ジャマイカ 旧クライスデール・エステート
旧クライスデール・エステート
旧クライスデール・エステート(Old Clydesdale Estate)は、ジャマイカ(Jamaica)サリー郡(Surrey County)セント・アンドリュー教区(Saint Andrew Parish)に位置していた農園です。コーヒー生産地域としては、ブルーマウンテン・エリア(Blue Mountain Area)に区分されます。
旧クライスデール・エステートは、ブルーマウンテン・コーヒーの生産地の中央に位置していたため、「ザ・ハート・オブ・ザ・ブルー・マウンテン(The Heart of the Blue Mountains)」と呼ばれています。
旧クライスデール・エステートは、ジャマイカでコーヒーの商業生産を最初に始めた最も歴史のあるコーヒー農園の1つです。
旧クライスデール・エステートは、元々ジャマイカに旅行でやってきたイギリス人医師、コリン・マクラーティー(Colin McClarty)の所有地でした。短期間の滞在の予定でしたが、ジャマイカに魅了された彼は、この地に定住することを決意しました。
チェスターベール・エステート(Chestervale Estate)のオーナーであったコリン・マクラーティーは、1800年にこの農園を4つの区画に分割しました。彼は874エーカーを確保し、2つの区画はウィリアム・グリフィス(William Griffiths)の所有するニューポート・ヒル(Newport Hill)、329エーカーで構成される4つ目の区画がアレクサンダー・マッカーティー(Alexander MacCarty)の所有するクライスデール(Clydesdale)となりました。
アレクサンダー・マクラーティは、1821年に亡くなるまでクライスデールの所有者であったようです。1823年には、ニューポート・ヒルとして知られるようになったチェスターベールの旧区画が、クライスデールに併設されました。1823年のジャマイカ・アルマナック(Jamaica Almanac)には、この農園の所有者として「アレクサンダー・マッカーティーの領地」が記載されており、1826年にも同じ記載があります。地図と生産物勘定(Accounts Produce)のデータから、農園の所有者がそれ以上いないことがわかります。1838年のジャマイカ・アルマナックに掲載された年季奉公人の統計によると、この時点で農園はアレクサンダー・キャンベル(Alexander Campbel)の所有となっていました。
1822年、マクラーティの死後しばらくして、領地の管理はアレクサンダー・キャンベルに引き継がれました。次に生産物勘定に登場する1825年までには、ジョージ・ディクソン(George Dixon)が農園の管理を引き受け、1839年にロバート・ホッグ(Robert Hogg)が農園の運営を引き継ぐまで、この地位に留まりました。1841年には、チャールズ・ラスセルズ(Charles Lascelles)が農園の管理を引き継ぎ、これが農園に関連する最後の名前となりました。1842年の生産物勘定の項目が、クライスデールの最後の記録となります。クライスデールは、中規模の生産性のコーヒー農園でした。記録されている最大の収穫量は1829年のもので、77,654ポンドのコーヒーが生産されました。生産物勘定によると、1821年から1843年にかけて、生産量が20,000ポンドを下回ったのは3回のみですが、1823年、1824年、1827年、1840年の記録は存在しません。これらの記録から、クライスデールの経営者は、少なくとも奴隷解放後の前半10年間は、収穫を成功させるために十分な労働力を組織することができたと考えられます。ジャマイカ・アルマナックに掲載された1818年の奴隷申告書には、当時農園に所属していた奴隷労働者109人が報告されています。この数は1820年までに115人に増え、1821年には1人減って114人になりました。年季奉公人制の終わりには、89人の年季奉公人がで働いていました。
現在稼働はしていませんが、当時の精製所、乾燥場、水車は200年以上経った今も現存しています。クライスデール・グレート・ハウス(Clydesdale Estate Great House)は、1820年代に建設されました。この建築は、ジャマイカのフランス人住宅によく見られるドーマー窓があり、フランスの影響を受けていることが見て取れます。石造りの2階建ての建物の1階部分には精製所と水車があり、現在もそのまま残っています。上階は監督か帳簿係が使用していたと推測されています。
これらの場所は、ジャマイカ政府から国家遺産に指定されています。ジャマイカ林業局(Jamaica Forestry Department)によって苗床として使用されていましたが、修繕や維持のための十分な資源がないため、建物と敷地は荒廃しています。
現在、旧クライスデール・エステートは操業を停止しており、クライスデール・ブランドのコーヒーは、この土地周辺の小規模農家によって栽培されています。生産はシャープ家(Sharp Family)が管理しています。
マリアンヌ・ノース
1871年にクリフトン・マウント(Clifton Mount)を訪れたイギリスの旅行家であり植物画家であるマリアンヌ・ノース(Marianne North)は、ブルーマウンテンを描いた絵画を残しています。オリジナルの絵画は、ロンドンのキューガーデン(Kew Gardens)に保管されています。
品種
品種はブルーマウンテン・ティピカ(Blue Mountain Typica)です。
精製方法
栽培されたコーヒーは、近隣のクリフトン・マウント・ウェット・ミル(Clifton Mount Wet Mill)というウェット・ミルと、ブルーマウンテン・コーヒー・プロセサーズ(BMCP)(Blue Mountain Coffee Processors)というドライ・ミルで精製されます。
樽
クライスデールの生豆は、70kg樽、30kg樽、15kg樽に梱包されます。
旧クライスデール・エステート Old Clydesdale Estate:https://real-coffee.net/category/coffee-origin/the-caribbean/jamaica/blue-mountain-area/st-andrew-parish/old-clydesdale-estate