帰山人の珈琲遊戯 ベトナム スマトラ製法アラビカ Đậm Đà(ダム ダ)です。帰山人の珈琲遊戯は、2017年に始まった鳥目散 帰山人氏による焙煎豆販売です。
ベトナム スマトラ製法アラビカ Đậm Đà(ダム ダ)
ベトナム
ベトナム(正式名称、ベトナム社会主義共和国(Socialist Republic of Viet Nam))は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する国です。首都はハノイ(Hanoi)です。北は中国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接し、東は南シナ海南に面します。人口は約8500万人で、経済発展目覚ましい新興国です。
ベトナムの歴史は、中国とフランスに大きな影響を受けています。紀元前111年から、北属期と呼ばれる中国による統治が始まりました。ベトナムはその後、独立王朝時代を経て、1885年にフランスと清の間で天津条約を結ばれ、フランス領インドシナとなりました。そして、約60年にわたってフランスによる統治が行われました。
太平洋戦争が起こると、日本がベトナムの統治権を奪取しますが、日本の降伏後の1945年にホー・チ・ミンによって独立が宣言されました。南北分断時代の幾度かの戦火を経て、ベトナム戦争後の1976年に南北統一がされ、現在の国名になりました。
植民地とした国々でコーヒーを生産していたフランスは、気候や土壌が似ているカリブ海のマルティニークからブルボンを、南米のフランス領ギアナからティピカを、ベトナム中央高原のラムドンと呼ばれる山岳地帯に持ち込み、栽培を始めました。
ロブスタ種の栽培はアラビカ種の栽培よりも遅く、1908年にエクセルサ種とともに中央高原に持ち込まれました。
現在、ベトナムで生産されているコーヒーの約95%はロブスタ種です。コーヒー生産量では、ブラジルに次いで世界第2位です。ベトナムのアラビカ種は、生産量全体の数%と少ないながらも生産されています。
近年はロブスタ種のスペシャルティコーヒーの生産も始まっています。
第二次コーヒー危機とベトナム
1986年に始まったドイ・モイ(ベトナム語:Đổi Mới)という自由主義的な経済政策は、ベトナムの経済を大きく発展させました。
コーヒーは、このベトナムの経済発展に大きな役割を果たしました。ベトナム政府は、コーヒーを主要な換金作物にすることを意図して、コーヒー産業への投資に集中しました。
1986年のドイ・モイの始まりから、1989年の国際コーヒー協定の終わり頃まで、ベトナム政府はベトナムで栽培されたすべてのコーヒーを一定価格で買い取っていました。しかし、国際コーヒー協定の実質的な崩壊後の、ベトナムにおける市場原理の導入による、ベトナムのコーヒー生産の増大と供給過剰による価格の暴落は、「第二次コーヒー危機」を招きました。
ベトナムは、この「第二次コーヒー危機」の主犯とされています。
1990年代末から2005年にかけて、国際コーヒー価格は、文字通り奈落の底に突き落とされた。2002年をボトムとするこの史上最低水準への暴落をもたらした最大の要因は、需要の減退ではなく供給の過剰であり、その主犯はコーヒーの新興生産国ベトナム、従犯はコーヒーの最大生産国ブラジルであった。
妹尾 裕彦(2009)「コーヒー危機の原因とコーヒー収入の安定・向上策をめぐる神話と現実--国際コーヒー協定(ICA)とフェア・トレードを中心に」,千葉大学教育学部研究紀要 57, p.205.
ベドナムの市場自由化は、国際通貨基金(IMF)(International Monetary Fund)と世界銀行(World Bank)の新自由主義政策と密接なつながりがあります。
ベトナムなど新興国での輸出志向型開発戦略の採用(大半の国において対外
吾郷 健二 (2006)「コーヒー危機の意味」,西南学院大学経済学論集 41(3), p.12.
債務返済のための外貨取得の必要という荷重がその背後にある)と途上国一般
における市場自由化と構造調整政策の採用は,IMF 世銀が推進した新自由主
義経済政策の車の両輪をなしている(吾郷2003参照)。これらは,一次産品で
あるコーヒーの価格が世界市場での裸の決定に委ねられてしまったこと,すな
わち,巨大多国籍企業(国際貿易企業や焙煎企業)による投機の波に世界のコー
ヒー生産者2,500万人とその家族(それに繋がるより多くの人たちと地域社会
と環境)の運命が翻弄されるがままになってしまったことを象徴するもので
あった。
帰山人氏によると、二度にわたる「コーヒー危機」には、「アメリカの影」が見えるとのことです。
1962年に定められたICA(国際コーヒー協定)は、その後に4回の改定と延長がなされ、その間に《需要と供給のバランスを合理的なものとする》べき輸出割当制が緩和や停止を繰り返されて統制が減じていったが、1989年に輸出割当制が完全に崩壊して協定は骨子を失った。その原因は新自由主義と市場原理主義を掲げたアメリカによる協定継続の反対であり、その影響は1990年代初頭の「コーヒー危機」となった。再び到来した2000年代初頭の「コーヒー危機」に対して、ICOは輸出割当制に代わるコーヒー品質改善計画(Coffee Quality-Improvement Programme:CQP)を新協定の骨子としたが、(1993年に脱退し)ICO復帰へ交渉中のアメリカの反対に遭って、再び形骸となった(※「コーヒー危機」に関しては、吾郷健二 「コーヒー危機の意味」 『西南学院大学 経済学論集』第41巻3号 西南学院大学学術研究所:刊 2006 を参照されたい)。
「S D G sを通して考えるコーヒー 2」,帰山人の珈琲漫考 2019年7月3日.
帰山人氏は、自国の都合を優先させ、世界を翻弄する「アメリカの支配を排除」することと、「2050年に向けて、世界のコーヒー消費需要を確実に半減させなくてはならない」という、「新たなゴール(目標)」を掲げています。
メーコン・コーヒー・グループ(Mercon Coffee Group)
「メーコン・コーヒー・グループ(Mercon Coffee Group)」は、コーヒーの栽培から輸出までを手掛ける、大手の垂直統合型のコーヒー輸出業者です。本社はオランダにあり、65年以上の歴史があります。
本社を置くオランダを初め、ブラジル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ、スペイン、米国、ベトナムの、9ケ国に拠点を置いています。
メーコン・コーヒー・グループは、世界一のベトナムのアラビカ種の取引業者です。ベトナムにおいては、生豆の調達と販売、輸出を手掛けています。
輸出事業
メーコン・コーヒー・グループは、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、ブラジル、ベトナムに輸出事業の拠点を置いています。
CISA輸出業者(CISA Exportadora)は、バルトダーノ家(Baltodano Family)の所有するニカラグアの最大手のコーヒー輸出業者です。1952年の創業で、国内に130以上の集荷拠点、3つのアラビカ種の精製所と国内で最初のロブスタ種の精製所を持っています。長年にわたって、6,000以上のコーヒー農家のネットワークを構築しています。
ベトナムには、メルカフェ・ベトナム(Mercafe Vietnam)という輸出会社があります。2005年から精製と輸出事業を開始しました。高品質のロブスタ種とアラビカ種の、持続可能な生産に焦点を当てています。
Đậm Đà(ダム ダ)
「俺たちベトナムはなぁ、マンデリンが高値の階段を
上っている間、地べた這いずり回ってんだ。文句も
言わず市場の要望通りになぁ…これ以上ベトナムを
傷つけないでくれ…」と言ったかどうかは知りませんが、
一昔前のベトナムはコーヒークライシスの元凶とまで
市場でボロクソに言われるし、飲めばアラビカ種でも
ザラつく泥っぽさが口に残る感じがあって、やはり
「地べた」な感じのコーヒーでした。しかし、近来は
様々な資本が投入され、一部では多様な商品開発が
進んでいるようです。今般のロットもその一つでしょう。このMercon Coffee Group(MCG)のベトナム現地班
フレーバー通販ページより
Mercafeがプロデュースして、兼松が輸入販売した
ベトナムコーヒー生豆は、地域単位で集荷された
アラビカ種の豆をスマトラ式で精製した珍奇品です。
兼松が名付けた「Dam Da」(ダムダ)とは、香味が
良い(魅力ある)という意のベトナム語です。
ベトナムのコーヒー政策は、国策的な利害と国際的な利害が一致しているため、外資の進出が加速しています。
コーヒー世界市場の動向に連動して輸出価格が高止まりしている2011年春の
「越南の内と外」,帰山人の珈琲漫考 2011年2月22日.
ベトナム、大生産地を抱えるダクラク省を中心に博物館をオープンしフェスティバル
を開催し先物取引所が開設される…「稼ぐなら今だ!」の国策的意図は明白である。
加えてこの際「稼ぐのは我が国(ベトナム)だ!」と釘を刺しているのが冒頭の要求。
もっとも、外資企業vs国内企業という単純な構図では捉えきれぬことは、他の
コーヒー生産国と同様にベトナムも然り。An Giang Coffeeを抱えるベトナム大手
企業Thai Hoa Groupの得意先はNestleである。間接から直接へ、外資の欲は増大し、
昨2010年来、アメリカのStarbucksやKraft Foods、インドのNgon Coffee
(CCL Products Group)、シンガポールのOlam Internationalがベトナム進出を加速、
UCC上島珈琲も今2011年3月にホーチミン市内に事業所を開設する予定だ。
ベトナムコーヒー市場の発展に外資企業の進出は不可欠だが、但し「カネは生産国
にもしっかり置いていってもらいたい」、という「内も外も鬼」の越南が抱える苦悩。
ベトナム スマトラ製法アラビカ Đậm Đà(ダム ダ)は、ニカラグアに拠点を置くCISA輸出業者(CISA Exportadora)が、ベトナムに拠点を置くメルカフェ・ベトナム(Mercafe Vietnam)に生産させたコーヒーです。外資による商品開発の一例でしょう。
そんな中、昨年の中米行脚の際に出会ったニカラグアのシッパーで、当サイトでも販売中のSHG シン・マキアージュを供給するCISA社。そのグループ企業がベトナムにあり、そこで非常に面白い商品の開発に成功したとの話を受け、早速生豆を見たところ、それは、スマトラ式精選を施したベトナム産アラビカ。言われなければもしかしたらマンデリンと見紛うほどの、かなりしっかりとした出来。
「ベトナム スマトラ製法アラビカ Dam Da」,兼松株式会社.
Đậm Đà(ダム ダ)は、ベトナムの地域単位で集荷されたアラビカ種をスマトラ式で精製したコーヒーです。日本の商社である兼松株式会社の取り扱いです。
商品名の「Đậm Đà(ダム ダ)」とは、ベトナム語で香味が良い時に使う感嘆の言葉です。
Đậm Đà(ダム ダ)は、インドネシア マンデリンの需要が高まり、高値で取引されている状況から、兼松株式会社が試験的に仕入れたコーヒーのようです。マンデリンの代替品としては不十分かもしれませんが、面白い香味のコーヒーです。
そもそも華やかな酸味などは望めないベトナムですが、
フレーバー通販ページより
その独特の苦甘さを芳ばしく引き立てるには…
もしも、ベトナム・アラビカをスマトラ式で精製したら…
「ダムダこりゃ」。な~んてな
帰山人の珈琲遊戯 ダムダこりゃ
【生豆と焙煎の仕立て】
ベトナム社会主義共和国
フレーバー通販ページより
アラビカ G1 スマトラ式精製(ギリン・バサ) 100%
原料にしたこのロットのベトナム生豆は、
ところどころに白っぽい斑入りがあって
まさにウエット・ハリング(ギリン・バサ=
スマトラ式精製)の面構えです。でも、
並みのスマトラ・マンデリンG1などより、
ずっと欠点豆が少ないキレイな品でした。
それでも手元で再選別を怠らずにして、
直火の手廻し釜で「一本焼き」にしました。
焙煎時間21分00秒で、深煎りの仕立て。
その独特の味わいは、やはりマンデリンの
ようなクリーミーな深みはありませんが、
ふんわりとした芳ばしさはベトナムらしくあり、
ザラつかず泥っぽさが抑えられたところは
ベトナムらしくない…アジアンアーシーな
独特の苦甘さで、面白い風味もあります。
珍しい「ダムダこりゃ」、ご笑味ください。
味
ベトナム スマトラ製法アラビカ Đậm Đà(ダム ダ)のQグレーダーによるカッピング評価は、81.50点です。
しっかりとしたBody。華やかさはないが、Bodyがしっかりとあり、コーヒー感は強い。香りではマンデリンのようなアーシーさが感じられる。
Qグレーダーのカップ評価、兼松株式会社.
土や泥のような土着的なフレーバーに、インドネシア・マンデリンのアーシーさを隠し味として加えたような風変わりの味わいです。口当たりのまろやかさは、スマトラ製法由来のような感じがします。面白い香味のコーヒーです。
<参考>
「ベトナム スマトラ製法アラビカ Dam Da」,兼松株式会社<https://www.coffee-network.jp/products/detail.php?product_id=449>
Mercon Coffee Group<http://merconcoffeegroup.com/home/>
「CISA Exportadora」,CentralAmericaData.<https://www.centralamericadata.com/en/article/home/CISA_Exportadora__Company_profile>