コーヒーの抽出理論とその変遷(12):モッカマスター
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コーヒーの抽出理論とその変遷 モッカマスター

モッカマスターとテクニヴォルム

ジェラルド・クレメント・スミット(Gerard Clement Smit)は、1930年生まれのオランダの工業技術者である。スミットはキャリア初期、他企業のために工業デザインを提供していたが、自らの理念を具現化する製品を開発するために、1964年テクニヴォルム(Technivorm)を創業した。当初は脚立や棚システムといった一般工業製品を主力としており、コーヒー業界とは関係を持っていなかった。

1965年、スミットは家庭用としては先駆的なコーヒーグラインダーを開発し、従来のブレードグラインダーで問題となっていた熱上昇によるフレーバー劣化を空力学的機構によって解消した。この革新的な技術はオランダの大手コーヒーブランド、ダウ・エグバーツ(Douwe Egberts)に注目され、両社はグラインダーの流通を契機として協業関係を築いた。

グラインダーの成功を受け、ダウ・エグバーツはスミットに対し、業務用コーヒーメーカーに匹敵する品質を家庭用で実現するコーヒーメーカーの開発を提案した。スミットはこの課題に応えるべく、耐久性と品質を兼ね備えたコーヒーメーカーの設計を進め、数年にわたる研究開発と工場拡張を経て、1969年にモッカマスター68(Moccamaster68)をオランダ市場で発表した。この製品は発売初年度に計画販売台数を大幅に上回り、わずか1年で15万台を完売する成功を収めた。

モッカマスターの普及はオランダ国内にとどまらず、1971年には世界でも屈指のコーヒー消費地域であるスカンジナビア市場に進出した。その後もブランドの成長は継続し、1976年には改良型としてKB 741が発表された。同製品は精密設計と独自デザインによりスペシャルティコーヒー領域で高い評価を確立し、需要増に伴いテクニヴォルム社の工場はモッカマスター専用の生産体制へと転換された。KBシリーズは現在も手作業によって製造され、国際的な評価を維持し続けている。

スミットの思想の根底には「可能な限り最高の味わいをもたらすコーヒーメーカーの設計」という明確な指針が存在した。この理念を支える研究過程において、スミットは1962年に設立されたノルウェーコーヒー協会(NCA)(Norwegian Coffee Association)と協働し、同協会の知見を初代モッカマスターの設計に反映させた。ノルウェーコーヒー協会(NCA)は1973年にコーヒー抽出センター(現在のヨーロッパコーヒー抽出センター(ECBC)の前身)を設立し、スミットは科学的評価基準を参照しながら設計精度をさらに高めていった。

テクニヴォルム製品は機能面だけでなく、独自の視覚的アイデンティティによっても高く評価されている。スミットの美学は、長方形を基調とする造形、鮮やかな色彩、そしてミニマリズムに基づく実用的デザインとして具現化された。これらの特性は、家庭用家電としての存在感と自己表現の可能性を両立させ、ニューヨーク近代美術館(MoMA)においても取り上げられるなど、文化的評価にも及んでいる。

認証

モッカマスターの国際的評価を支える根幹には、ヨーロッパコーヒー抽出センター(ECBC)およびスペシャルティコーヒー協会(SCA)による高度に体系化された認証制度が存在する。これらの認証制度はいずれも、抽出理論と官能評価の双方に基づき、機器が科学的基準に適合しているかを厳密に検証するものである。モッカマスターは全モデルが両認証を取得しており、その事実はブランドの品質管理と技術精度が国際的に認められたものであることを示す。

1. ECBC認証とその試験体系
ヨーロッパコーヒー抽出センター(ECBC)は、ノルウェーコーヒー協会によって設立された独立試験機関であり、「ゴールドカップ(Gold Cup)基準」に基づきコーヒーメーカーおよびグラインダーを評価する。ゴールドカップ基準は、総溶解固形分(TDS)、収率(EY)、温度、時間といった項目によって、理想的なコーヒーのフレーバーのバランスを定量化した指標である。

ECBC認証試験は、コーヒーメーカーの場合10項目から構成される。試験の主軸は「4つのT」(Temperature, Time, Turbulence, Total Dissolved Solids)と呼ばれ、抽出の科学的再現性を試験する。

  1. 抽出温度の試験では、通常運転時、フィルターバスケット内の温度は抽出開始後1分以内に198°F(約92.2℃)へ到達し、抽出中は198°F~205°F(約92.2〜96.1℃)を維持することが求められる。温度測定はフィルター中央部の水接触点で行われ、電圧調整により常に定格ワット数を確保した条件下で実施される。
  2. 抽出時間については、4〜8分の範囲に収まるかを検証し、同時にその時間に適合する最適粒度を指定粉砕度に基づいて設定する。
  3. TDS測定では、抽出液の総溶解固形分(TDS)が1.30〜1.55%に入ることが求められる。
  4. 10回の別々の抽出において、コーヒーの総溶解固形分(TDS)が一定でなければならない。
  5. 収率(EY)は18〜22%の範囲でなければならない。計測には、高精度のコーヒー屈折計が用いられる。
  6. 乱流(Turbulence)および湿潤均一性の評価では、抽出開始の最初の1分間にコーヒー粉全体が均一に湿潤するかが確認される。これは抽出の均質性に直結するため、重要な項目である。
  7. フィルターバスケットとカラフェは、所定のコーヒー対水比率を収容できる十分な大きさでなければならない。
  8. 抽出液内の過剰な沈殿物は避けるべきである。100mlあたり75mgを超えてはならない。
  9. カラフェはコーヒーを満杯に収容でき、コーヒーの最大水位からフィルターバスケット底面まで最低0.5cmの余裕を持たねばならない。また、保温開始後30分間はコーヒー温度を176°F(約80℃)以上維持しなければならない。
  10. 適切な抽出容量の記載範囲は、コーヒーメーカーに付属する全ての文書・印刷物(取扱説明書・宣伝資料)においてECBC試験範囲と一致しなければならない。正しいコーヒー抽出方法の助言を付属資料に含めなければならない。

以上の10項目すべてを満たしたコーヒーメーカーのみが、認証を受けることができる。テクニヴォルムは、このECBC認証を全モデルで取得している唯一のメーカーとして知られている。

ヨーロッパコーヒー抽出センター(ECBC)はまた、グラインダーに対しても独立した試験基準を設けている。評価項目には、コーヒー容量(グラインダーのホッパーは60gのコーヒー豆を収容できること)、粒径分布の精度(ECBC粉砕基準の±5%以内の粒度分布)、粉砕時の温度上昇(18°F以上の加熱してはならない)、残留率(2.5〜5%以内)、粉砕一貫性(同一設定3連続テストの再現性)、および抽出適正(ECBC/SCA基準内で抽出可能か)、取扱説明書(コーヒーと水の比率に関する推奨値と清掃手順を記載)の7つの項目が含まれる。モッカマスターKM5バーグラインダーはこれらの厳格な項目をすべて満たした数少ないモデルとして認められている。

2. SCA認証とその試験体系

 スペシャルティコーヒー協会(SCA)(Specialty Coffee Association)は、国際的に認知された非営利団体であり、家庭用および業務用抽出機器の品質評価において最も厳格な基準を策定している。同協会の「認定家庭用抽出機器プログラム」は、コーヒー抽出の科学的妥当性と再現性を検証する制度として、世界的スタンダードを形成している。

 SCAの試験では、1機種につき最大10台のコーヒーメーカーが使用され、各コーヒーメーカーは10回以上の抽出テストを受ける。この多層的な評価は、個別機体のばらつきではなく、モデル全体の性能再現性を統計学的に確認するために設計されている。

 SCA認証の試験内容は以下の主要項目から構成される。

  1. 抽出温度試験:抽出開始から終了まで、コーヒーメーカーは92〜96℃(197〜205°F)の範囲を安定して維持しなければならない。温度測定には専用の高精度センサーが用いられ、フィルターバスケット付近の実効温度を逐次記録する。温度の上下動はフレーバーの再現性に影響するため、SCAはこの項目を最重要基準の一つとして扱う。
  2. 抽出時間試験:満水容量での抽出時間は4〜8分の範囲に収まる必要がある。抽出時間が短すぎる場合は抽出不足が生じ、逆に8分を超過した場合は即失格となる。これにより、コーヒーメーカーが適正な接触時間を確保する設計になっていることが確認される。
  3. TDSおよびEYの測定:抽出されたコーヒーの総溶解固形分(TDS)は屈折計で測定され、抽出率(EY)が18〜22%の範囲にあるかを抽出管理チャートで検証する。SCAは最大容量時と少量抽出時の双方を試験し、バッチサイズの違いによらず最適の抽出濃度が再現されるかを評価する。この試験はコーヒーメーカーの「フレーバーの安定性」を測る重要項目である。
  4. 抽出均一性試験:抽出終了後の湿潤したコーヒー粉層を外側・中間・内側の三領域に分割し、各領域の可溶成分量を比較することで抽出均一性を100点満点で評価する。60点未満のコーヒーメーカーは基準不達とされる。これは、水の散布、乱流の設計、バスケット形状など機構的均質性を反映する指標である。
  5. 沈殿物試験:抽出液100mlあたり75mg未満という厳しい基準が設けられており、濾過性能や構造的な粉漏れ防止機能が試験される。沈殿物量の測定には精密な濾過・乾燥・計量工程が用いられ、飲料の透明度と口当たりの滑らかさが科学的に評価される。
  6. 保温性能試験:抽出後30分間、コーヒー温度が80〜85℃(176〜185°F)の範囲で維持される必要がある。この間、コーヒーメーカーはコーヒーを再加熱してはならない。再加熱はフレーバー劣化の原因となるため、SCAはカラフェの熱保持性能と構造の妥当性を精密に評価する。
  7. バスケット容量および粉層の深さ:SCAはフィルターバスケットの物理的容量についても評価基準を設けており、抽出容量に対して粉層の深さが2.5〜5.0cm(1〜2インチ)の範囲に収まることが求められる。これは、コーヒー粉の膨張(ブルーム)を想定し、湯の分布と接触効率を最大化する設計になっているかを確認するためである。
  8. 性能の再現性:同一モデル10台、各10回の抽出結果に対して、総溶解固形分(TDS)および収率(EY)が統計的に許容範囲内であるかを評価する。この試験は、個体差を超えたモデル設計の精度を問うものであり、SCA認証の中でも最も取得が難しい項目の一つとされている。

以上の試験項目に適合したコーヒーメーカーのみが、SCA認証を得ることができる。SCA認証は単なる品質表示ではなく、機器が科学的に理想的な抽出条件を一貫して実現できることを示す指標であり、家庭用コーヒーメーカーの中では最も権威のある評価制度であると位置付けられている。

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