コーヒーの天才 浅野 嘉之
珈琲倶樂部
浅野 嘉之(あさの よしゆき)は、1985年大阪府池田市に自家焙煎店 珈琲倶樂部を開業し、コーヒーのキャリアをスタートさせました。コーヒー研究家の井上 誠(いのうえ まこと)が死んだ年です。
『恥ずかしん坊万歳』が刊行された1985年、井上誠(コーヒー研究家)が死んで、珈琲倶楽部(浅野嘉之)が開店して、カフェラミル(千)の1号店(浜松町)が開店して、十一房珈琲店(及川俊彦:ベシェ珈琲店/秋本茂)が移転開店した。数年前に隆盛を極めたカフェバーは退潮を迎えていた。
「本バカ挑戦」,帰山人の珈琲漫考 2020年5月3日.
珈琲倶樂部は、焙煎機を店頭に置きガラス張りにしてショウルームのようにし、白を基調としたブティックのようなデザインの喫茶店でした。
浅野は珈琲倶樂部を開業する以前の1980年から、カフェ・バッハの田口 護(たぐち まもる)率いるバッハ・グループに所属し、その中心人物だったようです。
当時大阪池田市で自家焙煎珈琲店を経営していた彼は、
バッハグループの中心人物で、焙煎理論、抽出技術では超一流。
駆け出しの豆屋だった私にとっては雲の上の存在であり、
とても近づける相手ではなかった。
「vol.6 名門グループを破門になった男!浅野嘉之」,カフェ・ド・カルモのブログ 2012年9月19日.
ぼくは学生の頃、喫茶店をしたかった訳で、決して自家焙煎とは思ってなかった。それがあるきっかけで珈琲に夢中になって没頭、目標が喫茶店から自家焙煎店にかわった。
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 4, 2020
浅野の自家焙煎は、手網からのスタートだったようです。最初の焙煎機はフジローヤル R-103で、自家焙煎珈琲店 珈琲倶樂部のフジローヤルの3kg釜がこれに当たると思います。彼は現在フジローヤルのオフィシャル焙煎講師を務めており、代表を務める讃喫茶室 尾山台でも、この焙煎機が使用されています。
富士ローヤルR-103
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 17, 2020
僕の自家焙煎は手網からスタート、そして最初に得た焙煎機がこの機種、かなり以前の形式なので現行モデルとは随分異なる。ただドラムの形状やモーターの容量、ダンパーの形式など基本的な部分は同じ。やはりR-105やR-110と並んでロングセラーモデルで信頼性を得ている。
富士ローヤルR-103
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 17, 2020
この形式の焙煎機は僕にとって最も思い入れのある機種だ。やはり出会いの焙煎機であることが影響されているのと、現在の讚喫茶室尾山台店がこの機種を使って営業していることが大きな要因である。現行機種は随分スマートに色々な計器がおさまっていてスタイリッシュである。
富士珈機
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 14, 2020
出会いは35年前
当時師匠に連れられ今の本社が工房だった頃のこと、当時社長の宮岡さんが冷却箱をつくってらっしゃる瞬間にお邪魔した。なんとステンレスをくるっと曲げて見事に仕上げてらした。なんとその冷却箱、僕の3kg釜のものだったとは。自分の焙煎機の製造工程を見ることは珍しい。
富士珈機
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 14, 2020
日本の焙煎機及びコーヒーミルのメーカーの中でリーディングカンパニーであることは間違いない。手廻しロースターから大型では400kg釜まで安定的にプラント、メンテナンス、そしてアジア圏への輸出とこなしているのは現在富士珈機だけだろう。80年余の歴史と実績の裏付けはだてではない。
珈琲を扱う仕事についていても
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 4, 2020
案外焙煎に触れている人は少ない。
焙煎に触れると何がいいって
生豆に触れることが出来るから。
「あったり前だろ」と思うかもしれないけれど、珈琲を取り巻く産業としては当たり前ではない。
珈琲を深く知っていく一歩として
焙煎は不可欠と思う。
会庵(KAIAN)
浅野はより総合的・複合的な喫茶店を目的として、1993年9月3日にパティスリーを併設したカフェ・パティスリー会庵(カフェ・サロン・ド・テ 会庵)を開業しました。この日は平成5年台風第13号が日本に上陸した日です。浅野が食を取り組んだ喫茶店を目指したのは、珈琲倶樂部の目の前にあったフランス料理店、ジャンティ・アルゥエットの西谷 克己(にしたに かつみ)の影響によるものです。
珈琲屋として幸せな日々をおくっていた
すてきなお客様にも恵まれ
営業のほうも少しずつ伸びてほぼ順調といえた
ただ自分のなかに珈琲屋だけでいいのか?
という疑問は日に日に膨らんだ
これは目の前のフランス料理店そしてシェフ西谷さんの影響である
いつか自分のお店でも“食”に取り組んでみたい
まずは洋菓子からだ!という妄想にかられた
「珈琲倶楽部 Part.15」,讃喫茶室 2010年11月10日.
お店のシェフ・パティシエに抜擢されたのは、浅野が神戸市のビストロ・ヴァンサンクに紹介した女性パティシエールでした。
ヴァンサンク・神戸北野店のシェフとの約束はこうである
「僕はいずれ自家焙煎珈琲店にフランス菓子を加えたお店をしようと考えている
そのときには彼女をシェフ・パティシエと決めている
すぐに実現するわけではないけれどその時は彼女を送り出していただけるか?」
彼は
「3年は待ってくれるかな
彼女を育てるのもそして2番を作り上げるのも
最低そのくらいはかかる」
「わかった」と了承して彼女を紹介することとなった
「カフェ・サロン・ド・テ・会庵 Part.2」,讃喫茶室 2010年11月13日.
このビストロ・ヴァンサンクは、1980年代の関西ヌーベル・キュイジーヌの一角を担っていたそうです。
1980年代きらめくばかりに花開いた関西のヌーベルキュイジーヌ
特に街場において三羽烏といわれた
ビストロ・ヴァンサンクの原シェフ
ジャン・ムーランの美木シェフ
ジャンティー・アルゥエットの西谷シェフ
は若き料理人のあこがれだった
今思うと当時3シェフも30代という若さだった
ほんとうにすごいことだと思う
その一角ビストロ・ヴァンサンクの原シェフのもとに
二番手 杉田シェフ
三番手 石田シェフ
が存在した
のちに豊中・神戸北野とヴァンサンクが2店出店された時の
おのおのの店のシェフとして活躍された
特に石田シェフはお住まいが大阪・会庵の近くで
しかも無類の珈琲好きということもということもあって
お会いする機会にめぐまれた
「石田シェフ」,讃喫茶室 2011年10月27日.
カフェ・パティスリー会庵は、カフェ、サロン・ド・テ、テイクアウトの3つのスペースに分かれており、サロン・ド・テには、ビストロ・ヴァンサンクから戻ってきた女性パティシエール、カフェには、後に自家焙煎珈琲の店 楽庵という自家焙煎店を開業することになる吉澤 健史(よしざわ たけふみ)が立っていました。
岡山に“楽庵”という名の自家焙煎店がある
吉澤健史(たけふみ)氏が経営し創立してもう14年目をむかえる
かれは会庵で5年働いてくれた後 独立をはたした
実は珈琲倶楽部の常連客だった
大阪大学の薬学部おもに東洋いわゆる漢方が専門の学生だった
「カフェ・サロン・ド・テ・会庵 Part.3」,讃喫茶室 2010年11月14日.
*ちなみに、山口県萩市にある長屋門珈琲カフェ・ティカルの小川 成一は、浅野の義理の弟だそうです。
萩の自家焙煎珈琲店
“長屋門珈琲・カフェ・ティカル”
店主の小川成一そして僕の義弟
ということは彼の妻は僕の妹
彼女は浅野一家の常に中心で
いつも彼女の意向に沿ってうごくことが多く(彼女の異論もあるだろうが)
「長屋門珈琲・カフェ・ティカルの3」,讃喫茶室 2011年10月26日.
カフェ・パティスリー会庵は、当時は珍しかったアシェット・デセールがメディアに取り上げられ、店は成功しました。
フランス菓子に向かう人間はこう考えるんだと
まじかで体験したときのこと
スタート時のサロン・ド・テ会庵大阪のアヴァン・デセール
“巨峰と丹波・大納言のカシスのスープ仕立て”
ぶどうとあずきとカシス???
小さなフルートグラスの中の輝きは今も忘れられない
「忘れられないアヴァン・デセール」,讃喫茶室 2012年1月26日.
しかし、1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災が発生し、店は被害を受けました。
そんななかでカフェ・サロン・ド・テを営業することもはたしていいのだろうか
スタッフのみんなとも話し合った
もちろんそのような状態が続けばお店の存続などというものはありえない
「やれるところまでがんばりましょう
ぼくたちに今できることはこれしかないですから」
ありがたい言葉だった
数日後お店を再開した
僕の人生のなかでもっともおおきな出来事となった
「カフェ・サロン・ド・テ・会庵 Part.7」,讃喫茶室 2010年11月20日.
1998年、浅野は珈琲倶楽部の真向かいで営業していましたが、長らく空いたままになっていたジャンティ・アルゥエットを借り受け、レストランを併設したカフェ・パティスリー・ビストロ会庵を開業しました。
2007年に大阪から東京に移り、建築系のコングロマリットの一翼としてダイニング・グラッパ・カフェ会庵を開業しましたが、リーマンショックのあおりを受けて閉店しました。
カフェ・リコ
2011年、浅野は神奈川県伊勢原市のカフェ・リコの立ち上げに参加しました。これはカフェ・ド・カルモの繁田 武之(はんだ たけゆき)の「カフェ・ヴァモス再生プロジェクト」で、彼の主催する上海繁田自家焙煎倶楽部の日本での最初の活動でした。
中国のトレンド発信基地「上海」
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 27, 2020
おそらく初めての自家焙煎店
カフェ・ド・カルモ
友人の繁田君が立ち上げた
あの時代の中国で!全く脱帽です
その後の中国での自家焙煎店は
彼の影響を受けている
古くからしっているオーナーですが
昨年の11月から店をしめているのでなんとかしてということで再生しょうということになりました。
自分一人では無理なので旧友である関西の浅野とともにこの仕事を受けました。
浅野はもとBッハグループの重鎮!
Bッハグループは自家焙煎珈琲御三家のひとりT氏が率いるグループです。
そのなかでいろいろな新たなことに挑戦する浅野は理論、知識、行動力で
教祖を脅かす存在になったのでおそらく
うとんじられ
仲間からはずされたのではないかと自分は思います。
「自家焙煎珈琲店の再生」,handa pandaの珈琲探訪 2012年8月13日.
浅野と繁田の出会いは、繁田がブラジル ミナス・ジェライスの下坂農園の下坂 匡(しもさか ただし)の「カルモシモサカ」を営業販売していたときにまで遡ります。これは日本におけるコーヒーのダイレクトトレードの先駆けと言えます。
そんな繁田さん
出会いはもう随分前
無我夢中でブラジルから持ってきたカルモシモサカを全国行脚で売り歩いていた
今でこそカルモシモサカはナショナルブランドになったといえるかもしれないが
当時(20年以上前になるかな)はまったくの無名の珈琲
自家焙煎店の飛び込み営業
ホームセンターやスーパーに小型焙煎機をもちこんで実践販売
なんとかカルモシモサカを皆さんに知ってもらおうとの啓蒙活動
そんな中、関西にこられていたとき(確か知人の紹介だった曖昧な記憶)会いに行ったのがはじめて
100Kg超級の体に似合わないかわいい笑顔(失礼)で
「こんにちは、はじめまして繁田です」
そのときはこんなに長いお付き合いになるとはおもいもよらなかった
「残暑お見舞い申し上げます」,讃喫茶室 2012年8月27日.
繁田は、20代の頃に世界のコーヒー生産地を巡り歩いている中で、下坂農園の下坂に出会いました。
そして、その旅の中で出会ったのが、1956年に日本から家族ぐるみでブラジルに入植しコーヒー農場を営んだ下坂さん一家でした。
下坂さん一家は、ブラジル・ミナスジェライス州で入植当時にはその土地では無理だと言われていた有機農法でコーヒー豆を栽培することに成功し、繁田が訪れた当時にはひとつの町ほどもある大きな農場を構え、丹念に作られた良質なコーヒー豆を生産していました。下坂さんに強い印象を受けた繁田は、その世界旅行から帰国し、志を同じくする関根(現在は福島県いわき市にてブラウンチップを2店舗経営)とともに自家焙煎コーヒー豆の店を始めました。
しかしその当時、コーヒー豆の流通は大手コーヒー商社によって仕切られていて、個人あるいは店が自由にコーヒー豆を輸入し買い入れることは難しかったのです。偶然に講演のために来日した下坂さんは、繁田のそうした状況を見て取り、シモサカ農場の生豆を繁田の店に直接卸すことを提案してくれました。
繁田は、下坂さんのコーヒーを「カルモシモサカ」と名づけ、店の代表メニューとして焙煎し売り出しました。これは、現在の「トレサビリティコーヒー(追跡可能=生産場所が明確なコーヒー)」のさきがけとなりました。
「当店のあゆみ」,豆処ローストハウス ブラウンチップ.
カフェ・リコには、下坂も訪れています。
あまりにも有名な日系ブラジル珈琲農園の下坂農園
ブラジル・カルモシモサカの名前は一度は聞いたことがあることと
突然の閉園となったニュースは衝撃的だった
下坂匡(ただし)さん
本日愛甲石田のカフェリコにおみえいただいた
何年ぶりだろう
大阪・会庵の頃、繁田さんと一緒にお越しいただいて以来なので
もう20年ほどかな
ちっともお変わりない
「下坂さん」,讃喫茶室 2012年10月7日.
下坂さん
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 15, 2020
ブラジル日系珈琲農園の先駆者
25年前くらいだろうか
友人の繁田くんの紹介で
カルモシモサカにであった
残念ながら今は下坂さんは
珈琲農園からは撤退されたが
数年前1日ご一緒して
いろいろなお話がきけた pic.twitter.com/tGszl7tIOc
カフェ・リコのある国道246には、大坊 勝次(だいぼう かつじ)の大坊珈琲店がありました。
ただ今立ち上げにきているカフェ・リコ
神奈川の愛甲石田というところ
国道246沿いに位置しています
この国道246はなんだか昔から縁があって
青山・三軒茶屋・荏田(東急田園都市線の駅は江田)
そしてかの大坊さんのお店も・・・
「246」,讃喫茶室 2012年11月20日.
2014年12月7日、東京都千代田区神田錦町の学士会館で行われた「日本コーヒー文化学会 第21回年次集会 報告」の「東の大坊、西の森光」の対談後、浅野は待夢珈琲店の今井利夫(いまい としお)とともに、大坊コーヒーの再現に挑みました。
桜井さんと江崎さんは森光さんのコーヒーを、浅野さんと私は大坊さんのコーヒーをそれぞれ担当して抽出しました。浅野さんは慣れていてとてもスムーズに大坊コーヒーを再現していましたが、私は大坊さんが大切にしている深煎り珈琲の苦味の中の甘味を何とか再現しようと必死でした。
「日本コーヒー文化学会 第21回年次集会 報告」,今井利夫の珈琲三昧 2014年12月19日.
2016年10月1日、渋谷ヒカリエで「d SCHOOL わかりやすいコーヒー コーヒーのルーツと今」というコーヒーの会が催され、珈琲美美の森光 宗男(もりみつ むねお)、ダフニの桜井 美佐子(さくらい みさこ)、大坊珈琲店の大坊 勝次が集いました。この催しでは、浅野は大坊のサポートについたようです。
ダフニの桜井は、襟立 博保(えりたて ひろやす)の下でコーヒーを学びました。
桜井さんは昭和17年(1942年)生まれ。OL生活を経て30歳で入社したコーヒーチェーンの蘭館珈琲ハウスで、伝説的なコーヒーの職人と巡り合う。戦後に開業した大阪の喫茶店「リヒト」や「なんち」のマスターとして知られた襟立博保(えりたて・ひろやす)さんだ。やはり戦後に東京・銀座で「カフェ・ド・ランブル」を開いた関口一郎さんと並ぶ業界のカリスマ的存在で、蘭館珈琲ハウスの創業期に顧問をつとめた。
「在宅でとろり滑らかネルドリップ 達人が淹れ方指南」,NIKKEI STYLE 2020年5月14日.
桜井は、「非凡な味覚」を持つ女性として、コーヒーのレジェンド達から一目置かれていたようです。
桜井は今は亡き標交紀(コーヒーの鬼と呼ばれた吉祥寺「もか」店主)の兄弟弟子で、
標の師匠筋に当たる襟立博保の秘書をやっていた。
標がもっとも信頼していた女性で、新しいブレンドを開発すると、
「桜井さんの感想が聞きたい」
と、まっ先に連絡した。桜井には非凡な味覚が備わっているらしい。
「コーヒーに憑かれた女たち」,嶋中労の「忘憂」日誌 2014年10月2日.
浅野は、2012年にダフニに訪れています。
やっと行くことができた
桜井さん(気楽によんですみません)にいろいろ教えていただいた
襟立先生のこと
標先生のこと
「Daphne ダフニ」,讃喫茶室 2012年9月8日.
僕が浅野さんを初めて見たのは、2014年9月のネルドリップのイベントで、
ダフニの桜井さんのお手伝いとして来られていたのを記憶している。
そして最近では大坊モデルの手回し焙煎機のお披露目会に来られていたようです。
「ゆるーいカフェ巡り はじまりのカフェからジェントルビリーフ」,Blog 喫茶 いずみ 2017年11月27日.
富士ローヤル 手廻しロースター
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 22, 2020
富士珈機社長の福島氏と大坊珈琲店の大坊氏が、富士珈機前身の富士珈琲機械製作所の寺本氏が作られた手廻しロースターを復活しよう!というコンセプトで実現した焙煎機。材質、形状、設計、ごとく(コンロ)、専用のザルにいたるまで、何回も両氏が検討されていた。
富士ローヤル 手廻しロースター
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 22, 2020
いよいよ最終のテストの日大坊さんから「いっしょに来て」とありがたい言葉、その日大坊氏のOKが出ればいよいよ量産にはいる。焙煎ティスティングを数回繰り返しながら火力や回転の状態、撹拌の状況そしてテストスプーンの角度まで大坊氏は入念にチェックされていた。
2017年4月28日、手廻しロースター復刻の為の最終確認にご一緒させていただいた。周り具合、火力、メンテナンス、テストロースト数バッチ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 21, 2020
、大坊さんと二人きりの数時間、ずっと緊張した時が過ぎる。この日大坊さんは故 森光先生の遺品の帽子をめされて挑まれる姿は鬼気迫るものがあった。 pic.twitter.com/J6r1L5ERDD
富士ローヤル 手廻しロースター
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 22, 2020
火力のガス圧計、製品温度計、タイマー、勿論ダンパーもしくは排気ファンもない。しかも手動、しかし1kg釜。これほど焙煎士の珈琲感が問われる焙煎機はないのではないか。毎回が勝負である。勿論他の焙煎機でもそうなのだけれど、随分データに助けられる部分がある。
富士ローヤル 手廻しロースター
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 22, 2020
勝手な思いだけどこの焙煎機で珈琲店を営むのは覚悟がいると思う、再現性が難しい。最もハードワーク。そして「五感ブラスα」が必要ではないかと。手廻しロースターで素晴らしいお店が多い。これは日本にとって誇れることだと思う。寺本氏、大坊氏、福島氏には感謝だ。
富士珈機の手廻しロースターの復刻
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 26, 2020
シリアルナンバー3
うれしかった!(抽選ですよ) pic.twitter.com/p2KBB73Q4X
大坊は、日本における深煎りネルドリップの名人として知られています。
繁田は、2016年8月に設立した一般社団法人日本ネルドリップ珈琲普及協会の代表を務めています。浅野は、日本ネルドリップ珈琲普及協会の理事です。
ネルドリップ普及協会の代表
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 27, 2020
繁田武之
最初に出会ったのは30年程前
ブラジルから個人でダイレクトトレード。「うそだろ!」正直そう思った。時代はまだそういうことに閉鎖的、勿論ネットなぞない。江戸で300年続く茶商ならではの発想。
自家焙煎店の域を超えていた。 pic.twitter.com/u2OedhXO0q
友人の繁田くんが
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 18, 2020
ネルドリップ普及協会として
だしているフォトブックver4の表紙
奇跡のワンショット pic.twitter.com/RVP1cy6Cox
浅野のネルドリップ抽出は、動画で見ることができます。
濃度のあるのもよし
軽い感じのものもよし
苦味強いものもよし
さわやかな酸のあるものもよい
すべてに中庸なものもよし
個性豊かなものもよし
「珈琲で今おもうこと」,讃喫茶室 2012年9月12日.
ジェントルビリーフ
2015年5月、浅野は東京都港区南青山の外苑前にジェントルビリーフ(Gentle Belief)を開業しました。ジェントルビリーフは、カフェ・リコの東京進出2号店で、浅野がかつて通っていた「ダボス」や「だいろ珈琲店」、「大坊珈琲店」のあった青山通り沿いに位置していました。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 5, 2020
40年前
本郷・和田珈琲店をあとにして青山に向かった。外苑前「ダボス」。ビルの3階らせん階段を昇るとドアがあり入ると左手にカウンターにマスターが…「いらっしゃいませ」優しい笑顔で迎えられた。ほっとした。初めての東京、緊張しっぱなしの20歳の小僧は初めてくつろげた。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 5, 2020
40年前
外苑前「ダボス」
本部先生の珈琲
本当に好きだった。あまり好き嫌いを言うことは憚るのだけど、初訪問から(その頃何もわかってなかったのに)
「あ〜美味しい」と感じた。その後何回と東京に来るたび自分のなかで「中庸」と思っている本部先生の珈琲を楽しみにしていた。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 7, 2020
40年前
外苑前「ダボス」
ス〜としたのどごし
しかししっかりとした風味
濃度感もかなりあるのに
今は本部先生は珈琲の世界にいらっしゃらない。残念でならないけれどあれだけの方だから中途半端に関わりたくないのかなと想像している。ただ願わくばもう一度本部先生の珈琲に触れたい。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 7, 2020
外苑前「ダボス」
15年前関西から東京に移って暫くして、ご縁があって5年程外苑前のお店をプロデュースさせていただいた。毎日「ダボス」のあったビルの前を歩いていた。あの本部先生の笑顔を思い浮かべながら。友人の山田くんから本部さんはお元気と聞いている。再会の奇跡を信じて…
外苑前の名店「ダボス」
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 12, 2020
最も尊敬する先人のお一人
本部先生
先日友人がその本部先生の
ネルを見せてくれて…
感動した! pic.twitter.com/CfBJt152ts
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 9, 2020
40年前
「ダボス」を後にして青山通りを外苑前から表参道まで歩く。昔も今もここは歩いていて気持ちがいい。首都高速がないので開放感がある。勿論むかったのは「大坊珈琲店」。今思うと大坊さんは30歳前後、当時青年であることになんとなく不思議な感じをいだいている(笑)。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 9, 2020
40年前
「大坊珈琲店」細いL路階段を昇ると右手にドアがある。その後何十年と通うことになるこのドア。開けるとそこに
ブルーのデニム地のシャツにエプロン姿のマスター。短髪で眼光鋭く静かに「いらっしゃいませ」大坊さんとの初対面。今となれば懐かしい。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 11, 2020
「大坊珈琲店」
40年前、現在の大坊さんのローストポイントより深めだった。微妙な差異だけど徐々に浅めに振りある時から戻り今の大坊さん曰く7.0になられた。7.1→6.9→7.0ぐらいの感覚か。
のちにお話のなかで「開店当初一遍の酸味も出さないようにと考えていたね」と回顧されていた。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 12, 2020
「大坊珈琲店」
メニュー
ブレンドしか注文したことがない
1. 30g 100cc
2. 25g 100cc
3. 20g 100cc
4. 25g 50cc
5. 15g 150cc
4番は生意気かな
5番は違うかな
3番は消極的
2番かな
いやちょっと攻めて
「1番をお願いします」
40年前そんな感覚だった。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 13, 2020
「大坊珈琲店」
初訪問から30数年、当時「辻静雄料理教育研究所」の山内氏からの紹介を頂いて初めて大坊さんとお話する機会を得た。何十回と大坊珈琲店を訪問、30数年いつも「1番お願いします」だけだったのがそれ以来いろんなお話をさせて頂き又聞いて頂くようになった。幸せである。
ネルドリップ
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) August 13, 2020
「大坊珈琲店」
とろっとした舌触り
なんともいえない甘さ
突き抜けるような香り
深い深いコク
なのに軽く爽やか
最近の大坊さんの珈琲
勿論大坊さんの抽出ありきなのだけれど、大坊さん曰く「デミタス」のなかにひとつの究極の形を僕は感じている。
ジェントルビリーフは、小型焙煎機のフジローヤル COFFEE DISCOVERYによるオンデマンド焙煎を特徴としていました。生豆が約40種類、焙煎豆が浅煎りから深煎りまで約15種類から20種類用意されていました。
「昔は、小さなロースターはテストロースターとして使用されることが多かったのですが、いまのマイクロロースターは、能力的にもその域を完全に出ています。長年、焙煎士として向き合ってきて、高レベルの焙煎テクニックさえあれば、マイクロロースターを使いこなすことができると確信し、“オンデマンド焙煎”のお店をクリエイトする決心をしました」
名だたる自家焙煎の名店で修業し、焙煎歴30年というベテランならではのテクニックと知識の集大成だ。
「特集|ロースターは燃えているか?|第2章「マイ・ロースターを求めて」」,OPENERS 2015年2月16日.
富士ローヤルDiscovery
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 15, 2020
MAX250gの超小型の焙煎機。わずか1900kcalのバーナーながら火足の短いバーナーは比較的強力。冷却箱が単独排気になっているので連続焙煎が可能。撹拌も良く煎りむらもおこりにくい。JCRCの予選会で使用される事の多い機種。とざっとの説明はこんな感じで、確かに焙煎機だ。
富士ローヤルDiscovery
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 15, 2020
最初正直バカにしていた。「250gの焙煎機って、焙煎機メーカーがすることではないよな」でもテストロースターではなくあの富士ローヤルが大真面目に取り組んでいるとあっては一度見に行こうと思い、東京支店の焙煎機開放DAYをこそっと申し込んだ。もう10年くらい前の事。
富士ローヤルDiscovery
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 15, 2020
持参したパプア、サルバドル、コロンビア、ケニヤ、マンデリン、ガテマラ、タンザニア、ローストポイントを変えて焙煎した。綺麗な煎り上がり、コントロールも可能で途中から楽しく夢中になってしまった。メーカーが本気になって超小型焙煎機に取り組んだんだ!正直驚いた。
富士ローヤルDiscovery
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 15, 2020
この焙煎機なら多品種の珈琲をオーダー毎に焙煎出来るなと、時代は少量の様々な珈琲を仕入れることができるので新しい形態の自家焙煎店が可能かなと思うと、最初バカにしたことを反省しきり。勿論サンプルローストとしてもかなりの精度で思考できるのでその面でも有効だ。
富士ローヤルDiscovery
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 15, 2020
その後この機種と深く関わることになろうとは、その時は知る由もなく、最初に東京支店の開放DAYに伺った時に支店長の杉井くんは僕のことを「随分怪しいやつ」と思っていたらしく、今となっては二人で笑い話になっている。この焙煎機自分にとってかけがいのない機種となった。
2014年8月22日、旦部 幸博(たんべ ゆきひろ)はジェントルビリーフで浅野と初めて対面しました。
一方22日、都内では外苑前のとあるコーヒー屋さんでコーヒーおたく3名によるアツい談義が…
— Y Tambe (@y_tambe) August 23, 2014
@y_tambe ジェントルビリーフ行きもディスカバリー焼きも先を越されたかぁw 浅野さんは焙煎も抽出も勘所のつかみ方が「無茶苦茶器用な方」だと思う…一種の天才肌だナ。飲み手がどんな珈琲を欲しているかまで察知できるしネ…アレで経営やマネージメントにも勘所が揃っていれば…(略)w
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) August 24, 2014
2015年11月14日、富士珈機 東京支店 セミナールームで催された「日本コーヒー文化学会 焙煎・抽出委員会」に、山内 秀文(やまうち ひでのり)、鳥目散 帰山人(とりめちる きさんじん)、旦部 幸博の「"YKT48"という「闇の御三家」」をはじめとするコーヒー界隈の恐ろしい面々が一堂に会しました。
今般の分科会テーマは「コーヒー生豆の性格の違いと焙煎方法」、先般(2015年2月15日)の「焙煎機DISCOVERYと焙煎技術について考える」に続いて連なる催し。今般は旦部幸博氏を招いて、山内秀文氏と鳥目散帰山人の珈琲狂3人が集まる、あな恐ろし。福島達男氏・浅野嘉之氏・大坊勝次氏・松下和義氏らも加われば、さらにもあらず。
「再発見の逆襲」,帰山人の珈琲漫考 2015年11月17日.
それは手元にはないなぁ。代わりに1人入れ替えたヤツ(ディスカバリー焙煎に挑む男たち、手前から山内・旦部、奥が大坊)。 pic.twitter.com/kbl27pkOJe
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) April 18, 2020
ちなみに、この時に2人が各自で焙煎して各自で淹れたコーヒーを試飲したワケだが、焙煎も抽出もイマイチだったのでコーヒーもイマイチだった。でも、名人や重鎮のイマイチは貴重だからなw
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) April 18, 2020
この催しは、2015年2月15日に催された「日本コーヒー文化学会 焙煎・抽出委員会」に連なる催しでした。大坊と帰山人は、この催しで初めてフジローヤル COFFEE DISCOVERYによる焙煎に挑戦しています。
よし、私の「はじめてのディスカバリー」焙煎、挑戦だ! 都市ガス圧を0.8kPaにして、ダンパーを3.5(ほぼニュートラル)にして、摂氏190度で投入して…後は何もしない。勝手に約95度で中点となり、勝手に約189度で1ハゼが始まり、勝手に約211度で2ハゼが始まり…火力も変えず、ダンパーも動かさず、サシ(スプーン)で豆も見ず…ん、ココだ、終了。後ろで見ていた大坊さんが「どこで(煎り止めを)判断したの?」と呆れ顔。「音と煙と時間と温度で」と私。「どうして(温度の)上昇率が自然に下がるの?」と訊く大坊さんに、「焙煎というのはですね」と説く私…無茶苦茶だナ。で、今度は大坊さんが本番「はじめてのディスカバリー」焙煎、挑戦だ!…え?そこでガス絞る!…え?そこでダンパー開ける!…ん? 2ハゼが始まって8分を過ぎて、まだハゼている! え? まだ引っ張る! さすが大坊勝次だ! 大坊さんも私も、手廻し焙煎をそのまま「はじめてのディスカバリー」へ映したがって、結果は各各ほぼ成功。まぁ、ディスカバリーを使いこなしたというよりも、意を通したか…再発見。
「再発見の風来 後篇」,帰山人の珈琲漫考 2015年2月18日.
期待以上の内容。これは面白かった。帰山人&大坊両氏、初挑戦のディスカバリー、どんな味だったか興味あるところ。 | 帰山人の珈琲漫考 - http://t.co/B4FIoRaC9p
— Y Tambe (@y_tambe) February 18, 2015
「一本焼き」プロファイルで、まず注目してほしいのは楕円で囲った部分。豆が中点(下死点)以降に一旦ゴム化して加水分解が進んで再ガラス化して脱水して焼けていく、その反応変化によって本体温度(≒豆温度)の上昇が鈍くなる、同時に排気温度が一旦急上昇する、これが「勝手に」起こる…面白いぜ。 pic.twitter.com/6NKcBMboW1
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 11, 2017
「一本焼き」プロファイルで、次に注目してほしい部分を楕円で囲った。この焙煎では2ハゼがピチピチいい始めたところで煎り止めしたが、その2ハゼ前から(グラフでは僅かにだが)温度の上昇率が大きくなっている。豆の発熱反応によるもので、これが「勝手に」起こる…面白いぜ。 pic.twitter.com/SKcehHHa1t
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 11, 2017
承前) この「2ハゼ前から発熱反応突入でほったらかすと急上昇」を火力を絞って徹底的に抑え込み、グラフが真横(水平)になって延々と引っ張るのが「大坊勝次」タイプの焙煎。同じ手廻し釜使いでも、大坊さんと私は真逆のコトやっているわけ。で、手法は互いに変えないで、ずっと対決している(笑)
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 11, 2017
それは、緩やかに昇温して豆温度を低く煎り止める「大坊焼き」よりも、昇温が急激で豆温度を高く煎り止める「一本焼き」の方が、(特に深煎りの終盤で)『煙篭り』をしている、というイメージ? それとも逆?
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) February 3, 2020
あ~、わからんでもないが、まず昇温を横に置いといて、豆集団の雰囲気に滞留する煙の量でいえば実際の(穴無しの)大坊さん釜の方が遥かに排煙(≒排気?)が弱いハズなんだけど、さほど篭った感じにはならないんだよなぁ。…ということは、単に煙の量の多寡とも言えないと思っていたり。(続く
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) February 3, 2020
追加) あ~、あと煎り止めの豆温度が「一本焼き」の方がとてつもなく高い分、冷めにくくて煎り止めた後の焼け進みは強い。そこらへんも「釜の味」を生み出してしまっている可能性は大いにある、とも。
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) February 3, 2020
浅野は、この催しの翌日にあたる2015年2月16日のOPENERSの特集で、当時流行していた「サードウェーブ」に関して肯定的な見解を述べています。
そんな焙煎マスターへ、現在の潮流「サードウェーブ」に関してたずねると、「彼らのおかげで、コーヒー焙煎自体にも光があたったので、僕自身はとてもいい傾向だと思っています」と応えてくれた。
深煎りの魅力も教えてくれて、浅煎りのサードウェーブにも理解があって、コーヒーを美味しく飲める術はすべて試したい、という前衛的な焙煎士、浅野さんにならば、初心者も臆せずオーダーしやすいのではないだろうか。
「特集|ロースターは燃えているか?|第2章「マイ・ロースターを求めて」」,OPENERS 2015年2月16日.
しかし、この肯定的な見解は、SCAJ 2015に参加した後の2015年10月04日のコメントでは、否定的な見解に変わりました。
SCAJ2015に行ってきたコーヒー屋の記事やらつぶやきやらを散見するが、「行きました」「勉強になりました」「ワクワクしました」というクソおもしろくも無いものが大半で、「あ、そうですか」としか言い様がない。浅野さんの感想は興味深い。 http://t.co/IscwkTNsNI
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) October 5, 2015
浅煎り
フルーティ
さわやかな酸味僕には生の味しかしなくて
「この日何の日 3」,帰山人の珈琲漫考 2015年10月1日.
浅煎りはここじゃないだろうと心の中で
すべてが不思議で愕然としました
これがサードウェーブなのかと
無知でした
*サードウェーブについては、「その4:コーヒーのサードウェーブを正しくとらえるには?(y_tambe氏によるコーヒー史概論の続き)」を参照してください。
しかしだな、浅野さんの言うところの若者連中が皆が皆「ハウエルの呪い」自体を理解しているとも思われないので、結局は、コレも丸山さんとかが進めている風潮に《乗っかった》だけで、《乗っかった》理由は、権威平伏とか事大主義とかでしかない? https://t.co/rsslpR0mTL
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) October 5, 2015
@kisanjin そこにきて、90年代くらいからのコーヒー情報の空白期が効いている気が。その意味では、柴田倒産は意外と象徴的だったのかも。
— Y Tambe (@y_tambe) October 5, 2015
僕はスペシャルティには功罪があるとおもっている
やはりわけの分からない履歴のものより
その珈琲がおおまかにどんなだということがわかったほうがいい
と格段に珈琲の平均値が向上したと思っている
一般にもその情報が知れ渡ってくると
作り手も学習をしていないと見放される
そういう緊張感はとても良いことだと思う
他方珈琲を点数にするのはいいのだけれど
確かにしっかりとしたカッパーがジャッジしているのだろうが、それは珈琲のひとつの側面でしかなく
珈琲の香味はそこから様々な要素をもってして最終決定するものと考えている
ひとつの参考にはなると思うのだけれど、それ一辺倒になると本質を見失うと感じる
コモディティーも(時にはこちらのほうが)とてもよいものがある
相場がゆれるときは確かに難しいけれど
経験からそう確信している
「ニカラグア・リモンシニョ農園・ジャバニカを焙煎しての3」,讃喫茶室 2012年10月13日.
最近思うのです
スペシャルティとバリスタが蔓延
行き所を失ってしっちゃかめっちゃかになって
挙句の果てにプアオーバー持ち出してこれからはこれだ!って
せっかく築き上げた先人たちの珈琲をそんな道具に使われちゃあいくらなんでもなさけないなぁってそんななかでも関口さん、故標さん、田口さんはそのような波とは関係なく理路整然と輝いている
「ニカラグア・リモンシニョ農園・ジャバニカを焙煎して」,讃喫茶室 2012年10月2日のコメント欄.
ものごとの本質みたいなところをもってらっしゃる人は
多少の違いや出方の違いはあれどもぶれない
すごいことだと感じています
吉祥寺の名店「もか」
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 11, 2020
富士珈機の本社に絵葉書があった
思わず写メを撮ってしまった
標先生の抽出している立ち姿
ほんとうに凛としていた pic.twitter.com/vWkuzbAlxp
吉祥寺の名店「もか」
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 22, 2020
標先生、絵葉書で焙煎工房を
のこしていただいていた。
もう感動しかない。 pic.twitter.com/K0L5cHVuzV
大坊 勝次 VS 浅野 嘉之
2016年から2017年頃に、ジェントリビリーフで大坊と浅野がそれぞれ焙煎し、ネルドリップとペーパードリップで抽出したコーヒーを、ブラインドで飲み比べるというイベントが開催されたことがあるそうです。大坊は、ネルドリップとペーパードリップは同じ味が出せるはずだと考えているそうです。
ネルとペーパー
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) July 16, 2020
以前ネルドリップ普及協会の繁田くんの企画で、当時プロデュースしていた青山のお店でネルドリップとペーパードリップを比べてみようという試みを開催したことがあった。大坊さんと僕で各々の珈琲をネルとペーパーで淹れあって(合計4カップ)ゲストの方々に評価いただいた。
ネルとペーパー
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) July 17, 2020
飲み比べの会の前に大坊さんとの打ち合わせローストポイント、グラム、メッシュ、抽出量、などを決めて、テストパターンを試行、注湯も確認、出来るだけ同じ条件になるよう努め当日にそなえた。青山のカウンター内で大坊さんと仕事が出来た事が喫茶店の人間としてとてもうれしかった。
ネルとペーパー
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) July 18, 2020
先ず大坊さんがネルとペーパーで抽出されサポートに僕が皆様にサーブさせていただいた。勿論どちらがどちらはお知らせしていない。皆様神妙な面持ちでレポートされていた。そして次は僕が抽出の番でなんと大坊さんにサポートしていただいた。まったくこの年になって緊張の極みだった。
ネルとペーパー
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) July 19, 2020
ペーパー
鋭角的、豆の味がする、香味が強い、クリアな感じ、後味に残り感
ネル
柔らかい、球体を感じる、まろやか、とろみがある、ぼやけた感じ
記憶の中でこんなコメントだったと…
1回だけで検証材料も曖昧なのでこれが結論ではないことは承知ですが、興味深いコメントでした。
ネルとペーパー
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) July 19, 2020
飲み比べの会
大坊さんも僕も出来るだけ両ドリップとも同じく抽出するよう努めたつもりだった。だがご参加されたゲストの皆様がネルドリップへの感想ペーパードリップの感想がかなり似ていたし明確に違うと言われた。当たり前かもしれないが「ここまで!」が正直な感想だった。
ネルとペーパー
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) July 21, 2020
ネルドリップ普及協会の繁田くん企画の飲み比べの会は、その後ミニ会で歓談、楽しいひととき。僕的には大坊さんとの仕事が最高でした。最後に繁田くんが皆様に「どちらが好みでした?」とフランクに質問された。
ネルドリップ70%
ペーパードリップ30%
だったと記憶している。
上海国際ホテル用品博覧会(ホテレックス上海)
2017年から2019年まで、浅野は上海国際ホテル用品博覧会(ホテレックス上海)(Hotelex Shanghai - Shanghai International Hospitality Equipment & Foodservice Expo)のフジローヤル(富士珈機)の出展に参加しました。2017年の参加は、2016年12月に亡くなった珈琲美美の森光 宗男(もりみつ むねお)の代理でした。
2016年の上海国際ホテル用品博覧会(ホテレックス上海)では、珈琲蘭館の田原 照淳(たはら てるきよ)、豆香洞コーヒーの後藤 直紀(ごとう なおき)、森光 宗男で、初の写し焙煎協議会の審査を担当しましたが、田原は森光の逝去を受け、2017年はショックのあまり行くことができなかったそうです。
中国最大の展示会2017年
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 29, 2020
富士ローヤルのブース
焙煎大会を開催
九州の面々が審査員
2日ぶっ続けの審査が終わり
無事大会終了
そしてオフショット pic.twitter.com/M3zpv9mSEM
中国最大の展示会2018年
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) April 30, 2020
SCAJの数倍の規模
この年は
西岡さん小原さん大西さんと pic.twitter.com/2zRmU8L9ab
A&L LLC. 顧問 浅野氏(写真左)
香川県 珈琲倶楽部 代表 大西氏(写真右)その師匠となる方はなんと日本でコーヒー界を先導する
今回は、こちらのお二人がサンプル豆を焙煎されました。
浅野氏がエチオピアを
「【上海ホテレックス会場視察2018】―フジローヤルにて写し焙煎競技会」,金澤屋珈琲店本店ブログ 2018年4月30日.
大西氏は、ブラジルを焙煎されました。
中国最大の展示会2019年
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 1, 2020
この年は昔からの友人
山本くん率いるヒロ珈琲の
若き焙煎士、川又さんと共に
富士ローヤルの大会を開催
優勝者は香港の代表 pic.twitter.com/0SDA7k4ekh
中国最大の展示会2019年
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 1, 2020
この年は
ネルドリップ普及協会と
ブネイコーヒーも参加されていた
2020年は展示会は中止
もうぼくは行くことはないかな pic.twitter.com/f1cavPqqfe
2019年上海展示会にあわせて
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 2, 2020
1日大坊珈琲店in上海が
ネルドリップ普及協会と
富士ローヤルの主催で
開催された
こちらは富士ローヤル上海支店での会
真剣に見入る光景は日本と同じ pic.twitter.com/lD7BTjTsuL
1日大坊珈琲店in上海の2日目
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 2, 2020
静安寺の久光(そごう)の中にある
ネルドリップ普及協会の繁田くんが
主催する繁田上海焙煎倶楽部の
関係店「ホァプル」にて
涙していたお客様が印象的だった pic.twitter.com/2VgJ5E9bQL
讃喫茶室
自家焙煎珈琲店 讃喫茶室は、2010年に兵庫県宝塚市に開業しました。
2011年3月11日に東日本大震災が発生し、福島県飯舘村の自家焙煎の名店、椏久里珈琲も移転を余儀なくされました。
このお話頂戴いたします。先日、讃喫茶室の浅野さんと話していたら「椏久里」市沢さんの消息を気にされていたのでコレお知らせします。 @y_tambe 福島県飯舘村の喫茶店「椏久里」のお話。
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 11, 2011
2018年、東京都世田谷区の尾山台駅近くに、讃喫茶室の姉妹店として讃喫茶室 尾山台が開業しました。浅野は現在、宝塚市の讃喫茶室と尾山台の讃喫茶室 尾山台の代表を務めています。
「珈琲が好きで自家焙煎店を開業したい」とか
— 浅野嘉之 (@asanosancafesan) May 5, 2020
「珈琲店を開業することが自分の夢です」とか
若き日僕自身もそうであって尚かつ恵まれた時を過ごせているので、夢はとても大切だと思うし、そう信じたい。
自分を徹底的に珈琲にのめり込ましてくれた人がいる
もしその方がいなければここまで珈琲屋を続けてくることが出来たかどうかそれ以前に珈琲そのものに目を向けることとが出来たかどうか甚だ疑問だ
もう30年も前になると思うのが柴田書店の珈琲だけに焦点をあてた
おそらく最初(ぼくがかってにそう思っている)の雑誌“Blend”が発刊された
大変な名著でその後の珈琲関係の雑誌に少なからず
影響を与えたのではないかと考えている(中略)
その“Blend”の編集長
山内秀文氏
当事彼にとってみればこのような人間がいることはむろんあずかり知らないことではある
だが私にとっては大きなターニングポイントになった山内秀文氏に感謝
「かってに恩人」,讃喫茶室 2010年8月31日.
<参考>
讃喫茶室 尾山台<https://cafe-san.stores.jp/>
讃喫茶室 F<http://w01.tp1.jp/~a000130051/>
FUJI ROYAL<https://fuji-royal.jp/>
handa pandaの珈琲探訪<https://ameblo.jp/carmojapan/>
カフェ・ド・カルモのブログ<http://cafedocarmo.jugem.jp/>
豆処ローストハウス ブラウンチップ<https://carmo.jp/>
Blog 喫茶 いずみ<http://blog.kissa-izumi.com/>
帰山人の珈琲漫考<https://kisanjin.blog.fc2.com/>
今井利夫の珈琲三昧<https://chuplus.jp/blog/list.php?category_id=297>
金澤屋珈琲店本店ブログ<http://kanazawayahonten.blog.fc2.com/>
嶋中労の「忘憂」日誌<http://rouroushimanaka.blogspot.com/>