コーヒーの品評会は、生産国にどのように影響するのか? イリーカフェの例
エルネスト・イリー・エスプレッソ・サステナブル品質賞とイリー・インターナショナル・コーヒー・アワード
イリーカフェ(illycaffè)による品質賞の創設のアイディアは、専用ブレンドの原料を探していた1980年代後半のブラジルから始まった。この頃、エルネスト・イリー(Ernesto Illy, 1925 -2008)はブラジルの生産地を視察したが、品質基準に見合うブラジルのコーヒーを見つけることができなかった。
1933年から1988年まで、イリーカフェはブラジルからコーヒーを輸入し続けていた。1988年に、トリエステにいたエルネストのもとに、10から12のサンプルが届いたが、品質基準に見合うものは1つだけだった。1989年には、38ロットを評価したが、品質基準に見合うものは1つもなかった。
エルネストの息子リカルド・イリー(Ricardo Illy)は、高級ウール素材を使用していた有名な高級ブランドで行われていたことからヒントを得た。彼らはオーストラリアの生産者へのコンテストを創設し、結果成功を収めていた。このアイディアをエルネストがブラジルに持ち込み、コンテストを創設するアイディアを推し進めた。
1991年に、エルネストは、ブラジル・エスプレッソ品質賞(英語:The Brazil Espresso Quality Award、ポルトガル語:O Prêmio Brasil de Qualidade do Café para Espresso)を創設した。 それにより、イリーカフェは生産者から直接コーヒーをより高い価格で買うことができ、輸出業者から購入するのをやめることができた。
ブラジルは、イリーカフェが世界で初めて生産者と直接協力を始めた国であった。
彼(アンドレア・イリー)はトーナメントの起源について説明した。1990年代初頭、コーヒー豆の状態はひどいものだった。コーヒーはコモディティビジネスであり、先見性のあるリーダーシップがなければ、豆の栽培は底辺への競争となる。サプライヤーをまとめ上げるために、彼の父親(エルネスト・イリー)はコンテストを企画した。賞品は金銭的なものではなく、インスピレーションを与えるものだった。つまり、自慢できる権利である。生産品質は好転し、業界も好転した。少なくともブラジルでは。
He explained the origin of the tournament. In the early nineties, the state of the coffee bean was abysmal. Coffee is a commodity business, and, without enlightened leadership, bean growing is a race to the bottom. To rally the suppliers, his father instituted a competition. The prize was not fiscal but inspirational—bragging rights, basically. Production quality turned around, and so did the industry—at least in Brazil.
By D. T. Max"The World Cup of Coffee!" ,The New Yorker 2024年1月8日。
イリーカフェがブラジルのコーヒー生産者との関係を築き始めた90年代初頭、国際コーヒー市場は現在とは大きく異なっていた。第一に、コーヒー価格は横ばいであったため、異なる特徴を持つ製品を差別化することができなかった。そのため、コーヒー生産国では、品質の良い豆と悪い豆を同じロットに混ぜることが広く行われていた。このため、イリーカフェは仕入れ量の最大70%を廃棄しなければならなかった。
第二に、コーヒー業界は急進的な変革の時期を迎えていた。1990年まで、コーヒー市場は、ブラジルが主導するブラジルコーヒー協会(IBC)(Instituto Brasileiro do Café)主導によるカルテル(国際コーヒー協定(ICO))によって実質的に規制されていた。このカルテルは、生産国間で割当量を取り決め、在庫量を管理することで、価格と価格変動をコントロールしていた。1989年の国際コーヒー協定(ICO)と1990年のブラジルコーヒー協会(IBC)の終了は、新しいビジネスモデルの出現の門を開いた。
生産者にとっては価格が横ばいである一方、輸入国ではプレミアムコーヒーの需要が急増した。消費者は、上質な豆を使った上質な飲み物、心地よいリラックスタイムを演出してくれるものを求めていた。同時に、コーヒーの飲用を再発明した、いわゆる「ラテ革命」は、コーヒーを飲む習慣を変え、まずアメリカで、次に他のほとんどの先進国で、コーヒーに対する認識を一変させた。
この成長市場に素晴らしいエスプレッソを提供することに挑戦していたイリーカフェは、ブラジルのコーヒー生産者の文化的価値観に構造的な変化をもたらし、優れた品質を促進するという戦略的目標を達成するための取り組みを行なった。イリーカフェは、高品質なコーヒー生産にとってより有利な生産地をマッピングし、イリーカフェの優れた品質のコンセプトに賛同する生産者を特定するための仕組みを考案し、ツールを開発した。もうひとつの目的は、生産者の忠誠心を確保し、現在の需要だけでなく市場拡大計画にも対応できる量と規模のコーヒーを供給してもらうことだった。
Prêmio Ernesto Illy de Qualidade Sustentável do Café para Espresso:https://www.youtube.com/playlist?app=desktop&list=PLVhm-U0Q_HGn1aUQBMtUHdkvm9DJSNi0a
イリーカフェは、ブラジルにおけるイリーの広報活動のパートナーエージェンシーである広報局(ADS)(Assessoria de Comunicações)とともに、1991年にブラジル・エスプレッソ品質賞を創設、レギュレーションは、ブラジルで最も尊敬されるコーヒー品質の専門家の1人であるアルディル・アルベス・テイシェイラ(Aldir Alves Teixeira)が作成した。第一回は、ナチュラル精製のコーヒーに限定したもので、セラード・ミネイロ(Cerrado Mineiro)セラ・ド・サリトレ(Serra do Salitre)のエルネスト・フォルナロ(Ernesto Fornaro)がチャンピオンに輝いた。
Cafeicultores 1991:https://clubeilly.com.br/timeline/cafeicultores-1992
2008年から、この年の初めに亡くなったエルネスト・イリーの功績を称え、エルネスト・イリー・エスプレッソ品質賞(英語:The Ernesto Illy Quality Award for Espresso Coffee、イタリア語:O Prêmio Ernesto Illy de Qualidade do Café para Espresso)と改名された(現在はエルネスト・イリー・エスプレッソ・サステナブル品質賞(英語:The Ernesto Illy Sustainable Quality Coffee Award for Espresso、イタリア語:O Premio Ernesto llly de Qualidade Sustentável do Café para Espresso))。
イリーカフェは、毎年10万ドル以上の賞金を授与している。トップ50人には、品質テストに合格した評価用ロットすべてを購入することを約束する。最終選考に残ったコーヒーからの購入を保証するほか、市場平均より約30%高い価格で品質に報いている。生産者にとっては、プレミアム品質のコンセプトを守ることは理にかなっている。また、ロスを最小限に抑え、こだわりのある顧客の要求に応えるコーヒーを確実に供給することができるため、会社にとっても理にかなっている。
コンテストや賞品に加え、イリーカフェの戦略的活動には、いわゆる仲介業者を排除し、サプライヤーと直接関係を築くことも含まれていた。同社は輸出組織ポルト・デ・サントス(Porto de Santos)と取り決めを行い、ブラジルの生産者から直接仕入れ、輸出手続きを担当するようになった。
コンテストを創設し、生産者との直接的なルートを確立したイリーカフェは、アルディル・アルヴェス・テイシェイラが率いる研究所、アッシカフェ(Assicafé)の設立を支援した。アッシカフェは、コンテストに提出されたサンプルと、イリーカフェが購入のために提供しているサンプルを分析する。このラボはまた、技術的な問題に関してコーヒー生産者を支援し、コーヒー生産者とともに働く格付けスペシャリストのトレーニングも行っている。
イリーカフェが行った活動は、ブラジルの農業市場の注目を集めた。主要産地の協同組合や協会、マスコミを巻き込んだコミュニケーション活動は、会社のコンセプトやビジョン、価値観を広めるのに役立ち、これが現地の文化を変える原動力となり、優れた品質への取り組みが促進された。やがて、このコンテストは、コーヒー生産者が最良の豆を見極める手助けをする協同組合や組合で働く専門家、技術者たちのような他のエージェントも巻き込むようになった。このような活動から好結果を得始めたイリーカフェは、さらに優れた品質を促進するための新たな戦略的活動を開始した。その一例として、イリー・コーヒー・クラブ(illy Coffee Club)と呼ばれる特別なネットワークグループの設立や、イリーコーヒー大学(Unilly)(illy Coffee University)(現在のブラジルコーヒー大学(Brazil Coffee University))の設立が挙げられる。この2つのイニシアチブは、生産連鎖のリンクの間で知識を広めることを目的としている。この大学は、サンパウロ大学 経済・経営学部(FEA/USP)と連携している経営学研究所財団(FIA)(Foundation of the Institute of Administration)の農業・産業システムビジネス研究プログラム(Pensa)(Program of Studies of the Agro-Industrial System Business)の教授や技術者の協力を得て設立された。
一方、ブラジルのコーヒー生産者や地元市場も大きな成果を感じた。この先駆的なコンテストをきっかけに、公的機関や民間団体が主催するコーヒー生産者向けのコンテストが他にも数多く登場した。また、イリーカフェが最初に導入したプレミアムコーヒーの差別化が、国内における他の高級コーヒーブランドの立ち上げに貢献したこともプラスに働いた。また、レストランでは、食事の締めくくりに特別なコーヒーを提供し、追加の利益を得ることができるようになった。
ブラジル・エスプレッソ品質賞では、1991年には、10人の受賞者のうち5人がミナス・ジェライス州のパトロシニオ市(Patrocinio Municipality)出身だった。1992年には、10人の受賞者のうち9人がパトロシニオ市の出身であった。コンテストの最初の数年間、セラードの地域の生産者が好成績を収めたことから、上位入賞をマーケティングツールとして活用し、この地域をプレミアムコーヒーの呼称として位置づけるという地域戦略が生まれた。より有利な貿易条件を要求するための手段として、地域の組合や協同組合が集まり、1992年にセラードコーヒー生産者組合協議会(CACCER)(Council of Associations of Cerrado Coffee Growers)を設立した。その結果、市場において特権的な地位を獲得し、高品質なコーヒーで知られるようになった産地のイメージは、土地の販売価格さえも向上させた。
セラードコーヒー生産者組合協議会は、セラードのコーヒーの優位性を証明する際に、ブラジルにおける原産地呼称の保護と管理に関する伝統と法律の欠如に直面した。2005年には、原産地呼称モデルを用いて、セラード・ミネイロで初めてコーヒーの地理的表示が登録された。
2012年からは、ブラジル全国の生産者が参加できる地域部門も開催されている。エスピリト・サント州、ミナス・ジェライス州(セラード・ミネイロ、チャパダ・デ・ミナス、マタス・デ・ミナス、スル・デ・ミナスに細分化される)、中西部地域、北部/北東部地域、南部地域、リオデジャネイロ州、サンパウロ州の10の州・地域から、それぞれ2名の最終候補者が選出される。
イリーカフェは、2016年にエルネスト・イリー・エスプレッソ・サステナブル品質賞を拡大し、世界中の提携生産者全員を対象とするイリー・インターナショナル・コーヒー・アワード(Ernesto Illy International Coffee Award)が開催している。このコンテストは、イリーブレンドを代表する9か国からそれぞれ3名の最優秀コーヒー生産者を選出し、さらに「ベスト・オブ・ザ・ベスト(Best of the Best)」を競い合う。