以下、ニール・ラッシュ(Neil Rusch)『セントヘレナ 忘れられたコーヒー』(St. Helena: The Forgotten Coffee..)の日本語訳である。
"St. Helena: The Forgotten Coffee.." The Free Library. 2001 Lockwood Trade Journal Co., Inc. 29 Jan. 2024 https://www.thefreelibrary.com/St.+Helena%3a+The+Forgotten+Coffee.-a074942275
ニール・ラッシュ『セントヘレナ 忘れられたコーヒー』
セントヘレナ 忘れられたコーヒー
世界で最も高級なコーヒーは、アフリカとアメリカの中間、南回帰線の真上に位置する南大西洋のセントヘレナ島で生産される。生産量は少なく(年間わずか約12トン)、需要は高く、品質は格別である。
1816年にナポレオン・ボナパルトがこの島に亡命していなければ、セントヘレナの存在も、島のコーヒーも、おそらくほとんど知られないままだっただろう。皇帝のおかげで、セントヘレナのコーヒーはパリで注目されるようになり、監禁中のナポレオンが賞賛したことで、一時的に流行した。ナポレオンの忠実な援助者であったベルトラン元帥は、ナポレオンが亡くなる4日前にこう報告している。「あれほど畏敬の念を抱かせたこの男が……今になってスプーン一杯のコーヒーを欲しがっている姿を見て、私の目には涙が浮かんできた」
イギリス東インド会社の記録によると、1732年にイエメンからコーヒーが持ち込まれた。最初の種は、紅海のモカ港から、東インド諸島で積荷を引き受けた後、南東の貿易風ルートを通ってヨーロッパに戻る途中、満員の東インド会社の船ホートン号に乗ってやってきた。
ナポレオンが推薦した以外にも、セントヘレナのコーヒーは断続的に評価された。1839年、ロンドンのコーヒー商、Wm・バーニー商会(Wm Burnie & Co.)は、「セントヘレナから受け取ったコーヒーのサンプルを貿易業者に提出したところ、彼らはそれを鑑定し、非常に優れた品質と風味であると認めた」と述べている。
その後、セントヘレナのコーヒーはロンドン市場のトップに躍り出、1845年には他のどのコーヒーよりも高い価格を付け、世界で最も高価で高級なコーヒーとなった。これらのことは、島コーヒーがその姿を消してしまうのを防ぐにはほとんど役立たず、長い間、この小さな火山島で自生していたようだ。
セントヘレナのコーヒーが再び世界市場ーただし一度だけーに登場したのは、ここ15年ほどのことだ。当時、コーヒー・グラウンド農園(Coffee Ground Estate)とGW アレキサンダー農園(GW Alexander Estate)として知られていたこの島の農園で生産されたコーヒーは、1851年にロンドンで開催された万国博覧会に出品され、名誉ある賞を受賞した。その後、記録は曖昧になり、このコーヒーは世界から忘れ去られてしまったようだ。それには帆船時代の終焉によるアクセスの悪さが大きく関係している。現在でも島に行くには船しかない。
セントヘレナ・コーヒー・カンパニー・アイランド(The Island of St. Helena Coffee Company)の最高経営責任者であるデビッド・ヘンリー(David Henry)は、「私たちがアレキサンダー農園で仕事を始めた頃は、ほとんどジャングでした」と言う。現在では、30~40フィートの高さの原木もある!古いコーヒーの多くは、サンディ・ベイと呼ばれる島の地域で栽培されている。サンディ・ベイは、海抜2,000フィートにそびえる壮大な火山クレーターの残り3分の1に囲まれている。
ヘンリーは数年をかけて東インド会社の記録を掘り下げ、アーカイブの記述を調査した。「250年前にここでコーヒーが植えられていたという記録に出くわしました。そこで私たちは谷に分け入りました。野生のコーヒー畑を発見したんです。土地を確保し、野生の木を再生させるのに何年もかかりました」。
一度しかないコーヒーの試飲会で、ヘンリーは彼が朝食とイブニング・ローストと呼ぶものを用意した。これらをエスプレッソとフィルターの両方でカッピングしてくれた。ブルーベリーやダークチョコレートを含む熟した果実のバランスがとれた、ふくよかで複雑なアロマを持つコーヒーだ。酸味はミディアムからハイ、フルボディだ。セントヘレナのカップは、地理的にはアフリカと新世界の間に位置する。イエメンを起源とする明確なヒントがあるが、新世界の明るさとクリーンさがある。全体として、フルーツ・チョコレートとスパイスが見事にブレンドされた、ふくよかで複雑なコーヒーだ。
広大な大西洋を見渡すベランダに座っていたあの思い出深い晩のように、セントヘレナのコーヒーを発見し楽しむことは、この島のコーヒーの並外れた背景を考えると、まさに時代錯誤に出くわしたことになる。新しい木が植えられたのは1994年とごく最近のことで、主に販売用の苗木か、野生の木から取った小兵が植えられた。
このコーヒーの発見、復活、そして固有の品質は、269年前にこの島に輸入されたグリーン・チップド・ブルボン・アラビカという古い品種のコーヒーノキが、すべてひとつの源から受け継がれているという事実に、ほとんどすべてを負っている。ナポレオンさえ脱出できなかったこの島の要塞に隔離されたことで、純粋な伝統が保たれている。一般的に今日、世界のコーヒー生産量は数種類のアラビカ種で構成されているが、その多くは風や害虫に強く、収量が多くなるように開発された新品種である。
予想外の驚きは、セントヘレナのコーヒーがエスプレッソとしていかに優れているかということだ。ほとんどのグルメ・コーヒーはエスプレッソに適しておらず、その結果、ほとんどのエスプレッソ・コーヒーはブレンドされている。それに対してセントヘレナのコーヒーは、イタリアの焙煎業者やカッパーからエスプレッソとしての性能を絶賛するポジティブなフィードバックを受けている。なぜそうなのか、100%確かな理由は誰にもわからないようだ。しかし、推測によると、このコーヒーは単一の系統に由来するため、豆の細胞構造が極めて均一で、(エスプレッソのプロセスにおいて)圧力下でもよく反応するのだという。
セントヘレナのコーヒーにはもうひとつ癖があることを、知らない人は知っておくべきだ。非常に繊細な豆なので、ダメージを受けやすいのだ。例えば、焙煎が厄介な豆で、焙煎の後半にデベロップし、その後非常に早くデベロップする。
セントヘレナコーヒーの品質は?セントヘレナの豆に支払われる現金の額では、これを上回るものはない。70年以上にわたってグルメ・コーヒー・シーンを支配してきたジャマイカ・ブルーマウンテンでさえもだ。昨年、ハロッズでセントヘレナ・グリーン・チップド・ブルボン・アラビカを17グラム買うと、4.74ポンドだった。セントヘレナのコーヒーの小売価格は、送料込みでハーフポンドあたり22ドルだ。ケニア、ハワイ、ジャマイカ、そして最近ではガラパゴスのコーヒーが、真のグルメ・コーヒーの希少な地位を占めているが、セントヘレナのコーヒーもまた、その最高級品と肩を並べている。
「1,000人にセントヘレナのコーヒーを知っているか聞いても、知らないと答えるでしょう。10,000人に聞けば、イエスと答える人がいるかもしれません」とヘンリーは言う。
島の生産量の98%を占めるセントヘレナ・コーヒー・カンパニーが生産するコーヒーの全体的な規模は極小である。同社は現在6つの農園を所有している。ヘンリーが1994年に始めたころの年間生産量は1.5トンだったという。「今はその4倍です。私は今後6、7年間、毎年20%ずつ生産量を増やし、最終的には25~30トン程度を生産したいと考えています。一番近い競争相手のジャマイカ・ブルーマウンテンは、1,000トン近く生産しています」。
ブラジルやコロンビアといった国々の国内総生産は、コーヒーに大きく依存している。相対的に言えば、セントヘレナのコーヒーも同様の輸出潜在力を持っている。長期的には75トンが目標だが、そのためにはさらなる設備投資が必要となる。「重要なのは常に品質です。コーヒーは長期的なもので、ブレイクは7、8年後にやってきます」とヘンリーは言う。
セントヘレナのコーヒー復興が始まった当初、島のコーヒー輸出国としての見込みはゼロだった。セントヘレナは英国の海外領土であり、国際コーヒー協定の不利な立場にあった。その複雑さを知らなかったヘンリーは、セントヘレナをコーヒー輸出国として認めるよう、規則を変更させるための運動に乗り出した。
「官僚主義の壁にぶつかりました」とヘンリーは振り返る。「コーヒーの世界貿易は、石油と同じような方法で管理されています。ほとんどの人は、コーヒーが石油に次ぐ世界最大の商品であることを知らないのです」 英国熱帯食品局、農水省、国際コーヒー機関、国連の支援があって初めて、島の地位が変更された。「承認はかなり早く下りました」とヘンリーは回想する。「約2年以内でした!」と。
そこで1994年、コーヒー・カンパニーは既存の農園の再生に乗り出した。「当時、スタッグズ・ヘッド・のコーヒー・グラウンドには5~6エーカーのコーヒー畑がありました。樹齢は40年ほどで、ジャングルの中にありました。二次剪定もしましたが、当時はコーヒーの唯一の供給源だったので、大きな剪定はできませんでした」。
それ以来、ナポレオンズ・ヴァレー農園(Napoleon's Valley Estate)とブルーマンズ農園(Blue-mans Estate)という3つの新しいコーヒー・エリアが開発された。マウント・エクトン農園(Mount Aecton Estate)は、島の中央の尾根のすぐ下、海抜2,700フィートに位置し、昨年コーヒーの初収穫を行った。
各農園は、島の異なる場所と標高に位置し、それぞれが独自の微気候を持っている。そのため、収穫期間はおよそ8ヶ月に及ぶ。最適なレッドチェリーだけが毎週、時には週に2回収穫される。すべてのコーヒーは、まず手作業で選別された後、パルピングされ、島の山頂から湧き出る湧き水を使って別々にウェット・プロセスされ、2段階の発酵の後、温度管理された水中でソーキングが行われる。すべてのコーヒーは、自然換気の屋根の下、吊り下げ式のトレーで段階的に乾燥される。各農園のコーヒーは個別に袋詰めされる。
「コーヒーの段階的な乾燥が終わると」ヘンリーは言う。「それからしばらく休ませ、安定させます。どんなコーヒーでも、乾燥後に湿気を吸うと死んでしまいます。その点には細心の注意を払っています。手作業で選別し、サイズのグレードをつける前に、コーヒーをパーチメントにしておきます」。
コーヒーはロマンチックに聞こえる、とヘンリーは認める、が、コーヒーの仕事はハードで肉体労働だ。製品に情熱を傾けることが、最終的には重要なのだ。
セントヘレナ・コーヒー・カンパニー・アイランドは、www.sthelena-coffee.sh。生豆の販売だけでなく、直接注文もオンラインでできる。配送は、島からの発送スケジュールによる。