ヤン・タデウシュ・クルシンスキ(Jan Tadeusz Krusiński) 『トルココーヒーの正しい飲み方』(Pragmatographia de legitymo usu Ambrozyi Tureckiey)
ヤン・タデウシュ・クルシンスキ(Jan Tadeusz Krusiński)
ポーランドの東洋学者であるイエズス会のヤン・タデウシュ・クルシンスキ(Jan Tadeusz Krusiński, 1675 - 1756)は、サファヴィー朝末期のイランの歴史を研究するための資料となった最も重要な年代記の著者である。数カ国語に翻訳されたこれらの著作に加えて、クルシンスキはオスマン帝国とペルシャにおけるコーヒーの消費方法に関するあまり知られていないテキストも書いている。このテキストの最大の価値は、オスマン帝国とサファヴィー朝イランにおけるコーヒーの消費に関連した信条と慣習を、広範囲に渡って記録していることにある。クルシンスキのテキストには、ヨーロッパの他の多くの文献に見られるようなコーヒーに関する記述の他に、彼の言語能力と東洋での医療経験を含む長年の経験から得られた彼自身の理解に基づく独自の考察が含まれている。
コーヒーは、エチオピアからイエメンに伝わり、16世紀半ば頃にはイスタンブールで、遅くとも次の世紀の初めにはイランで飲用が始まった。西洋では、16世紀後半の最後の四半期にバルカン半島ではコーヒーが交易の対象となり、17世紀には飲用が始まった。
イスラム世界では、宗教や政治との兼ね合いから、コーヒーの合法性に関する議論が行われた。当時の著述家たちは、この議論の的となった飲み物の医学的な側面にも注意を払っていたが、その準備方法についてはあまり注意を払っていなかった。
イスラム世界におけるコーヒーの準備方法や医学的応用についての記述は、そのほとんどがヨーロッパの著述家の書物に見られる。そのひとつにヤン・タデウシュ・クルシンスキ『トルココーヒーの正しい飲み方』(原題:Pragmatographia de legitymo usu ambrozyi tureckiey)があるが、これはポーランド語で書かれており、西洋の言語に翻訳されていなかった。しかし、アンナ・マレカ(Anna Malecka)が、「トルコ人とペルシャ人のコーヒーの飲み方:J・T・クルシンスキ神父による社会史の知られざる文書(How Turks and Persians Drank Coffee: A Little-known Document of Social History by Father J. T. Krusiński)」で、クルシンスキの生涯と『トルココーヒーの正しい飲み方』の英語訳を紹介したことにより、その内容が明らかとなった。ここでは、この重要な論文を日本語に翻訳し紹介する。
1675年5月15日、クルシンスキはポーランド北部のヤラントヴィツェ(Jarantowice)の貴族、クルシ(エ)ンスキ家(Krusi(e)ński)に生まれた。彼は16歳でイエズス会に入会した。彼は母国で教育を受け、1700年から1705年にかけて神学と法律を学び、同時に医学の知識も身につけた。故郷の支部が作成した彼の個人記録によると、彼はラテン語、トルコ語、ペルシャ語、アルメニア語、イタリア語に精通しており、フランス語とロシア語も理解していた。彼の仕事にはグルジアの年代記も使われていたが、その言語を知っていたかどうかは定かではなく、東洋の言語をどこで学んだのか、正確にはわからない。
ポーランドでは、オスマン帝国との交流により、イスラム世界の言語、特にトルコ語の知識が珍しくなかった。当時、サファヴィー朝の支配下にあったアゼルバイジャンのガンジャ(Ganja)に、イエズス会の上層部がこの若き多言語話者を派遣したのは、東洋の布教地に多大な利益をもたらす言語適性と医療能力のためであった。そこには、17世紀半ばからイエズス会の宣教施設があった。クルシンスキは1706年の秋に目的地に到着し、3年前に現地で殺害されたポーランド人聖職者の職務を引き継いだ。
1708年、クルシンスキはガンジャを離れる許可を求めた。許可を得ると、アナトリア、イラク、シリア、パレスチナ、ギリシャを旅し、その間、彼は医療を実践して生活を支えた。2年後、彼はサファヴィー朝に戻り、イエズス会の伝道所が移転したエレヴァン(Erevan)に立ち寄った。間違いなく、クルシンスキはオスマン帝国とサファヴィー朝の土地を何年も旅している間に、様々なコーヒーの飲み方を観察し、実践し、コーヒーの医学的効果に関する現地の見解を知る機会を得た。
4年後、ようやくエレヴァンに戻ってきたクルシンスキは、不在の間にエレヴァンに滞在していたイエズス会の宣教師たちが殺害され、彼らが住んでいた建物が、キリスト教徒の様々な宗派間の争いによって失われたことを知った。この伝導所を救うために、彼はイスファハン(Isfahan)に行き、ペルシャの支配者スルタン・ホセイン(Sultan Hossein, 1688 - 1726)の宮廷を訪れた。
クルシンスキはサファヴィー朝の首都を訪れたことで、シャーハンシャー(Shahanshah)の宮廷で働くことになった。彼がペルシャ語に精通していることを知った王の側近たちは、彼に翻訳者としての役割を任せることにした。彼は、サファヴィー朝の文書館を利用して、教皇やキリスト教支配者のペルシャへの大使館の日記を集め、また、シャーの宮廷での最も重要な活動を印刷して出版することを計画した。しかし、1722年にアフガン人がイスファハンに侵攻したことで、この出版は妨げられた。この侵攻の際、クルシンスキはすでに2年間、首都でイエズス会の総代理人の役割を担っていた。彼は、アフガニスタンの司令官のひとりに保護されていたおかげで、占領下の残酷な状況をなんとか生き延びることができたのだが、その司令官は、クルシンスキが友人と一緒に、他の医者が治療不可能と判断した病気を治すことに成功した。彼はこの軍人とアフガンの軍事作戦についてよく話をし、彼が何も隠さず話してくれたため、彼は将来出版することになる歴史的書物の材料を集めることができた。
1725年8月25日、クルシンスキはオスマン帝国に向かうペルシャ大使館の側近としてイスファハンを出発した。翌年、彼はエルサレム、フランス、ローマに滞在し、教皇庁の大学で東洋語を教えながら、『ペルシャにおける後期革命の歴史』(原題:Relatio de mutationibus Regni Persorum)という作品を執筆し、1727年にローマで出版した。フランスとローマでは、西洋の著述家が書いたコーヒーに関する著作を知ることができ、その意見を『トルココーヒーの正しい飲み方』(原題:Pragmatographia de legitymo usu Ambrozyi Tureckiey)に引用している。
その頃、クルシンスキはペルシャに戻ることを決意し、途中イスタンブールに立ち寄っていた。彼はイスタンブールで優れた言語学者としても知られており、その存在が大宰相ネヴシェヒルリ・イブラヒム・パシャ(Nevşehirli İbrahim Paşa, 1660 - 1730)の目に留まった。パシャは、彼が組織した翻訳者のための学校の講師のポストを彼に提案した。
クルシンスキはイスタンブールで3年間過ごした後、イエズス会士はローマに行き、1732年にはそこからポーランドに向かった。1740年から1741年にかけて、再びイランに行き、当時のイランの支配者ナディル・シャー(Nadir Shah, 1688 - 1747)に謁見したとされている。ポーランドに戻った彼は、カームヤネツィ=ポジーリシクィイ(Kamieniec Podolski)の近くにあるブジェジェ(Brzezie)のイエズス会修道院に居を構えた。彼が本稿の主題である作品を書いたのは、おそらくこの場所であろう。また、1756年5月22日には、この地で亡くなっている。
『トルココーヒーの正しい飲み方』(Pragmatographia de legitymo usu Ambrozyi tureckiey)
1769年にワルシャワのローレンツ・クリストフ・ミツラー(Lorenz Christoph Mizler)印刷所で出版された『トルココーヒーの正しい飲み方』(原題:Pragmatographia de legitymo usu Ambrozyi Tureckiey)は、18ページに及ぶテキストである。編集を担当したのは、アルメニア出身のポーランド人知識人、ヨゼフ・エピファニイ・ミナソヴィッチ(Józef Epifanii Minasowicz, 1718 - 1796)である。この作品の文体は、バロックの基準から見ても、ところどころ難解なところがある。これは、著者の死の直前に書かれたため、印刷の準備をする時間がなかったことによる。また、この論考にはラテン語の単語が多く、現代の読者にとってもわかりにくいものとなっている。このため、編集者は序文で説明しているように、ラテン語が多く含まれている部分を削除したり、文章を修正したりして、現代的な文章に仕上げた。1769年版には、原文と編集版の両方が収録されており、後者が以下の翻訳の原文となっている。
クルシンスキの著作は、17世紀から18世紀にかけて人気を博したコーヒーに関する論文のひとつである。この種のテキストの多くは、西洋の医師や道徳家、食の専門家によって書かれたものである。書物の性格に応じて、コーヒーの作り方や、この飲料を消費する際の医学的・道徳的な側面に焦点が当てられた。コーヒーの影響は、イスラム教徒と同じように、ヒポクラテス・ガレノス説に基づいて説明された。クルシンスキもまた、この理論を支持していた。
ヨーロッパでは、コーヒーの起源がイスラム教であることや、コーヒーを飲むとキリスト教徒が 「トルコ人になる」可能性があることなどが強調されていた 。西洋の論文には、東洋でのコーヒーの飲用に関する記述もあるが、こうした情報は主に、東洋を訪れた西洋人旅行者から得られたものである。そのような論文の著者であるボローニャのアンジェロ・ランバルディ(Angelo Rambaldi)は、アフリカに滞在したとされている。しかし、この旅に関する記述は謎めいており、また、ヨーロッパの著述家を含む第三者の証言が頻繁に引用されていることから、実際に旅が行われたのかどうかは疑問である。クルシンスキは、この後者の著者の著作を知っていた。また、クルシンスキの資料には、有名な歴史書であるリュコー(Rycault)(Sir Paul Rycaut"The Present State of the Ottoman Empire")や「モンペリエ博士」(Daniel Duncan"Avis salutaire a tout le monde contre l’abus des choses chaudes.")の著作があった。クルシンスキが東洋語のテキストに言及していないことを考えると、この論考に含まれる記述のほとんどは、彼自身の現地での観察と経験に基づいていると考えられる。
『トルココーヒーの正しい飲み方』は、遅くとも17世紀の最初の四半期にはコーヒーの存在を知り、世紀半ば以前には確実にコーヒーを飲用していたポーランド・リトアニア連邦の読者に向けて提言する形で書かれている。クルシンスキは、西欧に似た母国での飲み方を不適切なものと考えていたことが、作品のトーンからもうかがえる。コーヒーにミルクを入れるという当時のヨーロッパで普及していた習慣を、ある種の嘲笑を込めて書いている。なお、『トルココーヒーの正しい飲み方』には、ペルシャよりもオスマン帝国に関する資料が圧倒的に多い。 この事実は、著者のイランでの経験が比較にならないほど長いことと照らし合わせると、イランの住民のコーヒー習慣のうち、トルコと異なるものだけを取り上げたのか、あるいは、多くの同時代のヨーロッパ人と同様に、オスマン帝国をコーヒーの故郷と考え、そこでの消費習慣が最も適切で模倣に値すると考えたのではないだろうか。このことは、この論文のタイトルからもうかがえる。
クルシンスキは、その著作の中で、やや乱暴ではあるが、ふたつの重要な問題を取り上げた。それは、消費者に害のない美味しい飲み物にするためのコーヒーの保存と準備(1日の最適な摂取量、焙煎、粉砕、湯沸かし)に関する記述と、この嗜好品が身体に与える影響である。クルシンスキのヨーロッパの先人たちが書いた論文には、クルシンスキが言及した東洋でのコーヒーの保存方法や、焙煎時に使用する添加物、近東の住人から見たコーヒーに最適な水についての考察などは見当たらない。西洋の著述家たちは、オスマン帝国に限ってではあるが、原則としてコーヒーの淹れ方に注目している。この種の情報のかなりの部分は、ランバルディの作品に含まれている。
しかし、コーヒーが人体に与える影響については、クルシンスキの先人たちの多くが頭を悩ませていた。16世紀以降の作家たちは、コーヒーには万能薬のような力があり、特に痰や湿の多い気質の人に効果があると主張したり、コーヒーが役立つ慢性的な病気をいくつか挙げたりしていた。その多くは、コーヒーが激った血液を鎮め、疲労、胃痛、頭痛、カタル、痰のからむ咳、麻疹を回復させると言及していた。しかし、頻度の高い飲用は、疝痛、痔、食欲不振、悪夢などの悪影響をもたらすと主張する著者もいた。
クルシンスキは、これらの主張の一部に賛同していた。彼はまた、コーヒーには刺激的で強化する効果と、落ち着かせて弱める効果の両方があるという、東洋で一般的な意見にも同意した。この嗜好品の最初のタイプの特性は、クルシンスキによって、彼の前任者たちが頭から胃の蒸気を取り除く能力を強調したという事実によって説明された。胃の蒸気とは、発酵の過程で血管の中を移動するガスに変化した体液のことである。クルシンスキは、コーヒーには激しい活動やアルコールの影響で全身に拡散した力を集める能力があるとし、頻度の高い飲用の刺激的な特性だけでなく、再生の特性についても伝えた。17世紀のオスマン帝国では、コーヒーにそのような効果があるという説が広まり、運動家や戦場の兵士が体力回復のために利用していた。
クルシンスキはその著作の中で、コーヒーの持つ刺激的な力や強化する力よりも、彼によれば身体に良い影響も悪い影響も与える可能性のある、コーヒーの弱める力や和らげる力に多くの段落を割いている。コーヒーは、その想定される遮断作用により、両方のタイプの影響を及ぼすことができる。クルシンスキは、濃いコーヒーのかすが血管に付着して詰まると、憂鬱で暗い気分になるという好ましくない影響があると考えた。そこで彼は、活発な身体的活動を行う結果として血液を血管に流す人と、座りがちな生活を送る人とでは、コーヒーの作り方を変えてみてはどうかと提案したのである。後者の場合、コーヒーを飲む前に、カップの底にコーヒーのかすが落ちるまで待つというのが彼の立場だった。クルシンスキは、この後者の習慣が東洋で広まっていたと述べていることから、コーヒーの遮断作用を確信したのも東洋由来であると考えられる。
この飲み物が持つとされる遮断作用は、ー実際にはもちろん利尿作用があるがー、体内に水分を保持する必要がある場合には良い効果をもたらすと考えられており、また、不機嫌な気質を変えることもできると考えられていた。また、コーヒーは血管を詰まらせる性質があるため、トルコ人が性の乱れを表現した「激烈な血(Frenetic Blood)」を落ち着かせることができると考えられていたのである。しかし、このような効果は、性欲の減退やインポテンツの原因となるなど、望ましくない効果もあった。しかし、クルシンスキは、オスマン・トルコのスルタンがこのような理由で頻繁な飲用をしなかったと主張したが、それは間違いである。よく知られているように、イブラヒム1世(在位:1640 - 1648)の薬はコーヒーに溶かして飲まれていた。
クルシンスキは、ペルシャのシャー・イスマイル1世(在位:1501 - 1524)の妾が、主人がコーヒーに依存しているために自分への関心が薄いことを訴えたという逸話を紹介している。この逸話は遅くとも16世紀末にはペルシャで広まっていたが、前述のように16世紀の最初の四半期にはイランではコーヒーが飲まれていなかったことから、この逸話は偽書であろう。以上のことから、ヨーロッパや東洋の文献に見られるコーヒーの飲み過ぎとインポテンツとの関連性についての確信は、イスラム世界で生まれたものであると推測される。
望ましくない影響を与える頻度の高い飲用の弱点として、クルシンスキは、空腹時にコーヒーを飲むと「むずむずする」という特性は、胃の粘膜を刺激するためと理解していた。一方、プラスの影響を与えるものとして、クルシンスキは、体内の胆汁を和らげる作用があるとした。しかし、東洋では、このような特性は無糖の飲み物にしかないと考えられていた。オスマン帝国を訪れた多くの旅行者が、コーヒーを砂糖なしで飲む習慣を持っていたのは、このような観点に基づいていたのかもしれない。
クルシンスキによると、イラン人は口に含んだ砂糖の塊でコーヒーをろ過する習慣があったという。この発言は、個人的な観察によるものであることは間違いないが、ペルシャのコーヒーが苦く消費されたという17世紀から18世紀の多くの著述家の意見とは相反するものである。これはある文化圏でのコーヒーの飲み方が時代によって、また間違いなく地理的な場所によって変化したことを示している。
最後に、クルシンスキは、懐疑的ではあるが、コーヒーを薬用に外用することにも言及した数少ない著者のひとりであることを言及しておく。彼はまた、コーヒーがないと生きていけない人のことを指して、コーヒーに対する精神的な依存症を最初に指摘した人物のひとりでもある。
翻訳
Turks do not drink coffee on an empty stomach to such extent that a proverb says: if you do not have something to snack on before coffee then pull a button off your clothing and swallow it. And that is why the Turkish dictionary calls breakfast kahvaltı – so, as it would be in our language pre-coffee. The cause of this is that coffee in its essence is digestive, thus if it does not find anything to digest in the stomach, it digests inborn humours whereby weakening the powers of nature. Nor does a Turkish madrigal contradict this:
Ehl-i irfan arasında ziyafet biz bütün bir fincan ağır kahve bir lüle keskin tütün
Among enlightened people it is customary to treat a guest with a cup of strong coffee and a pipe of tobacco.
トルコ人は空腹時にコーヒーを飲まないので、「コーヒーを飲む前に何かつまめるものがなければ、服のボタンを外して飲みなさい」ということわざがあるほどだ。そのため、トルコ語の辞書では、朝食のことを「カフヴァルティ」と呼んでいるー我々の言葉で言うと、これはコーヒーの前の状態である。この原因は、コーヒーの本質が消化剤であるため、胃の中に消化すべきものがなければ、生まれつき備えている体液を消化してしまい、自然の力を弱めてしまうからである。また、トルコのマドリガルもこれに反している:
見識のある人々の間では、濃いコーヒーとタバコのパイプで客人をもてなす習慣がある。
It does not contradict I say as in Istanbul, in order to protect themselves from harmful air, Turks do not leave home on an empty stomach. Emissaries to the vezir are offered [pre-coffee] on a tray before coffee instead of antipasto. When, however, in the morning one feels indigestion in the stomach, let him take coffee without antipasto (this let him do) also after dinner. One who has a digestive stomach, healthy and vigorous, should not be drinking coffee. That is why Turks forbid drinking coffee by children even at puberty and beyond.
イスタンブールでは、有害な空気から身を守るために、トルコ人は空腹では家を出ないと言っても矛盾しない。「ワズィール」への使者は、コーヒーの前にトレイにのせた「コーヒーの前」をアンティパスト(食事の前)の代わりに提供する。しかし、朝、胃に消化不良を感じたときは、食後にもアンティパストなしでコーヒーを飲ませる(これをさせる)。胃腸が消化され、健康で元気な人は、コーヒーを飲んではいけない。だからトルコ人は、子供が思春期以降もコーヒーを飲むことを禁止しているのである。
Those who cannot do without [it] or feel in themselves unquenched thirst for needless drinking of coffee, they need to take coffee and this on an empty stomach, so that sharp humours of a roaring stomach will be brought to proper moderation. Also in order to get rid of the addiction to drinking alcohol, [while] fancy to it slowly suppressing the taking of coffee has turned out for many to be an effective medication.
コーヒーなしではいられない人や、コーヒーを飲まないと気が済まない人は、空腹時にコーヒーを飲むようにして、荒れ狂う胃腸の調子を適度に整える必要がある。また、アルコール依存症から脱却するためには、コーヒーの摂取を少しずつ抑えていくことが有効な薬となることが多くの人に知られている。
The common notion with the Turks [is] that the use of coffee, bringing humours to proper moderation, in a way weakens nature, which weakness though turns toward health and makes it so that inborn warmth and ardour of seething blood do not explode, whereby (man) would quickly burn up, but smoulders slowly, so to persist longer. As a proverb says, a creaky wheel creaks longer. And thus, these ailments, which come from hot causes and to which strong and fiery temperaments more quickly yield, in those who take coffee upon proper moderation of humours, are more easily alleviated. However, those who are ailing and recuperating are advised by oriental doctors not to take coffee. Thereby, that is said about coffee what is proclaimed by a Polish proverb: that a healthy stomach will not be at odds even with Russian pirog. I do warn here however that prior to kahvaltı [should rather be: “prior to coffee”] it is still better to take Russian pirog than Turkish buttons.
トルコ人の一般的な考え方は、コーヒーを使うことで体液を適切な状態にして、ある意味で自然を弱らせるというものである。その弱さは、しかし健康に向けられ、生まれつき備えた温や熱を帯びた煮えたぎる血液が爆発しないようにして、(人間が)すぐに燃え尽きてしまうのではなく、ゆっくりと煙を上げて、長く続くようにする。諺にもあるように、きしむ車輪は長くきしむのである。このように、熱の原因から来る病気や、強くて激しい気質がすぐに生じる病気は、コーヒーを飲んで適切に体調を整えている人であれば、より簡単に緩和される。しかし、病人や療養中の人は、東洋の医師からコーヒーを飲まないように勧められる。コーヒーについては、ポーランドのことわざでこのように言われる:健康な胃は、ロシアのピローグにも不和とはならないだろう。しかし、ここで注意しておきたいのは、カフヴァルティ(コーヒーの前)の前には、トルコのボタンよりもロシアのピローグを食べた方がましであるということである。
Coffee is permitted by oriental doctors in [cases of] madness and headache, and this for extracting from the forehead the light sweat that will relieve the pain in the head, especially [when there is] catarrh. Still, Turks suppose that the use of coffee either calms “frisky [frenetic] blood”, or as they say delly kanły [deli kan] whereas in others it causes impotence. In Persia, they say that Ismail i, having fallen into drinking coffee, did not care for a previously favourite concubine, who, when seeing that a stalwart stallion […] [is to be castrated], which Persians rarely do, said: Whatever for do you torture the brave colt, you should have watered him with coffee, as my king, and he would not be so virile. Thus by hereditary custom, the Turkish emperors do not drink coffee, and this for safeguarding the Ottoman family, whose succession otherwise would pass to the Tatar khan.
コーヒーは狂気と頭痛がある場合に東洋の医師に許可されていて、これは額から軽い汗を出して頭の痛みを和らげるためであり、特にカタルがある場合である。しかし、トルコ人はコーヒーを飲むことで、一方で「デリカン」と呼ばれることもある「激烈な血」を落ち着かせることができると考えており、他方でインポテンツを引き起こすこともある。ペルシャでは、コーヒーを飲むようになったイスマイル1世が、それまで寵愛していた妾を気にかけず、ペルシャ人が滅多にしない去勢手術を受けようとしている丈夫な種馬を見て、こう言ったそうである:何のためにこの勇敢な仔馬を拷問するのか知らないが、私の王として、コーヒーでも飲ませておけば、これほどまでに男らしくはならなかっただろう。このように世襲制によって、トルコの皇帝はコーヒーを飲まないが、これはオスマン家を守るためであり、そうでなければタタール人のカーンに継承されてしまうからである。
An Italian medic however, in a description of a Persian trip ‘De usu ambrosiae Arabicae’, uses well-grounded arguments to refute this notion that the use of coffee would bring impotence, which he establishes by his own example. While taking coffee everyday he had eight sons and as many daughters. Although Turks
are impotent for the most part, in his opinion this derives more from polygamy or, as Rycaut states in a description of the Turkish monarchy, from indulging against nature, which custom has obscenely intensified among them.
しかし、イタリアの医学者は、ペルシャ旅行の記述『アラビアでのアンブロシア(神の食べ物)の使用について』の中で、コーヒーの使用がインポテンツをもたらすという考えを、根拠のある論拠を用いて反論しており、自らの例でそれを証明している。毎日コーヒーを飲みながら、彼には8人の息子と2人の娘がいる。トルコ人は大部分がインポテンツであるが、彼の意見では、これは一夫多妻制に起因するものであり、リュコーがトルコ王政についての記述の中で述べているように、自然に逆らう欲望に起因するものであり、その習慣は彼らの間で淫らに強化されている。
It is true that drinking thick coffee obstructs blood circulation, increases melancholy, and due to this Turks are usually melancholic, sombre and gloomily serious. In case of cholerics, referred to by a satirist: “when bile catches fire you could light a wick”, for them to become choleric-melancholic, blood-filled and acquire moderation of humours, the use of coffee is deemed useful. Melancholics, though, and phlegmatics […] as not to rot [should not drink coffee].4
濃いコーヒーを飲むと血行が悪くなり、憂鬱になるのは事実であり、そのためトルコ人は憂鬱で陰気で真面目な人が多い。風刺家が言うところの、癇癪持ちの場合は、「胆汁に火がついたら芯に火をつけよ」と言ったように、短気で憂鬱、血の気が多く、ユーモアの節度を身につけるためには、コーヒーの使用が有効であると考えられている。憂鬱で考え込みがち、粘液質の人は、駄目にならないようにコーヒーを飲んではいけない。
Turks claim however, which is also attested by experience, that after unneeded agitation, or tiredness, the use of coffee at once repairs powers. Pehlivanlar or wrestlers [fortify themselves with that drink] when worn out and having drunk coffee again come to the ring with fresh strength for wrestling. Çuhadarlar and şatırlar or running footmen also fortify themselves with this drink. And that is why wherever there are caravanserais in towns and along routes, [there] sit grocers who have coffee ready for travellers, and baked eggs instead of buttons. The reason for this [is] that coffee stops spirits dispersed through agitation, turns them around and gathers [them up] again. As experience teaches, coffee is also helpful after drinking too much.
しかし、トルコ人は、必要以上に興奮したり、疲れたりしたときに、コーヒーを飲むとすぐに力が回復すると主張しており、これは経験的にも証明されている。ペフリバンラル(レスリング選手)は、疲れたときにコーヒーを飲んで体を鍛え、再びコーヒーを飲むと新鮮な力でリングに上がり、レスリングをすることができる。チュハダルラーやシャトゥルラー(ランニング・フットマン)もこの飲み物で体を鍛える。だからこそ、町やルート上にキャラバンサライがあるところでは、旅人のためにコーヒーを用意し、ボタンの代わりに焼いた卵を用意する食料品店がある。その理由は、コーヒーが興奮によって散乱した生命力を止め、それを反転させて再び集めるからである。経験が教えるように、コーヒーは飲み過ぎた後にも役立つ。
Turks do not praise taking coffee for the night, especially without eating something, because by clearing the brain and cleaning the head of stomach vapours it takes sleep away. Thus, even though they are overtaken by sleep, it does not perfectly bind their senses nor strengthen nature, whereas those who have an empty stomach have their sleep taken away completely. The matter is known from experience that in one who […] falls asleep after drinking coffee, obstructing blood circulation coffee weakens all powers [whereby some may even]fall off the bed. It will not be a hindrance however for the sleepy and idle to take coffee for the night so they would sleep better. Besides this coffee retains water in the body [impeding also urination at night and diarrhea?].
トルコ人は、夜、特に何も食べずにコーヒーを飲むことを賞賛しない。脳をクリアにし、頭の中の胃の蒸気をきれいにすることで、眠りを奪うからだ。したがって、睡眠が突然襲いかかっても、感覚を完全に束縛することもなく、自然を強化することもないが、空腹の人は睡眠が完全に奪われる。コーヒーを飲んで眠ってしまう人は、コーヒーが血行を阻害しあらゆる力を弱め、ベッドから落ちてしまう人もいることが経験的に知られている。しかし、眠い人や暇な人が一晩コーヒーを飲んでよく眠れるようになっても、支障はないだろう。また、コーヒーは体内に水分を保持するため、夜間の排尿や下痢の原因にもなる。
According to Turks, during the summer coffee cools, in the winter they change their opinion and say that it warms. Thus in winter and in summer they drink coffee wherein they imitate Muscovites […]. The matter is proven that hot coffee relieves heat […] in winter though it is more certain that cold wine will warm [one] up better than hot coffee.
トルコ人によると、夏にはコーヒーは冷えるが、冬になると意見を変えて温まるという。このように冬でも夏でも彼らはコーヒーを飲むが、それはモスクワ市民の真似をしているのである。ホットコーヒーが冬に熱を取り除くことは証明されているが、ホットコーヒーよりも冷えたワインの方が体を温めることは確かである。
In roasting coffee it is necessary always to stir it, when it exudes the sweated oiliness, cover it well until it cools. It should not be crushed when hot because much of the scent will be lost: in a mortar it should be crushed well. Turks do not put crushed [coffee] through a sieve supposing that the oiliness will adhere to the sieve. Persians, when roasting coffee, place some bitter almonds, fresh ones for oiliness. If there will be many almonds, the coffee will be like plaster, however it will dissolve while boiling, and when it is stirred, the oiliness will float on the surface. It is better to add almond oil only, because with the mass it will not settle as well. When [however] roasted excessively, it will cause excretion of bile in the body, whereas when not roasted well enough it will not brew well. Thus, much depends on roasting. For this, the Turkish lords engage special coffee makers or kahveciler, so they can take it freshly roasted each day.
コーヒーを焙煎する際には、常にかき混ぜる必要があり、汗をかき油分が出てきたら、冷めるまでしっかりと蓋をする。熱いうちに粉砕してはいけない、香りの多くが失われてしまうからである:乳鉢でよく砕かなければならない。トルコ人は、油分がふるいに付着すると考えて、砕いたコーヒーをふるいにかけない。ペルシャ人は、コーヒーを焙煎するときにビターアーモンド、油分のために新鮮なアーモンドを入れる。アーモンドが多いとコーヒーは石膏のようになるが、沸騰すると溶けて、かき混ぜると油分が表面に浮き出てくる。かたまりでき安定しなくなるため、アーモンドオイルだけを入れた方が良い。しかし、焙煎しすぎると体内に胆汁が排泄され、焙煎が足りないと美味しく淹れられない。このように、焙煎には大きな意味がある。このため、トルコの領主たちは、専用のコーヒーメーカー(カフウェサイラー)を雇い、毎日新鮮な焙煎されたコーヒーを受け取れるようにしている。
Others, for travels, pack mashed coffee in leather bags and on top they put Turkish or Jerusalem soap so that it will not be aerated and wind it around with string in a bundle because cold does damage to mashed coffee.
また、旅行の際には、すりつぶしたコーヒーを革袋に入れ、その上に空気が抜けないようにトルコ石けんやエルサレム石けんを乗せて、寒さですりつぶしたコーヒーが傷まないように紐で束ねて巻く人もいる。
If it aerates somewhat, roast it a bit on an iron spoon, or in a clean pot, it will regain strength and scent. In brewing coffee, first boil the water well. Not all water is fit for coffee. Not good is that in which coffee seethes for a long time like milk and which does not boil right away. Turks take the lightest water to be
the best. Generally speaking, any water must be boiled well. If there is no better, remove the froth and strain after it settles. When water boils over, pour out one third of the kettle, boil lightly and keep adding hot water, when it stops seething bring it to a boil so it simmers like tiny peas, clamp and put the kettle in cold water for a bit. Or pour cold water over it or also throw in a lump of sugar, dregs will settle on the bottom.
多少空気にさらし、鉄のスプーンや清潔な鍋で少し焙煎すると、力強さと香りが戻ってくる。コーヒーを淹れるときには、まず水をよく沸騰させる。すべての水がコーヒーに適しているわけではない。コーヒーがミルクのように長時間煮えたぎる水や、すぐに沸騰しない水は良くない。トルコ人は、最も軽い水が最も良いと考える。一般的に、どんな水でもよく沸騰させなければならない。良いものがない場合は、泡を取り除き、落ち着いてから濾す。沸騰したらやかんの3分の1を取り出し、軽く沸騰させてからお湯を足し続け、沸騰が止まったらとても小さな豆のようにぐつぐつ煮えたぎる状態にし、固定し、やかんを少し冷水につけておく。あるいは冷水をかけるか、砂糖の塊を入れると、かすが底に沈殿する。
A practiced way for coffee to settle quickly: pour into it a good pinch of grated deer horn, it will be clear and gain a ruby colour. Besides other properties that it has, this horn repulses rawness of water, slightly extracts sweat and most of all dilutes the blood.
コーヒーを素早く落ち着かせるための実践的な方法として:鹿の角をすりおろしたものをひとつまみ入れると、透明でルビー色になる。鹿の角は他の特性に加えて、水の生気を反発させ、わずかに汗を引き出し、そして何よりも血を薄める。
This also peculiar trait of coffee [lies in the fact] that, when one spills it seething on himself then pimples disappear and who does not believe in this should try it, however I do not want to buy experience at such high cost [so as later] not to regret it. Coffee steam clears eyesight, so then drink [it] to have steam go into the eyes. [Coffee] makes the heart happier, disperses catarrh humours from the forehead and draws [them] out through sweat, soothes head ache. It has been tried through practice that it returns vigour to benumbed limbs. [When] hot [it] should be drunk slowly
これもコーヒーの特徴で、自分を煮えたぎらせてこぼすと吹き出物が消えるというもので、これを信じない人は試してみるといいが、私は後悔しないためにもそんなに高いコストをかけてまで経験を買いたくはない。コーヒーの蒸気で目がきれいになるので、飲むときは蒸気が目に入るようにする。コーヒーは心を幸福にし、額に溜まったカタルを汗で流し、頭の痛みを和らげる。痺れた手足に活力を取り戻すことが実践で試されている。熱いうちにゆっくり飲むのが良い。
Turks boil coffee thick (which coffee is called there strong/heavy or) “aghyr kahwe” [ağır kahve], but the more refined among them and more notable do not drink coffee until it settles. Janissaries and commoners not so sophisticated in drinking coffee, before they drink coffee they make a disturbance in the kettle, like a camel before it drinks water first muddies it so that it would not take a liking to its own comely stance.
トルコ人は、コーヒーを濃く煮出す(このコーヒーを強い/重い、または「アギル・カフウェ」と呼ぶ)が、彼らの中でも特に洗練された人や著名な人は、コーヒーが落ち着くまで飲まない。コーヒーの飲み方がそれほど洗練されていないイェニチェリや平民は、コーヒーを飲む前に、ラクダが水を飲む前に水を濁すように、自分の美しい姿勢を好まないように、やかんの中をかき乱す。
People engaged in work and a lot of movement are not harmed by coffee that is not settled because [in their case] work delivers blood throughout the veins, but in those with a sedentary life style it obstructs blood circulation. It is sufficient for one person to consume 1.5 to two lots [łuts] (of coffee) divided into one to three cups and this not every day. Per person in a day, if one drinks coffee every day, there will suffice one lot [12.65 grams], or 12 shillings
仕事をしていてよく動いている人は、仕事によって血液が血管中に送られるため、コーヒーを飲んでも問題ないが、座りっぱなしの生活をしている人は、血液の循環を妨げる。一人当たりの摂取量は、1.5ロットから2ロットのコーヒーを1杯から3杯に分けて摂取すれば十分だが、これは毎日ではない。一人当たりの一日の摂取量は、毎日コーヒーを飲む場合、1ロット(12.65g)、12シリングとなる。
Turks drink coffee without sugar because its bitterness soothes bile, whereas sugar agitates it. Persians, when brewing coffee, put in several cloves for the scent, or cinnamon – to soothe [digestion] winds (for which white cinnamon is more effective) and place icy sugar in the mouth to sweeten the bitterness when they drink. For catarrh, cough, [or] pain in the chest, put in a cup some fresh unsalted butter while adding icy sugar. For pain in the chest however almond oil is more effective.
トルコ人が砂糖なしでコーヒーを飲むのは、コーヒーの苦味が胆汁を鎮めるのに対し、砂糖は胆汁を刺激するからである。ペルシャ人はコーヒーを淹れるときに、香りを出すためにクローブを数個入れたり、消化の風を和らげるためにシナモンを入れたり(ホワイトシナモンがより効果的)、飲むときに苦味を甘くするために氷砂糖を口に入れたりする。カタル、咳、胸の痛みには、カップに新鮮な無塩バターを入れ、氷砂糖を加える。ただし、胸の痛みにはアーモンドオイルがより効果的である。
Those who have the stone ailment should drink coffee with juniper. The juniper should be roasted […], water boiled, while rosemary [is] added in a bag. When water settles well, it should be strained through a cloth and in this water coffee should be brewed while adding [a bit]of sassafras wood. Other doctors advise mistletoe from an oak tree to be brewed for long and in this water coffee should be boiled.
石の病気を患っている人は、ジュニパー入りのコーヒーを飲むべきである。ジュニパーを焙煎し、湯を沸かし、ローズマリーを袋に入れて加える。水が落ち着いたら布で濾し、この水でコーヒーを淹れ、ササフラスの木を少し加える。他の医者は、樫の木のヤドリギを長く抽出して、この水でコーヒーを沸かすように助言する。
I praise the most using coffee with myrrh. Placing a piece of it according to taste, not grated to very fine powder, because this bitterness cleans internal decays, keeps the viscera from corruption and lends a pleasant scent. Adding sugar so that bitterness would still be felt. In this way coffee should be drunk by those who suffer from scurvy.
私は没薬入りのコーヒーを使うことを最も賞賛している。好みに応じてひとかけら置き、非常に細かい粉末にはしない、なぜなら、この苦味が体内の腐敗を浄化し、内臓の腐敗を防ぎ、心地よい香りを与えるからである。砂糖を入れても苦味が残るだろう。このような方法で、壊血病を患っている人にコーヒーが飲まれるべきである。
Şerbet from coffee like this: dregs from coffee pour over with water, boil or set aside in warmth, the next day after this settles pour it off and brew coffee in this şerbet – it will be stronger and more bitter.
コーヒーからの「シャーベット」はこのようなものである:コーヒーの残りかすに水を注ぎ、沸騰させるか、暖かいところに置いておき、次の日、これが落ち着いてから水を注ぎ、このシャーベットでコーヒーを淹れるーすると、より強く、より苦くなる。
People in the East do not drink coffee with milk. This manner has been set in Europe, especially among ladies. The first to discover it were the Dutch, or maybe Italians. (These) even milk the cow up to three pails (this is till the finish?). About the use of these things I leave the judgment to medics because both of those things seem to be contrary to each other. I warn however that the one wanting to drink coffee with milk according to the opinion of doctor Montpellier should put in a little sugar or salt, and this to cast off the rawness of the milk.
東洋の人々はコーヒーにミルクを入れて飲まない。この方法はヨーロッパ、特に女性の間で定着している。最初に発見したのはオランダ人、あるいはイタリア人だった。これらの牛の乳も3ペールまでである。これらの使い方については、互いに相反することのようなので、私は医学者に判断を委ねる。ただし、モンペリエ医師の意見に従ってミルク入りコーヒーを飲もうとする者は、砂糖や塩を少し入れるべきであり、それはミルクの生臭さを消すためであると私は警告する。
Those who have thin veins for bloodletting, as do ladies exhausted by corsets, for such use of coffee is harmful […]. Finally I would advise depending on the opinion of experienced doctors as to the matter of for whom drinking coffee is harmful and for whom useful.
コルセットで疲労した女性のように、瀉血用の細い血管を持っている人は、そのようなコーヒーの使用は有害である。最後に、コーヒーを飲むことが誰にとって有害で、誰にとって有益であるかについては、経験豊富な医師の意見を参考にすることをお勧めする。
On the occasion of writing these words I recommend use of mastic from the island of Chios, to those who still have solid teeth. It may be obtained in a pharmacy; it is crumbled with teeth [i.e. by chewing], but then hardens and crumbles like wax. This is usually chewed by citizens of eastern states, because it acts to prevent toothache, cleans scurvy humours with saliva and heals decay from the gums.
この文章を書くにあたり、まだ歯がしっかりしている人には、キオス島産のマスチックの使用をお勧めする。これは薬局で手に入れることができる;歯で噛んで砕くと、ワックスのように固まってぼろぼろになるのである。これは、歯痛を防ぎ、唾液で壊血病の体液を洗浄し、歯茎からの虫歯を治す作用があるため、通常東部州の市民が噛んでいる。
<参考>
"How Turks and Persians Drank Coffee: A Little-known Document of Social History by Father J. T. Krusiński",BRILL<https://brill.com/view/journals/thr/6/2/article-p175_4.xml?rskey=qISZ5w&result=1>