高円寺「十一房珈琲店」 荻窪「移山房」と山田 幸男
山田 幸男
参加者が自己紹介しているときに
関「あ、Yさん!!」
伊藤「え、Yさん???」
関「知らないのか?あの編集の仕事していてランブルにいた」
「荻窪な一日 ラーメン ブタ釜」,Blog 喫茶 いずみ 2018年6月11日.
山田 幸男は、1948年(昭和23年)に生まれました。昭和40年代初め、手塚 治虫の「虫プロ商事」で、『COM』という漫画専門誌の編集を担当し、虫プロ商事を辞めた後は、シナリオライターや映画の仕事で生計を立てていました。ある日、銀座のカフェ・ド・ランブル(CAFE DE L’AMBRE)でコーヒー豆を買ったことをきっかけに、カフェ・ド・ランブルの求人に応募しました。
関口にあるのは徹底した合理主義、と断じるのは大手出版社で児童誌の編集をしている山田幸男だ。山田は昭和二三年、ちょうどランブルが誕生した年に生まれた。昭和四八年から五六年までの八年と一〇カ月、山田はランブルの正社員で、後半は主に焙煎を担当していた。独立後は高円寺で「十一房珈琲店」を営み、次いで雑誌編集のかたわら、「移山房」の屋号でコーヒー豆の販売をやっていたが、今は事情があって店を閉めている。ランブル卒業生の中ではピカ一と呼ばれた男だ。
嶋中 労『コーヒーに憑かれた男たち』,中公文庫 p.153-154.
高円寺「十一房珈琲店」
カフェ・ド・ランブルを辞めた後、1981年(昭和56年)11月に高円寺に十一房珈琲店を開店しました。
杉並区『高円寺十一房』の所には、このような事が書かれています。
十一房と書いて”じゅういちぼう”と呼ぶ。高円寺南口から、うまい具合に歩くと5分でたどりつく。昨年11月の開店だから、この雑誌が店頭に並ぶ頃は、ちょうど一周年を迎えていることになる。「コーヒーに忠実に、ごく当たり前のことをやっています」という店主の山田幸男さん。
「blendブレンド(雑誌)」,とんきちのコーヒーレポート 2005年10月21日.
「できるだけ純粋な形でコーヒーをサービスしたい」と、店の作りもごたごたした感じではなく、すっきりと整っている.カウンター越しに,ていねいにネルドリップで抽出する山田さんの手つきを眺めながら、深煎りのコーヒーを飲むと、なるほどコーヒーというのはシンプルな味なのかもしれないと思えてくる。ブレンド300円。バランスも整い、通いつめてみたくなる味だ。
東京にはいまでも、有楽町と自由が丘に「十一房珈琲」があるのですが
「移山房」,とんきちのコーヒーレポート 2005年11月13日.
開店時に仲間と相談して、同じ名前の店にしようとしただけで
経営は直接関係がないそうです。
荻窪「移山房」
その後、荻窪に移り、移山房を開店しました。
高校生になってからは、ミルでコ ーヒー豆を自分で挽いてペーパードリップで淹れて飲むようになりました。 その後大学浪人生活に突入した頃から、 本格的なコーヒー探求の道にのめり込むようになりました。高円寺に住んでいた僕は、 そこで知り合ったコーヒー専門店 「十一房」の山田幸男さんの影響で、コーヒー自家焙煎専門店めぐりにあけくれていました。 彼は、銀座の天国の裏通りの自家焙煎の名店「カフェ・ド・ランブル」で8年間修行の後に開店した方でした。 昔、 雑誌編集をしていたという彼の知的で、やさしさにあふれた深炒りの薫り高いコ ーヒーの魔力にはまった私は、自分なりに納得するまでいろんな店のコーヒーの味を求め歩いたものでした。 彼の名は、名著 「コーヒーに憑かれた男たち」 にも登場する業界では有名なかたです。 その後、山田さんが荻窪に移り、雑誌の編集社勤務の傍ら自家焙煎のコーヒー販売をはじめたので、宅配していただいておりました。ところが4年前荻窪北口の区画整理の為移転をしなければならなくなり、店を閉めることとなってしまいました。 それを機に、私も自家焙煎に挑戦し始めました。
平成21年当たり年会員 日光歯科医師会 野田 正和
2005年(平成17年)4月17日、移山房は閉店しました。
それから荻窪の移山房を再び訪ねる。と、嬉しいことに開いていた。ブレンドとブラジルとキリマンジャロを100gずつ購入する。山田さんのお話によると、今月17日まで、あと2回(日曜日しか営業しないので)で店を閉めるとのこと。残念。閉店のお知らせと、『コーヒーに憑かれた男たち』の中から山田さんの記述があるところのコピーを頂く。今は移山房のブレンドを飲みながらこれを書いている。癖がなく、優しい、ホッとする味だ。
「荻窪 移山房」,モノクロ珈琲 2005年4月3日.
お店の跡はすっかり無くなっていて、別のお店になってましたけど、ここで間違い無いと彼は言います。
「珈琲旅・台風の日、釜の幻を追い、ロッキングチェアで極楽を見る」,コーヒー旅 2018年6月11日.
念のためにと隣のクリーニング屋さんに突撃していくマスターイトー。
お店の方がよく覚えていて下さって、お隣がかつて珈琲屋さんだったという話を聞けたのだそうです。
愛知県一宮市の三八屋(com-cafe 三八屋)は、山田 幸男の焙煎豆によるネルドリップコーヒーを提供していました。その後、一宮市オリジナルのコーヒーを開発するための「イチノミヤ・コーヒー」プランが生まれました。
高校の頃からの喫茶店巡りを経て、 二十歳過ぎに高円寺で開
138ブレンドいちのみや珈琲説明文 星野 博
店した十一房珈琲店の山田幸男と出会って本当のコーヒーの奥
深さを知りました。 我が厄年の 2001 年、 一宮で4坪のカフェ
「三八屋」 を始めました。 一宮市合併拡大の 2005 年、
山田幸男が還暦となって焙煎業をやめたのを機に、MG コーヒー
社と 「138ブレンドいちのみや珈琲」 の開発に着手しました。
2010年 「三八屋」 は 「com-cafe 三八屋」 へと拡
大し 「138ブレンドいちのみや珈琲」 の味が固まりました。
「移山房」…懐かしい。「コーヒーの苑」中山孝さんと一緒に荻窪「移山房」の山田幸男さんを訪ねて3人で珈琲談議したなぁ…今から36年前の1987年11月11日のこと。好い時間だった。
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) December 24, 2023
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