壱枚乃絵:インドネシア スラウェシ島 トラジャ ランテカルア
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壱枚乃絵 Kenny's COFFEE トラジャ ランテカルアです。壱枚乃絵 Kenny's COFFEEは兵庫県たつの市にある自家焙煎のお店です。1977年春の創業で、30年の歴史があります。

インドネシア スラウェシ島 トラジャ ランテカルア

インドネシア

インドネシア(Indonesia)は複数の島にまたがる東南アジアの島国です( 画像2枚目の太い線で囲まれている場所です)。首都はジャワ島に位置するジャカルタです。インドネシアは世界第4位のコーヒー生産量を誇る世界有数のコーヒー大国です。

インドネシアのコーヒーの歴史は、17世紀にオランダ東インド会社(オランダ語:Verenigde Oost-Indische Compagnie(VOC))がアラビカ種をジャワ島に持ち込んだことにより始まりました。しかし、現在栽培されている品種はそのほとんどがロブスタ種です。これは19世紀後半にコーヒー栽培の大敵であるコーヒーさび病菌が流行し、従来のアラビカ種を栽培していた農園が壊滅的な被害を受けたため、病害に強いロブスタ種に切り換えられたためです。

インドネシアのロブスタ種は、コーヒー生産量の約90%を占め、アラビカ種は約10%ほどの生産量です。

インドネシアのアラビカ種の有名ブランドとして、スマトラ島の「マンデリン(Mandheling)」、「ガヨ・マウンテン(Gayo Mountain)」、スラウェシ島の「トラジャ(Toraja)」が挙げられます。

スラウェシ トラジャ ランテカルア

トラジャ村のドキュメンタリー、Planet Doc Full Documentariesより

スラウェシ島

スラウェシ島はヒトデの形をした島で、インドネシア諸島の他の島々よりはるかに古く、高山の斜面に広がる水田の外に永続的な霧に覆われた岩壁を持つ複雑な地形をしています。

気候はブルーマウンテンを産出するジャマイカ島に似ていて、高温多雨の熱帯雨林気候です。年間を通して気温が高く、日中は最高気温30℃程度まで上昇し、夜間になると10℃程度まで冷え込む寒暖の差があり、毎日定期的にスコールが降ります。熱帯高地の肥沃な弱酸性の土壌で、良質なコーヒー栽培に最適な条件が揃っています。

トラジャ

トラジャはトラジャ族(Toraja)によって生産されています。トラジャ族は、スラウェシ島の南スラウェシ州と西スラウェシ州の山間地帯に住むマレー系の先住少数民族です。コーヒーのブランド名「トラジャ」は、この少数民族から取られています。

トラジャ族はほとんどがキリスト教を信仰していますが、アルクトドロ教(Aluk To Dolo、英語でWay of the Ancestors)と呼ばれるアニミズム信仰で知られています。

トラジャ族の多くが住むタナ・トラジャ(Tana Toraja)は植物や野生生物が豊富な山岳地帯にあり、鉄分の豊富な土壌と約1,500mの高地の涼しく快適な気候に恵まれていいて、コーヒー生産には最適の土地です。

インドネシアのコーヒーの歴史は、バタヴィア(Batavia、現在のジャカルタ)のオランダ総督が当時オランダ領であったインドネシアのコーヒーを持ち込んだのが最初だと言われています。アラビカ種は1696年にスリランカ(Sri Lanka)からインドネシア(ジャワ島)に持ち込まれましたとも言われています。商業生産されたコーヒーの輸出の記録は、1717年にバタヴィアから2000ポンド輸出されたのが最初のようです。ただし、インドネシアのコーヒーの始まりについては、よくわからないことが多いようです。

インドネシアにコーヒーが伝わった年としては、文献上、1690年、1696年、1699年の3つの年代が挙げられている。このうち最初の「1690年」には、VOC総督ジョアン・ヴァン・ホールンが、ジャワ島のバタヴィアにあった彼の家の庭に、イエメンからこっそり持ち出したコーヒーノキを植えたとされる。これが記録上、インドネシアへの最初の伝播であるようだ。このときの木は、イエメンのアデンから持ち出されたものだと考えられる。ただし、この記録を採用している文献が多くない*1ため、正確なところはよく判らない。

*1:The Los Angeles Times, June 30, 1899, p. 7に見られる。ソースが新聞記事である点からも信憑性については疑いは残る。

旦部幸博「インドネシアへの伝播」,百珈苑BLOG,2010年7月23日エントリー

(現在ロサンゼルス・タイムスのリンクは切れています)

トラジャとコーヒー戦争

トラジャ地区には1850年代にオランダによってコーヒーが持ち込まれました。1876年にさび病が発生したことにより、ジャワ島の大規模なコーヒー農園の多くが壊滅、小規模の独立農家によるトラジャ地区でのコーヒー栽培の普及が促進されました。しかし、これは来るべき争いの前兆でした。

トラジャ地区では、1890年代にトラジャ族とこの地区に侵攻してきた南スラウェシ最大の民族グループだるブギス族(Buginese)との間で、コーヒー戦争が起きました。当時コーヒーは1キロ数百ドルで取引され、貴族と裕福な商人だけが購入できる高級品でした。そのため、トラジャ族のコーヒーの所有や管理、供給や貿易ルートを征服しようと、ブギス族が侵攻してきたわけです。

トラジャは別名「ペラング・コピ(Perang Kopi)」と呼ばれることがあります。これは「戦争コーヒー(インドネシア語で"Perang"は「戦争」、"Kopi"は「コーヒー」の意味)」という意味で、このコーヒー戦争から来ている名称です。

ブギス族はスラウェシ島の底部に住む民族で、トラジャ族は高地に住む民族でした。トラジャ(ブギス族の言葉で「ト(to)」が「人」、「リアジャ(riaja)」が「高地の山」という意味)という名前も、トラジャ族が高地に住んでいるためにその名が付けられたという説があります。

キーコーヒーとトアルコ トラジャ

トアルコ トラジャについて、KEY COFFEE INCより

しかし、第二次世界体制によってトラジャ地区でのコーヒー生産は壊滅的な影響を受けました。しかし、日本のキーコーヒー(Key Coffee)がこの「セレベスの名品」を蘇らせるべく再生プロジェクトに乗り出します。そして、1978年キーコーヒーは「トアルコ トラジャ」を世に送り出すことに成功しました。トラジャ・コーヒーが今に知られているのは、キーコーヒーの功績が非常に大きいです。

トラジャ ランテカルア

トラジャ ランテカルアは赤道直下のスラウェシ島(Sulawesi、旧セレベス島)南部トラジャ地区のランテカルア山の裾野で生産されます。トラジャ ランテカルアは、スラウェシ島で栽培されるコーヒー豆の中でも最高級品です。RANTE KARUA(ランテカルア)の RANTEは「八つの山」を、KARUAは「裾野」を意味しており、その名の通り八つの山(最高峰2,300m)の裾野(1,450m~1,600m)の地域でコーヒーが栽培されています。トラジャ・コーヒーの光の当たり加減によって明緑色から暗緑色へと変化する大きく美しい粒は、まさに「コーヒーのオパール」と呼ばれるにふさわしいものです。

品種と精製方法

品種や精製方法に関する詳しい記載は見られませんでした。

アーシーな(大地のような)フレーバーとハーブのような爽やかなフレーバーを併せ持ち、バターのような滑らかさとクリームのようなまろやかな口当たりを特徴としています。同じアーシーフレーバーでも、マンデリンのような重厚でカビっぽさのあるフレーバーとは対照的に、軽やかでハーブのように爽やかなフレーバーを有しています。

壱枚乃絵Kenny's COFFEEのトラジャ ランテカルア

「コーヒーのオパール」と呼ばれている逸品です。まろやかさを併せ持つコクが特徴。インドネシア産のコーヒー豆の中でもマンデリンと並んで世界中で高く評価されているコーヒー豆です。

香り:★★★★☆
コク:★★★★☆
甘味:★★☆☆
苦味:★★★★☆
酸味:★☆☆☆☆

壱枚乃絵 ホームページより

トラジャ ランテカルアはミディアムローストからハイローストの中煎りでは甘酸っぱい酸味が出ますが、シティローストからフルシティローストでは、芳醇な香りが立ち、バランスのとれた味わいになります。

コーヒーのオパールと呼ばれるとおり、ツヤがあり輝いているのが、このコーヒーの特徴です。

アーシーで爽やかなハーブのようなフレーバー、バターのような滑らかな口当たりが印象的です。アーシーなフレーバーを持つながら、同時に爽やかでクリーンな味わいを特徴としています。

<参考>

「Toraja Coffee」,Visit Toraja<http://www.visittoraja.com/toraja-coffee/>2019年8月23日アクセス.

「トアルコ トラジャの歴史」,KEYCOFFEE<https://www.keycoffee.co.jp/toarcotoraja/history.html>2019年8月23日アクセス.

「南スラウェシ州のこと」,スラウェシ島-インドネシア-情報マガジン<http://www5d.biglobe.ne.jp/makassar/up/sulawesi.html>2019年8月23日アクセス.

「タナ・トラジャ Tana Toraja」,スラウェシ島-インドネシア-情報マガジン<http://www5d.biglobe.ne.jp/makassar/up/toraja.html>2019年8月23日アクセス.

古川久雄「南スラウェシの稲作景観」,東南アジア研究 20巻1号 1982年6月<https://kyoto-seas.org/pdf/20/1/200103.pdf>2019年8月23日アクセス.





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