グアテマラのスペシャルティコーヒーの市場開拓とカップ・オブ・エクセレンス

グアテマラのスペシャルティコーヒーの市場開拓とカップ・オブ・エクセレンス

グアテマラのスペシャルティコーヒーの市場開拓とカップ・オブ・エクセレンス

グアテマラは、ブラジル最初のカップ・オブ・エクセレンス(CoE)(Cup of Excellence)、ベスト・オブ・ブラジル(Best of Brazil)に引き続き、カップ・オブ・エクセレンス(CoE)を開催した2カ国目となった。

第1回グアテマラ カップ・オブ・エクセレンス(CoE)は、2001年4月30日から3日間、グアテマラシティで開催され、2001年6月6日にインターネット・オークションが行われた。主催はアナカフェ(Anacafé)であった。

1989年、アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)は初の大会を開催し、組織としての形を整え始めたばかりだった。1989年に割当制度が廃止され、コーヒーの世界は一夜にして自由市場となった。ピーツ・コーヒー&ティーやスターバックスのようなコーヒーチェーンは既に登場していた。1989年にアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)のメンバーがニューオリンズに集ったとき、その同じ年に多くの課題が集中した。

グアテマラは内戦中であり、公式和平協定の草案作成が始まったばかりだったが、同国のコーヒー産業と30万人の生産者は、主要な雇用源であり国家経済の基盤である産業の復興に一刻も早く取り組むことを決意していた。

1993年、価格は約20年ぶりの安値を記録し、アナカフェの指導部は今回の下落が単なる価格変動ではなく構造的衰退の始まりである可能性に直面せざるを得なかった。最重要市場である米国では1950年代初頭からコーヒー消費量が着実に減少しており、低迷する市場にスペシャルティコーヒー販売がわずかな希望の光をもたらしていたとはいえ、状況は厳しいものだった。
1990年代初頭の提示価格(1ポンドあたり0.50ドルという低水準)では、コーヒー栽培は単純に採算が取れない状態だった。大規模生産者でさえ、価格が支えられるか補助されない限り生き残れなかった。アナカフェ歴代会長がほぼ例外なく「市場の不可避的な力に従った」と語る決断として、理事会は1995年に成長著しいスペシャルティコーヒー分野への進出戦略を推進することを決定した。これは高級SHBコーヒーを促進する技術支援と、グアテマラ国内に8つの地域別原産地呼称を設定し、それぞれに独自のカップ・プロファイルを付与するマーケティング戦略を通じて実施された。(例:ハイランド・ウエウエコーヒーは「強烈な酸味とフルボディ、心地よいワインのようなニュアンス」が特徴で、標高5,000フィート以上の石灰岩土壌で年間降水量約1,300mm、気温範囲華氏68-75°Fの環境で栽培される)しかし異なっていたのはコーヒーだけではない。高収量のプライム級・エクストラ・プライム級コーヒーを生産する大規模農園(カフェタレロ)とは異なり、SHBスペシャルティコーヒーを栽培していたのは主に高地に住む小規模なマヤ系・ラディーノ系農家であった。アナカフェが、協会内で大きな影響力を持つ大規模生産者の物質的利益に明らかに反する重点転換を支持したことは、奇妙なことのように思える。大規模生産者たちは、自らが栽培するプライム級コーヒーがかつてのような収益を生まず、現在の土地で栽培可能な唯一の品種であることに気づいたのかもしれない。彼らは他の作物や土地利用へと多角化した。後から見ればゴムや畜産への転換は賢明な選択に映るが、当時はリスクと不確実性に満ちた決断だった。市場転換期にコーヒー寡頭勢力が衰退する市場シェアを強硬に守ろうとしたと推測するのは容易である。あるいは小規模生産者を無視し、アナカフェの技術支援・市場支援資源を残存するプライム級コーヒー生産に集中させる選択肢もあった。代わりに、彼らはアナカフェの仕組みを転用し、スペシャルティコーヒー市場の拡大する規模と収益性を支えることにしたのである。

In 1993, prices dropped to their lowest point in almost twenty years, and the leadership of Anacafe had to confront the possibility that this time the drop was not just the latest fluctuation in prices but a step on a structural decline. Coffee consumption in the United States, the most important market, had steadily decreased since the early 1950s, even if specialty coffee sales offered a glimmer of hope in the dismal market. At the prices offered in the early 1990s (as low as $0.50 per pound) it was simply uneconomical to grow coffee; even the large growers could not survive unless prices were supported or subsidized (see Eakin, Tucker, and Castellanos 2006; Murray, Raynolds, and Taylor 2006). In a move that the past presidents of Anacafe virtually all retell as a story of following the irresistible power of market forces, the board decided in 1995 to pursue a strategy of expanding into the growing specialty coffee segment. They did this through technical assistance that promoted high-end SHB coffees and a marketing strategy that delimited eight regional denominations of origin within Guatemala, each with its own cup profile. (For example, Highland Huehue coffee is marked by "intense acidity with a full body and pleasant wine notes," grown above 5,000 feet in limestone soils with about 1,300 mm of annual rainfall and a temperature range of 68-75 degrees Fahrenheit.) It was not only the coffee that was different, though. Unlike the cafetalero's large fincas that produced highyield Prime and Extra Prime coffees, the growers who grew the SHB specialty coffee were mostly small-scale Maya and Ladino farmers in the highlands. It seems odp. that Anacafe supported a shift in emphasis apparently counter to the material interests of the larger growers, who held considerable sway in the association. It may be that the large producers came to see that the prime-grade coffee they grew was not going to produce the returns it once did. Since this was the only kind of coffee they could grow on their current land, they diversified to other crops and land uses. In hindsight it looks like a smart move to shift into rubber and cattle, but at the time the decision was full of risk and uncertainty. We could easily imagine the coffee oligarchy clamping down during the market shift, brutally protecting their declining market shares (cf. Berry 2001). Short of this, they could also have ignored the small producers and focused Anacafe's technical and market support resources on the remaining prime coffee production. Instead, they turned the machinery of Anacafe to support the growing volume and profitability of the specialty coffee market

Edward F. Fischer and Bart Victor"HIGH-END COFFEE AND SMALLHOLDING GROWERS IN GUATEMALA"

アナカフェのウィリアム・ヘンプステッド(William Hempstead)は、グアテマラには高品質なコーヒーを生産する潜在力があり、多様な微気候を備え、さらに世界的評価を得ているアンティグア地域を有していること、そして輸出割当の自由化により自由に市場へアクセスできることに着目した。そのうえで彼は、マーケティング戦略において製品差別化が不可欠であると認識し、ワイン産業に学んだ。ワインにメルローやカベルネといった多様な品種が存在するように、コーヒーにもカツーラやカツアイといった品種があり、両者には多くの類似点があると見出した。こうした発想を基盤として、グアテマラはコーヒー生産国の中でいち早く付加価値戦略へと舵を切ったのである。

1990年代初頭まで、コーヒー産業において国を地域別に区別するという概念はほぼ存在しなかった。当時のスペシャルティ市場で流通していたコーヒーは主に「グルメ」ブレンドとしてブランド化され、高品質な100%アラビカ種が中心であった。単一農園や有機栽培によるコーヒーはごく一部の高級市場に限られ、シングルオリジンとして流通していたのは、ケニア、コロンビア、エチオピア、ブラジルなどに限られていた。

1990年代初頭より、アナカフェ(Anacafé)は、カップ・プロファイル、気候、土壌、標高に基づき、生産地域を体系化する先駆的な取り組みを開始し、ストリクトリー・ハード・ビーン(SHB)を生産する5つの地域が特定された。1990年代半ばのアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)年次大会で、グアテマラのコーヒー産地地図が初めて紹介されて以来、アンティグア、ウエウエテナンゴ、アティトラン、コバン、フライハネスの伝統的な5地域に加え、サン・マルコス、アカテナンゴ、ニュー・オリエンテの新しい地域が追加され、8つ地域に拡大した。この地域区分の確立により、各エリアのカップクオリティを独自に評価し、国全体のプロファイルとは異なる価値を強調することが可能になった。

さらに2000年にはGPS技術を活用して地理情報システム(GIS)を構築し、地域単位のみならず農園や協同組合、小規模生産者までを定義した。技術者たちは農園の位置、標高、品種、生産量などを調査し、現在では全国の約3,500の農園と協同組合の95%がマッピングされている。この成果により、アンティグア地域では原産地呼称(Denomination of Origin)の申請が可能となり、他の地域にも波及している。

プロジェクトの次段階として、コーヒー検索システム(Coffee Search System)が開発された。このツールは、品種・標高・産地・収穫期などの属性に基づき、オンラインでコーヒーを検索可能にした。検索結果はウェブマップ形式で表示され、バイヤーが理想のコーヒーを見つけるための包括的なツールを提供している。

アナカフェの戦略は、国全体のブランド構築に焦点を当てたコロンビアとは対照的であった。グアテマラは地域ごとの差異を明確にすることで、品質の特定・改善・制度化を推進し、ワイン産業に倣った製品差別化を実現した。これにより、微気候の違いを活かした多様なコーヒーの存在が世界市場に示されることとなった。

グアテマラの成功要因の一つは、その豊かな小気候にある。例えばアンティグアとアカテナンゴはわずか18kmしか離れていないが、火山に隔てられた両地域のコーヒーには顕著な違いが見られる。特にウエウエテナンゴは同一地域内で25種類以上の微気候に基づく多様な風味を生み出し、過去10年間で最も名声を高めた地域とされている。

2001年にグアテマラで初めて開催されたカップ・オブ・エクセレンス(CoE)のインターネット・オークションの時点では、ウエウエテナンゴ産コーヒーはほとんど無名であった。しかし、その後「ウエウエ」の名称で急速に知られるようになり、現在では高品質コーヒーの代名詞となっている。特にアルトゥーロ・アギーレのエル・インヘルト農園は、品質の安定性と卓越性により記録的な7度の優勝を果たし、世界的評価を確立した。

こうした20年以上にわたる地道な取り組みによって、グアテマラは付加価値の高い市場で確固たる地位を築いた。現在、生産量の約80%がプレミアム価格で取引されており、その成果は中米の他国に類を見ないものである。この成功は、品質追求と革新的なマーケティング戦略、そして生産者とアナカフェの協働によってもたらされたものである。

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