やなか珈琲店:ブラジル 小室 スペシャル
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やなか珈琲店 ブラジル 小室 スペシャルです。

やなか珈琲店は、1997年に設立された株式会社 やなか珈琲が経営するコーヒー店です。株式会社 やなか珈琲は、愛知県一宮市に本社を置くコーヒー豆の卸売メーカー、有限会社 エムジーコーヒー(MG COFFEE)の子会社です。1999年に家庭用コーヒー豆の販売拠点としてやなか珈琲店 谷中店を出店、現在は都内を中心に数十店舗を展開しています。

ブラジル 小室 スペシャル

小室 スペシャル

エル・ドラード農園(Fazenda El Dorado)は、ブラジル(Brazil)ミナス・ジェライス州(英語:State of Minas Gerais、ポルトガル語:Estado de Minas Gerais)カンポ・ダス・ヴェルテンテス中地域(Campo das Vertentes Mésorégion)スル・デ・ミナス(Sul de Minas)イビラシ市(Ibiraci Municipality)に位置する農園です。コーヒー生産地域としては、アルタ・モジアナ(Alta Mogiana)に区分されます。

農園主はラエルス・フランカ・ファレイロス(Laerce Franc'a Faleiros)です。

農園の総生産面積は150ヘクタールで、レッド・カツアイ(Red Catuai)、イエロー・カツアイ(Yellow Catuai)、アカイア(Acaiá)、ムンドノーボ(Mundo Novo)、 カツカイ(Catucai)などが栽培されています。長年、一家は伝統的なナチュラル・コーヒーを生産してきました。2013年、ラエルスと息子たちは、高品質のスペシャルティコーヒーの生産に重点を置くようになりました。

小室 博昭

小室 スペシャルは、日本人初のクラシフィカドールとなった小室 博昭が販売していたコーヒーです。現在は、やなか珈琲店がモジアナの生産者からスペックに合ったコーヒーを買い付け、販売しています。

 広々とした農園、膨大な量のチェリーと活気ある精製処理、そして海外への輸送に至るダイナミックな生産活動のすべてがグラビア写真入りで生々しく報じられている。特にそれをさばくコーヒー鑑定士のカップテストの写真が彼の心を強くとらえた。しかも当時15万クルゼイロの給料は超インフレの今日では換算しようもないが、普通一般の給料の数十倍の高額所得者に間違いはなかった。もしその資格が与えられるならば、易者が「黙って座ればピタリと当てる」ように「黙って座って(サジ一本で)世界に羽ばたくチャンスもあろう」。
 「コーヒーに関しては日本よりブラジルの方が確かに進んでいるし、また、日本へ帰ったときも役に立つだろう。ブラジルを選んでよかった。コーヒーに決めた!」。

世界に先駆けたコーヒー鑑定士 小室博昭 I」,やなか珈琲店 2007年12月26日.

 試験を前にして「ハード」と「ドゥーロ」の差が判らず、また本来「ドゥーロ」の豆が深炒りで苦味が出て「ハード」と感じてしまう失敗を体験しながらも、繰り返し繰り返し納得いくまで練習を重ねた。
 最終試験を終えて、「ソフト」を正しく取ったか、「ゴルペ・デ・ビスタ」はどうかなど、不安でいっぱいであったが半年間の大変厳しい養成期間の末、無事卒業式を迎えることができた。
 「日本人初のコーヒー鑑定士誕生」のニュースが新聞に載り、巷間話題を賑わした。彼の快挙が弾みとなり、また彼の協力により以降何人もの日本人に対しIBC鑑定士養成学校への道が開かれたことは周知のとおりである。

世界に先駆けたコーヒー鑑定士 小室博昭 Ⅱ」,やなか珈琲店 2007年12月27日.

 三年後の1965年コロラド社に入社(七年後、丸紅コロラド輸出入株式会社に改名)した。この会社は大農園主やマキニスタ(精選業者)と共同出資し初代の和田社長、副社長に宮本邦弘氏、笹谷新市氏専務らが自分たちで直接コーヒーを輸出したいと、IBCの事務所長スプリラー氏を加えてつくった会社で、和田氏と丸紅とエージェントを組み、日本へ良いコーヒーを送る目的で、遂に小室氏が檜舞台に登場することになる。
 コロラド社の日本向けコーヒーと南伯産組のコーヒーの二本立て審査という大役を背負って、本場サントスで技を磨き、「最高コーヒー鑑定士」の栄誉に輝いたのは1972年のことである。

世界に先駆けたコーヒー鑑定士 小室博昭 Ⅲ」,やなか珈琲店 2007年12月29日.

品種

品種はカツアイ(Catuai)です。

精製方法

精製方法はパルプト・ナチュラル(Pulped Natural)です。

やなか珈琲店 ブラジル 小室 スペシャル

ブラジル 小室 スペシャル
ブラジル 小室 スペシャル

小室博昭さんは1961年にブラジルに渡り当時世界で唯一のコーヒー資格制度だったクラシフィカドールの資格を所得した日本人で最初の方です。その後日系人の農業組合で鑑定士として活躍、丸紅コロラド社で長く勤め、日本にブラジルのコーヒーを広めた第一人者です。1991年に会社を辞任し、その後自ら買い付けた豆を小室スペシャルとして販売。当時はまだ珍しかったモジアナ地区のパルプドナチュラルの豆でした。小室さんは2002年に永眠。現在はその半生を過ごしたモジアナ地区の生産者からスペックの合ったものを買い付けています。

やなか珈琲店

ナッツのようなフレーバー、シロップのようなふくよかで滑らかな口当たりと甘さが印象的です。口当たりの大きな味わいです。


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