
ドナルド・N・シェーンホルトとギリーズ・コーヒー・カンパニー
ドナルド・N・シェーンホルトとギリーズ・コーヒー・カンパニー
1840年、ライト・ギリーズ(Wright Gillies)はニューヨーク州ロウアー・マンハッタンのワシントン・ストリートでギリーズ・コーヒー・カンパニー(Gillies COffee Company)を創業した。第二次世界大戦中にシェーンホルト家(Schoenholt Family)が約50,000ドルで買収した。
ドナルド・N・シェーンホルト(Donald N. Schoenholt)は、1945年に生まれ、11歳までに父親であるデビッド(David)からカッピングを学んだ。14歳の頃には、焙煎とブレンドを行っていた。1965年、デビッドが心臓発作で引退を余儀なくされた後、ドナルドは19歳で会社を引き継いだ。
すでにコーヒーの知識はあったが、経営は初心者だった。競合他社に顧客を奪われ、ギリーズは苦境に陥った。ドナルドは苦難の洗礼を受けながらも、経営面を学び、この苦境を乗り切った。彼が後を継いだ当時、ギリーズは主にレストランにコーヒーを販売していた。1960年代後半になると、小規模のエスニック食料品店が25ポンド入りの袋でコーヒー豆を買うようになった。
ドナルドは、彼らが飲料ではなくコーヒー豆を販売していることに気付き、消費者にコーヒー豆を販売することに力を注ぐことにした。その結果、ソーホー、グリニッジ・ヴィレッジ、アッパー・イースト・サイドに小売店ができた。
1975年、ドナルドの旧友であるハイ・チャボット(Hy Chabbott)がギリーズに加わり、会社の成長を後押しした。しかし、店舗は週7日営業であり、2人とも若い家族から多くの時間を奪っていることに気付き始めた。ギリーズは小売店を閉店し、卸売業に専念した。
1970年代、「スペシャルティコーヒー」がコーヒーの世界に新たな息吹を吹き込んでいたが、ドナルドはその先駆的な存在だった。1960年代にはブレンドしていないホールビーンコーヒーの提供を、1970年代にはフレーバーコーヒーの導入をいち早く試みた。また、1980年代には長い間アメリカ合衆国で不在であったジャマイカ・ブルーマウンテンコーヒーを再び一般的に入手できるようにした。また、焙煎したてのカフェインレスコーヒーをフードサービス向けに提供する先駆者となり、レストランにカスタムブレンドと豆の挽き方を独自に提案した。彼は若い頃からコーヒー抽出研究所(CBI)(Coffee Brewing Institute)が定めた抽出基準を高く評価し、他のロースターが基準を下げても、彼はこの基準を忠実に守り続けた。
70年代初頭には、ドナルドは他の都市にも自分と同じようなビジネスを展開しているロースターがいること、ワシントンDCのM.E.スウィング(M.E. Swing)のような古くからのリテーラーや、シアトルのスターバックス(Starbucks)のジェリー・ボールドウィン(Jerry Baldwin)のような新規参入業者の中にも、注目すべき成功者がいることを知るようになっていた。ニューヨークではジョエル・シャピロ(Joel Schapiro)が、カリフォルニア州バークレーではアルフレッド・ピート(Alfred Peet)が、カナダではティモシー・スネルグローブ(Timothy Snellgrove)が、ニューオリンズではフィリス・ジョーダン(Phyllis Jordan)が、ボストンではジョージ・ハウエル(George Howell)が、各々のビジネスを始めていた。
ドナルドは、大手企業のやり方がアメリカ合衆国のコーヒーのカップ・クオリティの低さの原因であり、アメリカ合衆国におけるコーヒー消費量の減少の原因であると考えていた。彼は業界誌に働きかけ、本悪的にコーヒー業界に対する批判を始めた。1981年8月、ワールド・コーヒー&ティー(World Coffee & Tea)誌が初めてスペシャルティコーヒーを表紙に取り上げ、ギリーズの窓からの眺めが表紙を飾った。1981年10月、ドナルドはニューヨーク・コーヒー・ロースターズ協会(New York Coffee Roasters’ Association)で講演した。ティー&コーヒー・トレード・ジャーナル(Tea & Coffee Trade Journal)の発行人兼編集者のジェームズ・P・クイン(James P. Quinn)は、グルメコーヒーの将来性をあまり考えていなかったが、グリニッジ・ヴィレッジのブリーカー・ストリートまで来て、ドナルドとギリーズを訪問した。1982年11月に始まったドナルドによるスペシャルティコーヒーの連載は、やがてレギュラーコラムとなり、やがて彼はティー&コーヒー・トレード・ジャーナルの寄稿編集者となった。
1980年代の初め、ドナルドのコーヒー仲間の一人で、ボストンにあるゴールデン・フード&ビバレッジ(Golden Food & Beverage)のマーヴィン・ゴールデン(Marvin Golden)が、ある日ドナルドに、カリフォルニア州ベル・ガーデンズにある小さな家族経営のロースターのエグゼクティブで、ベトナム帰還兵のウェストポインター(ウェストポイント陸軍士官学校で教育を受けた学生や卒業生)であるテッド・リングル(Ted Lingle)と話すことを勧めた。マーヴィンとテッドは、ロンドンにある国際コーヒー機関(ICO)(International Coffee Organization)のプロジェクトに参加しており、ワシントンDCにコーヒー生産国のための米国プロモーション部門、オフィス・コーヒー開発グループ(OCDG)(Office Coffee Development Group)を設立していた。後にコーヒー開発グループ(CDG)(Coffee Development Group)と短縮されたこの事務所は、アメリカ合衆国のコーヒー産業のオフィスコーヒー部門を支援するための戦略とプログラムを開発していた。オフィスコーヒー部門の問題は、パックに入っている量にあった。適切な量は約3倍であるところ、10杯分で7/8オンスしか入っていなかった。使用されているコーヒーの品質も間違いなく標準以下だった。彼らは、成長しつつあるスペシャルティコーヒー部門との関係構築にも興味を持っていた。テッドは、アメリカ西海岸での組織の構想に関心があるかどうかを調べ始めていた。ロンドンの国際コーヒー機関(ICO)は、コーヒー業界の代表者で構成されるスペシャルティコーヒータスクフォース(Specialty Coffee Task Force)を設立し、スペシャルティコーヒープログラムを支援する資金を提供していた。マーヴィンの紹介で、テッドとドナルドは電話で話したことがあったが、二人はワシントンで開かれたコーヒー開発グループ(CDG)の会合で初めて会った。
1981年6月、ドナルドはギリーズのブリーカーストリート本社で会合を開いた。ヴァン・コートランド・インポーターズ(Van Cortlandt Importers)、オールド・コロニー・コーヒー(Old Colony Coffee)、ヘナ社(Hena Inc.)など、ニューヨークのロースター数社が参加し、ワールド・コーヒー&ティー誌も含まれていた。その中で、新しい業界団体の構想についても触れられた。ドナルドは、テッドが知的で人格者であると感じた。テッドの冷静な気質や目的意識は、彼を天性のリーダーにし、将来的なメンバーを組織化することに優れていた。印刷物、ラジオ、テレビで活躍し、高級コーヒーのスポークスマンであったドナルドは、若きニューヨーカーを惹きつけ、他の小規模なコーヒー関係者を全国的な業界団体を目指すテッドの考え方に引き込むのに役立った。その後数ヶ月の間に、ドナルドとテッドは一緒に仕事をするようになった。
BC アイルランド(B.C. Ireland)のエルナ・クヌッセン(Erna Knudsen)、テッドらカリフォルニアの業界リーダーたちは、全米スペシャルティコーヒー諮問委員会(NSCAB)(National Specialty Coffee Advisory Board)という名称の業界団体について話し始めた。彼らは、ラベリング基準、共通の業界用語、業界最高基準への準拠を保証するためのコーヒー審査委員会(Coffee Examining Board)の構想などを含むアイデアを業界内に回覧した。理想主義は、幅広いメンバーを獲得するという現実的な必要性に取って代わられることになった。当初提案されたものとは異なる目標を持った組織、つまり教育的要素が強く、宣伝的要素も強い組織が誕生することになる。1982年10月、一同はサンフランシスコのノブヒルにあるホテル・ルイーザ(Hotel Louisa)に集まった。そこで誕生したのが、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)の設立趣意書だった。
<参考>
Coffeeman:https://gilliescoffee.com/pages/coffeeman
Donald N. Schoenholt, Gillies Coffee Company, Brooklyn, New York.:https://www.thefreelibrary.com/Donald+N.+Schoenholt%2c+Gillies+Coffee+Company%2c+Brooklyn%2c+New+York-a053527444
Grinding out a long career, Gillies Coffee Company brews up profits in Brooklyn:https://www.nydailynews.com/2011/04/22/grinding-out-a-long-career-gillies-coffee-company-brews-up-profits-in-brooklyn/