グアテマラ サン・セバスチャン農園の歴史
スポンサーリンク

グアテマラ サン・セバスチャン農園の歴史

サン・セバスチャン農園

サン・セバスチャン農園(Finca San Sebastián)(または、サン・セバスティアン農園)は、グアテマラ(Guatemala)サカテペケス県(Sacatepéquez Department)サン・ミゲル・ドゥエニャス(San Miguel Dueñas)に位置する歴史のある農園です。経営会社はAgropecuaria SALFAR S.A.です。コーヒー生産地域としては、アンティグア・コーヒー(Antigua Coffee)に区分されます。

アンティグア・コーヒーは、アグア火山(英語:Agua Volcano、スペイン語:Volcán de Agua)、アカテナンゴ火山(英語:Acatenango Volcano、スペイン語:Volcán Acatenango)、フエゴ火山(英語:Fuego Volcano、スペイン語:Volcán Fuego)の3つの火山に囲まれた盆地です。サン・セバスチャン農園は、アカテナンゴ火山の斜面に位置しています。

サン・セバスチャン農園全体の敷地面積は2,250ヘクタールあり、そのうち1,100ヘクタールが自然保護区で、プーマやパンサー、アルマジロを観察することができます。コーヒー農園は、1,000ヘクタールの広大な面積を誇ります。農園では、コーヒー以外にも、マカダミアナッツ、乳製品、蜂蜜を生産しています。

また、農園には、労働者の子どもたちが通う小学校と中学校が設立されています。

San Sebastian - APCA:http://antiguacoffee.org/index.php/asociados/san-sebastian/

アンティグア・コーヒーとサン・セバスチャン農園

グアテマラは、歴史的にインディゴとコチニールを生産していました。しかし、19世紀中頃のヨーロッパの化学染料の発明により産業が崩壊したため、コーヒーが代わりの換金作物として開発されました。

19世紀中頃にコバン(Cobán)で栽培されていたコーヒーが、アンティグア・グアテマラ・ペタパ(Antigua-Guatemala-Petapa)に広がりました。1860年代に入ると、サカテペケス県を含む様々な地域にまでコーヒー生産は拡大しました。1862年には、すでに17の農園があり、7万本のコーヒーノキが植えられていました。

ラ・フェリシダの苗床 出典:The History of Coffee in Guatemala

1874年に開発大臣(Minister of Development)のマニュエル・マリア・エレーラ(Manuel Maria Herrera)が、アンティグアに大きなコーヒーの苗床の植え付けを命じました。グアテマラの政治家であるフアン・マルティン・バルンディア・フローレス(Juan Martín Barrundia Flore)は、この仕事をラ・フェリシダ(La Felicidad)という農園に託しました。

この時代、この地域では害虫や霜による被害に苦しみますが、1880年代には、この地域にいくつかの重要な農園が現れます。サン・セバスチャン農園も、その農園の1つです。

サン・セバスチャン農園は、サルバドール・ファジャ・サントス(Salvador Falla Santos)が購入して以来、1世紀以上にわたってファジャ家に受け継がれていますが、それ以前は所有者が次々に入れ替わっています。

この地域で複数の農園を所有していたミスター・ワイルド(Mr.Wyld)が所有していた農園に、「ウリアス(Urias)」という農園がありました。1815年、彼はマニュエル・フランシスコ・ナヘラ(Manuel Francisco Najera)にこの農園を売却しました。

1868年に、ナヘラはこの農園を「ポトレロ・デ・ウリアス(Potrero de Urias)」と「ラ・エスタンシア(La Estancia)」という2つの農園に分割しました。

1874年に、ノルベルト・ジンザ(Norberto Zinza)がナヘラからラ・エスタンシアを購入しました。彼はラ・エスタンシアを、彼の生まれ故郷であるスペインの都市から名前を取り、「サン・セバスチャン(San Sebastián)」と新たに名付けました。コーヒーは、ジンザによってこの農園に初めて紹介されました。

フアン・フランシスコ・アギーレ 出典:The History of Coffee in Guatemala

1882年に、フアン・フランシスコ・アギーレ(Juan Francisco Aguirre)がオークションでこの農園を購入しますが、その2年後には、彼の兄弟であるギレルモ・アギーレ(Guillermo Aguirre)に売却しました。ギレルモは、周辺の空き地をオークションで購入し、サン・セバスチャンに編入しました。

1890年に、ギレルモは「サント・ドミンゴ(Santo Domingo)」を所有していたミゲル・ポルティーヤ(Miguel Portilla)にサン・セバスチャンを売却しました。サント・ドミンゴは、ポルティーヤが1886年から所有していた小さな農園でした。

サルバドール・ファジャ・サントス 出典:The History of Coffee in Guatemala

ポルティーヤは、サルバドール・ファジャ・サントス(Salvador Falla Santos)とアドルフ・スタル(Adolf Stahl)とともにサン・セバスチャンの共同経営者となりますが、1900年にスタルは自らの所有分をサルバドールに売却します。

サルバドールはサン・セバスチャンにイトスギの森を育て、小さな製材所を建築して、1902年に運用を開始しました。

サン・セバスチャンは、1927年3月30日に発生したアカテナンゴ火山の噴火による被害を受けました。政令によって土地収容の命令を受けますが、政府が代わり、土地は返還されることになりました。

サン・セバスチャンはサルバドールの所有以降、1世紀以上にわたってファジャ家に受け継がれ、最高水準のコーヒー生産の技術を継承してきました。農園の代表者は一族の話し合いで決定され、所有地は相続人の間で分割されてきました。

初代のサルバドールは1935年に亡くなり、第2世代のサルバドール・ファジャ・アリス(Salvador Falla Aris)に受け継がれますが、彼は1955年に亡くなりました。

初代のサルバドールの孫で第3世代のアルトゥーロ・ファジャ・コフィニョ(Arturo Falla Cofiño)が、1981年まで総支配人になりました。彼はサン・セバスチャンに隣接する農地を買い増し、サン・ミゲル(San Miguel)と名付け、2つの農園経営が始まりました。

その後、サン・セバスチャンは、第4世代のマリオ・ファジャ・ゴンザレス(Mario Falla Gonzales)に受け継がれますが、彼は2003年に亡くなりました。

現在は、アルトゥーロの息子でマリオの従弟、エストゥワルド・ファジャ・カスティージョ(Estuardo Falla Castillo)が総支配人となっています。

受賞歴

サン・セバスチャン農園は、その創業初期から高い生産技術が評価されてきました。

1900年に「第1回農業コンテスト(First Agricultural Contest)」で金メダルを獲得、1904年に「九月国民博覧会(September National Exposition)」で銀メダルを獲得、翌年の同コンテストで金メダルを獲得しました。 1942年で「中央地方の品質コーヒー(Quality Coffee of the Central Zone)」で「精製と品質コーヒー(Mill and Quality Coffee)」を獲得、1968年にアナカフェが「品質カップ(Quality Cup)(4,000フィート以上)」を授与しました。

2008年にアメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスで行われたアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)(Specialty Coffee Association of America)主催の「地球上の12の最高級コーヒー(12 finest coffees of the planet)」で、第6位に入賞しました。

グアテマラ カップ・オブ・エクセレンス(CoE)(Cup of Excellence)においては、2002年に第28位、 2007年にブルボン(Bourbón)が84.25点で第19位、2008年に89.38点で第5位、2015年に86.30点で第12位に入賞しています。

品種

サン・セバスチャン農園の主な栽培品種は、ブルボン(Bourbon)とカツーラ(Caturra)です。

農園では、サルバドール時代の栽培や精製の方法が、100年以上にわたって引き継がれています。

精製方法

"Exploring Coffee Processes at Finca San Sebastian, Guatemala",Alchemy Café - Hand Roasted Specialty Coffee 2017年10月13日.

サン・セバスチャン農園の精製方法は、ウォッシュト(Washed)、ナチュラル(Natural)、セミ ウォッシュト(Semi-Washed)です。

農園では、近年新しい乾燥場が建設されました。

サン・ミゲル・コーヒーズ

San Miguel - Single Origin Coffees 2 from San Miguel Coffees on Vimeo.

サン・ミゲル・コーヒーズ(San Miguel Coffees)は、サン・セバスチャン農園を経営するファジャ家の第3世代の総支配人であるアルトゥーロ・ファジャが、隣接する農地を買い増し作られた農園です。「サン・ミゲル」という農園名は、農園のあるサン・ミゲル・ドゥエニャスという村の名前から取られています。

サン・ミゲル・コーヒーズは、1962年に創業した「エル・テンピクスケ農園(Finca El Tempixque)」と、1985年に創業した「エントレ・ボルカネス(Entre Volcanes)」から成り立っています。エル・テンピクスケのコーヒーはファジャ家によって生産されており、エントレ・ボルカネスのコーヒーは周辺の小規模農家によって生産されています。

Entre Volcanes El Tempixque - APCA:http://antiguacoffee.org/index.php/asociados/entre-volcanes-el-tempixque/

エル・テンピクスケ農園

エル・テンピクスケ農園(Finca El Tempixque)は、1962年に創業しました。この農地を買い取った第3世代のアルトゥーロは、エル・テンピクスケ農園でコーヒーの他に、ポインセチアと蘭を栽培していました。特に、エル・テンピクスケの蘭は、新しくユニークな品種を生み出し、数々の賞を受賞しました。

アルトゥーロの息子で、サン・セバスチャン農園とサン・ミゲル・コーヒーズの現在の総支配人であるエストゥワルドが事業を引き継ぐとき、コーヒーと蘭のどちらの事業を優先すべきか選択に迫られましたが、彼は高品質のコーヒー生産に重点を置くことにしました。

現在はエストゥワルドの息子と孫も、サン・ミゲルのコーヒー生産に参加しています。

サン・ミゲル・コーヒーズは、ウェット・ミル、ドライ・パティオ、ドライ・ミル、倉庫、品質管理センターまでを兼ね備えた大規模農園で、栽培から輸送まで一貫した管理のもと、コーヒーが生産されています。

ヘルスケア

エル・テンピクスケ農園は、労働者の待遇と労働条件の改善に努めています。

2006年に、アルトゥーロの名前を冠したヘルス・クリニックが設立され、年間約4,000人が利用しています。従業員、供給業者、そしてその家族に、医療、歯科、医薬品のサービスが無料で提供されます。

エントレ・ボルカネス

エントレ・ボルカネス(Entre Volcanes)は、1985年に創業しました。エントレ・ボルカネスは、アンティグア・コーヒーの標高1,500m - 2,000mの小規模生産者によって生産されたコーヒーを取り扱っています。

主な栽培品種は、ブルボン(Bourbon)、カトゥーラ(Caturra)、カトゥアイ(Catuai)です。

サン・セバスチャン農園(Finca San Sebastián):https://real-coffee.net/category/coffee-origin/central-america/guatemala/antigua-coffee/finca-san-sebastian





Twitterでフォローしよう

おすすめの記事