
ヴィラ・アルバーニのカッフェーアウス
ヴィラ・アルバーニのカッフェーアウス

ローマ北部、アウレリアヌス城壁の外側、サラリア街道沿いに位置するヴィラ・アルバーニ(Villa Albani)は、18世紀半ばに構想・建設された別荘でありながら、しばしば「最後のローマ郊外別荘」と呼ばれてきた。この呼称は、単に立地や規模を指すものではなく、古代ローマのヴィラが担っていた文化的・知的役割を、近代において最後に総合的に再演しようとした試みであるという点に由来している。ヴィラ・アルバーニは、近代都市ローマの拡張が本格化する直前の時代において、田園、建築、庭園、彫刻、学識が緊密に結びついた、きわめて意識的な人工景観として構想された。
この別荘の施主であるアレサンドロ・アルバーニ枢機卿(1692–1779)は、教皇クレメンス11世の甥としてローマ社会の中枢に位置する人物であると同時に、当代屈指の古物収集家であった。彼にとってヴィラとは、単なる私的な隠棲の場ではなく、古代美術の収集・研究・展示を通じて、自身の学識、財力、そしてローマ的アイデンティティを可視化するための舞台であった。実際、ヴィラ・アルバーニは建設当初から、庭園、建築、敷地全体にわたって、彫刻、胸像、巨大な頭部、浅浮き彫り、水盤など、当時最高水準の古代遺物で満たされていた。
この壮大な構想を支えたのが、建築家カルロ・マルキオーニと、ドイツ人学者ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンである。マルキオーニは設計・施工の実務を担い、数多くの図面が彼の関与を示している。一方ヴィンケルマンは司書としてアルバーニに仕えつつ、古代美術の解釈と評価において決定的な理論的枠組みを提供した人物であり、彫刻の選定や配置、さらにはヴィラ全体の知的性格の形成に深く関与していた。ヴィンケルマン自身が書簡の中で、アルバーニを「この別荘の唯一の建築家」と表現していることは、設計責任の帰属が単純ではないことを示している。実務はマルキオーニ、構想と理念はアルバーニ自身という分業関係が、この別荘の特異性を生み出していたのである。
ヴィラの構成は、主館(彫刻・胸像・洗面器の膨大なコレクションを展示する場所、通称カジノ)を中心に、厳密に設計された庭園軸線によって秩序づけられていた。庭園設計はジャンバッティスタ・ノーリに帰され、地形の起伏を巧みに利用しながら、視線と身体の移動を段階的に制御する構成が採られている。訪問者は、彫刻が点在する庭園を進み、噴水や記念碑的要素を経由しながら、次第に敷地南端へと導かれる。この移動そのものが、古代世界への漸進的接近として演出されていた。

その終点に位置するのが、庭園パビリオンであるカッフェーアウス(Caffèaus)である。庭園の最奥に置かれたこの建築は、正面から見れば半円形柱廊、すなわちエクセドラとして認識される。十一連の円柱によって形成されたこの半円形柱廊は、1753年に完成しており、当初は庭園装飾の一要素として機能していたと考えられている。この形式は、古代ローマにおいて議論や休息の場として用いられたエクセドラを明確に想起させ、庭園の視覚的・象徴的終点としての役割を担っていた。
しかし1764年頃、この半円柱廊の背後に本格的な建築が付加されることで、カッフェーアウスは単なる庭園装置から、明確な用途を持つパビリオンへと変貌する。ヴィンケルマンは1764年12月7日付の書簡で、枢機卿が「円形柱廊の背後に大きな建物を増築した」と記しており、この介入が同時代人にとっても注目すべき出来事であったことがわかる。この増築部分は、半円形柱廊に「ぶら下げられる」ような形で構成され、地形の高低差を最大限に活かした上下二層の建築となっている。
この建築は、見る位置によって全く異なる印象を与える。上方の庭園からは、カッフェーアウスはあくまで低く抑えられた半円形柱廊として認識され、庭園景観の一部として溶け込んでいる。しかし敷地外縁や下方の通りから見ると、二階建てのロッジアを備えた堂々たる建築として立ち現れ、都市に対して自己を表象する存在となる。この「二つの顔」は、ヴィラ・アルバーニが内向きの学識空間であると同時に、外部世界に向けた文化的表象でもあったことを示している。

内部空間は明確に階層化されている。下層には、暗く湿気の多い空間、カノペウム(Canopeum)があり、ここは半円柱廊と連続する展示的空間として機能していた。ヴィンケルマンの書簡によれば、この空間にはエジプト彫刻が配置されており、異国趣味と古代性が重ね合わされた独特の雰囲気が意図されていた。カノペウムは、単なる通過空間ではなく、視覚と身体感覚を通じて訪問者を別の時間性へと引き込む役割を果たしていた。
そこから階段を上ると、上層にはバルコニー付きの部屋、ディアエタ(Diaeta)(ラテン語で「食事」を意味する)が設けられている。ユスティの伝記によれば、ここが本来の意味での「カフェハウス」、すなわちコーヒーを飲みながら会話を楽しむための主要空間であった。この部屋は庭園と景観に開かれ、風と光を取り込む一方で、過度な装飾を避け、比例と均衡によって空間の品位を保っていたと考えられる。
このカッフェーアウスは、18世紀ローマに広まっていた商業的なカフェや、英国式の公共的コーヒーハウスとは本質的に異なる存在である。そこは不特定多数が集う言論空間ではなく、アルバーニによって選ばれた客人のみが招かれる、私的で排他的な空間であった。形式張った宮廷儀礼から距離を取りながらも、無秩序な自由ではなく、学識と節度を前提とした対話が行われる場であった点に、このカッフェーアウスの独自性がある。実際「カッフェーアウス」という言葉は新しい造語であり、主に私有地に建てられたパビリオンを指すために作られた言葉だった。
重要なのは、ここで交わされた会話が、抽象的な議論に終始するものではなく、周囲に配置された彫刻や建築そのものを直接参照しながら行われたことである。芸術作品は背景ではなく、思索と対話を促す触媒であり、建築はそのための沈黙の枠組みとして機能していた。この点において、カッフェーアウスはヴィンケルマンの美学、すなわち「高貴な簡素さと静かな偉大さ」を空間化したものと理解することができる。
しかし、このように周到に構想されたヴィラ・アルバーニの景観とカッフェーアウスの機能は、今日ではほとんど失われている。19世紀後半以降の都市化と開発によって、かつての牧歌的な周辺環境は急速に侵食され、現在ではアパートやオフィスビルが別荘を取り囲んでいる。高い外壁は落書きやポスターで覆われ、外部からは内部の庭園や建築の全体像を想像することすら困難である。
ヴィラ・アルバーニとカッフェーアウスは現在、トルローニャ家の所有地として厳重に管理されており、一般公開は行われていない。私的招待、あるいは特別な許可を得た研究者のみが立ち入ることを許されている。庭園や建築の多くは、修復や保存の計画が明確に示されないまま、部分的な荒廃状態に置かれている。かつて彫刻と水の演出によって生命感に満ちていたカッフェーアウスの空間は、現在では物置として使用され、内部装飾や調度品の痕跡はほとんど失われている。
ヴィラ・アルバーニとカッフェーアウスが、もはや生きた社交空間や知的舞台として機能していない。しかし同時に、保存と忘却のはざまに置かれたこの状態そのものが、18世紀的な古代理解と建築的野心が、現代都市の中でいかに居場所を失っているかを雄弁に物語っているとも言える。庭園の奥にひっそりと佇むカッフェーアウスは、かつての知的世界の中心であったにもかかわらず、今日ではほとんど顧みられることのない存在となっている。しかし、その荒廃は、失われた18世紀の知的景観を沈黙のうちに今もなお伝え続けている。

