
ヴィンチェンツォ・サンダィユ『多様性の祝祭』
ヴィンチェンツォ・サンダィユ『多様性の祝祭』
ヴィンチェンツォ(ヴィンコ)サンダルジ(Vincenzo (Vinko) Sandalj)は、1950年にイタリアのトリエステで生まれた。サンダルジは、1974年に経済学の学位を取得し、ヨーロッパの貿易会社で経験を積んだ。26歳の時に父親であるアントニオ(Antonio)の会社で働き始め、父親の死後、1979年に29歳で会社を経営する立場になった。彼の家族のビジネスは、オーストリア=ハンガリー帝国時代の植民地商品取引に遡る。世界大戦において悲惨な損失を被り、1946年にコーヒー専門に転換した。
トリエステは、1719年に神聖ローマ皇帝カール6世によって、ハプスブルグ法の下で、自由港に指定されたことにより、オーストリア=ハンガリー帝国の主要な港湾都市となり、コーヒー豆の荷下ろしにおいて最も重要な港の一つとなった。1797年にナポレオン・ボナパルトがカンポ・フォルミオ条約に署名し、ヴェネツィア共和国が滅亡したことは、トリエステ港にさらなる恩恵をもたらした。19世紀を通じて、この都市は商人たちにとって理想的な商業拠点となり、帝国第4の都市として初めて商港を備える都市へと発展していった。
自由港の繁栄の中で、特に大きな役割を果たしたのはコーヒー取引であった。多彩なルーツを持つ事業家たちが、当時としては先進的な手段で貿易を担った。1891年に設立されたトリエステコーヒー協会(英語:Trieste Coffee Association、イタリア語:Associazione Caffè Trieste)(当初はコーヒー貿易に関心を持つ協会(Association of Interested in the Coffee Trade)、後にコーヒーの貿易と産業に関心を持つ協会(Association of Interested in the Trade and Industry of Coffee)と改称)はイタリアで最初の同業団体であり、ハンブルクとアムステルダムに次ぐヨーロッパで3番目の団体となった。19世紀後半には、コーヒーの焙煎を専業とするロースターが誕生し、20世紀初頭には、商工会議所内にコーヒー取引所と商品化学研究所が設立された。
かつてコーヒーが単なる商品として扱われていた時代、サンダルジは生産地を繰り返し訪れる中で、多様な生態系こそがフレーバーを決定づける最大の鍵であり、各カップに個性を与える核心的な要素だと気付いた。こうした発見を受けて、1980年代に整えられた会社の輸入体制は「品質重視」を軸とし、多様な産地が各ロットに反映される点に注目した仕組みへと再編された。


このような考え方は、サンダルジが友人であり写真家のフルヴィオ・エカルディ(Fulvio Eccardi)とともに出版したコーヒーに関する2冊の書籍『COFFEE – 多様性の祝祭』(原題:Coffee, a Celebration of Diversity)、『コーヒー、メキシコ・チアパスの奇跡』(原題:Coffee, The Wonder of Chiapas)にも反映されている。
実際私たちが発見したのはさまざまなレベルにおける多様性である。コーヒーそのものの中の多様性、そしてコーヒーが成長する自然環境(しばしば危機に瀕している)の多様性、これらの場所に存在する植物界、動物界の多様性、コーヒーを栽培する農家の文化やしばしば忘れられている先住民たちの中にある多様性。それはこの本を貫いている大きなテーマである。この多様性を保護するためにたくさんの現実的な方法でコーヒー栽培は重要な貢献をしている。私たちは山地林の境界で緩衝地帯としての役割を果たしているコーヒープランテーションを見た。それは自然そのままの生物多様性を保護し、その壮大なエデンの園に住む数え切れないほどの植物と動物(渡り鳥を含む)の種を護っている。そのような多くの場所では、特にラテンアメリカではそうであるが、コーヒーは環境にもっともダメージを与えない作物である。結局のところ、そのような似通った生態系に展開し独自に調和したコーヒーはうまくいけば長い期間その環境で生きながらえ、その自然環境を保護することができる。
ヴィンチェンツォ・サンダルジ,フルヴィオ・エカルディ『COFFEE – 多様性の祝祭』日本語版への序文 多様性への覚書
唯一の換金作物であるコーヒーの収入を使って、自分たち独自の言語を大衆文化の侵入による消滅から防ぎ、子供たちに教えることのできる学校の設立を助けている共同体に私たちは出会った。
大事なことを書き忘れたが、私たちは世界中で栽培されるコーヒーのたくさんの品種と、それらが私たちや読者のみなさんに提供してくれる味を発見した。
これら全ての味は互いに調和して一つのものになる。世界中の生産者によって提供される豊かな多様性を楽しめるかどうかは、私たちが相互依存の中でその多様性を助成し続けていくことにかかっている。これらの努力の中でコーヒーは重要な貢献をしている。コーヒーそして私たちが愛するそのフレーバーは、私たちみなを結びつけている広大な多様性の世界と密接不可分である。
サンダルジは、2013年7月2日に63歳で亡くなるまでに、コーヒー産業界で様々な役職を歴任した。国際コーヒー機関(ICO)(International Coffee Organization)(ロンドン)の貿易顧問、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)の国際関係委員会のヨーロッパ代表、ヨーロッパスペシャルティコーヒー協会(SCAE)(Specialty Coffee Association of Europe)の創設メンバー兼理事会メンバーを務め、最終的に会長に就任、トリエステコーヒー協会の会長を数期務めた。また、グルメコーヒーの潜在能力開発(Development of Gourmet Coffee Potential)に携わり、カップ・オブ・エクセレンス(CoE)(Cup of Excellence)の理事会メンバーも務めた。晩年には、インドネシアへのコーヒー視察旅行中に、農業大臣と会い、その後、同国におけるコーヒー産業のリーダー兼専門家としてインドネシア名誉領事に就任した。