阪本 寧男「アビシニア高原 栽培植物採集の旅」とイルマ・イェマネ(Yilma Yemane)

京都大学大サハラ学術探検隊と阪本 寧男

1967年12月から1968年3月にかけて、京都大学大サハラ学術探検隊が広義のサハラ砂漠とその周辺地帯に派遣されました。雑穀研究の第一人者である阪本 寧男(さかもと・さだお)氏は、この隊の一員としてエチオピア高原を訪れました。このことが、彼を雑穀研究へ傾倒させる転機となりました。

 フィールドワークの魅力にとりつかれたのは1966年のトランスコーカサスの調査であった。そして、1967年にエチオピア高原を訪れ、アフリカ独自の穀類であるテフの畑に佇んだ時に、その「素朴な美しさ」にとても強く惹かれたことが、雑穀研究へ傾倒する一大転機になったという。

阪本 寧男 氏」,大同生命国際文化基金.

 京都大学で研究職に就いてからは、アフリカ・サハラ砂漠で主食になっている穀類の調理法を調査。雑穀を食べて暮らす人々を知って衝撃を受け、雑穀を研究の主要なテーマに据えた。2003年に退官するまでアジアや欧州、北米など訪れた国は20を超える。

北小松の自然 守りたい」,読売新聞 オンライン 2018年5月14日.

阪本氏は1990年頃から雑穀研究会を組織し、国内外の研究者や生産者と活動を始めました。そして、2004年10月33日に、「一般社団法人 日本雑穀協会」が設立されました。3月9日は、雑穀の日と定められています。

阪本氏の「アビシニア高原 栽培植物採集の旅 」に、フイールドワークの記録が残されています。いくつか抜粋してみます。

 国の真中を北東から南西にかけて、地球の裂目といわれる大地構帯(Rift Valley)が横切り、この国を二分している。この谷間の紅海に沿った部分はダナキル砂漠と呼ばれる乾燥地帯になっている。そして南に下るにつれて広いサバンナ帯を形づくっている。この地構帯の北側はエチオピア高原で、海抜2,000~4,000mの高地となり、南側は中央高原(チャルチャル高地)と呼ばれる2,000~3,000mの高原より、次第にソマリアに向かってサバンナ帯となり、緩やかな傾斜をなしている。エチオピアの農業は主として2,000~3,000mのテーブル状の高原で行なわれ、また1,500~1,600mの低地でも小規模に行なわれている。

 低地を除いて高原は気候が温暖冷涼で、年中を通じてあまり変わらない。首都アジスアベバ(海抜2,440m)の月平均気温は年間を通じて14~18℃、東部のハラル(海抜1,856m)では14~20℃である。それに対して雨量は雨季と乾季で対照的である。3月から5月の小雨季、6月から9月までの大雨季があり、たとえばアジスアベバでは年間全降雨量約1,500mmの90%がこの間に降 る。したがって、10月から2月までは完全な乾季でほとんど雨が降 らない(図1)。エチオピアの農業は、この雨季を利用して土地を耕し、播種を行ない、乾季の4ヵ月間に収穫するのが普通である。

アビシニア高原 栽培植物採集の旅 (1)」, 阪本 寧男 国立遺伝学研究所.p.348

 アビシニア高原は、1926~27年、ソ連の育種学者バビロフ(N.I.Vavilov)による植物調査によって、初めて世界の栽培植物の起原中心地の1つとして重要視されるようになった。この地域の植物学的特徴は、つぎの3点に要約される。
(1)栽培二粒系コムギおよび栽培オオムギの特異な変異の集積地であること。
(2)"テ フ"、モロコシ、シコクビエ、"ヌグ"、ヒマ、コーヒー、アビシニアバナナ(エンセーテ)など重要な栽培植物の発祥地と考えられていること。
(3)ヒヨコマメ、レンズマメ、エンドウ、ソラマメ、ササゲおよびインゲンなどのマメ類、ゴマ、ベニバナ、アマ、ブラシカ類などの油料植物、および種々の香辛料植物の変異も特徴的な地域であること。

アビシニア高原 栽培植物採集の旅 (1)」, 阪本 寧男 国立遺伝学研究所.p.349

これら栽培植物のなかでも、コーヒーは当時も現在もエチオピアの代表的な輸出品目です。コーヒーが、国の在り方をどのように変えたのか、そして今後どのように変えるのかが興味深いところです。

参考:エチオピアの2018/2019年度の輸出額は前年度比6.0%減;https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2020/aa17ab5f0172fd79.html

余談ですが、広島でのコーヒー栽培を可能にしたという触れ込みの「凍結解凍覚醒法」の苗からは、バビロフと論争したルイセンコのルイセンコ学説を連想しました。

 条件を満たさない広島での栽培を可能にしたのは品種改良した苗だ。種をマイナス60度まで冷やして解凍させる「凍結解凍覚醒法」で耐寒性を高め、成長速度も上げている。

広島にコーヒー農場 ニシナ屋珈琲が21年春栽培開始」,中国新聞 デジタル 2020年7月7日.

阪本氏が、「素朴な美しさ」に惹かれたという「テフ」について。

テフ(Eragrostis abyssinica Schrad.)は日本の秋の路傍の雑草であるカゼクサやニワポコリと同属で、エチオピアで非常に古い時代に栽培化された穀物である。伝説によれば、テフはエチオピアの神話に出てくる龍の頭から遊り出た血から生じたといわれている。草丈は40~100cmで、熟すると倒伏しているものが多い。種子は非常に小さくて長さ1~1.5mmである。"テフ"(T'ef)という呼び名もアムハラ語で「見失ってしまう」という意味を表わしている。

アビシニア高原 栽培植物採集の旅 (2)」, 阪本 寧男 国立遺伝学研究所.p.431

エチオピア北部のアクスム周辺で栽培されるシコクビエ(Eleusine coracana Gaertn.)と、シコクビエが原料として用いられる「タラ」と言う地ビールについて。

 アクスムは4世紀に栄えた王国の首都のあった由緒深い町である。大きな一本石の立柱が遺蹟として保存され、昔の栄華を物語っている。この小さな町の歴史はソロモン王の時代にまで溯れるという。ここはもう北エチオピアに住むチグレ族の生活圏である。

シコクビエは主に"タラ"という地方色豊かなビールの原料に用いられている。タラの原料には無論コムギ、オオ ムギ、テフ、モロコシ、トウモロコシも使われている。その醸造にはホップの代わりに"ゲショ"(Rhamnus prinoides Her.)の葉や枝が用いられる。

アビシニア高原 栽培植物採集の旅 (3)」, 阪本 寧男 国立遺伝学研究所.p.494

イルマ・イェマネ

阪本氏は、当時ジンマ農業専門学校(Jimma Agriculture College)の校長であったイルマ・イェマネ(Yilma Yemane)氏を訪ね、話を聞いています。

 ジンマ農業専門学校を訪ね、校長のイルマ氏(Ato Yilma Yemane Berhan)よりコーヒーやアビシニアバナナについて話を聞いた。イルマ氏の話によると、エチオピアでのコーヒーの利用の歴史は古く、長い間この国だけで栽培されていたが、14世紀になって初めて紅海を渡り、イエーメンに伝播したという記録がある。イエーメンのコーヒーはモカコーヒーとして有名だが 、そこから世界各地に伝播し、広く栽培されるようになったという。エチオピアではコーヒーを"ブンナ"と呼ぶ。ジンマ付近一帯はカファ(Kaffa)地 方と呼ばれているが、コーヒーの名はこの地名から由来したものである。

アビシニア高原 栽培植物採集の旅 (5)」, 阪本 寧男 国立遺伝学研究所.p.613

現在から見ると誤った情報もありますが、当時のエチオピアのコーヒーの専門家が、コーヒーについてどのような知識を持っていたか知る上で興味深い報告です。

ジンマ農業専門学校(ジンマ農業技術学校)は、1952年に設立された農業学校です。

b.ジンマ農業技術学校
アジス・アベバより南西340kmにジンマという大きな町がある。この周辺は、コーヒー(Coffea arabica L.)の原産地といわれ、いまでも自然林を利用したコーヒーの栽培がおこなわれており、ジンマはコーヒーの集積地となっている。1952年、アメリカ政府の援助のもとに、このコーヒーの町にも農業学校が設立された。1966年まではアメリカ人の教官がいたが、現在ではすべてエチオピア人の教官で占められている。前述のアンボ農業技術学校では、設立当時はドイツ人の教官が多かったということである。生徒総数は、ここでも現在200人程度である。ここでも、アンボの学校とだいたい似たような内容の授業がおこなわれているが、1967年からは研究機関としての役割もはたすようになってきた。とくに、トウモロコシ、テフそしてコムギの地方種および導入種の栽培、施肥実験、さらにコーヒーの品種の選択とその実生の栽培の普及に力が注がれている。その他、家畜および農業機械の部門があり、それぞれしだいに充実の度をくわえつつある。

石毛直道(1969)「研究情報 京都大学大サハラ学術探検隊調査概要」p.84

イルマ氏は、エチオピアのコーヒー生産において、土壌保全の目的でベチバー (Vetiveria zizanioides L)の植栽を最初に紹介した人です。

最初の育苗は、1980年代に「コーヒー・プランテーション開発企業(Coffee Plantation Development Enterprise (CPDE))」のゼネラル・マネージャーであったイルマ氏によって、ゲラ農業研究所(Gera Agricultural Research Station)から紹介されました。

Vetiver grass multiplication in Coffee Plantation Development Enterprise (CPDE) started in early 1980s to enhance the adoption of soil conservation practices, reap other benefits of vetiver technology and improve the sustainability of coffee production. The first planting material was introduced from Gera Agricultural Research Station by the then General Manager of CPDE Ato Yilma Yemaneberhan. Then its development has got acceptance across all state farms who have realized the benefits of the vetiver system.

BAYE MEKONNEN, TEREFE BELEHU「The Experience of Coffee Plantation Development Enterprise in Ethiopia」,Coffee Plantation Development Enterprise.

イルマ氏は、フォーブズ(Forbes)の1999年7月26日号で、「エチオピアのコーヒー生産(COFFEE PRODUCTION IN ETHIOPIA)」という記事を書いています。

まだECXが誕生する以前のエチオピアは、コモディティの多くは違法に取引されていたようです。

Unfortunately, about 35% of the total production is consumed within the producing areas. In addition, an unquantified volume of coffee is handled by illegal markets. It is known that a good part of the commodity finds its way to the neighboring countries illegally.

Contrary to the production figures, the data for the arrival of coffee from the interior to the terminal markets (Addis Ababa and Dire Dawa) for export are very accurate. The table below shows coffee arrivals to Addis Ababa for the last ten years. The 1996/97 (Coffee year is from 1st October to 30t September) coffee arrival and export (158,628 tons and 118,000 tons respectively) were the highest in the history of the Ethiopian coffee industry. Basically, arrival is correlated with production.

 Yilma Yemane-Berhan (1999)「COFFEE PRODUCTION IN ETHIOPIA」, World INvestment NEws,

エチオピアでは、1977年から「コーヒー改善プログラム(Coffee Improvement Programme (CIP))」が始まりました。

The main objectives of CIP include strengthening and supporting the coffee extension programme and research; providing farm inputs to farmer; and developing the manpower resources. It has also been learnt that there is a new plan for which EU will provide funds in order to establish pilot project centres for the protection and preservation of the forest coffee and its genetic diversity.

Yilma Yemane-Berhan (1999)「COFFEE PRODUCTION IN ETHIOPIA」, World INvestment NEws,

コーヒー改善プログラム(CIP)の3段階目のフェーズにあたるCIP IIIでは、エチオピア ・コーヒー・紅茶局(Ethiopia Coffee And Tea Authority)と欧州連合(EU)が後援となりました。

1974-1991年のデルグ(Derg)、または暫定軍事評議会(Provisional Military Government of Socialist Ethiopia)時代は、民間はウォッシュト・コーヒーの精製と取引への参加が禁止されていました。

Ethiopian coffee is processed in two well known methods, the dry and wet methods. The bulk of the annual product nearly 80 percent used to be processed in sun-dried form while the rest is wet processed coffee. Due to the misguided economic policy of the Derg regime private investors were prohibited in the participation of either the processing or trade of washed coffee. Hence, the wet method of coffee preparation which fetches premium price in the world did not expand in the past but currently appreciable progress is being made.

Yilma Yemane-Berhan (1999)「COFFEE PRODUCTION IN ETHIOPIA」, World INvestment NEws,

エチオピアのオークションでは、ウォッシュトは品質と価格ともにナチュラル(アン・ウォッシュト)上回ってました。ウォッシュトは主に、政府経営のプランテーションによって行われていました。

デルグ時代は、コーヒー流通における民間の活動が制限されていました。

 しかし、1974年から1991年の社会主義政権期には、コーヒー流通における民間の活動が制限されることになった。社会主義政権期にもオークションは存続していたが、エチオピア ・コーヒー流通公社(Ethiopia Coffee Marketing. Corporation:ECMC)が生産地から買い付けたコーヒーを形式上オークションに出し、そこでECMC自身が必要量を確保した後、残りの5~15%を民間の輸出業者がオークションを介して購入していた(Befekadu and Tesfaye [1990: 114 115])(図2 ①参照)。

児玉由佳「第4章 エチオピアのコーヒー流通におけるオークションの役割——政府による競争の場の提供と価格情報の伝達——」『アフリカとアジアの農産物流通』,日本貿易振興会アジア経済研究所/2003.3.

現在MIDROC(MIDROC-Mohammed International Development Research and Organization Companies)のアドバイザーを務めるイルマ氏は、2017年に"A Guide to Coffee Production in Ethiopia"という本を出版しています。

アビシニアン・バナナ

阪本氏と現地の人々

阪本氏が訪れたジンマ周辺には、アビシニアン・バナナがよく栽培されています。

アビシニア・バナナの栽培分布図

アビシニアン・バナナ(エンセーテ)はエチオピア西南部に分布しており、グラゲ族(Gurage)やシダモ族(Sidamo)の主食です。バナナの葉は屋根や軒を葺くために用いられます。

Ensete edule in Global Plants on JSTOR:https://plants.jstor.org/compilation/ensete.edule

コーヒー豆を砕く女たち

エチオピア西南部を訪れた阪本氏は、現地の人々からコーヒーで歓待されました。

デンビ郊外の一農家を訪ねた。家の中では男たちが数人集まってコーヒーを飲んでいた。仲間に加わったわれわれにも、コーヒーの茶碗がまわされた。ここでは塩を入れて飲んでいた。独特の風味があって、なかなかよかった。

アビシニア高原 栽培植物採集の旅 (5)」, 阪本 寧男 国立遺伝学研究所.

<参考>

「ア ビシ ニア 高原 栽培 植 物採 集 の旅 (1)」, 阪 本 寧 男 国立遺伝学研究所<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/7/6/7_6_348/_pdf/-char/ja>

「ア ビシ ニア 高原 栽培 植 物採 集 の旅 (2)」, 阪 本 寧 男 国立遺伝学研究所<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/7/7/7_7_431/_pdf/-char/ja>

「ア ビシ ニア 高原 栽 培 植 物 採 集 の 旅 (3)」 阪 本 寧 男 国立遺伝学研究所<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/7/8/7_8_492/_pdf>

「ア ビシ ニア 高原 栽 培 植 物 採 集 の 旅 (4)」 阪 本 寧 男 国立遺伝学研究所<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/7/9/7_9_539/_pdf/-char/ja>

「ア ビシ ニア 高原 栽 培 植 物 採 集 の 旅 (5)」 阪 本 寧 男 国立遺伝学研究所<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/7/10/7_10_613/_pdf>

「3月9日「雑穀の日」前後に「雑穀週間」を展開、日本雑穀アワード2019《一般食品部門》金賞授賞式も=日本雑穀協会」,食品産業新聞社<https://www.ssnp.co.jp/news/rice/2019/03/2019-0307-1035-14.html>

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