世界で最初のオーガニックコーヒー農園 メキシコ イルランダ農園
メキシコ イルランダ農園とオーガニック(有機)栽培
イルランダ農園(Finca Irlanda)は、メキシコ(Mexico)チアパス州(英語:State of Chiapas、スペイン語:Estado de Chiapas)タパチュラ自治体(Tapachula Municipality)ソコヌスコ(Soconusco)に位置する農園です。
平均標高1,090m、平均年間降水量4,500mm、平均気温22℃、生産面積270ヘクタールの環境でコーヒーが栽培され、50ヘクタールの生態系保護区があります。栽培されている品種は、マラゴジッペ(Maragogype)、ブルボン(Bourbon)、カツーラ(Caturra)、カツアイ(Catuai)、ゲイシャ(Geisha)などです。
コーヒーの有機栽培の歴史は、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner)のバイオダイナミック農法(英語:Biodynamic Agriculture、ドイツ語:Biologisch-dynamische Landwirtschaft)に遡ることができます。1924年に、ルドルフ・シュタイナーが「農業の更新のための精神的基盤(英語:Spiritual foundations for the renewal of Agriculture、ドイツ語:Geisteswissenschaftliche Grundlagen zum Gedeihen der Landwirtschaft)」という8回にわたる講演を行いました。これをきっかけに、先進国で採用され始めていた集約農業に懸念を抱いたドイツの農家グループが3年間のロビー活動を行い、バイオダイナミック農法で栽培された農産物の認証品や輸出を促進する目的で協同協会が設立され、すでにドイツのバイオダイナミック農法の組織を率いていたエアハルト・バルチュ(Erhard Bartsch)が協同組合の指揮を取ることになりました。
オーガニック(有機)運動は、1840年にドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒ(Justus von Liebig)によって、化学肥料が発明されたことに遡ることができます。オーガニック運動は、1900年代に工業型農業を支持する人々が、化学肥料や農薬の使用を増やしていったことに対する抵抗運動でした。このため、オーガニック運動が科学者と相容れないのは、当然とも言えます。
オーガニックは、現代農業において最も成功している錬金術の一つだよね https://t.co/XNCUfZGFJ5
— Y Tambe (@y_tambe) March 15, 2021
「歴史を知ればコーヒーのおいしさが変わる」と同じ意味で、これらの付加価値が与える影響も大きくはあるのだけど、歴史や科学的根拠の裏付けが希薄でも機能できるという点で、トレンドとか社会運動は強い。
— Y Tambe (@y_tambe) March 15, 2021
コーヒーとかワインとか、店員にオススメを訊いて、○○認証のとかオーガニックとか薦められたら、とりあえずその店員は信用しない。
— Y Tambe (@y_tambe) May 4, 2015
ゲーテアヌムの精神科学自由大学(英語:School for Spiritual Science、ドイツ語:Freie Hochschule für Geisteswissenschaft)の自然科学部門の責任者でありアントロポゾフィー協会(英語: Anthroposophical Society、ドイツ語:Anthroposophische Gesellschaft)の評議会(Vorstand)のメンバであったギュンター・ヴァクスムート(Günther Wachsmuth)は、ギリシャ神話における大地の母、豊饒の女神「デーメーテール(Dēmētēr)」の名前を選択し、1928年にドイツの首都ベルリンでデメターのブランドが登録され、品質管理の最初の基準が策定されました。化学薬品を使わずに土壌を肥沃にする持続可能な環境に配慮した農業を推進する有機農業の思想は、すでにこの初期段階で確立されていました。
同年の1928年に、ドイツ移民であるロドルフォ・ペータース(Rodolfo Peters)がメキシコのチアパス州にあるイルランダ農園を買収しました。1930年にはすでに、この農園でコーヒーの有機栽培が実施されていました。
1930年に協同組合が解散した後、1932年にデメター経済協会(英語:Demeter Economic Association、ドイツ語:Demeter-Wirtschaftsverbund)が設立され、ベルリン近郊のバート・ザーロー(Bad Saarow)に本部が置かれました。同年、デメターのロゴが初めて登録され、ミュンヘン商標局でデメターの商標が保護されました。
1933年以降、デメター経済協会は、バイオダイナミック農法をナチス・ドイツと連携して推進していましたが、1941年にエアハルト・バルチュが逮捕されたことで、ナチスによって活動が禁止され、解散しました。しかし、バイオダイナミック農法の実践が禁止されたわけではありませんでした。デメターの創設者の1人であり、デメター経済協会の理事でもあったフランツ・ドレイダックス(Franz Dreidax)は、デメターの商標保護を失うことのないように、彼自身の名前で商標保護を通過させました。
1946年に、以前は人智学農民研究サークルとして知られていたバイオダイナミック農法研究サークル(Forschungsring e.V.)が設立され、デメターは公正証書によって保護される名前へと移行しましたが、1954年に「デメター・バンド(Demeter-Bund)」(現デメター(Demeter))が再設立されたことを受けて、この名前はジュネーブの世界知的所有権機関(WIPO)に登録され、全世界的な保護を受けることとなりました。
イルランダ農園は、1940年代後半にデメターから正式な認証取得のための最初の訪問を受けましたが、その時点ではまだ取り組みが不十分であり、最初の有機認証コーヒーの輸出は1967年を待たなければなりませんでした。
デメター認証は、他の認証と比べて特に厳しい基準を持っています。認証を受けるためには、農家は認証前の最大3年間、化学肥料、農薬、除草剤、殺菌剤、燻蒸剤を使用していないことを証明しなければなりません。また、有機で自然に作られた肥料の使用のみが許可されており、害虫も同様に非化学的な方法で防除しなければなりません。さらに、年に1度、農園への訪問を受け再評価を行い、厳格な土壌分析が行われ、化学薬品の不正使用の痕跡がないかどうかを検査されます。
イルランダ農園から認証コーヒーが輸出されるようになると、近隣のコーヒー生産地域も注目するようになり、1980年代初頭には、チアパス州の協同組合の中にも有機認証を取得するところが増えてきました。現在メキシコは、世界最大のオーガニック(有機)コーヒーの生産国となっています。
有機栽培は、農法のベストプラクティスに厳格な基準を設けた最初の認証であり、その発展によって市場が開放された結果、他の認証、特に農法のベストプラクティスに関する認証の発展に貢献しました。
1972年に国際有機農業運動連盟(IFOAM)(International Federation of Organic Agriculture Movements)、1988年にマックスハベラー財団(Max Havelaar Foundation)、1998年にフェアトレードUSA (FTUSA)(Fair Trade USA)などが設立され、様々な認証が生まれましたが、ロドルフォのオーガニック(有機)コーヒーの試みは、コーヒー業界における先駆けとして評価されます。イルランダ農園は、第2世代のウォルター・ピータース(Walter Peters)、第3世代のベルント・ピータース(Bernd Peters)に引き継がれています。
<参考>
Café Oro Maya<https://oromayagdl.com/#!/top>
Irlanda Café<http://irlandacafe.com/>
"History",Demeter<https://www.demeter.net/what-is-demeter/history>
桝潟 俊子「有機農業の内外動向と表示基準(有機農産物の流通問題,1993年度秋季研究例会報告)」<https://www.jstage.jst.go.jp/article/amsj/2/2/2_KJ00009619961/_article/-char/ja/>
「カフェイン抜きコーヒーがナチス・ドイツで奨励されていた理由とは?」,Gigazine<https://gigazine.net/news/20201011-nazi-party-decaf-coffee/>