M・R・オコナー『絶滅できない動物たち』のキハンシヒキガエルとタンザニア キハンシエンシス種
M・R・オコナー『絶滅できない動物たち』のキハンシヒキガエルとタンザニア キハンシエンシス種
到着してすぐに、ハウエルはよく茂っている湿った植生に手を突っ込んで1匹のカエルを引っぱり出した。「『黄色いカエルだ。新種に違いない』と言ったんだ。みんなで何度も見た。わたしはオフィスに持ちかえって顕微鏡で詳しく観察した。これは絶対新種だと思った。タンザニアにいるほかの種は全部知っていたからね」
世界銀行が融資したダムの完成が近づくにつれて、カエルが被る影響が生物学者チームに明確になった。「すぐにわかったよ。すぐにね」とハウエル。「このカエルは絶滅する」
M・R・オコナー(2018)『絶滅できない動物たち』,ダイヤモンド社,p.13
キム・ハウエル(Kim Howell)をはじめとする生物学社のキハンシ調査チームは、タンザニアの東アーク山脈(Eastern Arc Mountains)の滝で、キハンシヒキガエル(Kihansi spray toad (Nectophrynoides asperginis) )という黄色い新種のカエルを発見した。このヒキガエルは、滝の轟音のなかで互いの声が聞こえるように、内耳で超音波を感知できる独自の聴覚コミュニケーションを発達させていた。
「東アーク(Eastern Arc)」という名前は、ジョン・ラベット(Jon C. Lovett)がこの場所の豊かな生物多様性と植生を踏まえて名付けたものである。キハンシヒキガエルが発見されたキハンシ川峡谷(Kihansi River Gorge)は、東アーク山脈の一部であるウデューングワ山脈(Udzungwa Mountains)にある。
東アーク山脈は、ときにアフリカの「ガラパゴス諸島」と呼ばれる。13か所もの山の「島」があるからだ。それぞれに固有の種と生息地があるが、いずれも元は同じ地質学的イベントと気候に属している。これらの「島」は、孤立していたおかげで、それぞれ自然選択の実験場となっており、世界に類を見ない独特の種の軌跡と固有性が生まれた。生物学者は現在、東アーク山脈で脊椎動物を96種、植物の固有種を800種以上(アフリカンヴァイオレットだけでも31種)記録している。気候が安定していることも絶滅率の低さに寄与したのかも知れない。
M・R・オコナー(2018)『絶滅できない動物たち』,ダイヤモンド社,p.5
キハンシ川渓谷では、キハンシヒキガエルの他にも、新種のコーヒーノキが発見されている。
キハンシ川渓谷は、1984年頃に水力発電プロジェクトの候補地となり、1999年にこのプロジェクトは完成した。このプロジェクトは、川の流れの90%以上を迂回させ、水しぶきに依存した生態系を劇的に変化させたため、この峡谷に固有の多くの動植物を脅かした。2001年に水しぶきが失われることで脅かされる種のモニタリングが開始され、このときに新種のキハンシエンシス種(Coffea kihansiensis)が発見された。この種の生息域は、滝の水しぶきによって形成された標高775mから950mの約17ヘクタールしかなかった。
キハンシエンシス種は、アーロン・デービス(Aaron Davis)による2006年のコフェア属の分類では、Eグレードに分類されている。
Eクレード (East clade, EAクレード)
Eクレードは東リフトバレー以東の東アフリカ地域に広がり、その大部分はケニアとの国境付近を含むタンザニアより南の地域に見られる。この地域には大陸中央部やタンザニア内陸部の標高が高い地帯と海岸沿いの標高が低い地帯、多雨地帯と乾期のある地帯とが含まれ、生息するCoffea属もこれらのそれぞれ地帯に適応しており、他のクレードと比較してバリエーションに富んでいるとも言える(下図参照)。1982年からBridsonがタンザニアで行った研究調査から、タンザニアでの種の記載が多い。Bridsonの調査では当初Coffea 'sp. A'からCoffea 'sp. K'という仮称が与えられており、論文によってはこの表記をそのまま採用している場合がある。
「コーヒーノキ属に含まれる種のリスト」,百珈苑
キハンシヒキガエルは、2003年頃に野生下では絶滅した。この絶滅は、カエルツボカビ症(B. dendrobatidis)が最もありそうな原因として考えられている。
キハンシエンシス種は、2000年から2003年に行われた現地観察では、害虫の侵入が見られなかったが、近年の調査では、サンプルにされたコーヒーノキの半数以上に、害虫または心材を食い破る虫の幼虫が発生していた。最も酷い被害があったのは、つねに水しぶきを受けていた川に近い場所であったため、温度の上昇と湿度の低下によるストレスが、これら害虫の影響を受けやすくしていると考えられる。
水力発電プロジェクトによる生態系の劇的な変化が、害虫の増加に適した環境を生んでいる可能性があり、果実を啄む鳥が減少したことにより、種子散布に悪影響を与えている可能性がある。また、水量の減少は水質にも変化を与えているが、これらの変化が土壌や栄養分の動態、コーヒーに与える長期的な影響はまだわかっていない。
水力発電プロジェクトとキハンシヒキガエルの保護は、ともに世界銀行が資金を提供しているプロジェクトである。世界銀行は当初、キハンシヒキガエルの保護には乗り気ではなかったが、環境保護団体の指摘により態度を一変させた。
水力発電所の建設プロジェクトは着々と進んでいた。ところがあるとき、世界銀行の態度が一変した。1999年11月、当時の総裁ジェームズ・ウォルフェンソンのもとに環境保護団体のフレンズ・オブ・ジ・アースから手紙が届いた。誰かがこの団体にキハンシヒキガエルの話を密告したのだ。フレンズ・オブ・ジ・アースは、世界銀行は自行の環境方針に違反すれすれだと指摘した。こんなことが世間に知れたら悪夢以外の何ものでもない。キハンシヒキガエルの保護は、世界銀行にとって突如、重要事項となった。
M・R・オコナー(2018)『絶滅できない動物たち』,ダイヤモンド社,p.28-29
キハンシヒキガエルはその後、滅菌環境にあるテラリウムのなかで、人工噴霧システムで水分を保たれ、特別に飼育された虫を与えられながら何とか生き永らえ、野生に戻すことが試みられた。世界銀行は、滝からの水しぶきを模倣して設計された、精巧な重力式スプリンクラー・システムに資金を提供したが、少なくとも一度は沈泥による目詰まりで故障した。植生が大きく変化してしまった環境に、実験室の人工的な環境に適応したカエルを戻すことができるのかは不明であるが、そもそもそれは「自然」なのだろうか?
電力供給もままならず、多くの人々が困窮するタンザニアで、ヒキガエル保護のために莫大の資金を費やすことには、生物多様性の保護と貧困撲滅の利益相反が存在する。しかし、保護と開発が必ずしも相反するわけではない。そもそもキハンシ調査チームがこの滝にたどり着くことができたのは、ダム建設で道が整備されたためである。
「あのヒキガエルを見つけていなければよかったと、何度も言ったよ」。キハンシヒキガエルを飼育下繁殖のために移動したので、世界銀行はダム建設工事を続けることができ、結果的に生態系全体の調和を破壊した。「東アーク山脈のどんな開発プロジェクトでも、固有種の消失は避けて通れない」とハウエルは予見する。「無脊椎動物はもう諦めたほうがいい。ヤスデに関する著作で、わたしはすべての山には固有の動物相があると書いた。森にもそれぞれ固有の動物相があるだろう......ここで暮らして40年になるが、キハンシのようなケースはこれからもっと増えるに違いない」
M・R・オコナー(2018)『絶滅できない動物たち』,ダイヤモンド社,p.47
自然は発見されることがなければ保護されることがない。キハンシエンシス種もまた、キハンシヒキガエルと同様に発見され保護された。しかし、キハンシエンシス種がキハンシヒキガエルと同じ位置にあると考えることはできない。なぜなら、コーヒーで問題になるのは保護ではなく開発だからである。
<参考>
Maura R. O’Connor"The Toad",GUERNICA<https://www.guernicamag.com/oconnor_11_15_10/>
"Endemic Tanzanian coffee threatened by dam",Coffee & Conservation<https://www.coffeehabitat.com/2011/10/tanzanian-coffee-threatened/>
「コーヒーは救われるべきなのか。 ~日経サイエンス4月号発売記念~」,togetter<https://togetter.com/li/788417>