カフェ ランバン:パプア・ニュー・ギニア プローサの森

カフェ ランバンのパプア・ニュー・ギニア プローサの森です。カフェランバンは、実店舗が北海道札幌市にある自家焙煎珈琲店です。

このページのコンテンツ

パプア・ニュー・ギニア プローサの森

スポンサーリンク

パプア・ニュー・ギニア

パプア・ニュー・ギニア独立国(Independent State of Papua New Guinea(PNG))は、オーストラリアの北に位置し、ニューギニア島(New Guinea)の東半分とニュー・ブリテン島(New Britain)やブーゲンビル島(Bougainville Island)などの島々で構成された国です。オセアニアに属し、オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置しています。

ニューギニア島の西半分はインドネシア領イリアン・ジャヤ(Irian Jaya)です。総面積は日本の1,2倍の約46万2千平方キロメートルと、太平洋最大の島国です。パプア・ニュー・ギニアでは、約5万年前に人類が居住を始めたと考えられています。最初に定住した先住民族は、約5万年から7万年前のアフリカ人を起源とする東南アジア人だと推測されています。

ニュー・ギニア(以前の名称)は、アフリカ大陸とユーラシア大陸に人類が居住を始めた後、オーストラリアと同時期に人類の居住が始まったと考えられています。当時の東南アジア一帯は、海水位の低下によって広大な大陸を形成し、オーストラリア大陸とはわずかな距離の海峡で隔てられているだけでした。その海峡を渡り、およそ1万年をかけて人類はオセアニア一帯へと広がって行きます。この人々がオーストラリアのアボリジニ、パプア人、ニュー・ギニア人の先祖であると考えられています。

紀元前7,000年頃よりニュー・ギニアの高地で農業が始まったと考えられています。約2,500年前、海岸地域に多くのオーストロネシア語圏の人々が移住し、陶器作り、養豚、および独自の漁業技術を広めました。また、約300年前にさつまいもがニューギニアに入ってからは、収穫量が増え、伝統的な農業も変革をとげました。これにより、さつまいもがそれまでの定番であったタロイモの生産量をはるかに超え、高地の人口も大幅に増加しました。

16世紀初頭、ポルトガル人とスペイン人が、南太平洋を航海中に最初にニュー・ギニアを発見しました。1526-27年頃、ポルトガル人のドン・ジョルジェ・デ・メネセス(Don Jorge de Meneses)が、パプア・ニューギニアの主となる島を発見し、「パプア(Papua)」と名付けました。「パプア」とは、当時この地に往来していたマレー人の言葉で「縮れ毛」という意味で、先住民の髪の毛が縮れていたためだと言われています。1545年に訪れたスペインの探検家イニゴ・オルティス・デ・レテス(Yñigo Ortiz de Retez)が、先住民がアフリカのギニア人に似ていることから、「ニュー・ギニア(New Guinea)」と名付けました。

その後、パプア・ニュー・ギニアの島々を探検したヨーロッパ人たちは、島の中央部に足を踏み入れることがなかったため、19世紀後期に至るまで山岳部のパプア・ニュー・ギニア人について知ることは、ほとんどありませんでした。

パプア・ニュー・ギニアのコーヒーの歴史

若い頃のエンマ・フォーサイス、Wikipediaより

パプア・ニュー・ギニアのコーヒー栽培の歴史はまだ浅く、19世紀後半にコーヒーが伝わりました。最初のコーヒー栽培は、エンマ・フォーサイス(Emma Forsayth)によって行われた可能性があります。彼女は「ニュー・ギニアのエンマ女王(Queen Emma of New Guinea)」として知られています。

彼女はアメリカ人とサモア人の混血のビジネス・ウーマンでありプランテーション所有者として、ドイツ系の入植者に知られていました。

エンマは義兄であるドイツの植物学者で農園主のリチャード・パーキンソン(Richard Parkinson)の助けを借りて、東ニューブリテン州(East New Britain Province(ENBP))のココポ地区(Kokopo District)に、ココアとココナッツの大プランテーションを設立しました。彼女の広大なプランテーションで栽培された作物には、コーヒーが含まれていたと考えられます。

この地域でのコーヒーの栽培の最初の公式記録は、1890年の植民地政府の報告です。2年後に、南西部のリゴ(Rigo)でもコーヒーが栽培されているという報告があり、この場所でコーヒー栽培が定着しました。

この地域でのコーヒーの成長に関する最初の公式記録は、1890年に行われた植民地政府の報告でした。コーヒーが目に見えて定着したのはここでした。 1897年までに、ポート・モレスビー(Port Moresby)郊外、現在のヴァリアラタ国立公園(Variarata National Park)近くの、「ヴァリアラタ(Variarata)」と呼ばれるプランテーションに、2万本のアラビカ種のコーヒーノキが植えられました。 1901年までに、このプランテーションはオーストラリアへの輸出を開始し、1ポンドあたり4ペンスから10ペンスの価格で取引されました。

これらの商業栽培はある程度成功を収めましたが、まだ試験段階にあり、本格的なコーヒー生産が始まるのは1920年代に入ってからのことでした。しかし、初期のプランテーションで栽培されていたコーヒーのほとんどはロブスタ種でした。

1928年に、オーエン・スタンレー山脈(Owen Stanley Mountain)の東にあるモロベ地区(Morobe District)のワウ(Wau)にある植民地政府の農業局に、アラビカ種の試験栽培の区画が作られました。このプランテーションは、1931年にドイツの起業家であるカール・レオポルド・ブルーノ・ワイルド(Carl Leopold Bruno Wilde(C. L. B. Wilde))に売却されました。彼はプランテーションの名前を、ブルー・マウンテン・コーヒー(Blue Mountain Coffee)に変更し、コーヒー生産をさらに発展させました。彼はコーヒーの焙煎と粉砕まで行い、国内および海外に販売しました。現在パプア・ニュー・ギニアの山岳州で生産されているコーヒーの多くは、このプランテーションに由来するものです。

*カール・レオポルド・ブルーノ・ワイルドは、購入したプランテーションをブルー・マウンテン・コーヒー(Blue Mountain Coffee)と新たに命名したという情報は真偽不明です。カール・レオポルド・ブルーノ・ワイルドについては、以下の記事を参照してください。

コーヒーは、ブルー・マウンテン・コーヒーのプランテーションから東武山岳州のアイユラ(Aiyura)の谷にある植民地調査局に運ばれました。この植民地調査局から山岳州にコーヒーの種子が配布されたことにより、山岳州はパプア・ニュー・ギニアのコーヒー生産の本拠地になりました。

パプア・ニュー・ギニアのコーヒー産業が本格的に発展を遂げたのは、第二次大戦後のことです。1951年から1965年の間に、コーヒー生産地域は147ヘクタールから4,800ヘクタールにまで成長しました。山岳州へコーヒーが導入されたことにより、小規模農家が大きく増加することになりました。小規模農家が栽培しているコーヒーは、国全体の少なくとも85%を占めており、彼らは標高1,500m以上で大部分がアラビカ種を栽培しています。

パプア・ニュー・ギニアのコーヒー生産者は小規模農家が多いため、インフラストラクチャの欠如、生産技術のトレーニングや教育の欠落が課題となっています。パプア・ニュー・ギニアのコーヒー・ボードであるコーヒー産業株式会社(Coffee Industry Corporation Limited(CIC))は、コーヒーの持続可能性と品質の向上、コーヒー産業と農民のコミュニティの発展を促しています。

地域

パプア・ニュー・ギニアのコーヒー産業は、パーム・オイルに次ぐ第2位の輸出農作物で、人口の半数の約250万人がコーヒー産業に関わっています。コーヒーの生産量は世界全体の1%で、主なコーヒー生産地域は、東武山岳州(Eastern Highlands Province)、西部山岳州(Western Highlands Province)、チンブー州(Chimbu Province)(または、シンブー州(Simbu Province)です。

東部山岳州

東部山岳州の州都はゴロカ(Goroka)です。

標高1,500m-2,000mでコーヒーが栽培されています。

東部山岳州には、有名な種族であるアサロ族のアサロ・マッドメン(泥の男)がいます。彼らはぬかるんだ土手に隠れ、夜まで逃げ続けることで知られています。

西部山岳州

西部山岳州の州都はマウント・ハーゲン(Mount Hagen)です。

コーヒー産業が主軸で、標高1,600m-2,000mでコーヒーが栽培されています。

マウント・ハーゲンでは、「ハーゲンショー」というお祭りが催されます。山岳地域の100を超える部族が1週間マウント・ハーゲンに集い、各部族独自の文化や伝統、踊りを披露します。

品種

主な栽培品種は、ティピカ(Typica)、ブルボン(Bourbon)、アルーシャ(Arusha)、ブルー・マウンテン(Blue Mountain)、ムンド・ノーボ(Mundo Novo)です。

収穫時期

収穫時期は4月-9月です。

スポンサーリンク

プローサ・プランテーション

山岳有機農業組合

プローサ・プランテーション(Purosa Plantation)は、山岳有機農業組合(Highlands Organic Agriculture Co-operative(HOAC))の所有農園です。

山岳有機農業組合(HOAC)は、ニューギニア本島東部山岳州(Eastern Highlands Province)プローサ地域(Purosa Region)に位置しています。東部山岳州の州都であるゴロカ(Goroka)から約93km南西にあります。

山岳有機農業組合(HOAC)は約2,700人の農民によって構成されており、彼らはプローサ・バレー(Purosa Valley)の500平方キロメートルに広がる32の村落コミュニティに住んでいます。

山岳有機農業組合(HOAC)は、2003年に登録されたオセアニア地域で最も古いフェアトレード認定組織の1つです。

ジェームス・キンとプローサ・エステート

ジェームス・キン、Vournas Coffee Tradingより

山岳有機農業組合(HOAC)は、ジェームス・キン(James Kinne)氏に設立された協同組合です。ジェームス氏は、東部山岳州のコーヒー生産の中心人物でした。

ジェームス氏は、1951年に東部山岳州オカパ(Okapa)のヘナガル村(Henegaru Village)で生まれました。

彼はプローサ地域で育ち、若くしてパプア・ニュー・ギニアの都心部で仕事をし始めました。彼は店主、整備士、運転手などの仕事を経て、1970年にクラレンス・コーヒー・プランテーション(Clarens Coffee Plantation)で、機械による土地の耕起と植栽の運用のマネージメントを担当する輸送監督者の仕事をしました。これが彼の生涯にわたるコーヒーの仕事の最初でした。

ジェームス氏はコーヒーが「金のなる木」であり、パプア・ニュー・ギニアの仲間たちの生活を変えることができるものと信じていました。彼は1977年にクラレンス・コーヒー・プランテーションと都会の生活を離れ、プローサの家族の下へと戻りました。

ジェームス氏は、プローサで最初のドライバーでした。彼は自らの影響力とプランテーションでの経験を活かして、地域社会に根ざしたコーヒー生産の方法を模索しました。

彼は志を同じくするパートナーや大手輸出業者のアンコ(Angco)とともに、1984年から1990年までのわずか6年間で、アルーシャ(Arusha)、ブルボン(Bourbon)、ムンド・ノーボ(Mundo Novo)、カツーラ(Caturra)の品種で構成される、約250エーカーのプランテーションを開発しました。この時までに、ジェームズ氏は5人の男の子と5人の女の子の、10人の子供の父親でもありました。

1年後の1991年、ジェームズは設立を支援したプローサ有限会社ウェット/ドライミルの最高責任者を務めました。

このようにジェームス氏は、東部山岳州の有機栽培のコーヒー生産の道を拓きました。

プローサ・プランテーションは現在、彼の息子であるダニエル・キン(Daniel Kinne)氏とその家族によって運営されています。

コーヒーはシェード・ツリーの木陰で栽培され、農家はコーヒーノキの周りでバナナや食用作物の栽培をしています。

品種

品種はティピカ(Typica)、ブルボン(Bourbon)、アルーシャ(Arusha)です。

プローサ・エステートのモデル・ガーデンでは、ティピカ、ムンド・ノーボ(Mundo Novo)、アルーシャ、ブルー・マウンテン(Blue Mountain)が栽培されています。

精製方法

精製方法はウォッシュト(Washed、湿式)です。

手摘みで収穫されたコーヒーチェリーは精製所でパルピングでされ、パーチメント段階まで処理されます。パーチメントは、天日乾燥の後に生豆の含水量を均一にするために機械乾燥されます。

フルーティでナッツのようなフレーバー、チョコレートのようなコクと甘味、とろっとした口当たりが特徴です。

スポンサーリンク

カフェ ランバンのパプア・ニュー・ギニア プローサの森

プローサの森、少量の入荷です。フルーティかつナッティなフレーバーでトロッとした甘味、チョコレートのようなコクがあります。深煎に最適なコーヒーです。

カフェ ランバン ホームページより

カフェ ランバンでは、コーヒーの焙煎度を選ぶことができます。パプア・ニュー・ギニア プローサの森は、深煎り(フレンチロースト)のみ選択できます。

深煎り(フレンチロースト)

チョコレートのようなコクと甘味、とろみのある口当たりが印象的です。深煎りでも酸味の残る焙煎度合いです。

<参考>

「Fair Trade Organic Papua New Guinea “Papa” Kinne Microlot」,Vournas Coffee Trading<https://www.vournascoffee.com/coffee/fair-trade-organic-papa-kinne-papua-new-guinea-microlot/>

「A journey to Purosa, Okapa District, Papua New Guinea. By Mike Murphy, MD at Kokako.」,THE KOKAKO CHRONICLE<https://kokakochronicle.tumblr.com/post/127699054088/back-to-the-origin>

「Highland Organic Agriculture Cooperative (HOAC)」,FAIRTRADE<https://www.fairtradenapp.org/highland-organic-agriculture-cooperative-hoac/>

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事