キーコーヒーと帰山人の珈琲遊戯:インドネシア スラウェシ島 トラジャ
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キーコーヒーと帰山人の珈琲遊戯のインドネシア スラウェシ島 トラジャです。帰山人の珈琲遊戯とは、鳥目散帰山人氏という有名なコーヒー愛好家のホームページで、そのホームページでは様々な「お遊び」のコーヒーが公開されています。帰山人氏が焙煎した豆は中川正志氏のフレーバーコーヒーで少量販売されています。帰山人氏が中川氏のフレーバーコーヒーに最初に訪れたのは1992年のことで、それ以来の付き合いになると思います。

インドネシア スラウェシ島 トラジャ

インドネシア

インドネシア(Indonesia)は一万数千にも及ぶ複数の島にまたがる東南アジアの島国です( 画像2枚目の太い線で囲まれている場所です)。首都はジャワ島に位置するジャカルタ(Jakarta)です。

インドネシアは世界第4位のコーヒー生産量を誇る世界有数のコーヒー大国です。インドネシアのコーヒー農園は小規模農園が全体の95%も占め、残りの大規模農園が国営と民営で半々です。インドネシアでは、17世紀にオランダ軍がアラビカ種をジャワ島に持ち込んだことにより、コーヒー豆の栽培が始まりますが、現在栽培されている品種はそのほとんどがロブスタ種です。これは19世紀後半にコーヒー栽培の大敵であるコーヒーさび病菌が流行し、従来のアラビカ種を栽培していた農園が壊滅的な被害を受けたため、病害に強いロブスタ種に切り換えられたためです。

具体的には、インドネシアのアラビカ種の主な品種は、カティモール種とジャワ・ティピカ種です。有名な銘柄としてマンデリンやトラジャ、ガヨ・マウンテンが挙げられます。1,000m以上の高地で栽培され、全体生産量の10%ほどです。残り90%以上を占めるロブスタ種は缶コーヒーやインスタントコーヒーの原材料となります。

主要産地は島ごとにスマトラ島がマンデリン、リントン、ガヨ・マウンテン、スラウェシ島がカロシ、トラジャを栽培しています。

スラウェシ トラジャ

トラジャ村のドキュメンタリー、Planet Doc Full Documentariesより

スラウェシ島

スラウェシ島はヒトデの形をした島で、インドネシア諸島の他の島々よりはるかに古く、高山の斜面に広がる水田の外に永続的な霧に覆われた岩壁を持つ複雑な地形をしています。

気候はブルーマウンテンを産出するジャマイカ島に似ていて、高温多雨の熱帯雨林気候です。年間を通して気温が高く、日中は最高気温30℃程度まで上昇し、夜間になると10℃程度まで冷え込む寒暖の差があり、毎日定期的にスコールが降ります。熱帯高地の肥沃な弱酸性の土壌で、良質なコーヒー栽培に最適な条件が揃っています。

トラジャ

トラジャはトラジャ族(Toraja)によって生産されています。トラジャ族は、スラウェシ島の南スラウェシ州と西スラウェシ州の山間地帯に住むマレー系の先住少数民族です。コーヒーのブランド名「トラジャ」は、この少数民族から取られています。

トラジャ族はほとんどがキリスト教を信仰していますが、アルクトドロ教(Aluk To Dolo、英語でWay of the Ancestors)と呼ばれるアニミズム信仰で知られています。

トラジャ族の多くが住むタナ・トラジャ(Tana Toraja)は植物や野生生物が豊富な山岳地帯にあり、鉄分の豊富な土壌と約1,500mの高地の涼しく快適な気候に恵まれていて、コーヒー生産には最適の土地です。

インドネシアのコーヒーの歴史は、バタヴィア(Batavia、現在のジャカルタ)のオランダ総督が当時オランダ領であったインドネシアのコーヒーを持ち込んだのが最初だと言われています。アラビカ種は1696年にスリランカ(Sri Lanka)からインドネシア(ジャワ島)に持ち込まれましたとも言われています。商業生産されたコーヒーの輸出の記録は、1717年にバタヴィアから2000ポンド輸出されたのが最初のようです。ただし、インドネシアのコーヒーの始まりについては、よくわからないことが多いようです。

インドネシアにコーヒーが伝わった年としては、文献上、1690年、1696年、1699年の3つの年代が挙げられている。このうち最初の「1690年」には、VOC総督ジョアン・ヴァン・ホールンが、ジャワ島のバタヴィアにあった彼の家の庭に、イエメンからこっそり持ち出したコーヒーノキを植えたとされる。これが記録上、インドネシアへの最初の伝播であるようだ。このときの木は、イエメンのアデンから持ち出されたものだと考えられる。ただし、この記録を採用している文献が多くない*1ため、正確なところはよく判らない。

*1:The Los Angeles Times, June 30, 1899, p. 7に見られる。ソースが新聞記事である点からも信憑性については疑いは残る。

旦部 幸博「インドネシアへの伝播」,百珈苑BLOG,2010年7月23日エントリー

(現在ロサンゼルス・タイムスのリンクは切れています)

トラジャとコーヒー戦争

トラジャ地区には1850年代にオランダによってコーヒーが持ち込まれました。1876年にさび病が発生したことにより、ジャワ島の大規模なコーヒー農園の多くが壊滅、小規模の独立農家によるトラジャ地区でのコーヒー栽培の普及が促進されました。しかし、これは来るべき争いの前兆でした。

トラジャ地区では、1890年代にトラジャ族とこの地区に侵攻してきた南スラウェシ最大の民族グループだるブギス族(Buginese)との間で、コーヒー戦争が起きました。当時コーヒーは1キロ数百ドルで取引され、貴族と裕福な商人だけが購入できる高級品でした。そのため、トラジャ族のコーヒーの所有や管理、供給や貿易ルートを征服しようと、ブギス族が侵攻してきたわけです。

トラジャは別名「ペラング・コピ(Perang Kopi)」と呼ばれることがあります。これは「戦争コーヒー(インドネシア語で"Perang"は「戦争」、"Kopi"は「コーヒー」の意味)」という意味で、このコーヒー戦争から来ている名称です。

ブギス族はスラウェシ島の底部に住む民族で、トラジャ族は高地に住む民族でした。トラジャという名前も、トラジャ族が高地に住んでいるためにその名が付けられたという説があります。

この珈琲豆の正式名称は 「とある珈学(コーがく)の

高地山人(トラジャ)」です。略して 「とあるコ トラジャ」。

トラジャ(Toraja)とは、インドネシアのスラウェシ(セレベス)島の

山岳地帯に住む民族の名称です。同島の低地に住む民族に、

‘to’(人)+‘riaja’(高地の山)という意味で呼ばれたのが由来

とされています(諸説アリ)。

フレーバー通販ページ 商品説明より

トラジャとバルップ珈琲園

戦前にスラウェシ島(当時はセレベス島)では、日本人による農園の開拓が行われていました。日本人の岸将秀と三浦襄(みうら・ゆずる、または、じょう)によって「バルップ珈琲園(Baroeppoe Koffieonderneming) 」というコーヒー園が開拓されました(詳しくは脇田清之氏の「タナ・トラジャ Tana Toraja」と「セレベス時代の三浦 襄」を参照してください)。

でも僕が皆さんに覚えていて欲しいトラジャコーヒーに関する話題は、

 オランダ統治下の昭和初期、スラウェシ島に渡って「バルップ珈琲園」

 ‘Baroeppoe Koffie-onderneming’を拓いた日本人、岸将秀と三浦襄。

 三浦襄の妻が過労死(1928年)するほどコーヒー農園の開拓経営は

 困難を極めたようで、実業家の三浦襄は2年後にバリ島へ移っています。

 他方、栽培技師の岸将秀はその後もコーヒー農園を続けたようですが、

 この人物には不詳のところが多くて、帰山人は「また調べることが増えた」

 と苦笑いしています。

トラの新春賀詞」,帰山人の珈琲漫考 2010年1月1日エントリー.

キーコーヒーとトアルコ トラジャ

トアルコ トラジャについて、KEY COFFEE INCより

第二次世界大戦によって、トラジャ地区でのコーヒー生産は壊滅的な影響を受けました。しかし、日本のキーコーヒー(Key Coffee)がこの「セレベスの名品」を蘇らせるべく再生プロジェクトに乗り出します。そして、1978年キーコーヒーは「トアルコ トラジャ」を世に送り出すことに成功しました。トラジャ・コーヒーが今に知られているのは、キーコーヒーの功績が非常に大きいです。

インドネシアコーヒーと地理的表示

現在「トラジャ」は「地理的表示(Geographical Indication(GI)」という知的財産権で保護されています。そのため、現在の「トラジャ」は原産地や生産方法が保証されたコーヒーです。しかし、「トラジャ」はキーコーヒーの登録であり、また「ガヨ(Gayo)」はオランダのアムステルダムにある企業である「オランダコーヒー(Holland Coffee B.V.)、"B.V."は非公開株式会社のこと」による登録のため、インドネシアの製品であるにもかかわらず、商標権がインドネシアに属していません(アジア地区の地理的表示についてはこちらから)。

そのため、現地の人々が生産したコーヒーであるにも関わらず、彼らが自らの名前で販売することができないという問題が起きています。

精製

精製方法は「スマトラ式(Giling Basah(ギリン・バサ))」です。日本語では、「湿式脱穀(wet hulling)」とも呼ばれています。主にスマトラ島で採用される精製方法です。

このスマトラ式と他の精製方法との大きな違いは、乾燥工程を2度に分け、含水量が極端に高い状態で脱穀することにあります。「スマトラ式」は、生産した農園でルワク(luwak)と呼ばれる機械で外皮を除去し、ムシラージ(mucilage、一般的にはミューシレージとも)を残した状態で途中まで乾かしたコーヒーチェリーを、取引業者が集荷して、まとめて脱穀と仕上げの乾燥を行います。

トラジャ島の特殊な気象条件と精製方法が相まって、コクが深く、独特な風味と味わいを有する、オパールのように輝くコーヒー豆が生まれます。

アーシーな(大地のような)フレーバーとハーブのような爽やかなフレーバーを併せ持ち、バターのような滑らかさとクリームのようなまろやかな口当たりを特徴としています。同じアーシーフレーバーでも、マンデリンのような重厚でカビっぽさのあるフレーバーとは対照的に、軽やかでハーブのように爽やかなフレーバーを有しています。

帰山人の珈琲遊戯のとある コ トラジャ(インドネシア スラウェシ島 トラジャ)

左 帰山人の珈琲遊戯のトラジャ、中央と右 キーコーヒーのトラジャ

トアルコ トラジャ」または「トアルコ」はキーコーヒーの登録商標です。「とあるコ トラジャ」は珈琲遊戯の「とある珈学の高地山人」の略称です。同じ読み方なのは偶然です。

帰山人氏による商品説明、「週刊フレーバー・アカイアを使って松屋式」,flavorcoffeeフレーバー放送局 2019年10月30日より

焙煎

私、鳥目散帰山人の焙煎は、特徴があるようです。原則として、焙煎の工程で火力を一切動かしません。主に使っている手廻し釜は、覆いもなく排気装置もなく計器もありません。ほぼ一定の火力で燃えている炎の上に生豆をかざして、焙り焼きをしているだけです。それでも、物によって時によって、気温や湿度によって、一釜ごとに二度と同じ工程にはなりません。一定に決める火加減、焙煎中の手廻しの回転速度、焼き上がりのタイミング…これを調整するだけで私には精一杯です。「一本焼き」と名付けました。この焙煎の手法を他人に強要するつもりもありませんが、どんな焙煎機を使用した場合でも「一本焼き」を基準に考えるのが、私の珈琲の焙煎に対する考え方です。

「焙煎のこと」,帰山人の珈琲遊戯ホームページより

帰山人氏の焙煎は「一本焼き」と名付けた焙煎です。パンチングメッシュの手回しの焙煎機で、最初から最後まで火力調整を一切せず、そのまま焼き上げる方法です。

帰山人氏が手廻しの焙煎機を手に入れた経緯は以下の通りです。

その1週前の1995年1月10日には、開業して間もないコーヒー店を訪ねた。出色のコーヒーを飲ませる稀代の迷店(?)となる「東明茶館」(都築直行)である。この当時に、私が自宅で焼いていたコーヒーは、手網による直火焙煎(最大約400g投入)が最も多かった。「東明茶館」が使用する焙煎機を見た‘その時’、私は「あっ!」と喫驚の声を上げた。手網をそのまま釜型にしたような、私が理想とする極めて簡素な構造の約1kg容量の直火式焙煎機だったから。後日、この「東明茶館」の焙煎機に倣って、パンチングメッシュの釜部はそのままに電動モーターを止めて手廻しにした仕様を、同じ富士珈琲機械製作所(寺本一彦)へ特注をした。この特製の手廻し釜の焙煎機を私が入手したのは、1996年2月26日である。だが、震災が発した頃の私には、「東明茶館」の釜が垂涎の的だった。

「地界の殺戮」,帰山人の珈琲漫考,2015年1月17日

帰山人氏は理論的に焙煎を考えるカフェ・バッハの田口護氏とは異なり、焙煎にマニュアルはないという考えです。

コーヒーの焙煎とは何か? コーヒーの焙煎でも自動化やIT化が進んでいるものの、コーヒーの香味を好んで楽しむ主体が人間である限り、そのコーヒーを作り出すのは人間である。焙煎の本性は人間の手にあるのだ。つまり、「焙煎手にある人」であり、「バイセンテニアル・マン」(Bicentennial Man)であるから焙煎を200年ほど続けなくてはならない。200年ほど生きてバイセンテニアル・マンとなったアンドリュウ・マーチンは、最期に「リトル・ミス」と言った。だが、もしこれが「焙煎手にある人」であるならば、小さなミスも見逃さずに焙煎を200年ほど続けなくてはならない。コーヒー狂は、手間(てま)隙(ひま)をかけて拵える「シン・コシラ」を作り出す。焙煎にマニュアルはない。コーヒーの焙煎は、人の手にある。

「焙煎手にある人」,帰山人の珈琲漫考,2018年11月9日

以下は帰山人氏が「焙煎するときの天候」について質問を受けたときの回答です。

私の経験と推論でお答えします。示された時季に限らず、焙煎時の晴雨や寒暑によって、焙煎中の匂いや煙(の出方や量や色)に差があること、また、焙煎したコーヒー豆の質感や匂い(の経時変化の緩急)や抽出したコーヒー液の香味にも違いがあること、それは私も捉えています。雨の日に焼いたものは(私は軽いとは思いませんが)香味が強く濃く出る感じがしますが、4~5日以上の経時変化は(良くも悪くも)激しく感じます。しかしそれは、焙煎する直前(投入時)と直後(冷却時)の豆の状態と(観念的な意味ではなくて科学的な意味での)雰囲気が、晴雨や寒暑によって異なるからだろう、と捉えています。釜であれ網であれ、焙煎中の豆の雰囲気条件が決定的に影響するものとは考えていません。したがって、《どうにか対処できないか》については、晴雨や寒暑によって全く影響を受けない空間で、「事前から生豆を保存し、焙煎機を作動させ、予熱も焙煎も冷却も行い、焙煎豆を保管して、それを抽出して喫飲する」ことの全てを実施するしかありません。つまり、厳密に対処することはほぼ不可能である、と諦めています。色気が無い回答で恐縮ですが、差は認めるが、その因子がどうして質感や香味の差になるのか機序が不明だけれども、そこに物理的かつ化学的な原因以外は認めない、と捉えています。

「子ども珈琲電話相談」コメント欄の帰山人氏のコメント,帰山人の珈琲漫考,2016年8月1日

帰山人氏のコーヒーは深煎りです。

もう一つは、先に触れた手廻し釜(穴あき直火のブタ)による焙煎の場合。
これが私自身も含めて家族や知人と常飲するための珈琲用の焙煎度。
この焙煎度には幅があり、「気まぐれ」なのだが、
概ね2ハゼのピークあたりから2ハゼ終了前まで、
俗にいう焙煎度でいえばフルシティ~フレンチ、ダークローストである。
但し、前述の通り豆色では真の焙煎度は規定できないわけだが、
自身の傾向としては、巷のアグトロン値での判断以上に
「深煎り」の味になる傾向で仕上げている場合が多い、という自覚がある。

「私的珈琲論序説〜(3)深煎り派 その2」,帰山人の珈琲漫考,2009年2月6日.

さて、肝心のナゼ「深煎り」か?という理由について。
端的に言えば、私にとってコーヒーは「にがい」ものだからである。
巷間「にがいだけではおいしいコーヒーとは言えない」という話は多い。
特に昨今ではSCAAを筆頭とする味覚基準では、
「質の良い酸味」や「フルーティな味や香り」を重視する傾向が顕著だ。
一概にそれらの味覚要素を否定するつもりも無いが、
私は「にがい」ことを排除していく評価傾向にはなじめない。
「苦味」にも「良い」「悪い」があるとの話もよく聞くし、それには賛同する。
ならば、「良い苦味」を追求することこそがコーヒーのコーヒーたる身上、
それが私を「深煎り派」と自認させている原点の志向である。

「私的珈琲論序説〜(3)深煎り派 その2」,帰山人の珈琲漫考,2009年2月6日.

帰山人氏が深煎りを好むところは、幼い頃に漢方を無理やり飲まされたことと愛煙家であることが関係していると思います。帰山人氏が愛飲しているタバコは、「アメスピ」(ナチュラル アメリカン スピリット)(無添加で無着香の紙巻き煙草)で、ライターは1941年レプリカモデル(4バレル/7ホール/ラウンドコーナー)のアメスピZIPPO(ジッポー)です。

帰山人氏の一本焼きの詳細は、以下のビデオを参照してください。

生豆と焙煎

【生豆と焙煎の仕立て】

インドネシア共和国 スラウェシ島 トラジャ地区 

 カロシ スマトラ式精製(ギリン・バサ) 100%

直火の手廻し釜で火力一定の「一本焼き」、

21分10秒で深煎りに仕上げました。

アーシーなのに爽やかでクリーミーなのにクリーン、

そんなコーヒーなんてあるわけな……ホンマや!!

マンデリンと似ているようで、いや一味違う、

その格別な香りと風味の「とあるコ トラジャ」です。

「まぼろし~のコーヒー」をご笑味あれ。

フレーバー 通販ページより

上が帰山人の珈琲遊戯のトラジャ、左下がキーコーヒーのトラジャ、右下がキーコーヒーのトラジャ ピーベリーです。キーコーヒーと比べると、帰山人氏の焙煎は深煎りです。

キレイな焙煎豆です。深煎りのトラジャは艶のある輝く色合いが特徴です。

アーシーなフレーバーとハーブのような爽やかなフレーバー、キャラメルのような甘味、バターのような滑らかさとクリームのようなまろやかな口当たりが印象的です。同じアーシーフレーバーでも、マンデリンのような重厚さとは対照的に、軽やかなアーシーフレーバーが印象的です。

キーコーヒーのトアルコ トラジャと比較すると、帰山人氏のとあるコ トラジャの方がフレーバーの豊かさと滑らかでまろやかな口当たりに優れています。

帰山人氏の深煎りコーヒーはネルドリップでゆっくり抽出すると、苦味の奥に甘味の広がる味わいになります。

<参考>

「Toraja Coffee」,Visit Toraja<http://www.visittoraja.com/toraja-coffee/>2019年11月21日アクセス.

「Toraja Coffee: The Coffee That Sparked War」,DeLonghi<https://theprimadonnalife.com/toraja-coffee-sparked-war/>2019年11月21日アクセス.

「トアルコ トラジャの歴史」,KEYCOFFEE<https://www.keycoffee.co.jp/toarcotoraja/history.html> 2019年11月21日アクセス.

「タナ・トラジャ Tana Toraja」,スラウェシ島-インドネシア-情報マガジン<http://www5d.biglobe.ne.jp/makassar/up/toraja.html>2019年11月21日アクセス.

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