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パナマ ハートマン家の歴史
ハートマン農園
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ハートマン農園(Finca Hartmann)は、パナマ(Panama)チリキ県(Chiriquí Province)レナシミエント地区(Renacimiento District)サンタ・クララ(Santa Clara)に位置する農園です。
ハートマン農園は、ハートマン家(Hartmann Family)のコーヒー生産の中心となる家族経営の農園です。
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ハートマン農園は、サンタ・クララ・フィンカ・ハートマン(Santa Clara Finca Hartmann)またはパロ・ベルデ(Palo Verde)とオホ・デ・アグア(Ojo de Agua)の2つの農園で構成されています。標高1,300m - 2,000mの高地に位置しており、コスタリカとパナマにまたがるラ・アミスタッド国際公園 (英語:La Amistad National Park、スペイン語:Parque internacional La Amistad)に隣接しています。
パナマのコーヒーの栽培は主に、チリキ県のボケテ地区(Boquete District)、ティエラ・アルタス地区(Tierras Altas District)、レナシミエント地区(Renacimiento District)で行われます。
ハートマン農園の位置するレナシミエント地区は、パナマの最も人里離れた西部、コスタリカの国境地帯の山奥に位置しています。ハートマン農園の創業者であるラティボール・ハートマン・シニア(Ratibor Hartmann Sr.)の父親であるアロイス・ストラシル・ハートマン(Alois Strasil Hartmann)は、この地区で最初にコーヒー栽培を始めた人物の1人です。
アロイス・ハートマン
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ハートマン農園は、1950年に2代目ハートマン、ラティボール・ハートマン・シニア(Ratibor Hartmann Sr.)によって創業されました。彼は1891年にモラヴィアで生まれ、パナマに移住したアロイス・ストラシル・ハートマン(Alois Strasil Hartmann)とドイツ移民の娘であるスサナ・トロエチ(Susana Troetsch)の長男です。
アロイス・ハートマンは、1891年6月20日にオーストリア=ハンガリー帝国のモラビア(現在のチェコ共和国)で生まれました。1907年12月23日にニューヨークにやってきた彼は、1911年からエクアドル、そして南米を旅した後、1912年にパナマにやってきました。
第一次世界大戦中の1918年4月28日、彼はパナマの他のヨーロッパ移民たちとともに、捕虜としてエリス島(Ellis Island)に移送されました。
アロイスは、1920年にドイツ移民の娘として生まれたスサナ・トロエチと結婚しました。そして、彼はボルカンの町の最初の住人となり、ミスター・ランドバーグ(Mr. Landberg)という人物の所有していた2,000頭の牛と1,000頭のロバの管理を担当しました。
彼はその後4年間、ボケテ地区のホテル・パナモンテ(Panamonte Hotel)で働いた後、ボルカンの町に再び戻り、そこでコーヒー農園を始めました。彼は自らの農園を 、先住民族であるノベ・ブグレ族(Ngäbe-Buglé)の言葉で「星の鉱山」を意味する「ティジンガル(Tizingal)」と名付けました。
アロイスはこの農園を売却し、ボルカンの北部、ヌエバ・カリフォルニア(Nueva California)のシージャ・デ・パンド(Silla de Pando)に移り、コーヒー農園を始めました。彼の最初の妻スサナは、11番目の子供を妊娠中に亡くなりました。
彼はこの農園も売却し、シージャ・デ・パンドの西部にあるサンタ・クララ(Santa Clara)の町に移住し、この地区で最初のコーヒー農家となりました。彼はここで再婚し、4人の子供が生まれました。
パナマのダニエル・ブーン
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アロイスはこの地区とパナマに関する考古学的知識を有していたため、1950年にナショナル・ジオグラフィック(National Geographic)誌に協力を依頼されました。
ナショナル・ジオグラフィック誌は、1950年2月号の「ヘリコプターによる古代パナマの探索(Exploring Ancient Panama by Helicopter)」において、彼のことをアメリカ合衆国の開拓者であるダニエル・ブーン(Daniel Boone)に喩えて、「パナマのダニエル・ブーン(the Daniel Boone of Panama)」と呼んでいます。
アロイスは、1970年5月25日に78才で亡くなりました。
ラティボール・ハートマン・シニア
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アロイスはパナマ政府から購入した500ヘクタールの土地のうち100ヘクタールを、息子の1人であるラティボール・ハートマン・シニア(Ratibor Hartmann Sr.)に与えました。
ラティボール・シニアは父親のコーヒー栽培への情熱を受け継ぎ、1950年に現在ハートマン農園として知られている農園を始めました。 彼はこの人里離れた土地の深い森の木陰の下で、コーヒー栽培を始めました。彼は他の人々から、ここではコーヒー栽培がうまくいくはずがないという忠告を受けましたが、彼は自分が正しいと信じて、自らの計画を続けました。
ロバート・K・エンダース
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アメリカ合衆国の動物学者であるロバート・K・エンダース(Robert K. Enders)は、1932年にオホ・デ・アグアに小屋を建設し、そこを住処としながら動物学の研究をしていました。ラティボール・シニアは、エンダースの小屋の周辺の土地でコーヒーを栽培していたため、1988年にエンダースが亡くなるまで、ラティボール・シニアとエンダースは親しい友人同士でした。
現在この土地で栽培されるゲイシャには、「エンダース(Enders)」というロット名が付けられています。
ハートマン家の子孫たち
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ラティボール・シニアは、1966年にコスタリカ出身のディノーラ・サンディ(Dinorah Sandi)と結婚し、ラティボール・ジュニア(Ratibor Jr.)、アラン(Allan)、アレクサンダー(Alexander)、アリス(Aliss)、ケリー(Kelly)の5人の子供に恵まれました。
彼らの5人の子供たちは、幼い頃から農作業に積極的に参加しました。彼らは良い教育を受けたため、他の仕事に就く選択肢もありましたが、最終的にハートマン農園で働くことを選びました。彼らの生まれ故郷への愛、そして強い絆で結ばれた家族の思い出と共有された経験が、彼らを家族の農園へと呼び戻したためです。
ラティボール・シニアは現在引退していますが、妻のディノーラ・サンディ・ド・ハートマン(Dinorah Sandi de Hartmann)は観光活動の理事会のメンバーとして活動しています。
現在ラティーボールの5人の子供のうち、4人の兄弟姉妹が農園の経営管理と観光事業を手分けして担当しています。
Qグレーダーのライセンスを持つ3代目の農園主、ラティボール・ハートマン・ジュニア(Ratibor Hartmann Jr)がコーヒーの品質管理、アラン・ハートマン(Allan Hartmann)が精製、アレクサンダー・ハートマン(Alexander Hartmann)が農地の管理、アリス・ハートマン(Aliss Hartmann)が営業管理を担当しています。ケリー・ハートマン(Kelly Hartmann)は、ハートマン農園とは別の仕事をしています。
ハートマン農園とバード・フレンドリー
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ハートマン農園は、自然環境の保全に配慮したエコツーリズム農園です。農園は広大な熱帯雨林に囲まれており、原生の自然環境を保全した農園として、コーヒー生産以外に観光事業を行なっています。
ラティボール・シニアは鳥を愛好しており、コーヒー農園は森のように見えるべきだと信じていました。彼は、鳥の戯れる森の天蓋の下でコーヒーノキが成長するのを楽しんでいました。
ハートマン農園のロゴには、鳥のイラストが用いられています。ハートマン農園のロゴにバード・フレンドリー(Bird Friendly)の記載がありますが、バード・フレンドリーの管理団体、アメリカのスミソニアン鳥類研究所(Smithsonian Migratory Bird Center)のバード・フレンドリー認証を取得しているわけではありません。ハートマン農園はロゴ全体を商標登録しているのみで、スミソニアン鳥類研究所のバード・フレンドリー認証のロゴとは無関係です。
ハートマン家の農園
ハートマン家は、近年のスペシャルティコーヒーの需要に対応して、T&T パナマニアン・コーヒー・カンパニー(T and T Panamanian Coffee Company)という会社の下に、グアルモ・コーヒー農園(Guarumo Coffee Farm)、ミ・フィンキータ(Mi Finquita)、エル・イゴ農園(Finca el Higo)という農園を経営しています。
グアルモ・コーヒー農園は、2020年のベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)のゲイシャ ナチュラル/ハニープロセス(Geisha N-H-P)部門で第1位に輝きました。
ハートマン家 Hartmann:https://real-coffee.net/category/country/panama/renacimiento/hartmann