パナマのコーヒーの歴史(5):パナマスペシャルティコーヒー協会の誕生とゲイシャの再発見
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パナマのコーヒーの歴史 パナマスペシャルティコーヒー協会の誕生とゲイシャの再発見

パナマスペシャルティコーヒー協会の誕生

スペシャルティコーヒー前夜、国際市場では、国際コーヒー協定の輸出割り当て機能が停止し、1993年にアメリカ合衆国が国際コーヒー機関(ICO)(International Coffee Organization)から脱退、90年代後半にコーヒー危機を迎えた。コーヒー価格は歴史的な暴落をし、多くの生産者が破産、または農園を売却、他の作物を転作せざるを得なくなった。

この頃、チリキ県(Chiriquí Province)のコーヒー生産者の第2世代や第3世代といった若い人々が、アメリカ合衆国や他の国に留学、または労働しに行った。その後、パナマのスペシャルティコーヒーを牽引することになる彼らは、アメリカ合衆国のスペシャルティコーヒー産業がニッチではあるが、強いプレゼンスをもって市場を惹きつけていることを目撃した。

アメリカ合衆国では、1970年代にスターバックスが誕生し、俗に言うセカンドウェーブが広がった。1982年にアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)が誕生し、コーヒーの品質や責任のある取引についての議論が生まれた。

アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)の設立と運動にならい、パナマでは、1996年にパナマスペシャルコーヒー協会(SCAP)(Special Coffee Association of Panama)が設立された。パナマスペシャルコーヒー協会(SCAP)は、チリキ県ボケテ地区(Boquete District)に本部を置き、プライス・ピーターソン(Price Peterson)、ウィルフォード・ラマスタス(Wilford Lamastus)、ハイメ・テッドマン(Jaime Tedman)、ハンス・コリンス(Hans Collins)、リカルド・コイナー(Ricardo Koyner)、マルコス・モレノ(Marcos Moreno)、ラティボール・ハートマン(Ratibor Hartmann)などが運営に参加した。

ゲイシャ

"Documental café de Panamá - Geisha, una historia de altura",Coffee Media 2019年3月26日.

ゲイシャ(Geisha)は、1930年台にイギリス植民地時代のアビシニア(Abyssinia)(現在のエチオピア)で、リチャード・ウォーリー大尉(Richard Whalley)によって発見された。タンザニアのキリマンジャロ南部の農園に試験的に植えられたゲイシャ VC-496は、1953年にタンザニアから米州農業科学研究所(IICA)(Inter-American Institute for Cooperation on Agriculture)に送られた。

米州農業科学研究所(IICA)は、1943年にコスタリカのトゥリアルバ(Turrialba)に設立された。1973年にコスタリカ政府と米州農業科学研究所(IICA)の合意から、熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE) (英語:The Tropical Agricultural Research and Higher Education Center、スペイン語:Centro Agronómico Tropical de Investigación y Enseñanza)が誕生し、トゥリアルバにあった米州農業科学研究所(IICA)時代の農業研究所が、熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE)に移管した。

ゲイシャは、1953年7月28日にタンザニアから米州農業科学研究所(IICA)に導入され、トゥリアルバ導入番号T. 2722で識別された。コーヒーさび病菌は、一様な集団ではなく、異なる遺伝子型や病原性のタイプを持っており、ゲイシャ T.2722は、レース II のある遺伝子に対する抵抗性を持つものと評価された。

ゲイシャ T.2722は、コーヒーさび病菌(Hemileia vastatrix Berk and Br.)に不完全な耐性を持つことから、中央アメリカのコーヒー生産国と同様にパナマでも研究と検証を目的に導入された。しかし、生産性が低く、カツーラ(Caturra)やカツイア(Catuai)などの栽培しやすい品種に押しやられ、また、耐さび病品種としてはカチモール・ハイブリッドが期待されたから、ゲイシャは栽培されなくなった。

パナマへのゲイシャの導入に関しては、いくつかのエピソードが存在する。

1963年に、ドンパチ農園(Don Pachi Estate)のオーナーで、当時パナマ農業省の職員であったフランシスコ・セラシン・シニア(Sr. Francisco Serracín)(通称、ドンパチ・シニア(Don Pachi Sr.))が、コスタリカの熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE)からパナマにゲイシャを持ち込んだ。熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE)の研究者たちは、生産性が低くコーヒーっぽくはない味のするこの品種にほとんど希望を持っていなかった。セラシンは自身もそうしたように、このコーヒーを生産者に配り栽培が始まったが、生産性の低さと栽培のしづらさから生産者はゲイシャの苗を手放した。

1971年に、フランク・テッドマン(Frank Tedman)が、コスタリカから25kgのゲイシャの種子を持ち込んだ。後年に、彼の息子のハイメ・デッドマン(Jaime Tedman)が、父親の要求に従い、ボケテ地区ハラミージョ(Jaramillo)にユージーン・マックグラス(Eugene McGrath)が所有していた農園に苗木を植えた。コーヒー危機のときに、マックグラスは農園を失い、彼の農園は銀行によって競売にかけられた。1997年に、ピーターソン家がこの農園を購入し、アシエンダ・ラ・エスメラルダ ハラミージョと名付けた。

ハラミージョには、ゲイシャ T.2722を含むアラビカ種の15品種が植えられていた。ゲイシャ T.2722は、当時荒れ果てていた農園で生き残っていた品種の1つであった。この品種を再発見したダニエル・ピーターソンは、カリフォルニア州サンフランシスコで財務と農学について学んだ後、パナマへと戻ってきたばかりだった。彼はこの品種の栽培を始め、2004年のベスト・オブ・パナマ(BoP)に出品した。

1975年に、農業開発省(MIDA)(Ministerio de Desarrollo Agropecuario)が、コスタリカの熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE) (英語:The Tropical Agricultural Research and Higher Education Center、スペイン語:Centro Agronómico Tropical de Investigación y Enseñanza)からゲイシャ T. 2722の種子を導入し、コーヒー生産者に無償配布した。

ベスト・オブ・パナマ(BoP)

パナマスペシャルティコーヒー協会(SCAP)は、1996年からカッピング ・コンペティション(Cupping Competition)(現在のベスト・オブ・パナマ)というコーヒーの品評会を開催した。当時この品評会で最も高い評価を受けていた農園は、ラ・ベルリナ農園(La Berlina Estate)であった。

柔らかくて甘い?それとも淡白で平坦?バランスか退屈か?微妙な味わいか、取るに足らない味わいか。このような形容詞が並ぶと、今月のパナマ産カレントクロップコーヒーのカッピングの特徴である繊細な内なる葛藤が見えてくる。

Soft and sweet? Or bland and flat? Balanced versus boring? Subtle versus inconsequential? Imagine similar sets of adjectives, and you have the delicate inner struggle that characterized this month’s cupping of current-crop coffees from Panama.

Kenneth Davids"PRIZE-WINNING PANAMAS",Coffee Review 2000年7月1日.

当時のパナマのコーヒーは、肯定的な評価と否定的な評価の間を揺れ動くような味わいであったようだ。

1998年には、当時アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)の理事であったリンダ・スミザース(Linda Smithers)が審査員として参加した。彼女は後に、コーヒー生産地域の子宮頸がん予防に取り組む非営利団体「グラウンズ・フォー・ヘルス(Grounds for Health)」の理事を務めた。

LINDA SMITHERS' CAMPAIGN TO EMPOWER THE WORLD'S COFFEE PRODUCERS:https://urnex.com/blog/linda-smithers-campaign-to-empower-the-worlds-coffee-producers

2003年に、アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)(United States Agency for International Development)が開発した中米・ドミニカ共和国品質コーヒー・プログラムの一環として、ベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)のインターネット・オークションを開催した。これは、パナマスペシャルティコーヒー協会(Specialty Coffee Association of Panama)とコーヒー品質研究所(CQI)(Coffee Quality Institute)が共同で開発・実施した。

Best of Panama Coffee Event, 2003:https://library.sweetmarias.com/best-of-panama-coffee-event-2003/

2001年と2002年にもインターネット・オークションが開催されたが、このときはカップ・オブ・エクセレンス(CoE)(Cup of Excellence)の名称であった。

Jun 2001: Panama “Cup of Excellence” Auctions, A Matter of Taste:https://library.sweetmarias.com/jun-2001-panama-cup-of-excellence-auctions-a-matter-of-taste/

ベスト・オブ・パナマ(BoP)は、スペシャルティコーヒーのオークションとしては、最も早い時期に開催されたものである。ゲイシャ(Geisha)が初出品された2004年のオークションは、パナマのコーヒーの見方とスペシャルティコーヒーの在り方を一変させた。

2004年の予想落札価格は、ブラジルの生産者が国際オークションで獲得した1ポンドあたり6ドルだった。しかし、オークションが始まって数時間後に10ドルがついた。オークションのオペレーターは、システムを理解しているハッカーの仕業だと思った。オークションの価格は上がり続けたが、アメリカ合衆国のバイヤーが、ゲイシャに2桁を支払うつもりがあることを説明したとき、疑いは消えた。エスメラルダ農園のゲイシャが1ポンドあたり21ドルという歴史的な価格で落札され、オークションは終了した。

この瞬間から、ゲイシャはスペシャルティコーヒー市場の急先鋒となった。2007年に、オークションは再び不運に見舞われた。入札が99.99ドルに到達した時、システムがストップしてしまったのである。誰もそれ以上の価格を想定していなかったため、2桁までしか許容できないようにシステムがデザインされていたためだった。入札は電話で続けられ、最終的に1ポンドあたり130ドルに達した。これもエスメラルダ農園だった。

エスメラルダ農園は、2017年までに6回のオークション記録を打ち立てた。2019年にラマスタス家が2年連続で記録を打ち立て、他のさまざまな農園も高価格を記録している。

パナマはブラジルやコロンビアといったコーヒー生産大国の影に隠れた存在であった。生産されるコーヒーの大部分は、地元市場に売られ、輸出されたのは少量だった。しかし、品質に新たな焦点を当てたスペシャルティコーヒー協会の誕生、インターネット・オークションの導入、新たな品種の発見が重なったことにより、パナマはスペシャルティコーヒーの最も成功した例となった。

パナマスペシャルコーヒー協会(SCAP)の創設に関わったひとりであるマルコス・モレノは、パナマの成功をボリビアに導入した。

ボリビアのコーヒーセクターを活性化させようとしているのは、カフェ・モイサ・プロジェクトだけではな い。

USAID が支援するマパ(市場参入と貧困削減)プロジェクトもこの産業に注目しており、別の小規模生産者であるパナマをモデルとして提唱している。

わずか10年前、この中米の小国は、コーヒーの世界ではほとんど知られていなかった。

「私がコーヒーの世界に入ったとき、パナマがノリエガ以外のものを生み出しているなんて誰も知らなかった」と、生産者のプライス・ピータース氏は言う。

ピータース氏の運命の転換は、年間約12万袋の生産量を増やさずに利益を上げるというパナマの革命を反映している。

ピータース氏や他の生産者は、何年もかけて製品を改良した後、スターバックスなどのスペシャルティコーヒーチェーンと固定価格での複数年契約を結び、比較的安定した生活を楽しんでいる。

「パナマの成功は、量の市場ではキープレーヤーになれないが、品質市場ではキープレーヤーになれると いうことに気づいたことだ」と、パナマの先駆的生産者の1人で現在はユンガスのマパで働くマルコス・モレノは言う。

「ボリビアにも同じような可能性がある。サイズが小さいからこそ、スペシャルティ市場で大きな競争力を発揮できるのだ」。

The Cafe Mojsa project is not alone in trying to revitalise the Bolivian coffee sector.

A USAid backed project, Mapa (market access and poverty reduction), is also focusing on the industry and is putting forward another small producer, Panama, as the model.

Only a decade ago the small Central American country was virtually unknown in the coffee world.

"When I went into coffee nobody knew Panama produced anything except Noriega," said producer Price Peters.

The turnaround of Mr Peters' fortunes reflects a revolution in Panama that has increased profits without increasing the country's annual production of about 120,000 sacks.

After a number of years spent improving their product, Mr Peters and other producers are enjoying the relative security of fixed price, multi-year contracts with speciality coffee chains such as Starbucks.

"The success of Panama has been their realisation that they can never be key players in the volumes market but they can be key players in the quality market," said Marcos Moreno, another of the pioneering Panamanian producers who is now working for Mapa in the Yungas.

"The same potential exists in Bolivia. It is precisely their small size that means they can be very competitive in the speciality market."

"Quality focus boosts coffee growers",BBC News 2002年4月22日.

パナマのコーヒー文化

2000年以前は、パナマでのスペシャルティコーヒーの消費はわずかであったが、その後の生産面での大きな変化により、パナマのスペシャルティコーヒー店の数は増加した。1997年にデュラン・コーヒー・ストア(Duran Coffee Store)が開店し、パナマで淹れたてのコーヒーを提供するコーヒー店のパイオニアとなった。

書籍と映画

2019年12月7日に、パナマスペシャルティコーヒー協会(SCAP)から『パナマ・コーヒー、パーフェクト・カップ』が、スペイン語版(Panamá Café, La Taza Perfecta)と英語版(Panama Coffee, The Perfect Cup)で出版された。

Lanzan primera edición de "Panamá café, la taza perfecta":https://www.telemetro.com/nacionales/2019/12/09/lanzan-primera-edicion-de-panama-cafe-la-taza-perfecta/2340474.html

2020年に、ディー&ジー・プロダクションズ(D&G Productions)製作によるパナマのコーヒーに関するドキュメンタリー映画「ハイヤー・グラウンズ(Higher Grounds)」が公開された。

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