パナマ フィンカ・ラ・ミラグロッサとヘクトル・バルガス・ゴメス
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パナマ フィンカ・ラ・ミラグロッサとヘクトル・バルガス・ゴメス

フィンカ・ラ・ミラグロッサ

ヘクトル・バルガス・ゴメス

フィンカ・ラ・ミラグロッサ(Finca La Milagrosa)は、パナマ(Panama)チリキ県(Chiriqui Province)ボケテ地区(Boquete District)アルト・ボケテ(Alto Boquete)に位置する農園です。標高約1,500mに位置しています。

「ラ・ミラグロッサ(La Milagrosa)」という農園名は、スペイン語で「奇跡」という意味です。この農園名には、農園主のヘクトル・バルガス・ゴメス(Hector Vargas Gomez)が、何のリソースもなしに夢を実現できたという意味が込められています。

ヘクトル・バルガス・ゴメス

ヘクトル・バルガス・ゴメス(Hector Vargas Gomez)は、彼の両親がコーヒー生産者であったため、非常に若い頃からコーヒー生産に携わってきました。ヘクトルの両親は、彼をコーヒー生産者にしたくなかったため、学校に送りました。しかし、パナマでは、コーヒーの収穫時期と学校のバケーションの時期が重なっていたため、幸運にもコーヒー生産と学校を両立させることができました。

ヘクトルは、軍学校の高校を卒業しました。彼は100人中17番目の比較的優れた成績を収めたため、海外に留学する機会を得ました。彼は航空に興味を持ち、最初にベネズエラに留学しました。その後、ブラジルかカナダへと留学する選択肢がありました。当時のパナマは、マヌエル・ノリエガが権力を握っていた時代でした。ヘクトルは最終的に、盲目な服従を要求する軍のシステムに耐えることができなくなり、すべてを捨てる準備を始め、彼の両親をがっかりさせました。

ヘクトルは10代の頃から、機械、溶接、電気の取引について学んでいました。これは彼が生計を立てることと教育資金を貯めることに役立ちました。最終的に、彼はこの資金を農園に投資することにしました。そこは、木が1本もない3ヘクタールの牧草地でした。

ヘクトルは、1984年に小さな農園を創業しました。彼はまず、松と糸杉を植えることにしました。1,000本の苗は、所有地に境界を引くために使われました。囲われた土地は、在来種と外来種の森となりました。彼は、趣味としてコーヒーノキを植えました。知識がなかったために、農園の発展は非常に遅く、儲けがなかったために、農園を売ろうとしたことも2度ありました。

最初に植えた品種は、耐病性があるとして知られていたゲイシャ(Geisha)でした。最小限耕起された牛糞の土壌に植えましたが、うまくいきませんでした。そのエリアはシェードと雨が多く、植物が繁栄しませんでした。品種を多様化し、カツーラ(Caturra)、カツアイ(Catuai)、ティピカ(Typica)を植えました。これらは実験的に行われたことで、ゲイシャは生産されることはありませんでした。2005年に、ゲイシャが新たな市場を開拓する異なった価値があることに気付きましたが、栽培のマニュアルもなく、アドバイスをするスタッフもいませんでした。

焙煎機

ヘクトルは最初の収穫時に、コーヒーの生産プロセスを外部委託するには費用がかかることに気付き、自らそれを行うことを決めました。彼は資金調達のために銀行からローンを借りようとしましたが、小さな土地ではローンを返済するのに十分なコーヒーを生産することはできないことを理由に断られました。そこで、彼は道具や機会を自ら作り始めました。

2020年に公開されたパナマのコーヒーに関するドキュメンタリー映画『ハイヤー・グラウンズ(Higher Grounds)』では、パナマの生産者がまだ焙煎機すら持っていなかった時代、ヘクトルは2年をかけて古い車の部品を使い自ら焙煎機を作り上げたことが語られています(25分10秒あたりから)。

ヘクトルは、何世代にもわたって農業活動をしている家系の、世代から世代へと知識が伝達される利点に気付きました。彼の家族は、彼が農業をすることに反対しており、長い間1人で事業をするほかありませんでしたが、その後家族の支援を受けることができるようになり、彼らの知識を事業に適応しました。

ヘクトルは、コーヒーの生産や精製を行う人々と話すために、コスタリカに行きました。そこでカッピングのコースを受けましたが、これは苦手であることに気付きました。2008年に、ゲイシャの生産に戻りました。

2005年に、農園を訪れた観光グループの中にいた日本人男性が、この農園で生産されたコーヒーをすべて買い取りたいと申し出ました。ここから国際市場へ販路が開拓されました。翌年には、台湾に出荷しました。2007年から2008年頃に、ヘクトルはアメリカ合衆国への最初の直接取引を達成し、2008年から2009年の間には、ヨーロッパでコーヒーを販売しました。

ヘクトルは、ベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)で入賞を果たすまでに、農園を成長させました。

ヘクトルは、2019年に59才で亡くなりました。自殺だったようです。彼は、「ティト(Tito)」のあだ名で知られていました。

Hallan a uno putrefacto y a otro con un tiro en el pecho en Boquete:http://elsiglo.com.pa/cronica-roja/hallan-putrefacto-otro-tiro-pecho-boquete/24146433

農園観光

"Finca La Milagrosa-Tour Cafetal",21AGusto 2010年9月17日.

フィンカ・ラ・ミラグロッサでは、農園観光が行われています。ヘクトルによって、コーヒーチェリーから一杯のコーヒーに至る過程が説明されていました。

品種

フィンカ・ラ・ミラグロッサでは、ゲイシャ(Geisha)、カツーラ(Caturra)、カツアイ(Catuai)、ブルボン(Bourbon)、パカマラ(Pacamara)、 パチェ(Pache)、ムンド・ノーボ(Mundo Novo)などが栽培されています。

農園では、在来種の他に、オレンジ、アボカド、レモン、カスタードアップル、バナナなどが栽培されています。

<参考>

"FINCA LA MILAGROSA",Specialty Coffee Association of Panama<http://scap-panama.com/2017/04/03/finca-la-milagrosa/>

"Finca La Milagrosa",Agroturismo en Panamá<https://agroturismoenpanama.com/portafolio/finca-la-milagrosa/>

"Miraculous – Finca La Milagrosa",Location Panama<http://www.locationpanama.com/miraculous-finca-la-milagrosa/>

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