パナマのコーヒーの知られざるルーツ カフェ・トーバー
カフェ・トーバーとトーバー家
カフェ・トーバー(Café Tovar)は、パナマ(Panama)チリキ県(Chiriquí Province)ボケテ地区(Boquete District)のコーヒーのブランドです。
ルイス・アルベルト・トーバー・オルティス(Luis Alberto Tovar Ortiz)は、コロンビア分離戦争(英語:Separation of Panama from Colombia、スペイン語:Separación de Panamá de Colombia)に参加した大隊の将軍でした。彼はコロンビア人でしたがパナマ分離主義者に同調し、パナマ地峡を攻撃するという国の命令に従わなかったため、コロンビアに戻ることができず、ボケテ地区に居を構えることとなりました。彼は1911年に35ヘクタールの土地を取得し、コロンビアの伝統的な作物であるサトウキビとコーヒーの栽培に専念しました。
ルイスは、彼の母親が生まれた土地に敬意を表して、農園にパルミラ(Palmira)という名を与えました(ボケテ地区パルミラの名前は、おそらくここに由来すると考えられます)。彼はそこにティピカを植え、彼の4人の子供、ホルヘ(Jorge)、リカルド(Ricardo)、ルイス(Luis)、サンティアゴ(Santiago)の名前を取った4つの区画に分けました。
子供の1人で、ドン・ネノ(Don Neno)として知られるホルヘ・トーバー・ホバネ(Jorge Tovar Jované)は、彼の父親からこの農園を購入し、さらに70ヘクタールの土地を取得しました。1954年に、彼は焙煎し包装したコーヒーをチリキ県に販売し、カフェ・デュラン(Café Durán)を通じてヨーロッパへと輸出し始めました。
ドン・ネノは、彼の子孫全員に配分するには土地が不足していたため、コーヒー生産を継承することを条件に、カサ・ルイス(Casa Ruiz)の創業者であるプリニオ・ルイス・ゴンザレス(Plinio A. Ruiz González)に、この土地を売却することを決めました。ドン・ネノ農園(Finca Don Neno)と名付けられたこの農園は、現在アグロツーリズム農園として運営されており、ゲイシャ(Geisha)を含むコーヒーの生産工程をツアーすることができます。
ドン・ネノの息子ホルヘ・トーバー・ラッソ(Jorge Tovar Lasso)は、彼の義理の母親であるフアニータ・スアレス・デ・バイアル(Juanita Suárez de Vial)がアルト・キエル(Alto Quiel) に所有していたラス・ベラネラス農園(Finca Las Veraneras)の管理を任されたとき、 トーバー家の第3世代はコーヒー・ビジネスに注力することとなりました。彼はこの農園を再生し、標高1,600m以上でカツアイ(Catuai)とゲイシャ(Geisha)の栽培を始めました。1991年に、彼は5人の子供とともに、カツイアの栽培をするため、カーニャ・ベルデス(Cañas Verdes)に新たに65ヘクタールの土地を取得しました。それは長年に渡って、ボケテコーヒー生産者協同組合(Cooperativa Productores de Café Boquete, R.L.)を通じて、ヨーロッパやアメリカ合衆国の消費者へ輸出されてきました。
1995年から、カフェ・トーバーのブランドの下、焙煎加工済みコーヒーのマーケティングを開始しました。現在は、カフェ・トーバーのブランドの下で、トーバー家の第5世代がコーヒー生産に携わっています。
<参考>
"La historia tras la ruta del café",La Prensa<https://www.prensa.com/politica/historia-ruta-cafe_0_3026697304.html>