上はトルコのイスタンブールにあるペラ美術館(Pera Museum)に所蔵されている「コーヒーの楽しみ(Enjoying Coffee)」という絵画である。ペラ美術館は2005年にスナとイナン・クラチ財団(Suna and İnan Kıraç Foundation)によって設立された美術館で、主に19世紀オリエンタリズムアートに焦点を当てたコレクションで知られている。
この「コーヒーの楽しみ」は18世紀前半に描かれたフランス学校の無名画家による絵画である。ディヴァン(Divan)というソファの上で、オスマン帝国時代の女性がコーヒーを楽しんでいる様子が描かれている。彼女の使用人が差し出し、女性が左手に持っているのはお菓子か何かだろう。コーヒーにつけて食べる様子のようだ。
「コーヒーの楽しみ」の女性の華やかな頭飾りとネックレスのモチーフは、オランダ人芸術家であり旅行家であるコルネリス・デ・ブラウン(Cornelis de Bruyn)が1698年に出版した「レバントへの旅(原題:Reizen van Cornelis de Bruyn、フランス語訳題:Voyage au levant)」のイラストから取られている。
ちなみこのコルネリス・デ・ブラウンの「レバントへの旅」には、サファヴィー朝のスルターン・フサイン(Sultan Husayn)時代のコーヒーハウスに関する記述がある。サファヴィー朝の首都イスファハーンには多くのコーヒーハウスがあったようだ(詳しくはRudi Mattheeの"The Pursuit of Pleasure: Drugs and Stimulants in Iranian History, 1500-1900"を参照)。
「コーヒーの楽しみ」についてペラ美術館のホームページに詳しい説明がある。この絵画のモチーフとなったのは、フランス人画家ジャン・バプティスト・ヴァンモア(Jean Baptiste Vanmour)による「レバントの様々な国々を表象した百枚の版画のコレクション(Recueil de cent estampes représentant les diverses nations du Levant)」であり、「コーヒーの楽しみ」のモチーフとなった版画は「ソファーの上でコーヒーを飲むトルコの娘(Fille Turque prenant le Café sur le Sopha)」という版画である。
絵画と版画では、使用人の女性にいる方向と立っているか座っているかの違いがある。
これも「ソファーの上でコーヒーを飲むトルコの娘」の版画がモチーフとなった絵画である。このダニエル・バレンタイン・リヴィエール(Daniel Valentine Rivière)によるものと言われている絵画では、イスタンブールのファナル地区(Fener)のギリシャ家屋のインテリアが描かれている。
この絵画の題名にあるファナリオット(Phanariot)とは、オスマン帝国に置いて重要な地位を占めていたコンスタンティノープル総主教庁(The Ecumenical Patriarchate of Constantinople)があり、コンスタンティノープルのギリシャ人商業貴族の居住地区であったファナル地区に住んでいたギリシャ人のことを指している。この絵画からは当時オリエントで財を成したギリシャ人のコーヒーシーンが伺える。
象牙細工のサイドテーブルにはコーヒーポットとコーヒーの入った二つのカップが置かれている。彼女の使用人が持っているチボーク(Chibouk)というパイプ、床に置かれたダチョウの羽の扇と小さな火鉢、これらはすべて、彼らの当時のコーヒーのある日常を切り取った情景である。
「レバントの様々な国々を表象した百枚の版画のコレクション」には、当時の様々な階級の人々が描かれている。「ソファーの上でコーヒーを飲むトルコの娘」の版画の前後では、いくつかのトルコ女性の版画を見ることができる。また、この版画集では当時のコーヒーの露天商の版画も見ることができる(この版画はラルフ・S・ ハトックス『コーヒーとコーヒーハウス:中世中東における社交飲料の起源』斎藤富美子・田村愛理訳,同文舘p126に登場する)。
コーヒーハウスは早い時期からコーヒーを飲む場所ではあったが、コーヒーの小売りを独占していたわけではなかった。たとえば、ジャン・バティスト・ファン・モール(1670-1737)の「街頭のコーヒー売り Vendeur de caffé par les rues」という版画のなかで描かれているような、町を売り歩くコーヒー売りが中東やヨーロッパの街角で見られた。コーヒーハウスに置かれているような大きな木炭ストーブは使えないので、コーヒー売りはたいてい小さなアルコールランプでコーヒーを入れ、道行く人の注文に応じた
ラルフ・S・ハトックス(1993)『コーヒーとコーヒーハウス』,斎藤富美子・田村愛理訳,同文舘.p126
2014年にペラ美術館では、「コーヒーブレイク(Coffee Break)」というコレクション展が行われた(実際の展示の様子はこちらから)。ジャン・バプティスト・ヴァンモアがコーヒーシーンを描いた絵画も展示された。
この絵画ではオスマン帝国のハレム(Harem)の様子が描かれている。コーヒーはこのハレムで重要な役割を演じていたようだ。
ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル(Jules Joseph Lefebvre)が描いた「家政婦」の絵画。 彼女は青白磁のデカンタと果物をのせたトレイを持っている。これも「コーヒーブレイク」で使用された絵画である。