パナマ カルメン農園とフランセスチ家
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パナマ カルメン農園とフランセスチ家

カルメン農園

カルメン・エステート・コーヒー

カルメン・エステート・コーヒー(Carmen Estate Coffee)は、パナマ(Panama)チリキ県(Chiriquí Province)ティエラ・アルタス地区(Tierras Altas District)パソ・アンチョ(Paso Ancho)に位置する農園です。

カルメン・エステート・コーヒーは、1960年に創業した歴史のある名門農園です。ベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)、レインフォレスト・アライアンス・カッピング・フォー・クオリティ(Rainforest Alliance Cupping for Quality)などで、数々の受賞歴を誇る農園です。

パソ・アンチョ渓谷

パソ・アンチョ渓谷

カルメン・エステート・コーヒーは、バル火山(Volcán Baru)の西側斜面のパソ・アンチョ渓谷(Paso Ancho Valley)に位置しています。

バル火山は、ボケテ(Boquete)とボルカン・カンデラ(Volcan-Candela)の間にある非活火山で、海抜3,500mのパナマの最高峰です。パソ・アンチョ渓谷は、セロ・プンタ(Cerro Punta)の山々から太平洋に流れるチリキ・ビエホ川(Chiriquí Viejo River)に沿っています。

バル火山は、標高、高密度の植生、火山性の土壌、多様なマイクロクライメイト(Microclimate)のため、パナマの最も重要なコーヒー栽培地域と考えられており、非常に豊かで深く肥沃な土壌をパソ・アンチョ渓谷に与えています。また、パソ・アンチョ渓谷は太平洋と大西洋の両方の気候の影響を受けており、乾燥した晴れた日と涼しく霜のない夜は、理想的なコーヒー栽培条件を作り出します。

カルメン・エステート・コーヒーのコーヒーは、年間降雨量2,000mm、標高1,700m - 2,000mの高い標高で、厳しい農業および環境基準を守って栽培されています。 パソ・アンチョ渓谷を流れる風、昼夜で寒暖差のある気象条件、肥沃な火山性土壌が見事に絡み合って、独自の複雑な味のあるコーヒーを作り出しています。

品種

カルメン・エステート・コーヒーは、カツーラ(Caturra)、カツアイ(Catuai)、ティピカ(Typica)、ゲイシャ(Geisha)を栽培しています。ゲイシャは、2012年から栽培されました。

年間の生産量は、約1,200袋です。コーヒーは日陰栽培され、12月から3月にかけて、パナマの先住民族であるノベ・ブグレ族(Nôbe-Buglé)が手作業で収穫します。

認証

カルメン・エステート・コーヒーは、2014年にC.A.F.E.プラクティス認証を取得しています。

歴史

カルロス・アギレラ・フランセスチ

カルメン・エステート・コーヒーは、1960年にチリキ県出身の弁護士および会計士であったエフレイン・フランセスチ(Efrain Franceschi)と彼の妻であるカルメン・フランセスチ(Carmen Franceschi)によって設立されました。フランセスチ家(Franceschi Family)は、1800年に地中海のフランス領コルシカ島からパナマにやってきました。パナマに到着すると、彼らは数ヵ所の牧場、農業、船舶建造を始めました。

エフレインは、1960年に引退後の晩年を妻のカルメンと子供たち、ミルザ(Mirtza)、ホルヘ(Jorge)、リカルド(Ricardo)とともに過ごす場所をパソ・アンチョに見つけました。カフェ・シットン(Cafe Sitton S.A.)のシットン家(Sittón Family)は、彼に良い気象条件とコーヒー栽培にふさわしい肥沃な土壌を備えた40ヘクタールの土地を彼に売却しました。

彼らはそこで穀物の栽培を始め、近隣に販売していました。その1人に、フィンカ・ラ・フロレンティーナ有限会社(Finca La Florentina S.A.)を所有するオーストリア人、ルイス・マーティン(Louis Martins)がいました。彼は自身の精製所を所有しており、ドイツにコーヒーを輸出していました。フランセスチ夫妻は人生の残りをコーヒーにかけることに決め、30年以上にわたってコーヒー生産を続けました。

娘で弁護士のミルザは結婚し、4人の子供をもうけ、1994年に農園を受け継ぎました。彼女はコーヒー栽培を続けましたが、ある日幻滅を感じ、このままでは継続できないことを息子のカルロス・アギレラ・フランセスチ(Carlos Ahuilera Franceschi)に伝えました。カルロスが友人のリカルド・コイナー(Ricardo Koyner)にこのことを相談すると、カッピングで84点以上を獲得すると、コーヒーの輸出ができることを知りました。

ラティボール・ハートマン(Ratibor Hartmann)とヨシュア・ルイス(Joshua Ruiz)によって、パナマスペシャルティコーヒー協会(SCAP)でカッピングが行われた結果、87点を獲得し、カルロスは自らのコーヒーの大きなポテンシャルを知ることになりました。

カルロスはコイナーから再び助言を受け、自身の精製所を設立し、アメリカ合衆国にコーヒーを輸出し始めました。 そして、彼の母方の祖母へのオマージュとして、農園は「カルメン・エステート(Carmen Estate)」と命名されました。2001年に、カルメン・エステート・コーヒーは、ロイヤル・コーヒー(Royal Coffee)に初めて生豆を輸出しました。

カルメン・エステート・コーヒーは、フランセスチ家の第3世代のカルロス・アギレラ・フランセスチにまで引き継がれ、パナマ・レッド・カルメン・カフェ・カフェ・トレーディング株式会社(PANAMA RED CARMEN CAFÉ TRADING S.A.)が経営していました。しかし、2020年にカルロスは農園を中国の大商集団に売却し引退したため、フランセスチ家によるカルメン・エステート・コーヒーの歴史は、60年で幕を閉じました。

コーヒーのフォースウェーブ

巨大なグローバル資本による農園、または輸出業者の買収の動きは、以前の記事で指摘した通りです。

コーヒーのフォースウェーブという言葉を使うとすれば、それは農園や輸出業者がグルーバル資本の傘下に加わる流れのことだと言えます。後継者の不在や経営の困難を抱える農園と、農園のブランドや生産技術などを手にすることができる巨大資本の利害は一致するため、この流れは加速することはあれ、押し止まることはないでしょう。

ここで最も割りを食うのは、これまで農園主とのつながりを重視してきた小ロースターでしょう。農園を代表する人物が不在となり生産者の顔が見えなくなった時、彼らは農園主とともにその農園とのつながりを失い、巨大資本と交渉しなければならなくなります。

カルメン・エステート・コーヒーは大商集団に売却されましたが、販売管理はルイス家(Ruiz Family)のK&R スペシャルティコーヒー(K&R Specialty Coffee)が担当することになりました。

カルメン・エステート・コーヒーの現場は、売却後も以前と変わらないため、日本の商社との取引は続くようです。しかし、小ロースターとの取引が、今後どうなるかは不明です。例えば、ミカフェート(Mi Cafeto)のグラン・クリュ・カフェ(Grand Cru Café)では、カルメン・エステート・コーヒーが取り扱われていますが、2020年は取り扱いがなかったようです。

小ロースターが築き上げてきたスペシャルティコーヒー産業がグローバル資本に乗っ取られるのは気の毒ではありますが、産業が大きくなるということはこのようなことを意味しているのでしょう。

もっとも引退したカルロスは、そんなことはよそに、のんびり釣りを楽しんでいるようですが。

カルメン農園 Carmen Estate Coffee:https://real-coffee.net/category/coffee-origin/central-america/panama/tierras-altas/paso-ancho/carmen-estate-coffee

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