以下、ノーマ・ベンギアット(Norma Benghiat)の『世界最高峰:ジャマイカ ブルーマウンテン コーヒー』(原題:The Worlds's Finest: Jamaica Blue Mountain Coffee)の中の「ジャマイカ コーヒー物語(The Jamaican Coffee Story)」の日本語訳である。
ノーマ・ベンギアット『世界最高峰:ジャマイカ ブルーマウンテン コーヒー』(3) 奴隷解放とコーヒー産業公社
奴隷解放後
1799年には、686のコーヒー農園があり、30,000エーカーが耕作されていた。1847年、フリージャマイカ誌(Free Jamaica)に寄稿したダグラス・ホール(Douglas Hall)によると、「奴隷解放後465のコーヒー農園が放棄され、農園は解体された」。
小規模農家がコーヒー栽培を引き継いだ。しかし、コーヒーを適切に精製するための資金や設備が不足し、コーヒーの品質が低下した。1942年までには、30,000軒の農家の90%が1エーカーから25エーカーを所有していた。しかし、総生産量は5,305,300ポンドと惨憺たるものであった。D・モリス(D. Morris)(1887)はこう書いた「コーヒー農家とコーヒー商人がジャマイカ産コーヒーの一般的な特徴を改善し、維持するために何かをしない限り、ジャマイカ産コーヒーの名前と世界の市場における地位は、やがて大きく損なわれてしまうだろう」。
第二次世界大戦中と戦後は、価格の低迷とバナナ産業の成長に対応するため、コーヒーの生産量は最低を記録した。1944年1月25日付の書簡で、当時の西インド諸島農業監察官A・J・ウェイクフィールド(A.J. Wakefield)はこう述べている:現在、コーヒー栽培の大部分は放置されている状態であり、同時にマンチェスターの上部と下部には、コーヒー栽培の拡大に適した地域がいくつか存在する。特にクリスティアナ地域では、以前バナナを栽培していた地域がパナマ病の蔓延により栽培に適さなくなっている。さび病でピメントが全滅した地域では、コーヒーがピメントに取って代わるはずである。
コーヒー産業公社
1945年、ウェイクフィールドの報告書「ジャマイカにおけるコーヒー産業の復興(The Rehabilitation of the Coffee Industry in Jamaica)」は、ジャマイカコーヒー公社(Jamaica Coffee Board)の設立の基礎となった。1948年に制定されたコーヒー産業規制法(Coffee Industry Regulation Law)に基づき、1950年にコーヒー産業を規制し、コーヒーの精製と販売を請け負う広範な権限を持つコーヒー公社が設立された。
1945年から1954年にかけて300万本の苗木が配布されたにもかかわらず、1950年代までにコーヒーの生産量こそ伸びなかったものの、品質が著しく向上した。精製はコーヒー産地に設置された中央果肉除去工場で行われ、9工場がコーヒー公社、3工場が民営であった。しかし、最終的な精製と等級付けはキングストンにある中央工場で行われた。1960年までに、コーヒー公社の独占はコーヒー焙煎業者へのライセンス発行にまで拡大し、 すべてのコーヒーの供給は公社を通じて行わなければならないと規定された。
1970年代には、ジャマイカ産コーヒーの販売は、伝統的なイギリス市場から大きく転換し、特にジャマイカ・ブルーマウンテン®は全生産量の約10%を占めるまでになった。日本のコーヒー輸入業者は、ジャマイカ・ブルーマウンテン®を長期的に購入するようになり、世界市場よりもはるかに良い価格を支払うようになった。ジャマイカ・ブルーマウンテン®コーヒーの90%、低地コーヒーのほぼ同じ割合が日本に販売された。1974年に日本最大の商社の一つであるアタカ・アンド・カンパニー(Ataka and Company)が2回融資したのを皮切りに、コーヒーの拡張と復興のためにー特に1988年のハリケーンの後ー、公社は長年にわたって日本から融資を受けてきた。日本人はまた、島のコーヒー栽培にも関与している。
規制緩和
1950年の設立以来、コーヒー公社はジャマイカ産コーヒーの売買を独占してきた。これは、コーヒーが適切に処理され、等級付けされ、国際基準に沿って検査され、国内外への販売がすべて公社を通じて行われることを保証するためのものだった。この方法は、低地のコーヒーとジャマイカ・ブルーマウンテン®コーヒーの両方において、ハイグレードコーヒーの生産に大きな成功を収めたが、生産量は依然として少なかった。
生産量を刺激するため、1983年にコーヒー産業は規制緩和された。政府のコーヒーに関する政策文書にはこう記されている:
生産者の生産量の増加(1980/81 年産を基準年として)は、ジャマイカの伝統的な市場を混乱させることではなく、輸出生産量の増加と生産者への利益還元、そして外貨収入の最大化を意図しているため、コーヒー産業の規制緩和においてCIBが最も考慮することであるだろう。
「認定生産者」(年間最低10,000箱のコーヒーチェリーを生産する生産者)には、ライセンスが与えられる。この生産量は理事会によって認証される。ライセンスを受けた生産者は、自らのコーヒーを販売するだけでなく、輸出用のコーヒーを購入することができる。ただし、購入する農園と産地、精製・販売方法を指定する必要がある。コーヒーの精製が規制緩和されたことで、「コーヒーチェリーをパーチメントや生豆に精製するための適切な設備が確立されていることを公社に納得させる」ことを条件に、認定生産者が自身のコーヒーを精製することを申請できるようになった。
また、公社は、「コーヒーの国内販売と輸出に関して公社が定めた条件を満たすことができれば」、コーヒーの国内販売と輸出を行う認定生産者の販売ライセンスを認定する。品質維持のため、公社は次のように述べている:「認定精製業者は、輸出許可証に輸出品が輸出可能な品質であることを証明する裏書が公社から発行される前に、各輸出品を公社の品質管理検査官による検査を受けなければならない」。
2004年8月1日、コーヒー公社は2つの組織に分離され、それぞれが別々の機能を担うことになった。コーヒー産業公社は規制機関となり、ウォーレンフォード・コーヒー・カンパニー・リミテッド(Wallenford Coffee Company Limited)は商業活動と関連資産を引き継いだ。そのため、コーヒー産業公社は、果肉除去工場や精製・等級付け工場を所有しなくなった。