アメリカ合衆国 ハワイ州のコーヒーの歴史とグリーンウェル農園

アメリカ合衆国 ハワイ州のコーヒーの歴史とグリーンウェル農園

ハワイ州のコーヒーの歴史

カメハメハ2世

スペイン人のフランシスコ・デ・パウラ・マリン(Francisco de Paula Marín)が、1813年1月21日付けの彼の日記に、オアフ島(Island of Oʻahu)にコーヒーの苗を植えたと記録しています。これがハワイ州(State of Hawai'i)での最初の栽培の記録です。商業用のコーヒー・プランテーションは、1836年にカウアイ島(Island of Kauaʻi)のコロア(Kōloa)で始まりました。

コーヒーは、現在のハワイ大学マノア校(University of Hawaii at Manoa)近くのマノア・バレー(Mānoa Valley)に植えられ、そこからオアフ島の他の地域や近隣の島々に広がっていきました。

1825年、カメハメハ2世(Kamehameha II)とカマルマル女王(Kamehamalu, Kamāmalu)、そしてオワフ島の総督であるボキ首長(Chief Boki)は、ロンドン滞在中にコーヒーを初めて味わいました。カメハメハ2世とカマルマル女王は、ロンドン滞在中に麻疹で亡くなってしまいましたが、ボキ首長は帰国し、その途中に停泊したブラジルでコーヒーの苗木を手に入れました。

この苗木は、カメハメハ2世とカマルマル女王の遺体を乗せたHMS ブロンド(HMS Blonde)によって、オワフ島まで運ばれました。そして、イギリス人の農業従事者のジョン・ウィルキンソン(John Wilkinson)によって、ボキ首長の農園があるマノア・バレーに植えられました。

1828年、アメリカ宣教師のサミュエル・ラッグルズ(Samuel Ruggles)が、マノア・バレーからコナ地区(Kona District)へ挿し木を持ち込み、栽培を始めました。コナ地区の温暖な気候と最適な環境のおかげで、わずか数年の内にコナ・コーヒー栽培は繁栄し、その気品ある香りは、特に捕鯨や貿易をする船員たちの間で名を馳せるようになりました。これがハワイ島コナ地区のコーヒーの歴史の始まりです。

ヘンリー・ニコラス・グリーンウェル

ヘンリー・ニコラス・グリーンウェル

ヘンリー・ニコラス・グリーンウェル(Henry Nicholas Greenwell)は、1826年1月26日にイングランドのダラム・カウンティ(County Durham)ランチェスター(Lanchester)で生まれました。彼はサンドハースト王立陸軍士官学校(The Royal Military Academy Sandhurst)を卒業し、イギリス軍人としてアイルランドで過ごしました。

ヘンリーは1年間の兵役義務を果たした後、軍人を辞め、羊毛のビジネスを始めるため、1848年3月15日にオーストラリアへと出発しました。1848年6月にオーストラリアに到着しシドニーを旅しましたが、羊の価格の上昇や干ばつのために、オーストラリアに長く止まることはありませんでした。

1849年、ヘンリーは船長とパートナーシップを組み、事業の資金によってゴールドラッシュの鉱夫に売却できる道具や備品を積んで、サンフランシスコに向かいました。船がサンフランシスコ湾に到着すると、彼は荷下ろし中にひどい怪我を負いました。船長は彼に、ハワイの王族に仕える最高の医者がいるというホノルルに行くことを勧めました。彼はホノルルで怪我から回復すると、ホノルルのフォート・ストリート(Fort Street)の貿易会社に雇われ、1850年に新たな店を開くためにハワイ島のコナ地区に派遣されました。

ここからヘンリーの運命が変わり始めました。カメハメハ3世(Kamehameha III)は近代的な土地所有制度を導入し、1851年に外国人に土地の売却を始めました。グリーンウェルはそこで買い取った90エーカーの土地で、壊血病防止のために捕鯨船に向けたオレンジの栽培を始めました。

病害によってオレンジの栽培が不作に終わった後、ヘンリーは世界中を旅し、たどり着いた西インド諸島のモントセラト(Montserrat)で、イギリス領のライム・プランテーションの娘であるエリザベス・キャロライン(Elizabeth Caroline)と出会い、1868年に結婚しました。彼らは10人の子供を育て、サウス・コナ地区(South Kona District)のケアラケクア(Kealakekua)に家を建てました。

コナコーヒーのビンテージのポスター

ヘンリーはそこで牛と羊の牧場のために、広大な土地を買い取りました。彼はやがてコーヒーに注目し、コナ地区で栽培されたコーヒーを買い取り、販売をはじめました。彼は1891年5月18日に亡くなるまでの間、コナ地区の改善に専念していました。彼はコナ地区で郵便局長、地域の教育長、ケアラケクア港の税関を務めました。

ヘンリーは、1870年代にはコナ・コーヒーをヨーロッパ市場に売り出しました。1873年にオーストリアのウィーンで開催された万国博覧会(Weltausstellung 1873 Wien)に参加し、彼のコナ・コーヒーに「認定証書(Recognition Diploma)」が授与されました。彼の子孫は現在、グリーンウェル農園(Greenwell Farms)でコナ・コーヒーの栽培の伝統を引き継いでいます。

ハワイからの手紙 出典:50th Kona Coffee Cultural Festival

作家のマーク・トウェイン(Mark Twain)も、コナ・コーヒーの品質を高く評価しました。彼は手紙の中で、「私はコナ・コーヒーが他のどのコーヒーよりも豊かなフレーバーがあると思う」(I think the Kona coffee has a richer flavor than any other)と記録しています。

コナ・ティピカ

1892年、ヘルマン・ワイドマン(Hermann Widemann)が、現在「コナ・ティピカ(Kona Typica)」として知られている「グアテマラン(Guatemalan)」という品種をハワイ島に紹介しました。彼はジョン・ホーナー(John Horner)に種子を与え、ジョンはハワイ島北部のハマクア(Hāmākua)で栽培を始めました。

ジョンは、400本の新しい品種のコーヒーノキと400本の既存のコーヒーノキの、計800本のコーヒーノキを植えて比較しました。この既存のコーヒーノキは、「ハワイアン・コーヒー(Hawaiian Coffee)」として知られる「カナカ・コッペ(Kanaka Koppe)」で、ウィルキンソンによってブラジルから持ち込まれた30本のコーヒーノキに由来すると考えられています。

砂糖プランテーションとコーヒー・プランテーション

1875年、アメリカ合衆国とハワイ王国の間で、1875年互恵条約(Reciprocity Treaty of 1875)が締結されました。これにより、ハワイの砂糖を非関税でアメリカに輸出することが可能になったため、ハワイの大規模コーヒー・プランテーションのほとんどがサトウキビに転作しました。しかし、傾斜した地形で溶岩の多いコナ地区でのサトウキビ栽培は現実的ではなかったため、コナ地区ではコーヒー栽培が生き残ることとなりました。

1890年、アメリカ合衆国でマッキンレー関税法(McKinley Tariff)が成立すると、ハワイからアメリカ合衆国に輸出される砂糖に再び関税が課せられるようになったため、ハワイの砂糖産業は不況に陥りました。

砂糖プランテーション間の競争の激化による労働者不足と西洋人が持ち込んだ疫病による人口の減少から、ハワイのプランター(プランテーション経営者)は世界各国から労働者を輸入するようになりました。ハワイには、1885年から1924年の間に14万人を超える日本人が労働者としてやってきました。

世界各国からやって来た労働者たちは、砂糖プランテーションで3年間の契約労働に従事していました。しかし、1898年のハワイ併合(United States Annexation of Hawaii)によって、アメリカ合衆国の法律がハワイにも適用されることとなったため、アメリカ合衆国同様にハワイにおいても契約労働が禁止されることになりました。契約期限が切れると、彼らの多くはコーヒーを栽培するためにコナ地区に移住しました。

1890年代にノース・コナ地区(North Kona District)でコーヒー栽培がブームとなり、コナ地区にポルトガル人と日本人が移住してきました。しかし、コーヒーの価格が下がり、砂糖プランテーションがより繁栄したため、コナ地区の大規模コーヒー・プランテーションは、3エーカーから5エーカー程度の小さな区画に分割され、労働者に貸し出されることとなりました。

彼らの多くは砂糖プランテーションで労働者として働き、副業として自らのコーヒー農園を営んでいました。しかし、コーヒー価格の低さから、ポルトガル人はコーヒーの耕作を放棄し、コーヒーを栽培するのはほとんどが日系人となりました。

19世紀から20世紀の変わり目に、すでにハワイ州の主要な島のすべてでコーヒーが栽培されていました。1930年代までには1,000を超える農園があり、1950年代には、コナ地区の6,000エーカーでコーヒーが栽培されていました。現在、ハワイ州全体で約700軒のコーヒー生産者がいると言われており、そのうち600軒の生産者がハワイ島でコーヒー生産を営んでいます。

What Is Kona Coffee And How Did It Come To Hawaii?:https://sprudge.com/what-is-kona-coffee-and-how-did-it-come-to-hawaii-178247.html

グリーンウェル農園

"A Proud Tradition at Greenwell Farms",GreenwellFarms 2013年8月22日.

グリーンウェル農園(Greenwell Farms)は、アメリカ合衆国(USA)(United States of America)ハワイ州(State of Hawai'i)ハワイ島(Island of Hawai'i)コナ地区(Kona District)に位置するハワイ・コナ最古のコーヒー農園です。「ザ・ハート・オブ・コナ(The Heart of Kona)」として知られている場所に位置しています。

現在グリーンウェル農園は、ヘンリー・ニコラス・グリーンウェルの孫であるノーマン・グリーンウェル(Norman Greenwell)とひ孫のトーマス・グリーンウェル(Thomas Greenwel)(または、トム・グリーンウェル(Tom Greenwell))に引き継がれています。

グリーンウェル農園はコナ地区で最も生産性の高い場所で、コーヒーの栽培と精製、観光所を運営しています。また、コナ・コーヒーを世界に輸出するために、コナ地区の農園から選ばれた400以上の農園からコーヒーチェリーを購入しています。

グリーンウェル農園は自社農園の他に、他の所有者の土地も管理しており、新しい農園開発を行っています。

農園観光

グリーンウェル農園では、月曜日から日曜日の午前9時00分から午後4時00分までフリー・ファーム・ツアー(Free Farm Tour)を提供しており、農園を観光することができます。

"COFFEE PRUNING - Tradition and Innovation",GreenwellFarms 2013年12月10日.

グリーンウェル農園の苗床では、アラビカ種とロブスタ種が植えられています。

ロブスタ種を台木にして、アラビカ種が接木されます。接木された苗は、農園に移植される前に約1年間苗床で育てられます。農園で栽培されてから3年目または4年目に最初の収穫があり、6年目または7年目で生産のピークを迎えます。

コナ・スノー

"Kona Snow | Seasons on the Farm",GreenwellFarms 2014年6月13日.

コナ地区のコーヒーノキは、1月から3月頃に一斉に真っ白な花を咲かせます。まるで農園一帯に雪が降ったかのように見えることから、「コナの雪」、「コナ・スノー(Kona Snow)」と呼ばれています。

コーヒーの花は、開花から2日から3日のうちには茶色に変色してしまうため、この非常に美しい光景も一瞬で消えてしまいます。花が咲いてコーヒーチェリーが完熟するまでに、約8ヶ月間かかります。コーヒーチェリーは、始めは緑色ですが、7ヶ月を過ぎると徐々に黄色からオレンジを経て、8ヶ月目にはルビー色に輝きます。

収穫

完熟したコーヒーチェリーは、手摘みで収穫し、精製します。コーヒーチェリーの外皮と果肉は乾燥させ、コナ・レッド(Kona Red)という抗酸化物質が豊富なウェルネス飲料を製造するために使用されます。

パーチメント・コーヒーを乾燥させ、しばらく保管した後、ドライ・ミル(Dry Mill)に送られます。そこでパーチメントを除去、スクリーン選別と比重選別し、グレーディング(等級分け)します。グリーンウェル農園で精製されたコーヒーは、すべてハワイ州農務局(HODA)(Hawaii Department of Agriculture)によって等級が検査されます。

シグネチャー・シリーズ

"OUR SIGNATURE SERIES - Experimentation and Varietals",GreenwellFarms 2013年12月10日.

トムは、グリーンウェル農園の3つの異なる標高に、「ジェニー・ケイ(Jeni K)」、「エリザベス・ジェイ(Elizabeth J)」、「マモ(Mamo)」という区画を作り、様々な品種を実験的に栽培しています。これらの区画で栽培されているコーヒーは、「シグネチャー・シリーズ(Signature Series)」と呼ばれています。

ジェニー・ケイは、トムの妻にちなんで名付けられた1番目のシグネチャー・シリーズです。エリザベス・ジェイは、トムの姉妹であるエリザベス・グリーンウェル(Elizabeth Greenwell)にちなんで名付けられた2番目のシグネチャー・シリーズです。マモは、グリーンウェル農園が開発したマモ(Mamo)という交配種が栽培されている区画です。

マモ(Mamo)は、マラゴジッペ(Marogogype)とモカ(Mokka)の交配種です。

このリリースは、ハワイ農業研究センター(HARC)(Hawaii Agriculture Research Center)の長井 千文(Chifumi Nagai)の研究成果に基づいて、約20年の歳月をかけて実現したものです。彼女は、1999年に育種プログラムを開始し、第一世代と第二世代の交配種を選抜しました。

この育種プログラムは、トムとハワイコーヒー協会(HCA)によって支援されてきました。グリーンウェル農園は、2009年に試験的に約30の交配種を植えました。品種の属性が観察した結果、マモを選択的に育種することを決定しました。

マモは、カカオ、わずかにスパイス、レーズン、チェリー、ブラックベリーのカップ・プロファイルが指摘されています。

ステートワイド・カッピング・コンペティション

ハワイコーヒー協会(HCA)(Hawaii Coffee Associacion)は、2009年からステートワイド・カッピング・コンペティション(STATEWIDE CUPPING COMPETITION)という品評会を開催しています。

グリーンウェル農園は、ステートワイド・カッピング・コンペティションにおいて、2009年に第11位に入賞、2011年にコナ地区の第1位に入賞、2013年にクリエイティブ・ディヴィジョン(Creative Division)で、F3 ハイブリッド(F3 Hybrid)が85.153点を獲得し第6位に入賞、ブルボン/ハワイアン・ティピカ/コナ・ティピカ(Bourbon/Hawaiian Typica/Kona Typica)が82.107点を獲得し第26位に入賞、コナ・ティピカ(Kona Typica)が81.250点を獲得し第38位に入賞、ディストリクト・ウイナーズ(District Winners)でコナ地区の第2位に入賞しました。

2014年にクリエイティブ・ディヴィジョンで、マラ・モカ・2R2(mara moka 2R2)のファーメンテーション(Fermentation)が85.1点を獲得し第10位に入賞、モカマラ・2R2(mokamara 2R2)のファーメンテーション(Fermentation)が83.4点を獲得し第13位、ジェニー・ケイ(Jeni‐K)のティピカ(Typica)のファーメンテーション(Fermentation)が83.2点を獲得し第16位、マラモカ・1R1(Maramoka 1R1)のファーメンテーション(Fermentation)が82.8点を獲得し第24位、3-グアテマラ・ティピカ、ハワイアン・ティピカ、レッド・ブルボン(3‐Guatemala typica, Hawaiian Typica Red Bourbon)のファーメンテーション(Fermentation)が82.7点を獲得し第25位、マカマル・1R1(makamaru 1R1)のファーメンテーション(Fermentation)が81.8点を獲得し第33位に入賞しました。

2015年にクリエイティブ・ディヴィジョンで、パカマラ(Pacamara)のファーメンテーション - スペシャル・プロセス(Fermentation - Special Process)が85.5点を獲得し第2位に入賞、ジェニー・ケイ(Jeni‐K)のファーメンテーション(Fermentation)が82.3点を獲得し第19位、パープラセンス(Purpurascens)のファーメンテーション(Fermentation)が82.3点を獲得し同第19位、コナ・ティピカ・コナワエナ(Kona Typica Konawaena)のファーメンテーション(Fermentation)が82.2点を獲得し第23位、マラモカ(Maramoka)のファーメンテーション(Fermentation)が82.0点を獲得し第28位、パカマラ(Pacamara)のウェット・ファーメンテーション(Wet Fermentation)が80.8点を獲得し第46位に入賞、ディストリクト・ウイナーズでコナ地区の第2位に入賞しました。

2016年にクリエイティブ・ディヴィジョンで、エリザベス・ジェイ(Elizabeth J)シリーズのパカマラ(Pacamara)のファーメンテーション(Fermentation)が84.8点を獲得し第1位に入賞、ディストリクト・ウイナーズでコナ地区の第1位に入賞、コナ地区の最高品質のコーヒーとして、ディストリクト・アワード・ディビジョン(District Award Division)を受賞しました。クリエイティブ・ディヴィジョンで、パカマラ・ティピカ・ブレンド(Pacamara Typica blend)のファーメンテーション(Fermentation)が83.8点を獲得し第6位、コナ・ティピカ-コナワエナ(Kona Typica‐Konawaena)のファーメンテーション(Fermentation)が82.1点を獲得し第27位、ジェニー・ケイ(Jeni‐K)のファーメンテーション(Fermentation)が81.6点を獲得し第41位、グアテマラン/ティピカ/ブルボンの混合(Guatemalan / Typica / Bourbon mix)のファーメンテーション(Fermentation)が80.9点を獲得し第47位に入賞しました。

2017年にクリエイティブ・ディヴィジョンで、アラビカ種のイースト・ファーメンテーション(Yeast Fermentation)が83.18点を獲得し第14位、コナ・ティピカ-コナワエナ(Kona Typica - Konawaena)のファーメンテーション(Fermentation)が82.80点を獲得し第23位、アラビカ種のファーメンテーション(Fermentation)が82.56点を獲得し第28位、マモ(Mamo)のファーメンテーション(Fermentation)が82.31点を獲得し第34位に入賞しました。

2018年にジェニー・ケイ(Jeni-K)のイースト・ファーメンテーション(Yeast Fermentation)が85.25点を獲得し第2位、パカマラ(Pacamara)のウェット・ファーメンテーション(Wet Fermented)が84.42点を獲得し第5位に入賞、マモ(Mamo)のウェット・ファーメンテーション(Wet Fermented)が82.92点を獲得、マモ(Mamo)のイースト・ファーメンテーション(Yeast Fermentation)が81.95点を獲得、ティピカ(Typica)のウェット・ファーメンテーション(Wet Fermented)が81.90点を獲得デ、ィストリクト・ウイナーズでコナ地区の第2位に入賞しました。

2019年に、ゲイシャ(Geisha)のウォッシュト(Washed)が85.280点を獲得し第1位、K7のウォッシュト(Washed)が84.345点を獲得、ジェニー・ケイ(Jenny K)のウォッシュト(Washed)が83.035点を獲得、マモ(Mamo)のウォッシュト(Washed)が82.880点を獲得、ディストリクト・ウイナーズでコナ地区の第1位に輝きました。

コピコ農園

トムは、彼のいとこであるユージーン・クラップ(Eugene Clapp)とその一家とともに、新しいプロジェクトに着手しました。これは1800年代後半に、砂糖と牛の生産に使用された200エーカーのコピコ農園(Kopiko Farms)の土地を、コナ・コーヒーの生産に切り換え、グリーンウェル農園のコナ・コーヒーのより多様で安定した供給を目的としたものです。

グリーンウェル農園の土地の大部分は、トムと彼の父親のノーマンの共同で開発されましたが、これはトム主導のプロジェクトです。

コピコ農園の土地は、2,600フィート(約800m)から2,800フィート(約850m)と、ハワイ・コナでは非常に高地に位置しており、気温が低く、朝の日差しが強いため、フレーバーが明るく大胆に開き、酸味が加わります。コーヒーの主な収穫時期は、9月から5月です。これは、コナ地区の主な収穫時期である8月から1月とは異なっています。

コピコ農園では、6種類の品種が栽培されており、2019年にはゲイシャを含む3品種が販売されました。

There are currently six different exotic and traditional varietals growing, three of which will be available for customers this calendar year! The first, Geisha, is a high-end, very aromatic and floral cup of coffee.

"Tom Greenwell Spills The Beans On New Premium Kona Coffee Varieties From Kopiko Farms",GREENWELL FARMS 2019年6月19日.

グリーンウェル農園 Greenwell Farms:https://real-coffee.net/category/coffee-origin/north-america/usa/state-of-hawaii/island-of-hawaii/kona/greenwell-farms

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