讃喫茶室 尾山台:パナマ ハートマン農園 カツーラ

讃喫茶室 尾山台のパナマ ハートマン農園 カツーラです。讃喫茶室 尾山台は、2018年に開業した東京都世田谷区の尾山台駅近くにある自家焙煎珈琲店です。兵庫県宝塚市の自家焙煎珈琲店 讃喫茶室の姉妹店です。代表は浅野嘉之氏、店主は泰圓澄氏です。

代表の浅野氏については、以下の記事を参照してください。

パナマ ハートマン農園 カツーラ

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パナマ

パナマ(Panama)は中米で最も南アメリカ大陸の近くに位置し、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境であるパナマ地峡を形成しています。西はコスタリカ、東はコロンビアに接し、北はカリブ海、南は太平洋に面しています。

パナマは紀元前1300年以前にはすでに先住民が生活していたと考えられています。パナマ中部や西部のチリキ県から金製品や彩色土器などが出土しているため、パナマにはオルメカ、マヤ、アステカなどの大規模な遺跡文明はありませんでしたが、これらを使用する先住民文化は存在していた考えられています。 1492年のコロンブスの新大陸発見後、パナマもスペインによって植民地化されます。1519年に現在の首都であるパナマシティ(パナマ市)が設立されると、ここがスペイン本国との船の拠点として繁栄しました。

17世紀-18世紀になるとヨーロッパでのコーヒー飲用が本格化したのに伴い、オランダやフランスの植民地でコーヒー栽培が始まり、グアテマラ、コスタリカ、メキシコなど中央アメリカにも18世紀後半にコーヒーが伝わりました。

パナマのコーヒーの栽培の歴史は、19世紀後半にコスタリカ国境に近いパナマ西部チリキ県(Chiriquí Province)に移住したヨーロッパ移民によって始まりました。チリキ(Chiriquí)という言葉は、かつてこの地域に住んでいた先住民族の言葉で「月の谷」を意味します。

パナマのコーヒーの栽培は、チリキ県のボケテ地区(Boquete)、ボルカン地区(Volcán)、レナシミエント地区(Renacimiento)で行われます。

チリキ県のコーヒー生産地区の中で、ボケテ地区がコーヒー栽培の最も古い歴史を持っており、最も有名な地区です。ボケテ地区では、バル火山(Volcán Barú)周辺を中心にコーヒー生産が行われています。

ハートマン農園(Finca Hartmann)のあるレナシミエント地区は、これらの地区で最も人里離れた西部に位置しており、コーヒー生産地としてはあまり知られていない地区です。ハートマン農園を創業したラティボール・ハートマン・シニア(Ratibor Hartmann Sr.)氏の父親であるアロイス・ストラシル・ハートマン(Alois Strasil Hartmann)氏は、この地区で最初にコーヒー栽培を始めた人物の1人です。

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ハートマン農園

ハートマン農園、CoffeeCoursesより

パナマ ハートマン農園(Finca Hartmann)は、チリキ県レナシミエント(Renacimiento)地区サンタ・クララ(Santa Clara)にある農園です。ハートマン農園はハートマン家が運営している家族経営の農園で、パナマ西部ボケテ地区のさらに西に位置するコスタリカの国境地帯の山奥に位置しています。

ハートマン農園は、サンタ・クララ・フィンカ・ハートマン(Santa Clara Finca Hartmann)またはパロ・ベルデ(Palo Verde)とオホ・デ・アグア(Ojo de Agua)の2つの農園で構成されています。標高1,300m-2,000mの高地に位置しており、コスタリカとパナマにまたがるラ・アミスタッド国際公園 (Parque internacional La Amistad)に隣接しています。

ハートマン農園の歴史

1912年のアロイス・ハートマン

アロイス・ハートマン

ハートマン農園は、1940年に2代目ハートマン、ラティボール・ハートマン・シニア(Ratibor Hartmann Sr.)氏によって創業されました。彼はドイツ移民の娘であるスサナ・トロエチ(Susana Troetsch)女史と、1891年にモラヴィアで生まれ、パナマに移住したアロイス・ストラシル・ハートマン(Alois Strasil Hartmann)氏の長男です。

アロイス・ハートマン氏は1891年6月20日、オーストリア=ハンガリー帝国のモラビア(現在のチェコ共和国)に生まれました。1907年12月23日にニューヨークにやってきた彼は、1911年からエクアドル、南米を旅し、1912年にパナマにやってきました。

第一次世界大戦中の1918年4月28日、彼はパナマの他のヨーロッパ移民たちとともに、捕虜としてエリス島(Ellis Island)に移送されました。

アロイス氏は、1920年にドイツ移民の娘として生まれたスサナ・トロエチ女史と結婚しました。彼はボルカンの町の最初の住人となり、ランドバーグ(Mr. Landberg)という人物の所有していた2000頭の牛と1000頭のロバの管理を担当しました。

彼はその後4年間、ボケテ地区のホテル・パナモンテ(Panamonte Hotel)で働いた後、再びボルカン地区に戻りコーヒー農園を始めました。彼は自らの農園を 、先住民族であるノベ・ブグレ(Ngäbe-Buglé (Guaymi))族の言葉で「星の鉱山」を意味する「ティジンガル(Tizingal)」と名付けました。

1931年のアロイス・ハートマンと子供たち

アロイス氏はこの農園を売却し、ボルカン地区の北部、ヌエバ・カリフォルニア(Nueva California)のシージャ・デ・パンド(La Silla de Pando)に移り、コーヒー栽培を始めました。彼の最初の妻スサナは11番目の子供を妊娠中に亡くなりました。

彼はこの農園も売却し、シージャ・デ・パンドの西部、サンタ・クララ(Santa Clara)の町に移住し、この地区で最初のコーヒー農家となりました。彼はここで再婚し、4人の子供が生まれました。

ダニエル・ブーン、Wikipediaより

アロイス氏はこの地区とパナマの考古学的知識を持っていたため、1950年にナショナル ジオグラフィック(National Geographic)誌に協力を依頼されました。

ナショナル ジオグラフィック誌は1950年2月号の"Exploring Ancient Panama by Helicopter"において、彼のことをアメリカ合衆国の開拓者であるダニエル・ブーンに喩えて、「パナマのダニエル・ブーン(the Daniel Boone of Panama)」と呼んでいます。

アロイス氏は、1970年5月25日に78才で亡くなりました。

ラティボール・ハートマン・シニア

アロイス氏はこの地区でパナマ政府から500ヘクタールの土地を購入し、そのうち100ヘクタールを息子の1人であるラティボール・ハートマン・シニア氏(Ratibor Hartmann Sr.)に与えました。

ラティボール・シニア氏は父親のコーヒー栽培への情熱を受けて、1940年に現在ハートマン農園として知られている農園を始めました。 彼はこの人里離れた土地の、深い森の木陰の下でコーヒーの栽培をはじめました。彼は他の人々から、ここではコーヒー栽培がうまくいくはずがないという忠告を受けましたが、彼は自分が正しいと信じて、計画を続けました。

ラティボール・シニア氏は1966年にコスタリカ出身のディノーラ・ハートマン(Dinorah Sandi)女史と結婚し、ラティボール・ジュニア(Ratibor Jr)、アラン(Allan)、アレクサンダー(Alexander)、アリス(Aliss)、ケリー(Kelly)の5人の子供に恵まれました。

彼らの5人の子供たちは、幼い頃から農作業に積極的に参加しました。彼らは良い教育を受け、他の仕事に就く選択肢もありましたが、最終的にハートマン農園で働くことを選びました。彼らの生まれ故郷への愛、そして強い絆で結ばれた家族の思い出と共有された経験が、彼らを家族の農園へと呼び戻したのです。

ラティボール・シニア氏は現在引退していますが、妻のディノーラ・ハートマン(Dinorah Sandi de Hartmann)は観光活動の理事会メンバーです。

ラティーボール氏の5人の子供のうち、4人の兄弟姉妹が農園の運営管理と観光事業を手分けして担当しています。

Qグレーダーのライセンスを持つ3代目の農園主、ラティボール・ジュニア(Ratibor Hartmann Jr)氏がコーヒーのクオリティーコントロール、アラン(Allan Hartmann)氏が精製工程、アレクサンダー(Alexander Hartmann)が農園のフィールド、アリス(Aliss Hartmann)女史が農園行政のマネージメントを担当しています。ケリー(Kelly Hartmann)女史は、現在ハートマン農園とは別の仕事をしています。

ハートマン農園とバード・フレンドリー

ハートマン農園のロゴ

ハートマン農園は、自然環境を保全したエコツーリズム農園です。農園は広大な熱帯雨林に囲まれているため、原生的な自然環境を保全した農園として、コーヒー生産以外に観光事業を行なっています。

ハートマン農園のロゴにバード・フレンドリー(Bird Friendly)の記載がありますが、バード・フレンドリーの管理団体、アメリカのスミソニアン鳥類研究所(Smithsonian Migratory Bird Center)のバード・フレンドリー認証を取得しているわけではありません。ハートマン農園はロゴ全体を商標登録しているのみで、スミソニアン鳥類研究所のバード・フレンドリー認証のロゴとは異なります。

品種

品種はカツーラ(Caturra)です。

カツーラは1935年にブラジルで発見されたブルボンの突然変異種です。ティピカの3倍近い高い生産性を誇る品種ですが、栽培にはケアと肥料が必要となります。標高が高ければ高いほど品質が上がりますが、生産性が落ちるのが特徴です。

ハートマン農園では、ティピカ(Typica)、カツーラ(Caturra)、カツアイ(Catuai)、ブルボン(Bourbon)、ゲイシャ(Geisha)、パチェ(Pache)、マラゴジぺ(Maragogype)、パカマラ(Pacamara)の品種が栽培されています。

精製方法

精製方法はウォッシュト(Washed、湿式)です。

カツーラをウォッシュトで精製することで、クリーンな味に仕上げています。

カツーラは生産性の高い品種ですが、味は平板でこれといった特徴が見られません。

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讃喫茶室 尾山台のパナマ ハートマン農園 カツーラ

焙煎

讃喫茶室 尾山台で使用されている焙煎機はフジローヤル R-103です。浅野氏はフジローヤルのオフィシャル焙煎講師を務めています。

抽出

浅野氏は「日本ネルドリップ珈琲普及協会」の理事です。日本ネルドリップ珈琲普及協会の代表は、「カフェ・ド・カルモ」の繁田武之氏です。

そんな繁田さん

出会いはもう随分前

無我夢中でブラジルから持ってきたカルモシモサカを全国行脚で売り歩いていた

今でこそカルモシモサカはナショナルブランドになったといえるかもしれないが

当時(20年以上前になるかな)はまったくの無名の珈琲

自家焙煎店の飛び込み営業

ホームセンターやスーパーに小型焙煎機をもちこんで実践販売

なんとかカルモシモサカを皆さんに知ってもらおうとの啓蒙活動

そんな中、関西にこられていたとき(確か知人の紹介だった曖昧な記憶)会いに行ったのがはじめて

100Kg超級の体に似合わないかわいい笑顔(失礼)で

「こんにちは、はじめまして繁田です」

そのときはこんなに長いお付き合いになるとはおもいもよらなかった

残暑お見舞い申し上げます」,讃喫茶室 2012年8月27日.
「浅野嘉之の浅野嘉之的珈琲の入れ方」,TheThreecrossより

浅野氏による、ネルドリップ抽出の動画です。

このパナマ ハートマン農園 カツーラは、浅煎りで焙煎されています。

豆をやいていると2回のハゼがあって

僕は1回目のハゼの終了から2回目のハゼがくる直前

ここあたりを浅い焙煎の領域としています

きっちりここの領域と向き合うとき

焙煎っていいなぁと思う

どうしても深い焙煎に向かいがちな自分がいて

でもここの領域があるからこそ深いところにいくことができる

浅い焙煎

むずかしい

浅い焙煎」,讃喫茶室 2012年9月17日.

じんわり広がる甘味と非常にクリーンで透明感のある味わいが印象的です。味はカツーラの味ですが、「焙煎でこのような味を作ることが可能なのか!」と思わせてくれるようなコーヒーです。

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