ボルカフェ(Volcafe)の歴史 ボルカート・ブラザーズからED&F マンへ
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ボルカフェ(Volcafe)の歴史 ボルカート・ブラザーズからED&F マンへ

ボルカフェ(Volcafe)

サプライチェーン

ボルカフェ(Volcafe)は、ED&F マン(ED&F Man)のコーヒー事業です。ボルカフェは、アラビカ種とロブスタ種コーヒーの世界最大手の貿易業者の1つで、シングル・オリジンのマイクロロットから、主要商品のコモデイティ、特注のブレンドまで幅広く取り扱っています。

ボルカフェの日本法人は、1919年(大正8年)大阪府大阪市に日瑞貿易株式会社として設立されました。当時はボルカート・ブラザーズ(英語:Volkart Brothers、ドイツ語:Gebrüder Volkart)としてインド綿花など植民地商品を取り扱う貿易会社でしたが、1989年にボルカート・ブラザーズがコーヒー事業をエルブ・グループ(Erb Group)に売却後は、ボルカフェとしてコーヒー事業を行っています。2003年にエルブ・グループが破産した後、ボルカフェは2004年にED&F マン(ED&F Man)によって買収されました。

ボルカート・ブラザーズ

ヴィラ・ヴェーンタール 出典:Edition Winterthur

ボルカート・ブラザーズ(英語:Volkart Brothers、ドイツ語:Gebrüder Volkart)は、スイス(Switzerland)チューリヒ州(Canton of Zürich)ヴィンタートゥール(Winterthur)に拠点を置く貿易会社です。1851年に設立され、植民地商品の貿易においてスイスを代表する企業であり、1999年までは世界第4位の綿花貿易会社でした。

イングランドは、1651年のオリバー・クロムウェルの航海法によって、非ヨーロッパの物資の往来を統制し、最初の海洋貿易国となりましたが、1849年にこの法律が廃止されたことで、インドとヨーロッパ間で初めて自由な物資の往来が可能となりました。この新たな取引の機会を生かすために、サロモン・ボルカート(Salomon Volkart )と弟のヨハン・ゲオルク・ボルカート(Johann Georg Volkart)の兄弟は、航海法が廃止された2年後の1851年2月1日、ボルカート・ブラザーズ(英語:Volkart Brothers、ドイツ語:Gebrüder Volkart)をゼネラル・パートナーシップによって設立し、本社をヴィンタートゥールとインドのボンベイ(Bombay)(現ムンバイ(Mumbai))に置きました。

この商社は、インドから綿花、茶葉、油脂、コーヒー、ココア、香辛料、ゴムなどの植民地商品を輸入し、その代わりに石鹸、紙、マッチ、時計、繊維、機械などの工業製品をインド亜大陸に輸出しました。事業は成功し、1857年にセイロン(Ceylon)(現スリランカ(Sri Lanka))のコロンボ(Colombo)、1859年にインド(India)のコーチン(Cochin)、 1861年にパキスタン(Pakistan)のカラチ(Karachi)に支店が作られました。ヴィンタートゥールでは、サロモン・ボルカートが、1856年に建築家レオンハルト・ツイッヒャー(Leonhard Zeugheer)に依頼して、ヴィラ・ヴェーンタール(Villa Wehntal)を建設しました。1859年に本社をヴィラ・ヴェーンタールに移転しましたが、5年後の1864年には、ネッツリハウス(Nötzlihaus)に移転しました。

19世紀半ばに国際的な貿易事業を立ち上げるのは、非常に困難を伴うことでした。当時は電話も電信もなく、インドとヴィンタートゥールにいたフォルカート兄弟は、手紙でのみやりとりが可能でした。さらに手紙は、スエズ運河がまだ開通していなかったため、船でアフリカを回って運ばなければならず、少なくとも2カ月はかかりました。

1861年にヨハン・ゲオルク・ボルカートが急死すると、サロモン・ボルカートは家族以外のパートナーと一緒に事業を続けなければならなくなりました。ロンドンとインドの通信が1860年に確保され、1865年に直結するようになったため、1868年にはロンドンにも子会社が設立されました。1869年11月17日には、スエズ運河が開通し、アフリカを迂回して輸送する必要がなくなりました。1871年に本社は再び変更が必要となり、シュタットハウスシュトラーセ 135(Stadthausstrasse 135)のハウス・ズル・グロリア(Haus zur Gloria)に移転しました。1879年に再び本社を、ヴィンタートゥール銀行(Die Bank in Winterthur)があった建物に移転しました。1905年には、ターナーシュトラーセ(Turnerstrasse)に最初の自社管理ビルであるボルカート・ハウスを建設しました。

政治的・経済的困難、頻繁な会社経営の変更、そして健康状態の悪化により、サロモン・ボルカートは1875年に退任し、息子のゲオ・G・ボルカート(Geo G. Volkart)が会社を引き継ぎました。サロモン・フォルカートの娘であるリリー・フォルカート(Lilly Volkart)が、1876年にテオドール・ラインハート(Theodor Reinhart)と結婚したことにより、1879年にテオドール・ラインハートが会社に加わり、1912年に事業を完全に引き継ぎました。1919年1月17日、テオドール・ラインハートは、短い闘病生活の後、心臓発作で亡くなりました。

1926年には、すでにインドに80の支店があり、インドにおけるスイスの代表的存在となっていました。ターナーシュトラーセのボルカート・ハウスでは、会社の需要を満たすことができなくなったため、ザンクト・ゲオルゲンプラッツ 2番地(St. Georgenplatz 2)に移転し、1955年にボルカート・ハウスに戻るまで、本社はそこに置かれ続けました。

ラインハート家の第3世代は、事業よりも芸術に関心を示しました。オスカル・ラインハート(Oskar Reinhart)は絵画、ヴェルナー・ラインハート(Werner Reinhart)は音楽と文学に情熱を傾けました、また、末っ子のハンス・ラインハート(Hans Reinhart)は、芸術に情熱を傾け、多くの芸術家や作家と親交を深め、著名な演劇賞「ハンス・ラインハート・リング(Hans-Reinhart-Ring)」の創設者となりました。1904年に入社したテオドール・ラインハートの長男、ゲオルク・ラインハート(Georg Reinhart)だけが、事業に目を向けました。息子のペーター・ラインハート(Peter Reinhart)が経営を引き継いだ後、ゲオルク・ラインハートは彼の兄弟と同様に、芸術やスポーツなど文化の領域に関心を向けました。

ラインハート家の第4世代は、ペーター・ラインハートが中心となって会社を牽引しました。第二次世界大戦後に植民地が廃止されたために、彼は貿易活動の中心を欧米に向け、事業の危機と戦争の時代を乗り切りました。そして、1999年に綿花取引から撤退するまで、綿花の取引において世界有数の企業となりました。

1985年、ラインハート家の第5世代のアンドレアス・ラインハート(Andreas Reinhart)が、他の家族事業をすべて一本化し、会社の経営を引き継ぎました。彼は戦後の新しいグローバル経済において、従来の貿易事業を維持することはできないと確信し、方針転換を図りました。しかし、彼の打ち出した投資と株式保有の方針は大きく失敗し、会社を弱体化させました。

ボルカート・ブラザーズは、1989年にコーヒー事業から撤退し、この事業をエルブ・グループ(Erb Group)に売却しました。それ以来、コーヒー事業はその始まりを意識して「ボルカフェ(Volcafe)」(ボルカート(Volkart)の「ボル(Vol)」とコーヒーの「カフェ(cafe)」)という名称で展開してきました。2003年にエルブ・グループが破産し、2004年にボルカフェはED&F マンに買収されました。

会社は現在もラインハート家によって引き継がれていますが、ボルカートのウェブサイトでは、様々な財団についてのみ紹介されており、もはや独自の事業活動を行っていません。

ジェームス・マンとマン・グループ

ジェームス・マン(James Man)は、1755年11月21日にロンドン(Londo)ホワイトチャペル(Whitechapel)で生まれました。樽職人としてウィリアム・ハンフリー(William Humphrey)の見習いとなり、アメリカ独立戦争を終結させたパリ条約が締結された1783年に、樽職人および砂糖の仲買人として独立しました。しかし、樽職人として事業はまもなく廃止されました。

1784年に、マンはイギリス海軍にラム酒を供給する契約を結びました。水兵たちが伝統的に飲用する毎日1杯のラム酒を提供し、この契約は1970年まで186年間にわたって継続しました。1803年に、マンは砂糖やラム酒から、コーヒーやココアなどの他の商品にも事業を拡大しました。これらの取引はコーヒー・ハウスのキャンドル・オークション(Candle Auction)で実施されました。

1810年に、会社はテムズ川の北岸、商品取引の中心地であったミンシング・レーン(Mincing Lane)に移転しました。マンは1819年に引退した後、デボン州(Devon County)ダートマス(Dartmouth)に移り、1823年に死去しました。

1848年にシカゴ商品取引所(CBOT)(Chicago Board of Trade)、1856年にカンサスシティ商品取引所(KBOT)(Kansas City Board of Trade)が設立されました。シカゴ商品取引所(CBOT)は、1865年に先物の清算業務を開設、1877年にトウモロコシ、小麦、オーツ麦の先物取引を開始しました。1882年にニューヨーク市コーヒー取引所(Coffee Exchange in the City of New York)(現ニューヨークコーヒー砂糖ココア取引所(CSCE)(Coffee, Sugar and Cocoa Exchange))で、コーヒーの最初の先物取引が行われました。

コーヒーをはじめとするコモディティへの投資は、オルタナティブ投資の1つです。マンの始めた事業は、商品取引のエクスポージャーをヘッジするために生まれた金融取引所の出現に続いて、徐々に金融サービスに多角化していき、やがてイギリス最大のオルタナティブ投資運用会社であるマン・グループ(Man Group)に成長しました。

1869年に、ジェームズ・マンの孫のエドワード・デスボロー・マン(Edward Desborough Man)とフレドリック・マン(Fredrick Man)のイニシャルを取り、ED&F マン(ED&F Man)と社名が変更されました。ED&F マンは、1994年にロンドン証券取引所(LSE)(London Stock Exchange)に上場し、2000年に金融サービスと商品部門が、完全に異なる2つの事業として分割されました。商品部門は、マネジメント・バイアウト(MBO)(Management Buy Out)で非公開化されました。

ED&F マンは、2004年にエルブ・グループ(Erb Group)からボルカフェ(Volcafe)を買収しました。

ボルカフェ・ウェイ

"Meet Volcafe Way",Genuine Origin 2017年11月16日.

2001年に、アメリカ合衆国でスペシャルティコーヒーを普及させることを目的として、ボルカフェの姉妹ブランド、ボルカフェ・スペシャルティコーヒー(VSC)(Volcafe Specialty Coffee)が誕生しました。

2014年にボルカフェは、アフリカ、アジア、ラテン・アメリカの現地調査チームの知識を結集し、高品質なコーヒーを持続的に調達するための2年間の研究活動を行いました。そして、2016年に持続可能な調達戦略としてボルカフェ・ウェイ(Volcafe Way)が立ち上げられ、生産者に直接技術支援を提供する生産者支援組織(FSO)(Farmer Support Organization)を設立し、生産者がコーヒーの品質、生産性、収量を継続的に改善できるように支援しています。また、ボルカフェ・ウェイで調達したコーヒーを、オンライン小売モデルであらゆる規模のロースターに提供するアイディアを具現化することを目的に、ジェニュイン・オリジン(Genuine Origin)が誕生しました。

これらは持続可能性の戦略というよりも、コーヒーのサプライチェーンへの長期投資であり、ボルカフェの事業戦略として位置付けられます。

<参考>

VOLKART SHIFTUNG<https://www.volkart.ch/en>

ED&F Man<https://www.edfman.com/>

Volcafe Specialty Coffee<https://volcafespecialty.com/>

Genuine Origin<https://www.genuineorigin.com/>

Volcafe Way<https://volcafeway.com/>

VOLCAFE LTD, JAPAN<https://volcafe.co.jp/>

yasuokaの日記: 日瑞貿易株式会社の設立日<https://srad.jp/~yasuoka/journal/559685/>

"Zeugheer, Leonhard, Architekt, 1812-1866",w i n t e r t h u r - g l o s s a r . c h<https://www.winterthur-glossar.ch/app/default/pub/fw.action/wine.article?ce_id=222&ce_name=Person>

"Erb group restructured: Volcafe not affected.",The Free Library<https://www.thefreelibrary.com/Erb+group+restructured%3A+Volcafe+not+affected-a0114819521>

"UPDATE 3-Erb Group collapses, seeks new owner for Volcafe",WardsAuto<https://www.wardsauto.com/update-3-erb-group-collapses-seeks-new-owner-volcafe>

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