スペシャルティコーヒーの立役者:テッド・R・リングル
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スペシャルティコーヒーの立役者 テッド・R・リングル

テッド・R・リングル

"A Conversation with Ted Lingle: From West Point to Heading the SCAA & CQI",C Shìjiè 2025年10月30日.

テッド・R・リングル(Ted R. Lingle)は、20世紀後半から21世紀初頭にかけてスペシャルティコーヒー業界の基盤を築き、その発展に多大な影響を与えた米国のコーヒー専門家であり、卓越した教育者、組織指導者である。南カリフォルニアで生まれ育ち、1966年に米国陸軍士官学校(United States Military Academy at West Point)を卒業して理学士号を取得した。卒業後は米陸軍(United States Army)で4年間にわたって現役で軍務に服し、ドイツとベトナムの両方で従軍した経験を持つ。ベトナム帰還兵として培った規律とリーダーシップは、後の業界活動の支えとなった。1978年にはロサンゼルス(Los Angeles)のウッドベリー大学(Woodbury University)で経営学修士号(MBA)を取得し、ビジネスの専門知識を深めた。

コーヒー業界でのキャリアの最初の20年間、リングルは祖父が1920年にロサンゼルス(Los Angeles)で創業したリングル・ブラザーズ・コーヒー社(Lingle Bros. Coffee, Inc)においてマーケティング担当副社長を務めた。同社では外食産業、オフィス・コーヒー・サービス(OCS)(Office Coffee Service,)、さらには新興のスペシャルティコーヒー市場に向けた販売プログラムを統括した。彼は現場での実践的なマーケティングにも長けており、ロサンゼルスのジュニアズ・デリ(Junior's Deli)のオーナーであるマーヴィン・ソール(Marvin Saul)からの要望をきっかけに、新鮮な抽出によるカフェインレスコーヒー「フレッシュ・ブリュー・デカフェ(Fresh Brew Decafe)」を提案した。当時、外食産業のカフェインレス市場はインスタント・デカフェコーヒーのサンカ(Sanka)が独占していたが、リングルの提案した高品質なデカフェは爆発的な人気を呼び、ファー・ウエスト・サービス社(Far West Services)などの顧客を通じて全国のレストランメニューに採用されるという画期的な成功を収めた。

リングルは業界の課題解決と教育にも熱心に取り組んだ。当時の米国オフィスコーヒー市場は、本来の約3分の1に相当する「10杯分でわずか8分の7オンス」しかコーヒー粉が使用されていないなど、極端なコスト削減による品質低下が蔓延していた。彼はオフィス・コーヒー・サービス(OCS)業界の顧客であったメジャー・ドーモ・コーヒー・サービス(Major Domo Coffee Service)のドン・ドネガン(Don Donegan)と親交を深める中で、マイケル・シベッツ(Michael Sivetz)の高額な技術研修に代わる独自の教育プログラム「コーヒー・ブレンディング・ゲーム(Coffee Blending Game)」を考案した。焙煎業者以外に向けたこの1日間の研修クラスは全国各地で大成功を収め、これを機にリングルは全米オフィスコーヒーサービス協会(NCSA)(National Coffee Service Association)の役員に抜擢された。全米オフィスコーヒーサービス協会(NCSA)において彼は、ドン・ドネガン、トム・ウィリアムズ(Tom Williams)、ジョン・コンティ(John Conti)らと共に、ノルウェーのアルフ・クレイマー(Alf Kramer)のモデルを参考にしたコーヒー消費促進プログラムを企画し、国際コーヒー機関(ICO)(International Coffee Organization)に提案した。この提案は国際コーヒー機関(ICO)のアレクサンダー・ベルトラオ(Alexandre Beltrão)事務局長らの関心を引き、マッチング資金を獲得することに成功した。

全米オフィスコーヒーサービス協会(NCSA)と国際コーヒー機関(ICO)の協力関係から、米国市場におけるプロモーション部門としてオフィス・コーヒー開発グループ(OCDG)(Office Coffee Development Group)、のちに短縮されてコーヒー開発グループ(CDG) (Coffee Development Group)が設立された。アーマン・デュプレース(Armand Duplaix)の構想に基づき、年間200万ドルを超える予算を与えられたコーヒー開発グループ(CDG)において、リングルは主要なコーヒートレーナーを務め、後に理事および会長を歴任した。彼はスチュアート・アデルソン(Stuart Adelson)や、のちにアライアンス・フォー・コーヒー・エクセレンス(ACE)(Alliance for Coffee Excellence)を設立するスージー・ニューマン・スピンドラー(Susie Newman Spindler)といった情熱を持った若手スタッフを登用し、革新的なキャンペーンを展開した。自動販売機のコーヒー品質改善プログラムに加え、全国の主要大学キャンパスに200以上の「コーヒー・カフェ」を設置し、若い世代にエスプレッソ飲料の魅力を教え込んだ。これは、1990年代にスターバックス(Starbucks)が台頭する際の巨大な需要基盤を作り上げる結果となった。さらに1984年のロサンゼルス・オリンピックに向けて「アイス・カプチーノ」を考案・発売し、世界中のカフェメニューに冷たいコーヒー飲料が定着する歴史的な契機を作った。

1970年代末、 全米オフィスコーヒーサービス協会(NCSA)と国際コーヒー機関(ICO)の協力関係から生まれた2つ目の大きな動きは、アメリカスペシャルティコーヒー協会の設立である。1980年代初頭にICO推進基金のバリー・デイヴィス(Barry Davis)から「米国でまだ始まったばかりのスペシャルティコーヒー専門店を代表する組織はないのか」と問われたリングルは、新たな業界団体の設立に向けて動き出した。ボストン(Boston)のゴールデン・フード&ビバレッジ(Golden Food & Beverage)のマーヴィン・ゴールデン(Marvin Golden)を介して、ニューヨークのジル・コーヒー(Gillies Coffee)のドナルド・シェーンホルト(Donald Schoenholt)らと連絡を取り合い、ワシントンD.C.で行われたコーヒー開発グループ(CDG)の会合で初対面を果たした。2年にわたる議論を経て、1982年にサンフランシスコのホテル・ルイーズ(Hotel Louise)に10名の有志が集まり、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)の憲章を作成した。翌1983年に33名のチャーターメンバーと3,300ドルの資金で正式に発足したアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)は、当初はグリーン・マウンテン・コーヒー・ロースターズ(Green Mountain Coffee Roasters)のダン・コックス(Dan Cox)の尽力や、リングルが執筆し協会に寄贈した著作『コーヒー・カッパーズ・ハンドブック』(原題:The Coffee Cuppers' Handbook)の売上で運営される小さな組織であった。

リングルは著作を通じても業界に多大な貢献を果たした。1985年に刊行した『コーヒー・カッパーズ・ハンドブック』は、プロのテスターが行う官能評価であるコーヒー・カッピング(Coffee Cupping)の背後にある科学的・化学的メカニズムを解説し、香り、味、ボディが成分の種類や温度とどう関連するかを明らかにした。さらに1995年には、コーヒー抽出技術の向上を目的として『コーヒー・ブリューイング・ハンドブック』(原題:The Coffee Brewing Handbook)を著した。同書は、アーネスト・ロックハート博士(Dr. Ernest E. Lockhart)らの研究をはじめ、過去半世紀にわたって業界が行ってきた抽出に関する科学的な研究成果をまとめたものである。

技術革新の分野においても、1975年にリングルはコーヒー飲料に含まれる可溶性固形分を測定するための電子機器であるコーヒー導電率計(Coffee Conductivity Meter)の開発を主導した。これは、1955年に開発されたコーヒー比重計(Coffee Hydrometer)以来となる、抽出液の濃度を評価するための新しい手法であった。彼は導電率と抽出濃度、および飲料温度との関係を解明するために広範な研究を行い、機器の電子的な校正を可能にするデータベースを構築した。これにより、コーヒー抽出管理の客観性と精度が飛躍的に向上した。

1990年にコーヒー開発グループ(CDG)のプロジェクトが終了し、同時期に家業の経営方針の違いからリングル・ブラザーズ・コーヒー社を退社したリングルは、1991年にアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)事務局長に就任し、初の常勤スタッフとなった。彼は協会本部をロングビーチのワールド・トレード・センター(World Trade Center)に移し、組織の本格的な拡大に着手した。彼が事務局長を務めた15年間は「ロケット・ライド」と形容されるほどの驚異的な成長期であった。1989年にニューオーリンズで100名規模で開催された初のカンファレンスは、2003年のシアトルでは参加者10,000名を超える巨大イベントへと成長し、協会の会員数も1991年の350名から3,000名超へと急増した。この成長期において、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)は「種子からカップまで(Seed to Cup)」の全工程における品質ガイドラインを確立し、スペシャルティコーヒーという新たな市場を世界的な産業へと押し上げた。

品質向上に向けたリングルの科学的な取り組みは国際的にも高く評価されている。1998年にはコロンビアコーヒー生産者連盟(FNC)(Federación Nacional de Cafeteros de Colombia)から国家功労勲章を授与された。2004年には、原産地呼称に基づくコーヒーの販売促進への貢献が認められ、グアテマラ全国コーヒー生産者協会(Anacafé)(Asociación Nacional del Café de Guatemala,)よりオルデン・フロール・デル・カフェ賞(Orden Flor del Café)を受賞した。2007年には、東アフリカの生産者によるスペシャルティコーヒー市場への販売拡大を支援した功績により、東アフリカファインコーヒー協会(EAFCA)(East African Fine Coffees Association)からブワナ・カハワ生涯功労賞(Bwana Kahawa Lifetime Achievement Award)を授与された。さらに2009年には、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)からも生涯功労賞を受賞している。

2006年、15年間にわたって務めたアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)の事務局長を退任し、同協会が1996年に設立した非営利財団であるコーヒー品質研究所(CQI)(Coffee Quality Institute)の新たな事務局長に就任した。コーヒー品質研究所(CQI)において彼は、Qグレーダー制度(Q Grader Program)の世界的普及を牽引し、生産国における品質評価能力の向上と、適正な市場価値へのアクセス拡大を支援し続けた。

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