松屋コーヒー本店と松下家
松屋コーヒー本店と松下家
名古屋大須「松屋コーヒー本店」の抄史記事が「博物館 明治村」のメディアサイトに登場だ!(松下会長の若き日の写真もある、コレがイイな)https://t.co/JCqk0ODhYY
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) December 25, 2021
1909年(明治42年)、松屋コーヒー本店の現会長である松下 和義(まつした かずよし)の祖母、松下 こうは、食料品店を始めました。
松下さん:「明治42年、私の祖母である松下こうが創業したのがはじまりです。今の店舗の近くで、当時は砂糖や小豆などの穀物を扱う食料品店でした。祖父は小学校の先生をしており、定年退職してから本業になりますが、最初は副業だったと聞いています。」
明治42年といえば、前年にはじまった日本から送り出したブラジル移民の多くが、コーヒー農園で働いており、その功績として、ブラジル政府から無償のコーヒー豆が提供されることが決まった年です。
溝呂木 真弓「コーヒーのファーストウェーブは明治時代から!? コーヒー文化について明治創業「松屋コーヒー」に聞いてみました。」,メイジノオト 2021年12月24日.
翌1910年(明治43年)、第10回関西府県連合共進会が開催されました。
関西府県連合共進会は、第1回目が明治16年に大阪市で開催されて以来、国内の大規模博覧会として、3年おきに開催されていました。明治43年の当地開催の趣旨は「日本全国から多くの人に名古屋に訪れていただき、当地の製品を広く世間に知らしめ、モノづくりの発展に資する」こと。
「明治43年(1910) 第10回関西府県連合共進会」,名古屋商工会議所のあゆみ
第10回関西府県連合共進会の会場となったのは、鶴舞公園です。
名古屋市が初めて設置した公園である「鶴舞公園」は、明治末期の「精進川」の改修と合わせて造成され、「第十回関西府県連合共進会」(以下「共進会」)の会場となった。その後、図書館、公会堂、運動場なども整備され、現在に至るまで名古屋市の文化・スポーツの拠点の一つとして、また市民の憩いの場として親しまれている。改修された「精進川」は「新堀川」へ改称され、両岸では工業や木材業が発展した。
「「鶴舞公園」と「新堀川」の誕生」,三井住友トラスト不動産
松下 和義の祖父である松下 秀彦(まつした ひでひこ)は、尋常小学校の先生でした。教師の定年を迎えた1919年(大正8年)頃から、彼は東京で見つけてきたコーヒーの販売をするようになりました。当初はビリヤード場や洋食屋にコーヒーを卸していましたが、昭和初期には万松寺近くで喫茶店を営業していた時期もありました。
その裏門前町という地域は、明治43年に第10回関西府県連合共進会という博覧会が鶴舞公園で開催された時、その仕事をあてこんで各地から建具屋、指物屋が集まってきて、東海地区随一の家具屋街に発展していた。その賑わいの中での開店だったと推察される。
大正8年(1919)になると、秀彦が教師の定年になり、店を本業にするようになった。その頃からコーヒーの豆を売るようになった。
昭和の初期には、大須の万松寺の近くで喫茶店を開業して、自ら喫茶店を営むようになった。
昭和14年(1939)には秀彦が亡くなり、後を子の真が引き継いだ。会社としての基盤は、この真の代で築かれた。そして昭和61年には真が亡くなり、後を和義氏(現社長)が引き継いだ。
「この年に創業 名古屋のコーヒー業界の草分け 松屋コーヒー」,愛知千年企業
第10回関西府県連合共進会の出展物の中には、豊田 佐吉(とよだ さきち)の織機が含まれていました。一宮モーニング協議会は、繊維業を営む「はたや」さんに朝のサービスとしてゆで卵とピーナツを付けたのが、喫茶店のモーニングサービスの始まりという説を唱えています。
一宮の街でやたらと多いのが喫茶店。とくに朝の時間帯はドリンク代のみ(お店によってはわずかな追加料金が必要な場合もあります)でトーストやゆで卵、サラダなどが付く「モーニングサービス」があります。
「モーニング発祥の地」,一宮モーニング
その起源はガチャマン景気に沸いた昭和30年代前半。繊維業を営む、いわゆる「はたや」さんは昼夜を問わず頻繁に喫茶店を訪れていました。そこで人の良いマスターが朝のサービスとしてコーヒーにゆで卵とピーナツを付けたのがはじまりです。
大竹 敏之(おおたけ としゆき)は、一宮から名古屋へモーニングが派生していったことにも、繊維業が大きく影響しているという説を唱えています。
一宮から名古屋へとモーニングが派生していった経緯についても繊維業が大きく影響している、とは大竹さんの仮説。
「名古屋の丸の内周辺には、東京の横山町、大阪の丼池筋に並ぶ日本三大繊維問屋街のひとつ・長者町繊維街があります。一宮の機屋さんたちはそこへ納品しに行きます。商品を納めて、さて喫茶店で一服でもしようとなったときに『モーニングが付いてこんがや(尾張弁:付いてこないね、の意味)』)となったのではないでしょうか。そこで、『一宮にはこんなサービスがあるからやってみや~(やってみたら?)』、と名古屋の喫茶店のマスターに教えたんじゃないかと考えてみたんです」。この仮説はさらなるリサーチによって裏付けも取れたという。「長者町付近で昭和30年前後から営業している喫茶店のママさんから、『うちのお爺さんが、一宮の人に言われて(モーニングを)始めたんだわ』という証言を得られました。このことから、一宮の繊維街で生まれたモーニングが長者町に伝わり、そこから名古屋全域に広がっていったと考えてもいいのではないかと思います」
松尾 麻衣子「名古屋名物“モーニング”。発祥の地・一宮市でその秘密と喫茶文化に迫る!」,LIFULL HOME'S PRESS 2021年8月10日.
2015年6月7日に開催された「日本コーヒー文化学会(JCS) 第22回総会&記念行事」では、シンポジウム「愛知県・岐阜県を中心とする喫茶店のモーニングサービスの文化とその変遷」が開催されました。
総会議事の前、一ヵ月前に逝った畔柳潤氏(JCS顧問・元副会長)を偲んで全員で黙祷。
「JCS巡遊記 後篇」,帰山人の珈琲漫考 2015年6月11日.
議事の後、まずシンポジウム「愛知県・岐阜県を中心とする喫茶店のモーニングサービスの文化とその変遷」(座長:井上久尚氏/パネラー:坂柳猛興氏・塩澤敏明氏)。塩澤さんを主に商売目線に傾きすぎた話しぶりだが、ここまでくると演芸のモーニングサービスか?
パネラーの一人である塩澤 敏明(しおざわ としあき)は、富士コーヒーの社長でした。
富士コーヒー物語。富士コーヒー株式会社の代表取締役である塩澤敏明氏は若き日にブラジルへ渡り、日本人初のクラシフィカドール小室博昭氏(1937-2002)の薫陶を受けた「名古屋の三羽烏」の一人である。その塩澤敏明氏が、2016年11月2日に69歳で歿した。
「何が物語だ」,帰山人の珈琲漫考 2016年12月4日.
富士コーヒーのペルーのフジスペシャルを東谷山フルーツパークのコーヒー展で買ってきた。若き日にブラジルで故小室博昭氏の薫陶を受けた「名古屋の三羽烏」の一人、約一ヵ月前に急逝された故塩澤敏明社長を偲びながら飲んでいる。哀悼の意を表します。 pic.twitter.com/RiLhCAGGbK
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) December 3, 2016
松屋コーヒー本店(1909年(明治42年)創業)は、ワダコーヒー(1918年(大正7年)創業)、松屋コーヒー店(1931年(昭和6年)創業)、富士コーヒー(1948年(昭和23年)創業)、澤井コーヒー本店(1948年(昭和23年)創業)、齊藤コーヒー(1948年(昭和23年)創業)、イトウコーヒー(1951年(昭和26年)創業)、イトウ珈琲商会(1951年(昭和26年)創業)、ワルツ(1952年(昭和27年)創業)、ボンタイン珈琲(1958年(昭和33年)創業)、ガロン(1958年(昭和33年)創業)、共和コーヒー店(1960年(昭和35年)創業)、松屋コーヒー部(1962年(昭和37年)創業)、マウンテンコーヒー(1967年(昭和42年)創業)、シーシーエスコーヒー(1968年(昭和43年)創業)、ダフネコーヒー(1968年(昭和43年)創業)、コメダホールディングス(1968年(昭和43年)創業)、ビクトリア珈琲(1975年(昭和50年)創業)、セルビア珈琲商会(1997年(昭和52年)創業)、honu加藤珈琲店(1986年(昭和61年)創業)、やなか珈琲(1997年(平成9年))(エムジーコーヒー)といった愛知県の中規模ロースターのなかでも、最も老舗のロースターです。
また、松屋コーヒー本店から暖簾分けした店として、松屋コーヒー店(ピタットハウス北岡崎店)、松屋コーヒー分店、千種松屋コーヒー、松屋コーヒー部(ゴルピーコーヒー)があります。
松下 和義は、1955年(昭和30年)に松屋コーヒー本店に入社しました。1986年(昭和61年)に父である松下 真(まつした しん)が亡くなり、3代目の社長に就任し、小売業務を拡大しました。2012年(平成24年)に息子である松下 幸司(まつした こうじ)に社長職を譲り、現在は会長に就任しています。
昨13日、名古屋市鶴舞中央図書館の秋の読書イベント第2弾「珈琲と読書の香り高い関係」に参加して、マウンテンコーヒーの岩山社長と談話してきました。その後、大道町人祭で賑わう大須へ行って、松屋コーヒー本店の松下会長と談話してきました。いずれも、ごちそうさまでした。 pic.twitter.com/DoX889fH86
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) October 14, 2018
開店2日目の「カフェルパン伏見店」訪。遇った隣席のおっさん2人(松屋コーヒー本店の松下社長とマウンテンコーヒーの岩山社長)と談じながらホンジュラスのスペシャルティを飲む。続いて臨店した松下会長と談じながらパンDEグラタンを食す。好い店だ。〔袖看板がない店なので、そのつもりで行ってね〕 pic.twitter.com/OqYSs6lTZ8
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 30, 2023
2023年5月29日、CAFE LEPIN(カフェ ル パン) 伏見店が新しくオープンしました。
「コーヒーの変遷」
コーヒーサロン in 名古屋「コーヒーの変遷」に行ってきた。とても楽しい時間であった。松下会長の昔話、ホセの現在進行形の話、コーヒーの未来はどう変化するのだろう?
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) October 9, 2016
「私は世界でコーヒーが変わることをしった。」 | 帰山人の珈琲漫考 https://t.co/GYVCGzkRF6
2016年10月8日、主催者 コーヒーアミーゴス中部、場所 なごや地球ひろば(JICA)で、「コーヒーの変遷」というイベントが開催されました。松下 和義は、「中部地方の喫茶文化(30分)」という講演を行いました。
テーマは、コーヒーの変遷。
松屋コーヒー松下会長より、の名古屋の喫茶文化、モーニング文化などについて。そして、松屋式ドリップの始まりと説明をしていただきました。戦前後は、コーヒー豆が非常に貴重品で輸入量が少なかったが、1970年前後から大幅に増加しコーヒーが普及し、多くの喫茶店が開店していき忙しい毎日が続いたという歴史を教えていただきました。その中で喫茶店同士の競争もあり、モーニングやおつまみ、開店時の粗品や、コーヒーチケットが利用されていったようです。
「第48回コーヒーサロン in 名古屋(コーヒーの変遷)開催されました」,コーヒーサロン 2016年10月9日.
そして昭和38年ごろに開発された松屋式コーヒーの理論を熱弁していただきました。
名古屋のモーニング、おつまみ、開店時の粗品、コーヒーチケットなどは、コーヒーが広く普及し、喫茶店同士の競争が激しくなった時代に広まっていったようです。
1.中部地方の喫茶文化 (松下和義/聞き手:大西文明)
昔の松屋コーヒーと若かりし頃の松下さんの写真。 代用コーヒーは昭和35(1960)年くらいまであった。 名古屋の焙煎業者は値段勝負で売りっ放しの東京や大阪とは違って喫茶店と密なつきあい。(中略)4.パネルディスカッション
「私は世界でコーヒーが変わることをしった」,帰山人の珈琲漫考 2016年10月9日.
参加者との質疑応答が主。私も質疑。生豆卸業者と結託して名古屋喫茶事業協同組合へ生豆を供給しない取り決めで中部日本コーヒー商工組合が独禁法違反の審決を公取から下された1978年の事件を例に、中部地方のコーヒー業界の特性を松下さんに問う(笑)。
名古屋のロースター(焙煎業者)は、喫茶店に焙煎豆を卸すだけでなく、喫茶店の手伝いや経営に関する提案をするなど、密接な付き合いがあったようです。
喫茶店開業への指導と支援 行き過ぎた結果(?)の独禁法違反(1978)
「名古屋コーヒー学」,帰山人の珈琲漫考 2019年11月6日.
⇒地元焙煎業者による「コーヒー愛」が名古屋コーヒーを生み出した
独禁法違反の審決は、鳥目散 帰山人(とりめちる きさんじん)が2019年11月4日に行われた「名古屋コーヒー学」で話題に取り上げました。
「名古屋コーヒー学」
名古屋市中区大須で行われる「やっとかめ文化祭 寺子屋」の中で、「名古屋コーヒー学」と題して松屋コーヒー本店前のセミナールームで行われるイベントです。講師は松下和義氏(松屋コーヒー本店)と鳥目散帰山人氏(日本珈琲狂会)の二人で、「名古屋の喫茶店文化を支えてきたのは、なんといってもコーヒー豆の卸企業が多く存在したから。大正8年にコーヒー豆を販売していた老舗企業で、名古屋のコーヒーの歴史と文化を学ぶ。後半は、名古屋発祥の抽出法を実際に体験して、その場で味わいながら、名古屋独自のコーヒーについて考察しよう。」という内容のようです。
「コーヒー催事」,まめ蔵 2019年9月14日.
帰山人による「名古屋コーヒー学」のキーワードは、「フレッシュ」と「ポンド」と「独禁法違反」でした。
フレッシュ
名古屋で最も歴史のあるロースター(焙煎業者)、「松屋コーヒー本店」(名古屋市中区)の会長・松下和義さんは、名古屋の喫茶店の件数の多さがコーヒーの濃さにつながったと語ります。
大竹 敏之(2023)『間違いだらけの名古屋めし』,KKベストセラーズ
「昔はとにかく豆をたっぷり使ったコーヒーがおいしいんだ、というお客さんが多かった。名古屋は店の数が多くて競争が激しいので、店側もその要望に応えようとする傾向にあったんじゃないでしょうか。普通なら4杯分抽出できる豆の量で3杯倍分しか取らないような店が多かったんです」
さらにコーヒーに入れるミルクにも要因が。
「東京ではほとんどの喫茶店が脂肪分の少ないエバミルク(無糖の練乳)を使っていましたが、名古屋ではフレッシュと呼ばれる乳脂肪分の高い生クリーム=フレッシュが一般的。クリームが濃いからコーヒーも濃い方が合う。これが、名古屋の喫茶店のコーヒーは飲みごたえがあっておいしい、という評価にもつながりました」(松下さん)
コーヒーフレッシュについては、ウィキペディアに《日本では1975年に日興乳業が「メロディアンミニ」を1977年にめいらくが「スジャータ」を、それぞれ発売して》とあるが、この誤解を招く表記を鵜呑みにしてはならない。 https://t.co/Kv3Derruj0
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) April 6, 2022
承前) …で、明治ベターハーフを絡めるとワケわかんなくなるんだが、このコーヒーフレッシュ戦争に触れた私の過去記事はコチラ↓
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) April 6, 2022
褐色の白い恋人|帰山人の珈琲漫考https://t.co/xmgxK1VD0Z
俗称「コーヒーフレッシュ」系のコーヒークリーミング液は、ポーションタイプ(使い切り用小型パッケージ仕様)が開発されて普及が加速したが、その初源は混迷し不明である。メロディアン(旧名:日興乳業)は、《1977年、日本初ポーションタイプコーヒーフレッシュ「メロディアンミニ」発売》、と言う(メロディアンWebサイト)。しかし、めいらくグループ(名古屋製酪ほか)は、《1977年、箱入りポーション「スジャータP」発売》、と言う(スジャータWebサイト)。同じ1977年の前者が6月、後者が3月に発売とする不確かな情報もある。だが、1975年秋季に月刊喫茶店経営別冊として刊行された『たのしい珈琲 No.2』(柴田書店)には、明治乳業が《ベターハーフは日本に初めて登場した、まったく新しいクリーミングリキッドです》、と広告を掲載している。「コーヒーフレッシュ」ポーションタイプの日本初は、メロディアンミニなのかスジャータPなのかベターハーフなのか、サッパリわからない…コーヒーと同様の驕慢に満ちている、「ナンセンスでありやめて下さい」だ。
「褐色の白い恋人」,帰山人の珈琲漫考 2012年9月24日.
スジャータめいらくグループは、1990年(平成2年)にきくのIFCコーヒーを発売しました。きくのIFCコーヒーは、世界19カ国で特許を取得した「急速冷却製法」によって、高温の焙煎豆を液体窒素で冷却し、鮮度を維持しています。スジャータめいらくグループは、レギュラーコーヒーを販売し始めたことによって、コーヒー屋と喧嘩になったそうです。
きくのIFCコーヒーは、熱源に竹炭を利用してます。松下 和義によると、炭火焙煎は焙煎豆が長持ちするそうです。
ポンド
日本では、1959年(昭和34年)1月1日に尺貫法からメートル法への切り替えを完了しました。コーヒー業者の多くはグラム単位へと変えましたが、名古屋ではポンド売りを続けたそうです。
承前) 答えは…松屋式の金枠(かなわく)を使っていません。他のドリッパーのように紙の外側に壁やリブを設けない、それが松屋式の前提ですが、その支えの金枠すら失くしたらどうなるのか…探求心が止まない会長は刺繍フープ(刺繍用木枠)を使って検証していました。これが情熱だ! pic.twitter.com/B4w5XqoKoj
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 20, 2021
承前) コーヒー豆(定番品)の量り売りが450g(約1ポンド)&225g(約半ポンド)単位から100g単位へ移行するのです。昭和期にメートル法が実施された頃、コーヒー業者の多くはグラム単位へと変えましたが、名古屋では実質のポンド売りが続いたのです。何だか無形文化財が消えるような寂しさ。 pic.twitter.com/2iAlzIY2oF
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) May 20, 2021
独禁法違反
承前) 現に1978年、名古屋喫茶事業協同組合が独自に焙煎豆の製造を目論んだのに対して、問屋(ワタル・石光・住田・日珈貿)に手を回して妨害した中部日本コーヒー商工組合が公取から違法とされて勧告を受けた。ここまでハッキリやっちまったエリアは他にない。こうズバリ言う人は少ないけど(笑
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) November 6, 2017
承前) もっとも業界人でも今は経緯を知らない人が多いみたいだし、全部を知っている年寄り連中からすれば「どこまで言っていいのよ」ってコトもある。名古屋にスジの方面のロースターとかフロント企業ならぬフロント喫茶店も多数とかカチコミで店を潰された話も多数とか、そういう話まで絡むからね。
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) November 6, 2017
松屋式ドリップ
松下 和義による「名古屋コーヒー学」は、松屋式ドリップの解説と実演でした。
先般11月4日の「名古屋コーヒー学」でも触れたように、本日は松屋コーヒー本店の松下和義会長の83歳の誕生日です。今後の名古屋のコーヒー界のためにも、まだまだ松下会長には活躍を期待したい。世界へはばたかせよう松屋式。そして会長、誕生日おめでとう!
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) November 18, 2019
松屋式ドリップは、昭和37年頃に松屋コーヒー本店が開発したコーヒーの抽出方法です。
コーヒーのおいしさを追求するため、独自に開発したのが「松屋式ドリップ」という、金枠を使った抽出方法です。こちらは昭和37年に松下さんのお父さまが考案し、現在中部地区の多くの喫茶店・カフェでも使われています。「今ではペーパードリップは最も一般的ですが、昭和37年に初めてペーパーフィルターが現れたんです。ですが、フィルターで囲ってしまうとおいしく抽出できない、ということで父が考えました。
溝呂木 真弓「コーヒーのファーストウェーブは明治時代から!? コーヒー文化について明治創業「松屋コーヒー」に聞いてみました。」,メイジノオト 2021年12月24日.
松屋式ドリップの特徴としては、金枠を使用すること、コーヒー粉を粗く挽くこと、穴を掘ること、蒸らし時間を長く取ること(3分〜5分)、高い位置から注湯すること、濃く抽出したコーヒーに湯を加水することが挙げられます。帰山人によると、「「濃く淹れて湯で薄める」手法は、業務用の大量淹ておき需用から産み出されたもの」だそうです。
そもそも「濃く淹れて湯で薄める」手法は、業務用の大量淹ておき需用から産み出されたもので、この《美味しい》以前の命題があったワケで…
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) July 12, 2022
「既存の液は雑味だらけでダメ。クリアなウチだけが本物の味」と言い募るようになって、その圧は大衆から敬遠されるのも当然かと…
2015年11月14日、「日本コーヒー文化学会 焙煎・抽出委員会」が開催され、松下 和義も参加しました。
本日は松下和義氏(名古屋大須の松屋コーヒー本店の会長)の満79歳の誕生日です。ってか、今年で数えで傘寿かよ。元気だよなぁ。んで、業界じゃ重鎮なんだが、気さくで粋でオチャメなので、先日も皆と一緒にコーヒー遊びしていた。 https://t.co/bH1HJZB5Cg
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) November 18, 2015
松屋式はどうも上手くいかない…という人が意外と多いので、切り口を変えて説明してみた。(まぁ根源では全部の透過式に相通じているんだけれども)カリタやV60のような抽出の実技を変則させたのが松屋式って捉える人は理解が中途半端になりがちw https://t.co/t99tdOxP9U
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) November 21, 2015
承前) 松屋式は「(通常の紙抽出より)時間のかかる面倒臭い方式ではなくて、(丁寧ネルドリップより)時間と手間がかからない簡便化だ」と言うと、そもそも丁寧ネルドリップを基準にするコトが一般向き家庭向きでは無い、などと反発されそうだが、果たしてそうなのだろうか?
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) November 21, 2015
松屋式は、(松屋式の流派?の方々は決してこんな風に説きませんが)私個人としては以下の捉え方もできると思う。例えば、ミュンヒ田中氏や海豚家清田氏や王田珈琲王田氏のような、いわゆる‘エキス取り’に近い抽出プロセスを前提に、それを短時間に簡便化したのが松屋式である、と。最初に滴り落ちる一滴まで数十分もかける時間はないので、松屋式では最初の一湯で浸透させてしまう。ネルドリップの‘エキス取り’では湯の浸透(=ガスとの置換)過程と、次の過程のエキスの洗い落としを繋げてもよいが(つまり一刀淹て)、松屋式では一気に注湯するので浸透と置換を待つ時間が3分以上は必要。その後の二湯目はエキスの洗い落としを目的にゆっくりと連続して注湯し続ける、と。すなわち、点滴・連珠・糸引き系のゆっくりネルドリップを、浸透・置換過程と洗い落とし過程に分断して、ペーパー仕様に簡便化したのが、松屋式である、と。私が「透過法として松屋式は理に適っている」と捉えている理由でもある。
「再発見の逆襲」,帰山人の珈琲漫考 2015年11月17日.
んー、「日本式のドリップ」というのは、むしろエスプレッソと同じように、「深煎りの濃いコーヒーを美味しく飲むため」の試行錯誤の末に発展してきた面があるわけで。
— Y Tambe (@y_tambe) May 15, 2012
「深煎りの濃いコーヒー」を飲む方法として、濁っても良いからとにかく濃度を上げて、さらにカップ内に泡まで出したのがエスプレッソ。これに対して(ランブルあたりが割と典型だけど)ネルで、泡や微粉を除いて「濃いけれど澄んだコーヒー」に走ったのが日本式のドリップ。
— Y Tambe (@y_tambe) May 15, 2012
日本式のドリップの「悲劇」は、「名前がない」こと。名前がないが故に、他のドリップと弁別されてこなかった。これには悪いことだけでなく良いことも、両方があるのだけど、それ故に知名度が低いのは確かなので。その点で言えば、名前が付けられた「松屋式」の方がまだ有利。
— Y Tambe (@y_tambe) May 15, 2012
基本となる抽出方法や抽出器具に名前があると、皆、その「名前」で特徴を理解しようとするわけで。だけど、そういう方法や器具って、抽出の「本質」とは違ってて、それが名前によって覆い隠されてしまう。
— Y Tambe (@y_tambe) May 15, 2012
カリタだろうが、メリタだろうが、コーノだろうが、ハリオだろうが、ドリップオンだろうが、ゴールドフィルターだろうが、円錐茶こしだろうが、ケメックスだろうがetc etc、どれもある意味では「同じ」ものであり、また同時に特性に違いがある「違う」ものでもあるという。
— Y Tambe (@y_tambe) May 15, 2012
しかし、帰山人の趣向としては、松屋式ドリップは深煎りよりも浅煎りにふさわしい抽出方法のようです。
自分のブレンドを松屋式で淹れた・・・ダメではないが、もっと浅煎りの豆の方が松屋式のクリアな感じが明瞭で相応しい。それと、もっと浅煎りの豆の方が松屋式独特の澄んだ液色が美しいし、冷めても濁らない美しさの維持も明瞭に目撃できるw 香り持ちの良さが顕著なのも浅煎り使用の場合だなぁ・・・
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) March 3, 2011
金枠ちゃん
大師匠の松下会長もノリノリで、カナワクちゃん(仮称)に専用ペーパーを自ら作って、記念撮影。「松屋式・愛」を示す新マスコット、量産できるかどうか…松下会長が検討してみたいと言うので、カナワクちゃん(仮称)は暫く大須の松屋コーヒー本店に滞在することになりました。続報は、また後日… pic.twitter.com/brAE2nWUts
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) March 19, 2021
どうして生まれたのか?
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) March 19, 2021
【カナワクちゃん(仮称)、爆誕して旅立つ】
どこへ行ったのか?
【カナワクちゃん(仮称)、松下会長に会う】
の2本立てです。
カナワクちゃん(仮称)|帰山人の珈琲漫考https://t.co/vVeOBfAFvB
ついに松屋式金枠のマスコット登場!
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) April 7, 2022
ちっちゃい「金枠(カナワク)ちゃん」です。
今のところは万松寺通商店街の松屋コーヒー本店(名古屋市中区大須)の店頭でのみ販売中です。 pic.twitter.com/bIfPkSOa6z
マスコット化した松屋式金枠「カナワクちゃん」
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) April 7, 2022
【まちがいさがし】 画像に2つのカナワクちゃん(松屋コーヒー本店仕様)、上と下で何かが違います。わかりますか?(上は正規販売品、下は非売品です) pic.twitter.com/jx6jwRbBbc
金枠ちゃんは、愛知県西尾市の自家焙煎 フレーバーコーヒーで爆誕した金枠のマスコットです。
自家焙煎 フレーバーコーヒー
松屋コーヒー本店は、業務用焙煎卸業が本体ですが、抽出方法の松屋式を核に自家焙煎店を広めていきました。
自家焙煎 フレーバーコーヒー(以下、フレーバーコーヒー)の中川 正志(なかがわ まさし)は、サラリーマン時代に自ら発明したコーヒーのキャニスターをコーヒー関係の会社に売り込みしていました。その際、松屋コーヒー本店を訪れ、松屋式ドリップを教わりました。
高校を卒業してプラスチックの成形屋に9年ほどいました。
「「作者プロフィール」」,自家焙煎 フレーバーコーヒー
そのときにコンピューターとコーヒーにはまったんです。
(コーヒーに関する本を250冊ほどもっていました)
コーヒーに関する特許をいくつか出願して コーヒー関係の会社に売り込みにいったりしました。
いわゆるコーヒー通だったんです。
そのとき松屋コーヒーさんと知り合いました。
そこで松屋式のコーヒーのいれ方を教わったんです。
めちゃめちゃびっくりしました。
いままでのぼくの知っているコーヒーの常識はなんだったのと思うぐらいびっくりしました。
それから本格的にコーヒーの研究を始めました。
そして、本に書いてあることをすべて疑うようにしました。
実際、実験して正しいことだけを信じるようにしました。
フレーバーコーヒーは、毎週水曜日にYouTube上で「週刊フレーバー」を配信しています。
この写真は、減圧吸引アイテムの作動で2分蒸らしをするところ。目前で淹れていただき試飲させていただきました。
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) June 27, 2020
松下会長のスゴイところは、興味が沸いたら即実行、常に検証を怠らないことです。青春まっただ中の松下和義83歳、その情熱が誰をも感動させるのです。 pic.twitter.com/bcgmxhZIOX
帰山人がフレーバーコーヒーを訪れたのは、1992年1月30日です。そこから25年を経た2017年2月1日、焙煎豆販売「帰山人の珈琲遊戯」がフレーバーコーヒーの通販ページで開始しました。
承前) そして出会いから25年が過ぎて、そのフレーバーコーヒーのWeb通販に軒を借りるカタチで、私の自家用焙煎豆を頒け売りすることになった。明日2月1日、帰山人が焼いたコーヒー豆を数量限定で販売開始です。 https://t.co/GgU8u7gzwz
— 鳥目散 帰山人 (@kisanjin) January 31, 2017
岐阜県土岐市のまめ蔵は、フレーバーコーヒーから影響を受けて松屋式ドリップを採用しました。
コーヒーの焙煎とともに抽出方法については、これまで何度も試行錯誤してきました。結局たどり着いたのが「松屋式」です。
「本家松屋式」,まめ蔵 2014年11月4日.
そのホームページに掲載されている松屋式の抽出方法を見て、現在お店での抽出方法を決めた原点のような場所が「フレーバーコーヒー」なのです。ただ、直接指導を仰いだ訳ではないので、相手方は全く知らないのですがネ。
「私の松屋式の原点、西尾市まで。」,まめ蔵 2016年5月24日.
お店でコーヒーを淹れる際には、松屋式という抽出方法を使用しています。正式には松屋式ドリップ法というらしく、カウンターにお座りの方へは金枠のドリッパーを使った抽出の仕方を説明していますが、興味を持たれた場合は必ず「松屋コーヒー本店」へ行くことをお勧めしています。
「松屋式で淹れてます」,まめ蔵 2017年4月18日.
松屋式手沖
そんな中地下鉄9号線の打浦路駅を降りるとすぐにある《田子坊》
ここは古い石庫門住宅を雑貨店やブティックそしてカフェに
改装して上海のSOHO地区として発展している
その中にある自家焙煎店《丹》
丹生谷(にうや)さんという日本人のお店
1kgの焙煎機で焙煎されスペシャルティーコーヒーを提供されている
伺ったときも大層な繁盛で日本式の方法が
ここファッショナブルな《田子坊》で花を開いている
濃厚な深煎りのブレンドをおいしく頂いた
「上海に・・の3」,讃喫茶室 2010年10月13日.
中国の上海の自家焙煎珈琲店では、上海丹珈琲をはじめとして、松屋式ドリップ(松屋式手沖)を採用する珈琲店が多くあります。