アビランドの歴史
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アビランドの歴史

アビランドの歴史

ダビッド・アビランド 出典:Haviland

アビランド社(Haviland & Co.)は、19世紀半ば以降のリモージュ磁器の発展を主導し、同地を世界的な磁器生産の中心地へと押し上げたフランスの磁器メーカーである。1838年、アメリカ人実業家ダビッド・アビランド(David Haviland, 1814 – 1879)は、ニューヨークにおいて英国製陶磁器を中心とする輸入商を設立した。彼は偶然目にしたフランス製磁器の品質の高さに圧倒され、それを米国市場に広めようと決意した。1839年に見本を持って渡仏し調査した結果、その卓越した磁器がリモージュ産であることを突き止めた。1842年には自らリモージュに移住して製造拠点を構え、米国市場向け磁器の本格的な生産体制を築いた。

リモージュはリモージュ磁器特有の白い粘土の産地であるカオリン鉱床に近接し、高品質の硬質磁器生産に適した地であった。アビランド社は当初、現地工場から白磁の素地を購入して装飾を施していた。しかし、品質管理の徹底と市場への適応には製造と装飾の統合が不可欠であると判断し、自社工場に高温窯を導入して一貫生産体制を確立した。従来、リモージュで成形された素地はパリに送られて装飾されるのが通例であったが、アビランドはこれを非効率とみなし、装飾職人を自社内に組織化するとともに、アメリカ人の好みに合った意匠を開発するため独自の教育体制を整備した。英国風の装飾様式とフランスならではの洗練を融合させたデザイン戦略は、ヴィクトリア朝期の米国家庭に広く受け入れられ、同社は1853年までに米国向けフランス磁器の最大の輸出業者へと成長した。同年、ニューヨークのクリスタルパレス博覧会で金メダル、さらに1855年のパリ万国博覧会では銀メダルを受賞し、国際的な評価を決定づけた。1860年代半ばにはフランスを代表する磁器メーカーとしての地位を確立した。

リンカーン政権下のソルフェリーノ 出典:Wikipedia

南北戦争は米国市場に依存していた同社に深刻な打撃を与えたが、戦後は事業再編を経て回復を遂げた。ダビッドは息子のチャールズ・エドワード(Charles Edward, 1839 – 1921)とセオドア(Theodore)を経営に参画させ、チャールズが製造部門を、セオドアが米国における販売・流通を担った。生産規模は飛躍的に拡大し、リトグラフ転写による装飾技法の導入など技術革新も進んだ。ホワイトハウス向け食器はリンカーン、グラント、ヘイズ、ハリソン各大統領のために制作され、1861年のリンカーン政権下で用いられた紫の縁取りが美しい「ソルフェリーノ(Solferino)」サービスはその代表例である。ナポレオン3世皇后ウジェニー、モナコ大公レーニエ3世、フランス大統領ジャック・シラクらも顧客に名を連ね、同社は各国の王侯貴族や国家元首の御用達となった。

1891年、兄弟は事業を分割し、チャールズ・エドワードは既存の会社を引き継いだ。セオドアは1893年に独立し、リモージュに自身の名を冠した「セオドア・アビランド」という会社を設立した。両社は激しい競争を展開しながらも、それぞれ国際博覧会で受賞を重ね、市場の拡大を図った。セオドア社は革新的なマーケティング戦略を採用し、「各家庭に一揃いの食器を」を標榜して通信販売カタログなどを通じて普及を推進した。デザイン数は推定数万種に及び、20世紀初頭には多様な価格帯と意匠を展開することで広範な消費層を獲得した。その後、ヨーロッパで戦争の危機が迫るなか、セオドアは1936年に拠点を米国に移転し、1957年まで同地で事業を継続した。一方、チャールズ・エドワードの会社は1931年に破産し、その商標権は後にセオドアの息子であるウィリアム・アビランド(William Haviland)が取得した。第二次世界大戦を経て事業は再編され、以後もアビランドの名は継承されたが、経営主体はその後も複数回にわたり交替している。

アビランド社の芸術的な側面は、同時代の著名な芸術家との協働によっても発展した。フェリックス・ブラックモン、エクトール・ギマール、スザンヌ・ラリック、ポール・ゴーギャン、ラウル・デュフィ、ワシリー・カンディンスキー、サルバドール・ダリらが意匠を手がけ、アール・ヌーヴォーからアール・デコ、さらにはモダニズムに至る幅広い様式が探求された。とりわけ19世紀後半は同社の最盛期とされ、磁器のみならず炻器などにも革新的な意匠を展開した。

製造技術の面では、カオリン、長石、石英を主原料とする硬質磁器を基盤とし、成形法としてはジガリング(機械ろくろ)、鋳込み、プレス成形を用途に応じて使い分ける。成形後は約950℃でのデグルデ(素焼き)を経て生地を多孔質化させ、珪石・ペグマタイト・カオリン・石灰を調合した釉薬を施し、約1400℃でのグラン・フ(本焼成)によって磁器本体と釉薬を融合させる。装飾はクロモリトグラフ(多色石版印刷)やスクリーン印刷、手描きによる金彩、反応性釉薬など多様な技法を駆使し、最終工程に至るまで厳格な品質管理が行われる。特に象嵌装飾は高度な工程管理を要する精緻な技法である。保護釉でマスキング(被覆)を施し、酸処理で腐食させ、金彩を重ね塗りして焼成したのち、微細な研磨によって光沢とマットな質感のコントラストを生み出すなど、いくつもの複雑な段階を経て完成に至る。「フェユ・ドール(Feuille d’Or)」(1912年)、「グラン・アパラ(Grand Apparat)」(1883年)などは、その技法を用いた代表作として知られている。

作例

バックスタンプ 出典:Haviland Collectors International Foundation

アンペラトリス ユジェニー

アンペラトリス ユジェニー

アンペラトリス ユジェニー(Impératrice Eugénie)は、デザイナーのレオンス・リビエール(Léonce Ribière)が皇后ウジェニー(Eugénie)のために創作したものである。スミレの冠は君主の花への嗜好を想起させ、青、薄紫、紫の色合いは皇后のガウンを反映している。デザインの構成は第二帝政様式を体現しつつ、渦巻くスミレの茎はアール・ヌーヴォーを予感させる。

ディプロメイト

ディプロメイト

ディプロメイト(Diplomate)の古い象嵌細工は、20世紀初頭に製造所の職人によってデザインされた。1916年には日本大使館向けにブルー・ド・フルの縁取りが施され、1938年にはルーズベルト大統領のために再調整された。すべての象嵌細工と同様に、これはリモージュの伝統的な彫刻技法であり、高級な二重金箔が特徴である。この模様は象嵌と浮き彫りを組み合わせ、比類のない繊細さを示している。

アンペラトール

アンペラトール ブラン・オール
アンペラトール ブルー・ド・フール

アンペラトール(Impérator)は、1956年にアビランドのアーカイブで発見された金色の装飾が施されたモデルに着想を得ている。デザインは、花輪とアカンサスの葉で構成されたフリーズが真珠の天蓋を縁取り、そこから真珠の花輪が伸びている。このフリーズは二つのギリシャ風帯に囲まれている。内側の縁取りには、リモージュの伝統に従い金で彫られた、金箔を施した繊細な葉のフリーズが施されている。

バカラ アンペラトール

バカラのアンペラトールの意匠は、アビランドのアンペラトールの意匠と酷似している。

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