コーヒー:一つの商品の叙事詩(Coffee: The Epic of a Commodity):クレオパトラとウィリアム・ハーヴェイの「溶かした真珠」

ウィリアム・ハーヴェイの56ポンドのコーヒー

 血液の循環を発見した著名なイギリス人医師ウィリアム・ハーヴェイ(一五七八〜一六五七)とその兄弟は、ロンドンでコーヒー・ハウスが流行する前(一六五二年以前と思われる)に、すでにコーヒーを飲用していたといわれている。ジョン・オーブリー(一六二六〜九七)の『小伝記集』(一八一三、ロンドン刊)には「彼は兄弟のエリアブとともにロンドンでコーヒー・ハウスが流行(はや)る以前にコーヒーを常用していた」と書かれている。

ウィリアム・H・ユーカーズ『ALL ABOUT COFFEE コーヒーのすべて』山内秀文訳,角川ソフィア文庫.p.85

血液循環説で知られるウィリアム・ハーヴェイ(William Harvey)は、ヨーロッパでのコーヒーの初期の飲用者の一人だといわれている。

彼は死の床にあって、公証人を呼び寄せて、一粒のコーヒー豆の割れ目を指してこう述べた。

この小さな果実が幸福と理知の源なのだ(This little fruit is the source of happiness and wit)

ハーヴェイは56ポンドのコーヒーを王立内科医協会(Royal College of Physicians)へ贈り、その備蓄が続く限り、彼の命日に全員が参集して飲んでくれるようにと、遺言を遺した。

わずか56ポンドのコーヒーである。それはこの時代の人々が、コーヒーを「溶かした真珠(ドイツ語:aufgelöste Perlen)」のように、少しづつ啜って飲んだことを示している。つまり薬のように、いや、それは実際に薬だったのだ。

これは、ハインリヒ・エドゥアルト・ヤコブ(Heinrich Eduard Jacob(H.E. Jacob))の1934年の著書『コーヒーの物語と凱旋(ドイツ語:Sage und Siegeszug des Kaffees)』に登場するエピソードである。事実かどうかはともかく、当時は希少だったはずのコーヒーが、どのように飲用されていたか想像する上では興味深い。

1935年に出版されたエデン・ポール(Eden Paul)とシダー・ポール(Cedar Paul)の翻訳による英語版『コーヒー:一つの商品の叙事詩(Coffee: The Epic of a Commodity)』では、「溶かした真珠(ドイツ語:aufgelöste Perlen)」が次のように敷衍されている。

クレオパトラが真珠を溶かしたと言い伝えられる酢に劣らぬ貴重な飲み物(hardly less precious a beverage than the vinegar in which Cleopatra is fabled to have dissolved a pearl)

クレオパトラの真珠

「クレオパトラの真珠」とは、プリニウス(Plinius)『博物誌』の第9巻に登場するエピソードである。

アントニウスが日毎凝った宴会でたらふく飲み食いしていたとき、彼女は女王らしい気まぐれからではあったが、気高くもあり傲慢でもある誇りをもって、彼の仰々しい華美に対して軽侮の言葉をあびせた。アントニウスがこの上どんなすばらしさを工夫することができるのかとたずねたとき、彼女は答えた。わたしはたった一回の宴会に一千万セステルティウスを費やしてお目にかけましょうと。アントニウスはどうしたらそんなことができるものか知りたいと熱望した。彼はそんなことは不可能だと思っていたのだが。そこで賭けはなされた。そして勝負が決まるはずの翌日、彼女はアントニウスの前にすばらしい宴会を設けた。といっても、日を無駄に過ごさないようにしたので、供されたものは毎日のそれと別に変ったものではなかった。アントニウスはその吝嗇を笑い諫言した。しかし彼女はそれをほんのつけたりの心付けであって、宴会が計算が合うこと、彼女自身の食事だけでも一千万セステルティウスかかると断言した。そして二皿目をもってくるように命じた。かねての命令に従って、召使は彼女の前にたった一つの酢の入った容器をおいた。その酢の強くて激しい性質は真珠を溶かすことができるものであった。彼女はそのとき自分の耳にあの珍しい、自然の無二の製作品をつけていた。アントニウスはいったい彼女は何をしようとしているのか見たいという好奇心にかられた。彼女はひとつ耳環を外して、その真珠を酢の中に落とした。そして真珠が溶けてしまうと一気に飲み干した。この賭の審判をしていたルキウス・プランクスは、彼女がいまひとつの真珠を同じ方法でだめにしようとしたとき、それに手をあてて、この戦はアントニウスの負けだと宣告した。

プリニウス(著)中野定雄, 中野里美,中野美代(訳)『プリニウスの博物誌』, 雄山閣出版.第9巻[119]-[121] p.418

プリニウスの『博物誌』では、「もっと前の真珠物語」として、悲劇役者アエソポスの息子クロディウスのエピソードが置かれている。

「クレオパトラの真珠」と似たようなエピソードは、サー・トマス・グレシャム(Sir Thomas Gresham)についても語られている。エリザベス女王がロンドン王立証券取引所(Royal Exchange)を訪れたとき、千五百ポンドの真珠を砕いた粉を入れた葡萄酒で女王の健康を乾杯したという話である。

これはトマス・ヘイウッド(Thomas Heywood)の『私を知らなければ、誰も知らない(If you know not me you know nobody)』に登場するエピソードである。

Here fifteen thousand pounds at one clap goes
Instead of sugar; Gresham drinks the pearl
Unto his queen and mistress.

ここで千五百ポンドが一撃で
砂糖の代わりになる;グレシャムは女王陛下へ
真珠で乾杯する

「クレオパトラの真珠」は、真珠が酢に溶けるのか、それほど強い酸は飲むことができるのかが疑問視されるため、単なる創作に過ぎないと考えられることもあるエピソードである。

ともあれ、「クレオパトラの真珠」では、富を誇示するものとして一気に飲み干される「溶かした真珠」が、『コーヒー:一つの商品の叙事詩(Coffee: The Epic of a Commodity)』では、希少な飲み物であったはずのコーヒーを、少しづつ味わう比喩として表現されるのは、興味深いものである。

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