ドルという当時のオークションで破格の最高落札価格を記録したことから、エスメラルダ農園のゲイシャはそのユニークな香味特性とともに一躍有名となり、それまでは個性不足と言われたパナマ産コーヒーの個性を打ち出すことに成功しました。
エスメラルダ農園のゲイシャは、2004年のベスト・オブ・パナマ(BoP)で最高価格を記録して以来、自ら持つ記録を毎年更新し続け、2004年、2005年、2006年、2007年、2009年、2010年と、ベスト・オブ・パナマ(BoP)で連続一位に輝きました。2007年のオークションでは、落札価格1ポンドあたり130ドルという史上最高値を大きく更新し、世界中の注目を浴びました。
エスメラルダ農園のゲイシャは、品評会に出品すれば必ず優勝するという伝説のコーヒーになりました。そのため、2008年からはベスト・オブ・パナマ(BoP)の別枠で、「エスメラルダ・スペシャル (Esmeralda Special)」というエスメラルダ農園独自のスペシャル・オークションが開催されるようになりました。
エスメラルダ農園が出品しなかった2008年のベスト・オブ・パナマ(BoP)のゲイシャ部門では、カルレイダ農園(La Carleida)が優勝を果たしました。当時この農園を運営していたリゴベルト・へレラ・コレア(Rigoberto Herrera Correa)は、この農園のゲイシャをコロンビアのセロ・アスールへ持ち込み、コロンビアで最初のゲイシャの栽培が始まりました。
2009年と2010年、エスメラルダ農園はベスト・オブ・パナマ(BoP)に出品し、2年連続優勝しました。2010年の落札価格は1ポンドあたり170ドルでした。2011年以後は、毎年スペシャル・オークションが行われています。
ベスト・オブ・パナマ(BoP)のゲイシャ ナチュラル部門
2011年、ベスト・オブ・パナマ(BoP)にゲイシャのナチュラル精製が初めて出品されました。当時はゲイシャのナチュラル精製に関して賛否両論あったようですが、その香味の強さから、その後はむしろウォッシュト精製よりもナチュラル精製の方が高く評価されることとなりました。2013年と2015年に、エスメラルダ農園はベスト・オブ・パナマ(BoP)のゲイシャ ナチュラル部門で優勝を果たしました。
2017年は記録的な年となりました。2017年のベスト・オブ・パナマ(BoP)のゲイシャ ナチュラル部門で94.115点を獲得し優勝した、エスメラルダ農園のカーニャ・ベルデスのモンタナ(Moñtana)区画で生産されたパナマ エスメラルダ農園 カーニャ・ベルデス ナチュラル(Esmeralda Geisha Cañas Verdes)が、1ポンドあたり601ドル(約454gあたり約6万7300円=当時の為替レート)の当時世界最高額で落札されたことが話題となりました。
50ポンド(22.68kg)の2箱のみがオークションにかけられ、日本のサザコーヒー(Saza Coffee) 、香港のキュー スペシャル コーヒー(Kew Specialty Coffee)、オーストラリアのシドニー コーヒー ビジネス 株式会社(Sydney Coffee Business Pty Ltd. )の3社が共同落札しました。
それまでの世界最高額は、2013年のベスト・オブ・パナマ(BoP)のナチュラル部門の優勝ロット(エスメラルダ農園)で1ポンドあたり350ドルで、この記録を大幅に更新することとなりました。
カツアイ
カツアイ(Catuai)はゲイシャと並んで、エスメラルダ農園で栽培されている代表的な品種の1つです。
カツアイは、1940年代後半にブラジルで発見されたムンド・ノーボ(Mundo Novo)とカツーラ(Caturra)の交配種です。「カツアイ(Catuai)」という名前は、南アメリカ先住民のトゥピ・グアラニー語族(Tupi-Guarani)の言葉で、「とても良い」という意味です。カツアイは密集栽培ができ、非常に生産性の高い品種です。横に成長する低木で、非常に強い木であり、激しい雨と強い風に抵抗することができます。ブラジルで広く栽培されている品種です。大量生産が可能なため、エスメラルダ農園の発展と労働者を支えるために、非常に重要な品種です。
収穫
エスメラルダ農園では、パナマの他の農園同様に、収穫期にはパナマの先住民族であるノベ・ブグレ族(Nôbe-Buglé)が活躍します。エスメラルダ農園のゲイシャのピッカー(収穫労働者)には平均の3倍の報酬が支払われ、6月にはすべてのピッカーにボーナスが支給されます。また、ピッカーが働いている間に、子供たちを世話するための保育園も設けられています。優秀な子供には、小学校と中学校、そして大学教育を受けるための奨学金が与えられます。
精製方法
エスメラルダ農園の主な精製方法は、ウォッシュト(Washed)とナチュラル(Natural)です。
ウォッシュト
エスメラルダ農園のウォッシュト精製では、収穫されたコーヒーチェリーは受水槽に運ばれます。 そこでコーヒーチェリーを漏斗状になった下部に沈めるために、ポンプで水を汲み上げます。水に沈まず表面に浮かび上がった完熟していないコーヒーチェリーは処分されます。受水槽で浮遊物を除去した後、残りのチェリーは果肉と外皮(パルプ)をパルピング(果肉除去)します。 除去された果肉や外皮は集められ、農園や牧草地の肥料として使用されます。パーチメントとなった状態で、粘着性の粘液であるムシラージ(Mucilage)を機械で除去します。
ナチュラル
エスメラルダ農園のナチュラルでは、気象条件やスペースにもよりますが、収穫したコーヒーチェリーをコンクリートのパティオで3日間から5日間、または乾燥ベッドで1日8時間乾燥させます。十分に乾燥させた後、通常72時間かけてのグアルディオラ乾燥機(Guardiola)で乾燥工程を完成させ、発酵を防ぎます。乾燥が完了した後、機械によって脱穀されます。
エスメラルダ農園では、この2つの精製方法の他にも実験的な精製方法に取り組んでいます。
乾燥
エスメラルダ農園の乾燥工程は、伝統的なパティオによる乾燥と、グアルディオラ乾燥機による乾燥の2つの方法で行われます。どちらを用いるかはコーヒーの種類、気象条件、利用可能なスペースによって決定されます。
グアルディオラ乾燥機
グアルディオラ乾燥機は、水平回転式ドラムで、定量の熱風を流すことでコーヒー豆の水分を除去します。エスメラルダ農園では、熱源にバイオマスが利用されます。この乾燥方法では、乾燥工程が気象条件に依存しないため、品質の一貫性を保つことができます。この大きな乾燥機では、一度に大量のコーヒー豆を乾燥させることができますが、マイクロロットのような少量のコーヒー豆を乾燥させることはできません。
パティオによる乾燥
パティオによる乾燥は、マイクロロットに適しています。パティオによる乾燥では、コーヒー豆を広いパティオに広げ、天日乾燥させます。パティオによる乾燥は、気象条件の影響を受けやすい乾燥方法です。均一な乾燥のために、定期的に反転させます。この方法では、日照や気象条件に応じて、水分量11%を目安に3日間から7日間乾燥されます。
乾燥後は、「リポーゾ(Reposo)」と呼ばれる、倉庫でコーヒーを寝かせて休ませる休養期間が与えられます。これによって、品質が安定しカップ・クオリティが高まります。エスメラルダ農園では、最低30日から45日コーヒー豆が寝かせます。脱穀と選別後、輸送されます。
エスメラルダ農園内の4つの農園
エスメラルダ農園内にはハラミージョ(Jaramillo)、カーニャ・ベルデス(CañasVerdes)、エル・ベロ(El Velo)、パルミラ(Palmira)の4つの農園があります。
ハラミージョ
ハラミージョ(Jaramillo)は、2004年にダニエル・ピーターソンがゲイシャを発見した農園です。標高最大1,700mまでマイクロロットのコーヒーが栽培されています。ハラミージョのマイクロクライメイト(微気候)は、ゲイシャの持つ花のような明るく大胆なフレーバーを生み出します。
この場所は、大西洋と太平洋の両方の影響を受けており、絶え間なく霧が発生し、一年中湿度が高いです。気温が低く、多くのシェードツリーがあり、ゲイシャを栽培するのに最適の環境です。エスメラルダ農園の最高級のマイクロロットは、ハラミージョの斜面にある小さな畑から生まれます。
ハラミージョには、以下のような区画があります。
- Mario
- Noria
- Reina
- Bosque
- Buenos Aires
ダニエルがゲイシャを発見したのは、マリオ(Mario)という区画です。この区画は絶えず霧が立ち込める特殊なマイクロクライメイト(微気候)を持っており、この区画で栽培されるゲイシャはエスメラルダ農園のゲイシャのなかでも特別な香味を有しています。
カーニャ・ベルデス
カーニャ・ベルデス(Cañas Verdes)は、1967年からピーターソン家が所有しているバル火山の南東斜面にある農園です。大きな原生林に覆われ、爽やかで涼しい風の吹き、標高最大2,000mに至るまでマイクロロットのコーヒーが栽培されています。エスメラルダ農園の最西端に位置しています。
カーニャ・ベルデスは、乾季が12月から3月にかけて3ヶ月から4ヶ月あり、明確な酸味と非常に複雑な味わいを持つ、バランスの取れたフルーティーなゲイシャのマイクロロットを生み出しています。
カーニャ・ベルデスには、以下のような区画があります。
- Lino
- Coronado
- Fundador
- León
- Montaña
- Trapiche
- Chinta
- Cabaña
- Tumaco
2017年のベスト・オブ・パナマ(BoP)のゲイシャ ナチュラル部門で94.115点を獲得し優勝したカーニャ・ベルデス ナチュラルは、この農園のモンタナ(Moñtana)という区画で栽培されたゲイシャです。
エル・ベロ
エル・ベロ(El Velo)はバル火山の東、アルト・キエル(Alto Quiel)として知られるボケテ地区の北部にある農園です。エル・ベロは2012年の開園された、エスメラルダ農園の最も新しい農園です。農園面積50ヘクタール、若干傾斜の多い地形で、列ごとに異なった区画に整然と区分されています。標高最大2,100mにまでマイクロロットのコーヒーが栽培されています。
太平洋からの暖かい空気と大西洋から降りてくる冷たい空気がぶつかり合って生じる小雨が定期的に降り注ぎます。この場所の高い標高、明るい日差し、低い気温は、アプリコット、ジャスミンとバラ、レモングラスのような若々しいカップを生み出します。この農園ではゲイシャも栽培されていますが、高品質なコーヒー生産、病気の耐性や商業栽培の可能性の長期的な研究のために、ローリナ(Laurina)、パカマラ(Pacamara)、モカ(Mocca)とケニア由来のSL-28や、エチオピア由来の400以上の品種が栽培されています。
エル・ベロには、以下のような区画があります。
- Guabo
- Portón
- Durazno
- Higuerón
- Higo
- Buena Vista
- Águila
3つの農園では、標高1,650m - 2,100mにまでコーヒーノキが植えられていますが、エスメラルダ農園の土地は2,900mにまで至るバル火山のあらゆる場所に至ります。そこにはケツァールという色鮮やかな鳥や、絶滅の危機に瀕している鳥や動物がいる自然保護区があります。
パルミラ
パルミラ(Palmira)は、1967年にルドルフ・ピーターソンが購入した最初の土地で、ここからエスメラルダ農園の歴史は始まりました。何年にもわたり小さな農園を買い取り、所有地を拡大していきました。パルミラ農園はバル火山の裾野に位置し、標高1,100m - 1,250mと低い場所に位置しています。
この農園では、パルミラというブランドで販売されるカツアイ (Catuai)を生産しています。パルミラで栽培されたコーヒーはすべて、農園の中心にある単一の精製所でウォッシュト(Washed)で精製されます。
エスメラルダ農園の各ブランド
エスメラルダ農園は、ゲイシャの生産で有名ですが、ゲイシャ以外の品種も栽培しており、それぞれブランド名を持っています。
ゲイシャには、3つのブランドがあり、エスメラルダ オークション(Esmeralda Auction)、エスメラルダ スペシャル(Esmeralda Special)、エスメラルダ プライベート コレクション(Esmeralda Private Collection)で構成されています(以前はゲイシャ 1500(Geisha 1500)というブランドがありました)。
その他に、ティピカ、ブルボン、カツアイのダイヤモンド マウンテン(Diamond Mountain)、カツアイのパルミラ(Palmyra)、カツアイのエル ベロ カツアイ リザーブ(El Velo Catuai Reserve)のブランドがあります。
エスメラルダ オークション
エスメラルダ オークションは、年に1度開催されるエスメラルダ オークションに出品されるマイクロロットのコーヒーコレクションです。
オークション・ロット名は、収穫された区画と収穫時期によって名前が付けられます。1月に収穫されたロットは、1月を意味する「エネロ」にちなんで「エネロ(Enero)」、2月に収穫されたロットは「カーニバル」の時期にちなんで「カルナバル(Carnaval)」、3月に収穫されたロットは、3月19日のスペイン語で「聖ヨセフ」を意味する「サン・ホセ(San José)」の祝日にちなんで「サン・ホセ(San José)」、4月に収穫されたロットはスペイン語で「復活祭」、「イースター」を意味する「パスクア」にちなんで「パスクア(Pascua)」と名付けられます。
例えば、「マリオ・カルナバル(Mario Carnaval)」というオークション・ロットは、ハラミージョのマリオという区画で2月に収穫されたロットという意味です。
エスメラルダ スペシャル
エスメラルダ スペシャル(Esmeralda Special)は、赤いロゴが使用されます。エスメラルダ スペシャルは、ハラミージョ、カーニャ・ベルデス、エル・ベロの標高1,600m - 1,800mの場所で生産されたゲイシャに対して、91点以上のカッピング評価が付けられた、特別に高品質なゲイシャのロットに与えられるブランドです。エスメラルダ ゲイシャの全生産量のうち、非常に希少なマイクロロットがこのブランド区分に位置付けられています。
エスメラルダ プライベート コレクション
エスメラルダ プライベート コレクション(Esmeralda Private Collection)は、緑のロゴが使用されます。エスメラルダ プライベート コレクションは、ハラミージョ、カーニャ・ベルデス、エル・ベロの標高1,600m - 1,800mで栽培されたゲイシャで、スペシャル オークションの出品には落選したロットに与えられるブランドです。
エスメラルダ スペシャルを選別する際に、カッピング評価90点未満でスペシャル オークションに出品できなかったロットですが、87点から90点の高品質なゲイシャとして提供できるブランドです。
エスメラルダ ゲイシャ 1500
エスメラルダ ゲイシャ 1500(Geisha 1500)は、紫色のロゴが使用されます。2016年からスタートした標高1,400m - 1,500mの新しく開拓された区画で栽培されているゲイシャのブランドです。ゲイシャ 1500は、エスメラルダ農園の比較的低い標高の区画で栽培されています。比較的安価で、購入しやすいブランドです。
コーヒーは、標高の高さが香味を決定づける重要なポイントとなります。標高が高ければ昼夜の寒暖差が大きくなり、コーヒーの果実が引き締まったり膨らんだりを繰り返すことで糖度を増し、コーヒーに香りの豊かさや甘さをもたらします。エスメラルダ農園では、1,400m以上の標高がなければ、ゲイシャの個性の際立った風味特性を求める事は難しいと考えているため、標高1,400m - 1,800mの土地でゲイシャの栽培をしています。
ダイヤモンド マウンテン
ダイヤモンド マウンテン(Diamond Mountain)は、ハラミージョとカーニャ・ベルデスの比較的標高の低い1,400mの区画で栽培されたティピカ、ブルボン、カツアイのブランドです。柑橘系の酸味、チョコレートのような甘さとボディが特徴です。ゲイシャと同様に、徹底的に管理された環境で栽培されています。
パルミラ
パルミラ(Palmyra)は、エスメラルダ農園の中央部に位置するパルミラで栽培されたカツアイのブランドです。ミルクのような優しい甘さ、チョコレートのようなボディがあり、柔らかく丸い口当たりが特徴です。
エスメラルダ農園のパルミラは、"Palmira"と"i"の表記ですが、ブランド名のパルミラは"Palmyra"と"y"の表記です。
日本とゲイシャ
コーヒー界のロマネコンティ
カフェ・バッハは、ゲイシャを「コーヒー界のロマネコンティ」という謳い文句で紹介しました。ゲイシャは日本で非常に注目を浴び、サザコーヒーやワタル、小川珈琲がエスメラルダ スペシャルやベスト・オブ・パナマ(BoP)の入札に参加するようになります。
日本の企業では、ワタル(WATARU)が2009年のベスト・オブ・パナマ(BoP)でエスメラルダ農園の出品ロット「エスメラルダ スペシャル」を71.50ドルで最初に落札しました。ここから日本の企業によるベスト・オブ・パナマ(BoP)優勝ロットの落札が続きました。
サザコーヒーとパナマ ゲイシャ
パナマのゲイシャと「恋をしてしまった」サザコーヒーの鈴木 太郎(すずき たろう)は、2009年からオークションに参加し、毎年パナマのベスト ゲイシャを落札しています。鈴木 太郎は現在、ベスト・オブ・パナマ(BoP)の国際審査員を務めています。
パナマ・ゲイシャ品種 No1ロットの落札の記録
「パナマで偶然に発見された「ゲイシャ」というコーヒーに恋をしました。」 ,サザコーヒー
※値段は1ポンドあたり価格
2009年
エスメラルダスペシャルオークションで No1を117ドルで落札。(同年最高価格)
*エスメラルダ農園
2010年
ベストオブ・パナマで No1を170ドルで落札。(同年最高価格) *エスメラルダ農園
2011年
ベストオブ・パナマで No1を75ドルで落札。(同年最高価格) *エスメラルダ農園
2012年
ベストオブ・パナマが 2部門制になり
ウォッシュド(水洗式)部門 No1を90ドルで落札。*エスメラルダ農園
ナチュラル(天日干し)部門 No1を93ドルで落札。(同年最高価格)*エスメラルダ農園
エスメラルダスペシャルオークションで No1を65ドルで落札。*エスメラルダ農園
2013年
ベストオブ・パナマ
ナチュラル部門のNo1を350ドルの世界過去最高価格更新で落札。(同年最高価格)*エスメラルダ農園
エスメラルダスペシャルオークションで No1を127ドルで落札。*エスメラルダ農園
2014年
ベストオブ・パナマ ゲイシャ以外のトラディショナル部門が加わる。
トラディショナル部門 No1を85ドルで落札。(パカマラナチュラル)
2015年
ベストオブ・パナマ
ナチュラル部門 No1を1ポンド140ドルで落札。(同年最高価格)*エスメラルダ農園
2016年
ベストオブ・パナマ
ウォッシュド部門 No1を1ポンド275ドルで落札。(同年最高価格)*エスメラルダ農園
エスメラルダスペシャルオークションで No1を135ドルで落札。*エスメラルダ農園
2017年
ベストオブ・パナマ
ナチュラル部門 No1を1ポンド601ドルで購入、世界過去最高価格更新。*エスメラルダ農園
ウォッシュド部門 No1をポンド254ドルで落札。
エスメラルダスペシャルオークションで No1を182ドルで落札。*エスメラルダ農園
2018年
ベストオブ・パナマ
ウォッシュド部門 No1を1ポンド661ドルで落札。*エリダ農園
ナチュラル部門 No1を1ポンド803ドルで購入、世界過去最高価格更新。*エリダ農園
2019年
ベストオブ・パナマ
ウォッシュド部門 No1を1ポンド331ドルで落札。*エリダ農園
ナチュラル プロセス部門 No1を1ポンド1029ドルで購入、世界過去最高価格更新。*エリダ農園
受賞歴
- ベスト・オブ・パナマ ゲイシャ部門 第一位:2004年、2005年、2006年、2007年、2009年、2010年、2013年(ナチュラル)、2015年(ナチュラル)、2017年(ナチュラル)
- レインフォレスト・アライアンス・カッピング ・フォー・クオリティ 第一位:2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2013年
- スペシャルティ・コーヒー・アソシエーション・オブ・アメリカ・ロースターズ・パビリオン 第一位:2005年、2006年、2007年
エスメラルダ農園 Hacienda La Esmeralda:https://real-coffee.net/category/coffee-origin/central-america/panama/boquete/hacienda-la-esmeralda