アブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリー『コーヒーの合法性の擁護』(ド・サシー訳)(1)
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ド・サシーがフランス語に翻訳したアブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリーの『コーヒーの合法性の擁護』の日本語訳である(アラビア語部分を除く)。試訳の修正が完了した部分を、日本語訳だけ載せておく。

フランス語との対訳は以下を参照。

(2)は以下を参照。

本文

原文:https://archive.org/details/chrestomathiear01sacygoog/page/n446/mode/2up

ムハンマドの息子、シャイフのアブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリー*1による『コーヒーを使用することの合法性(正当性)に対する最も強い証拠』と称する本の抄録(1)。

・第一巻:「カウワ(コーヒー)という言葉の意味;コーヒーの説明、その性質;コーヒーの使用が始まった国 ;この飲み物を作ることと使用につながった、そしてそれが人気になった理由」

 「カウワ(コーヒー)」と呼ばれるのは、「ブン」の殻、または豆の付いた殻から作られたものとそれを焼いたものである。(「焼く」を意味するアラビア語の単語は"modjahham"である、それは"mim"の上に"dhamma"、"djim"の上に”fatha"と"teschdid"ととともに綴られ、"ha"は発音区別符号のピリオドがなく、”fatka"を通して発音する。この単語はフライパンで火を入れるあるいはローストを意味する、"makli"と同義である。)

 コーヒーを作る方法は、火にかけて粉末にした、殻だけにせよ、「ブン」と殻にせよ、水の中に入れることによって成り立つ、そして水がこの植物の成分を引き出すまでこの混合物を沸騰させることである。もし殻のみが用いられる場合、そのコーヒーは「キシリッヤ」という名前である。殻のついた豆が使われる場合、「ブンニッヤ」という名前で呼ばれる(2)。ある人々は、この煎じ薬がその真の意味でうまく作られているためには、それは少し苦味のある味がなければならないと思っている。この種の通たちの言葉において(3)、最初の単語の"caf "の上の"teschdid"を発音するかしないかによって、コーヒーは"mohakkémat alistiwa"、または"mohkémat alistiwa"(4)と呼ばれる。この状態で、人はそれを飲む。コーヒーを許可された飲み物としてみなす人々は、それは純粋な飲み物であり、非常に健全な用途であり、それは喜びをもたらし、そして義務を果たすことを望む人は誰でも、神の賛美歌と帰依の修練を容易にすると言う。 反対に、それを禁止された飲み物として見なす人々は、彼らがそれを悪く言うことや、彼らがそれを使用する人々を検閲することにいかなる制限も設けない。双方で、この主題に関して、多数の文書および法的協議が公表された。コーヒーの反対者たちは、それが一種のワインであると言い張るまで物事を押し進めた;彼らはそれをこの酒に同化させ、そしてそれを同じ禁止に含んだ:彼らはそれに心身に有害な特性を割り当て、そしてそれは口論と喧嘩を引き起こすという、他の同様の主張と不公平に満ちた意見の多数を支持した。 これはメッカとカイロの両方で論争(5)と不幸を引き起こした。人々はコーヒーを売ることを擁護した。この飲み物を提供し、純粋で適切でしかないポットは、破壊された;どんなもっともらしい理由もなく、コーヒー商人たちはむち打ちを受け、その他のひどい扱いを被った;彼らは彼らのお金の損失によって罰せられた。この酒を抜き出す「ブン」の殻(6)は、何度も炎に投げ込まれた; そしていくつかの人々は、身体的または精神的ないくつかの有用性の観点からそれを利用したために、虐待された。両側で頑固さ(7)が増大した:地獄の悪魔の軍勢が動き始めた、そして誰にも何の役にも立たない、情熱(8)は、イスラム教徒の一部によって、引き起こされた。コーヒーの反対者たちは最後の審判の日までに、それを飲んだだろう人たちは、それが用意されているポットの底よりも黒い顔で現れるとまで言われた。人々は、それぞれの側から、頻繁な攻撃に専念し、コーヒーを使用した人々は非難を免れなかった。私たちはこの主題に関してなされたいくつかの協議と回答をこの本の中で報告する; そして私たちが言うことは、この飲み物の合法性を明るみに出すために、その使用を正当化するために、いかなる異議やいかなる疑義も生じさせる余地もなく、反対意見を支持する人たちを、無敵の議論(9)によって、黙らせるのに、十分であろう。

原文:https://archive.org/details/chrestomathiear01sacygoog/page/n474/mode/2up

巻八の注

 (1)私がコーヒーに関する部分を抄録したこの著書は、王室文庫(旧王立図書館、現フランス国立図書館)、アラビア語写本の間、971番の下にある、そして、それはエル・エスコリアル修道院の蔵書にもある。(書誌、アラビア語アンダルシア方言、エル・エスコリアル修道院、第二巻、172ページ、1765番 )。私が彼が付けられたあだ名から引き出すことができる情報しか手に入れることができなかった、そしてその情報は彼がジャズィーラ生まれ、マディーナ出身であり、ハンバル学派の学者であると、私たちに教える、この著者は、私たちが王室文庫の原稿を信じるなら、ヒジュラ996年にそれを書いた;そしてこの日付はこの日付に書かれた場所で著者が言うすべてを必然的に結びつけるので、その日付は誤りであるように見なすことはできない。(上記419ページ参照)他のところで、アブドゥル・カーディルは、993年にメッカで死んだある医師に正確な死亡日を与えた。(上記426ページ参照)しかしながら、カシリはアブドゥル・カーディルがヒジュラ966年にそれを書いたことを断言している; そしてそれを裏付けているようなのは、エル・エスコリアル修道院の写本が979年の日付であることである。その上で、エル・エスコリアル修道院の写本によれば、コーヒーの使用は859年にメッカに導入された違いない、その日付は私たちの写本に見られず、そして、私が信じるには、ジェマレディン・ザブハーニーが亡くなった年、875年に置き換えられる日付である。これが正しいならば、アブドゥル・カーディルは彼の著書に二つの版を与えたと信じなければならない; カシリが見た写本は最初の版に属し、王室文庫のそれは二番目の版に属しているということである。エル・エスコリアル修道院の写本とともに、996年の日付がどこに書かれているのか、私たちの写本の箇所を照合するのは関心のあるところである。

 著書の題名はこのようにガランによって翻訳された:「コーヒーに関してより正確でより真摯に信じなければならないことは、つまり、イスラム教徒がそれを使うことを許されているかどうかである。」王室文庫の写本に書き写された目録では、このように題名が翻訳された:「一般的にコーヒーと呼ばれている飲み物の合法的な使用。」最後に、カシリは、それをこのように翻訳する:「いかにしてスーフィーの修道士はコーヒーの正当な使用に関する一般的な同意を得るのか。」「アラビア語」という単語は「スーフィーたち」を意味することはできないため、この最後の翻訳はかなりひどい。ガランのそれはあまり正しくない。この題名は文字通りのことを意味する:「コーヒーの合法性に影響を与える無罪の支持。」

 この著作は七つの巻または章に分かれている。

 第一巻はこの飲み物に付けられた名前、それを作る方法、その性質と特性、それの使用を始めた場所、そしてこの使用を取り入れこの普及を引き起こした理由を扱う。第二巻はコーヒーの使用に反対してメッカで作成された議事録と嘆願書、これを生じさせたスルタン勅書、様々な「ファトワ」またはコーヒーの賛成または反対の協議と法的決議についてである。第三巻では、数多くの酔わせる飲み物の一つにコーヒーを含める人々の意見に反論する。;そして第四巻では、それが身体にも精神にもいかなる有害な性質も持っていないことを、その反対者の一部に対して証明する。第五巻はコーヒーの合法的な使用と、この飲み物の愛好家の間で導入されてきた危険なまたは非難される可能性のある実践との間に区別を設ける。第六巻は様々な個別の観察を含んでいる。第七巻はコーヒーに関係する韻文集を選んで提供する。

 これが、実質的な、この著書の内容である。

 この写本はあまり正確ではない。私は時々意味によってまたは構文によって必要な修正をし、私はそれらを私の注に示した。私はこれをもっと数多くの箇所にわたって思い切って修正することができるだろう;しかしそれについては、私は行き過ぎた自由によってよりもあまりにも多くをそのまま残すことによって罰せられるほうが良いと思う。

 (2)サヴァリ (エジプトの手紙、第一巻、289ページ)はアラブ人がコーヒー豆を「ブン」(アラビア語原語)と、「ブン」で作られた酒を「カウア」(アラビア語原語)と名付けられたことに正しく気づいた;しかし、彼は「カウア」という言葉が「力」を意味する、そしてそれは胃を強化するため、この飲み物にその名前が与えられたということは言うべきではなかった。彼はせいぜい人に理解されるのに必要なアラビア語しか知らなかったと私たちは見なすので、彼は(アラビア語原語)「コーヒー」と、(アラビア語原語)「力」という言葉を混同した。シェバリエ・ダルヴィユーも同じ間違いを犯した。

 私はラングレスが、シャルダンの旅、第二巻、280ページの注で、「コーヒーの名前はアラビア語に由来するものではない、なぜなら、それはこの言語のいかなる語根にも属していないからである。」と述べていることに何の根拠があるか知らない。

 コーヒーについて、そしてアラビア人が煎じ薬を作る方法について、M.ガランの手紙の他に、「コーヒーの起源と進歩について、カーン、1696年」、「幸福なアラビアの旅、アムステルダム、1716年」の次のエッセー、そしてこの同じ「幸福なアラビアの旅」、241ページ以下;「シェバリエ・ダルヴィユーの回想録」第三巻、275ページ;プロスペロ・アルピーニ、「エジプト医学誌」第四巻、254と264ページと、この最後の著作の、第一六章についてのヨハン・フェスリンクの考察、「エジプト植物誌」第一六章;ニーブール、「アラビアの記録」、コペンハーゲン、1773、48ページ;フォルスコール「エジプトアラビア語 フローラ」、137ページ;ムラジャ・ドーソン「オスマン帝国全覧」第二巻、123ページ以下を参照できる。

 フォルスコールによると、殻(アラビア語原語)の煎じ薬は、その色と味から、茶の煮出したものに似ている。フェスリンクはこの煎じ薬はわずかに酸性であると言っている。

 (3)「アラビア語」という言葉は、メニンスキーでとてもよく説明されている。 しかし、デルブトが言及した王室文庫のアラビア語の写本、現在1326番の下にある、「アラビア語」と題された著書を基礎にその意味を発展させることは無駄ではないだろう。私の個人文庫(プライベートコレクション)には、この著作の二つの写本もある。その著者は、王室文庫の写本で読める注によると、アルシード・アルシェリフ「アラビア語」である。ポコックは、同じ題名の著作で、ポコックが「イブン・カッサイ」と翻訳した著者(アラビア原語)に関して、彼の「アラブの歴史の観察」で引用した。この著書が私が話しているものと同じであることは疑問の余地がない;この学者によって引用された節は、私たちの写本の中で一語一語発見されているからである。(アラブの歴史の観察、52、190、そして367ページ参照)ハッジ・ハリーファは、816年に死んだ、彼が著者と呼ぶアルサイド・アルシェリフ・ムハンマド・ザブハーニーが書いた、同じ題名を持つ著書を示した:「アラビア語文」私が他の場所で示したように(写本の注と抜粋、VIII、第一部、200ページ以下)、ハッジ・ハリーファの書誌総覧の内容の薄い写しでしかない、アルスナル図書館のアラビア語の写本である、アズハル・モスクの書誌目録のなかで、この著者はムハンマドの息子、アリ・ジョルダニーと名づけられている。ポコックによって引用された著者がハッジ・ハリーファが話す著者と同じであるかどうか私は知らない:いずれにせよ、私の目の前にある著書は「アラビア語」という言葉で始まる、そして著者自身が、彼の事典の中で、「アラビア語」という言葉によって理解されなければならないことを説明している。「定義」を意味する(アラビア語原語)という言葉についてはどうかというと、彼はそれに説明を与えていない。彼は口語の「アラビア語」、つまり、一つの単語で作られている、とあだ名された「定義」(アラビア語原語)の一種によって意味されることの説明で満足している。この形容語句は、冠詞によって意味が与えられている言葉で、「アラビア語」とも呼ばれ、「アラビア語」とは反対の意味の定義の、この種の「アラビア語」と区別するために使用する。これは彼が「定義」または「口語の決定」について述べていることである。

(アラビア語原文)「「アラビア語」によって意味されることは、「アラビア語」と言われるときのように、ある考えを表す言葉を使うこと、そして同じ考えを表す他の言葉によってより明確に説明することである。」(これら二つの単語は「ライオン」を意味する;しかし二番目のものはより知られている、それは最初のものを説明するために用いられる。それはフランス語で、乗用馬(古語)、馬と言うようなものである。)「これは適切な定義が、その単語自身によっては示唆しなかったであろう考えを表すと言うのではない; しかし、すべてのありうる考えの中で、「アラビア語」という単語が発明した一つの考えが何であるか、知らせたいだけである。」(フランス語訳)

 「アラビア語」という言葉を見よう。私たちの著者はそれを定義している:(アラビア語原文)「「アラビア語」という言葉は、言葉の本来の用途から転用された、ある言葉によって物事に名前を付けるための特定の人たちの同意または「協議」を意味する。」「アラビア語」の代わりに、私は「アラビア語」と読むことをより好むが、三つの写本には「アラビア語」がある。

 私は「アラビア語」を、注釈の巻十に挿入された注と、王室文庫の写本の抜粋によって詳細に知らせた。

 (4)「アラビア語」という言葉は、特に「ちょうどいい加減で焼かれること」を意味する:私は私が記録するのを怠ったいくつかの例を見つけた。イブン・アラブシャーによる「ティムールの人生」のエピローグ(M. マンガー版、第二巻、968ページ)で引用された一つの例がこちらである、これはいかなる疑いも残すことなく、「アラビア語」という言葉が「生」(アラビア語原語)の対義語であった:「アラビア文」

 (5)「アラビア語」という言葉は、ここでは「情熱」、「怒り」を意味するように思われる。下記の注(8)参照。

 (6)写本「アラビア語」にあり、それはまったく意味を示さない:私はそれを「アラビア語」に置き換えた、そしてこの訂正は私たちの著者の話の続きで確認される。

 (7)「アラビア語」という言葉は「強く繋がっていること」を正確に意味し、文字通り、「アラビア語」と名付けられたターバンのことを言っている。ジェワリーは:「アラビア語文」と言う。したがって、「アラビア語」と「アラビア語」は「アラビア語」と同義である。この正確な意味から比喩的な意味への移行において、「アラビア語」とは、「公平性」、「党派性」、「頑迷性」を意味する。著書「アラビア語」(王室文庫の写本、第519号)の著者である、ジェマル・アッディーン・アブー・アブド・アラー・ムハンマド・カズヴィーニーは、それを宗教の事柄における美徳と、義務としている; 第一章第四巻次の50の中で、彼はこう言っている:(アラビア語原文)「第一章は、真実の中にある「熱意(zèle)」(アラビア原語)というものは何かが扱われている。この単語は 「アスブ(asb)」(アラビア語原語)から派生したものであり、「アスブ」は「力」、「暴力」を意味し、過酷な日(つまり、「激しい暑さ」)と言われていて、そして、「ねじり鉢巻(ターバン)の商人」、 (アラビア語原語)と呼ばれていことから来ている。自らの宗教と信念に強く執着し、それらに嫉妬深い愛を持っているすべての人々は、「熱意」(アラビア原語)で、それらの攻撃を撃退し、イスラムとその教義の守護に心を配っている。」(フランス語訳)

 私は「アラビア語文」と読まなければならないと思う;以下、「アラビア語」の代わりに、私は著者が 「アラビア語」と書いたと思う。

 それから彼はこれらの注目に値する言葉を付け加えている:

(アラビア語原文)

「「熱意(zèle)」がイスラム主義の基礎、信仰の原則、法の基礎、団結の色、信者の特徴的なしるしであることを知ってほしい、熱意は「不信仰にも関わらず、」「反駁できない地位を後ろ盾に楽しむために、反駁できない議論の後で滅び、滅びゆくものたちと、永遠の生命を楽しむ人々のためにある。」(アルコル、上8、巻四十四、ヒンケルマン版)例えば彼らの娘や姉妹のように、彼が自分に属する女性のために鼓舞されたされたものより強く、自分の宗教に対して嫉妬するほど熱心な愛を持っていない限り、この信者は本当に信仰を持っているとは言えない。隠蔽は偽善者の性格の一つである。自分の宗教のために、そして自分が専門とした宗教のために嫉妬深い熱意を示さない人は、実際は無信仰である;絶えず宗教に忠実でない人には、宗教もない;教義について新しいことの無関心を受け入れる人は、宗教を非常に少なく持っていることを示している。」(フランス語訳)

 「アラビア語」という言葉は、ミールホーンドの抜粋の中に見られる(王室文庫の写本の注釈と抜粋、第五巻、221ページ)。王室文庫のアラビア写本第1番のなかで、サーディアスが語っていることとして、このようにも読める:(アラビア語原文)「彼に反対してではなく彼のために、私は党派の精神から行動しなかった」ライスケは アブー・フィダ( モスレム年鑑.、第二巻、204と206ページ)の注釈の中で、この言葉「アラビア語」を説明した。ポコックはそれをきちんと理解していないように見える。(「アラブの歴史の観察、 M. ホワイト版、143ページ参照)「アラビア語」と同じ語根に由来する「アラビア語」という単語も、非常に似た意味を持っている。イブン・ハルドゥーンの抜粋、注(66)、411ページ、以下、で私がそれについて述べたことを参照。「ティムールの生涯と功績」、M. マンガー版、第一巻、293ページも参照。

 (8)私は初版「アラビア語」で印刷していた、しかしそれは確かに「アラビア語」を読まなければならない:その写本には「アラビア語」とある。「アラビア語」という言葉は、トルコ人によって一般的に与えられている意味で、ここでは、「喜び」、「味」、「移り気」、「幻想」の意味に取られる。この意味で用いられる表現「アラビア語」は、サアディーの薔薇園、ゲンティウス版(第3章、242ページ)に見られる、そして、私はそれをエジプト政府に関連するトルコの法令(判決)にも見出した:(アラビア語原文)「しかし、彼は気まぐれで理由もなしに誰も懲戒したり罰したりしないように気をつけないといけない。」研究所の回顧録、歴史と古代文学の課程、第一巻、100ページ参照。(フランス語訳)

 べジャウィーは、クルアーンの注釈のなかで、「アラビア語」を「アラビア語」の同義語として用いている。

 (9)私はその写本の中に読まれる「アラビア語」を置き換えた。

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