オリバー・クロムウェルのピューリタン道徳とロンドンでのコーヒー・ハウスの大流行

オリバー・クロムウェルのピューリタン道徳とロンドンでのコーヒー・ハウスの大流行

オリバー・クロムウェルのピューリタン道徳

1657年4月1日、オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell)の国務議会は、「悪臭の放つ抽出液(noisome brew)」、泡だらけのコーヒーに税金を課すように命じた。 1652年にロンドンで最初のコーヒー・ハウスが開かれてから、ロンドン中にコーヒー・ハウスが広がっていた。税金は廃止されたが、高価なハイストリートのラテの伝統が確立された。

というのは、クロムウェル博物館(The Cromwell Museum)が2021年4月1日のエイプリルフールについた嘘であり、実際にはそのような税金は課されていない。

一般的な認識では、厳格なピューリタン(清教徒)であった(という建前の)クロムウェルの独裁下では、あらゆる娯楽が禁止された。しかし、クロムウェル博物館によると、実際にはいくつかの禁止事項があっただけで、それらがどれほど効果的であったかは疑問視されるものであったらしい。

ロンドンの最初のコーヒー・ハウス

ロンドンのコーヒー・ハウスは、この時期に発展したものだった。ロンドンの最初のコーヒー・ハウスは、1652年にアルメニア出身のパスカ・ロゼ(Pasqua Rosée)によって開かれた(彼は前年の1651年、オックスフォードに最初のコーヒー・ハウスを開いている)。

 イギリス初のコーヒーハウスは1650年にジェイコブというユダヤ人が、オックスフォードで開いた店だと言われています。ただしこの店は長続きせず、本格的な流行は1652年にアルメニア出身のパスカ・ロゼがロンドン初のコーヒーハウスを開いてから。ここからまさにコーヒーハウスの「爆発的」な大流行が始まります。その30年後のピーク時には人口50万人ほどのロンドンに、なんと3000軒ものコーヒーハウスが立ち並んでいたそうです。

旦部 幸博(2017)『珈琲の世界史』,講談社現代新書.p.92-93

ロゼは、レバント商人であるダニエル・エドワーズ(Daniel Edwards)の使用人であった。エドワーズは、トルコ商人であり食料雑貨店を経営していたロンドンのトーマス・ホッジス(Thomas Hodges)の家に、彼の娘との結婚のために招かれたため、ロゼを連れてイギリスへとやってきた。

ロゼは、中東での取引を商いとし、このアラビアの飲み物に魅了されていたエドワーズとホッジスの支援により、コーンヒル(Cornhill)のセント・マイケルズ・アレー(St. Michael's Alley)でコーヒー・ハウスを開くことになった。

ロゼのコーヒー・ハウスはその後、1674年にジャマイカ・コーヒー・ハウス(Jamaica Coffee House)になり、1869年にジャマイカ・ワインハウス(Jamaica Wine House)に変わった。ジャマイカ・ワインハウスには、ロゼのコーヒー・ハウスのプレートが残されている。ロゼはパリに移り、1672年にサン=ジェルマン=デ=プレ広場に最初のコーヒー・ハウスを開いた。

About: Pasqua Rosée:https://dbpedia.org/page/Pasqua_Ros%C3%A9e

Coffee Culture:http://www.levantineheritage.com/coffee-culture.html

ロゼがロンドンで最初のコーヒー・ハウスを開いてから、ロンドンではコーヒー・ハウスが大流行が起った。ロンドンでコーヒー・ハウスが発展した理由としては、クロムウェルの独裁下でアルコールが推奨されていなかったため、代替品としてコーヒーが推奨されたことが一因として挙げられる。

イギリスのコーヒー・ハウスでアルコールが提供されていたかどうかについては、クロムウェル博物館はコーヒーと同様にアルコールも提供されていたとし、旦部 幸博(たんべ ゆきひろ)氏は「(少なくとも流行初期は)酒を出さない店」(『珈琲の世界史』93から94ページ)だったとしている。

ちなみに、1644年にスコットランドでは、クロムウェルを財政的に支援するために、初めて酒税が導入された。

The Scotch 第3章 REBELLION 反乱 Ballantine's Story - サントリー:https://www.suntory.co.jp/whisky/Ballantine/chp-03.html

合邦下のスコットランド - 学校法人関東学院:https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=NI20000932&elmid=Body&fname=p039-069.pdf

コーヒー・ハウス・トークン

コーヒー・ハウス・トークン 出典:大英博物館

ハーフペニー硬貨とファージング硬貨の長期にわたる不足により、日常の商取引のための少額の硬貨が必要とされた。そのため当時のロンドンでは、数多くのトークンが使用されており、コーヒー・ハウスも独自のトークンを発行していた。14世紀半ばにまで遡るロンドンでの商業目的のトークンの発行は、1666年から67年に最盛期を迎えた。これは1666年のロンドン大火からの回復の時期と一致する。その後、鋳造される数が急速に減少し使用されなくなった。これは主に、トークンの使用の禁止を命じた王室の布告と、公式コインの発行によるものだった。

1660年代半ばから1670年代初頭にかけて、ロンドンのコーヒー・ハウスでは、約80種類の異なったトークン(ペニー硬貨とハーフペニー硬貨)が発行された。 最も古い日付のコーヒー・ハウス・トークンは、1664年に誕生した。ロンドンのコーヒー・ハウス・トークンの約半数は、1669年から1671年に発行され、そのうちの約20種類は1ペニーの価値があった。

当時のコーヒー・ハウスでどのようなメニューが提供されていたかについては、トークンに刻まれた文字から推測できる。モラッツ・コーヒー・ハウス(Morat’s Coffee House)のトークンには、「コーヒー、タバコ、シャーベット、茶、チョコレート(Coffee Tobacco sherbet tea&chocolate)」の文字が刻まれている。「茶(tea)」の文字はこのトークン以外には見られないために、このトークンは、イギリスの国民飲料となった茶の時代の始まりとコーヒーの時代の終わりの前兆として、結果的には評価される。

日本のコーヒーポット

ロンドンでコーヒー・ハウスが流行し始めた頃、日本からヨーロッパへ「奇妙な形」をしたコーヒーポットが輸出されていた。

メトロポリタン美術館が所蔵するこのポットは、1650年から1675年にかけて製造されたと考えられている。中国の陶磁器の生産の減少により、日本の陶磁器産業はその代わりとして、オランダとの貿易を通じて繁栄した。日本の陶芸家は、コーヒーポットのこのような形に馴染みがなかったため、オランダから模倣のためのモデルが提供されたようだ。

日本でのコーヒーの最初の飲用については、1641年に長崎の出島にオランダ商館が移されて、その商館に出入りしていた人々がコーヒーを飲んでいた可能性に触れられている。他方で、日本はオランダからの陶磁器の受注を通じて、コーヒーという飲み物の存在を知った可能性もある。

 いつ誰が日本ではじめてコーヒーを飲んだのか、その正確な記録は残っていません。17世紀末〜18世紀頃、出島のオランダ商人たちが飲んでおり、それを商館に出入りしていた通訳、遊女、役人らも飲んだのが最初だと考えられています。

旦部 幸博(2017)『珈琲の世界史』,講談社現代新書.p.190

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