コーヒーの天才:浅野 嘉之
「浅野嘉之の浅野嘉之的こころ-第1回」,TheThreecross 2011年2月25日.

珈琲倶樂部

浅野 嘉之(あさの・よしゆき)氏は、1985年大阪府池田市に自家焙煎店 珈琲倶樂部を開業し、キャリアをスタートさせました。コーヒー研究家の井上誠(いのうえ・まこと)が死んだ年です。

『恥ずかしん坊万歳』が刊行された1985年、井上誠(コーヒー研究家)が死んで、珈琲倶楽部(浅野嘉之)が開店して、カフェラミル(千)の1号店(浜松町)が開店して、十一房珈琲店(及川俊彦:ベシェ珈琲店/秋本茂)が移転開店した。数年前に隆盛を極めたカフェバーは退潮を迎えていた。

本バカ挑戦」,帰山人の珈琲漫考 2020年5月3日.

焙煎機を店頭に置きガラス張りにしてショウルームのようにし、白を基調としたブティックのようなデザインの喫茶店でした。

浅野氏は珈琲倶樂部を開業する以前の1980年から、カフェバッハの田口護(たぐち・まもる)氏率いるバッハグループに所属し、その中心人物だったようです。

当時大阪池田市で自家焙煎珈琲店を経営していた彼は、

バッハグループの中心人物で、焙煎理論、抽出技術では超一流。

駆け出しの豆屋だった私にとっては雲の上の存在であり、

とても近づける相手ではなかった。

vol.6 名門グループを破門になった男!浅野嘉之」,カフェ・ド・カルモのブログ 2012年9月19日.
浅野氏のフジローヤルの3Kg釜、「28才の焙煎機」,讃喫茶室2012年9月11日.

浅野氏の自家焙煎は、手網からのスタートだったようです。浅野氏の最初の焙煎機はフジローヤル R-103で、自家焙煎珈琲店 珈琲倶樂部の「フジローヤルの3Kg釜」はこれに当たると思います。浅野氏は現在フジローヤルのオフィシャル焙煎講師を務めており、代表を務める讃喫茶室 尾山台でもこの焙煎機が使用されています。

会庵(KAIAN)

浅野氏はより総合的、複合的な喫茶店を目的として、1993年9月3日にパティスリーを併設したカフェ・パティスリー会庵(カフェ・サロン・ド・テ 会庵)を開業しました。この日は平成5年台風第13号が日本に上陸した日です。

お店のシェフ・パティシエに抜擢されたのは、浅野氏が神戸市のビストロ・ヴァンサンクに紹介した女性パティシエールでした。

ヴァンサンク・神戸北野店のシェフとの約束はこうである

「僕はいずれ自家焙煎珈琲店にフランス菓子を加えたお店をしようと考えている

 そのときには彼女をシェフ・パティシエと決めている

 すぐに実現するわけではないけれどその時は彼女を送り出していただけるか?」

彼は

「3年は待ってくれるかな

 彼女を育てるのもそして2番を作り上げるのも

 最低そのくらいはかかる」

「わかった」と了承して彼女を紹介することとなった

カフェ・サロン・ド・テ・会庵 Part.2」,讃喫茶室 2010年11月13日.

このビストロ・ヴァンサンクは、1980年代の関西ヌーベルキュイジーヌの一角を担っていたそうです。

1980年代きらめくばかりに花開いた関西のヌーベルキュイジーヌ

特に街場において三羽烏といわれた

ビストロ・ヴァンサンクの原シェフ

ジャン・ムーランの美木シェフ

ジャンティー・アルゥエットの西谷シェフ

は若き料理人のあこがれだった

今思うと当時3シェフも30代という若さだった

ほんとうにすごいことだと思う

その一角ビストロ・ヴァンサンクの原シェフのもとに

二番手 杉田シェフ

三番手 石田シェフ

が存在した

のちに豊中・神戸北野とヴァンサンクが2店出店された時の

おのおのの店のシェフとして活躍された

特に石田シェフはお住まいが大阪・会庵の近くで

しかも無類の珈琲好きということもということもあって

お会いする機会にめぐまれた

石田シェフ」,讃喫茶室 2011年10月27日.

カフェ・パティスリー会庵は、カフェ、サロン・ド・テ、テイクアウトの3つのスペースに分かれており、サロン・ド・テにはビストロ・ヴァンサンクから戻ってきた女性パティシエール、カフェには後に自家焙煎珈琲の店 楽庵という自家焙煎店を開業する吉澤健史(よしざわ・たけふみ)氏が立っていました。

岡山に“楽庵”という名の自家焙煎店がある

吉澤健史(たけふみ)氏が経営し創立してもう14年目をむかえる

かれは会庵で5年働いてくれた後 独立をはたした

実は珈琲倶楽部の常連客だった

大阪大学の薬学部おもに東洋いわゆる漢方が専門の学生だった

カフェ・サロン・ド・テ・会庵 Part.3」,讃喫茶室 2010年11月14日.

*ちなみに山口県萩市にある長屋門珈琲カフェ・ティカルの小川成一氏は、浅野氏の義理の弟のようです。

萩の自家焙煎珈琲店

“長屋門珈琲・カフェ・ティカル”

店主の小川成一そして僕の義弟

ということは彼の妻は僕の妹

彼女は浅野一家の常に中心で

いつも彼女の意向に沿ってうごくことが多く(彼女の異論もあるだろうが)

長屋門珈琲・カフェ・ティカルの3」,讃喫茶室 2011年10月26日.

カフェ・パティスリー会庵は、当時は珍しかったアシェット・デセールがメディアに取り上げられ成功しました。

フランス菓子に向かう人間はこう考えるんだと

まじかで体験したときのこと

スタート時のサロン・ド・テ会庵大阪のアヴァン・デセール

“巨峰と丹波・大納言のカシスのスープ仕立て”

ぶどうとあずきとカシス???

小さなフルートグラスの中の輝きは今も忘れられない

忘れられないアヴァン・デセール」,讃喫茶室 2012年1月26日.

しかし、1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災が発生し、被害を受けました。

そんななかでカフェ・サロン・ド・テを営業することもはたしていいのだろうか

スタッフのみんなとも話し合った

もちろんそのような状態が続けばお店の存続などというものはありえない

「やれるところまでがんばりましょう

 ぼくたちに今できることはこれしかないですから」

ありがたい言葉だった

数日後お店を再開した

僕の人生のなかでもっともおおきな出来事となった

カフェ・サロン・ド・テ・会庵 Part.7」,讃喫茶室 2010年11月20日.

浅野氏は1998年に珈琲倶楽部の真向かいで営業していたジャンティ・アルゥエットを借り受け、レストランを併設したカフェ・パティスリー・ビストロ会庵を開業しました。そして、2007年に大阪から東京に移り、ダイニング・グラッパ・カフェ会庵を開業しましたが、リーマンショックのあおりを受けて閉店しました。

カフェ・リコ

「あっぱれ!KANAGAWA大行進 2018年9月15日放送 伊勢原市」,テレビ神奈川 tvk3ch 2018年9月20日.

浅野氏は2011年に神奈川県伊勢原市のカフェ・リコの立ち上げに参加しました。これはカフェ・ド・カルモの繁田武之(はんだ・たけゆき)氏のカフェ・ヴァモス再生プロジェクトで、繁田氏の主催する上海繁田自家焙煎倶楽部の日本での最初の活動でした。

カフェ・リコ、TVK『あっぱれ!KANAGAWA大行進』より

古くからしっているオーナーですが

昨年の11月から店をしめているのでなんとかしてということで再生しょうということになりました。

自分一人では無理なので旧友である関西の浅野とともにこの仕事を受けました。

浅野はもとBッハグループの重鎮!

Bッハグループは自家焙煎珈琲御三家のひとりT氏が率いるグループです。

そのなかでいろいろな新たなことに挑戦する浅野は理論、知識、行動力で

教祖を脅かす存在になったのでおそらく

うとんじられ

仲間からはずされたのではないかと自分は思います。

自家焙煎珈琲店の再生」,handa pandaの珈琲探訪 2012年8月13日.

浅野氏と繁田氏の出会いは、繁田氏がブラジル ミナスジェライスの下坂農園の下坂匡(しもさか・ただし)氏の「カルモシモサカ」を営業販売していたときに遡ります。これは日本におけるコーヒーのダイレクト・トレードの先駆けと言えます。

そんな繁田さん

出会いはもう随分前

無我夢中でブラジルから持ってきたカルモシモサカを全国行脚で売り歩いていた

今でこそカルモシモサカはナショナルブランドになったといえるかもしれないが

当時(20年以上前になるかな)はまったくの無名の珈琲

自家焙煎店の飛び込み営業

ホームセンターやスーパーに小型焙煎機をもちこんで実践販売

なんとかカルモシモサカを皆さんに知ってもらおうとの啓蒙活動

そんな中、関西にこられていたとき(確か知人の紹介だった曖昧な記憶)会いに行ったのがはじめて

100Kg超級の体に似合わないかわいい笑顔(失礼)で

「こんにちは、はじめまして繁田です」

そのときはこんなに長いお付き合いになるとはおもいもよらなかった

残暑お見舞い申し上げます」,讃喫茶室 2012年8月27日.

繁田氏は20代の頃に世界のコーヒー生産地を巡り歩いている中で、下坂農園の下坂氏に出会いました。

そして、その旅の中で出会ったのが、1956年に日本から家族ぐるみでブラジルに入植しコーヒー農場を営んだ下坂さん一家でした。
下坂さん一家は、ブラジル・ミナスジェライス州で入植当時にはその土地では無理だと言われていた有機農法でコーヒー豆を栽培することに成功し、繁田が訪れた当時にはひとつの町ほどもある大きな農場を構え、丹念に作られた良質なコーヒー豆を生産していました。

下坂さんに強い印象を受けた繁田は、その世界旅行から帰国し、志を同じくする関根(現在は福島県いわき市にてブラウンチップを2店舗経営)とともに自家焙煎コーヒー豆の店を始めました。
しかしその当時、コーヒー豆の流通は大手コーヒー商社によって仕切られていて、個人あるいは店が自由にコーヒー豆を輸入し買い入れることは難しかったのです。

偶然に講演のために来日した下坂さんは、繁田のそうした状況を見て取り、シモサカ農場の生豆を繁田の店に直接卸すことを提案してくれました。

繁田は、下坂さんのコーヒーを「カルモシモサカ」と名づけ、店の代表メニューとして焙煎し売り出しました。これは、現在の「トレサビリティコーヒー(追跡可能=生産場所が明確なコーヒー)」のさきがけとなりました。

当店のあゆみ」,豆処ローストハウス ブラウンチップ.

カフェ・リコには、下坂氏も訪れています。

あまりにも有名な日系ブラジル珈琲農園の下坂農園

ブラジル・カルモシモサカの名前は一度は聞いたことがあることと

突然の閉園となったニュースは衝撃的だった

下坂匡(ただし)さん

本日愛甲石田のカフェリコにおみえいただいた

何年ぶりだろう

大阪・会庵の頃、繁田さんと一緒にお越しいただいて以来なので

もう20年ほどかな

ちっともお変わりない

下坂さん」,讃喫茶室 2012年10月7日.

カフェ・リコの位置する国道246には、大坊勝次(だいぼう・かつじ)氏の「大坊珈琲店」がありました。

ただ今立ち上げにきているカフェ・リコ

神奈川の愛甲石田というところ

国道246沿いに位置しています

この国道246はなんだか昔から縁があって

青山・三軒茶屋・荏田(東急田園都市線の駅は江田)

そしてかの大坊さんのお店も・・・

246」,讃喫茶室 2012年11月20日.

2014年12月7日に、東京都千代田区神田錦町の学士会館で行われた「日本コーヒー文化学会 第21回年次集会 報告」の「東の大坊、西の森光」の対談後、浅野氏は「待夢珈琲店」の今井利夫(いまい・としお)氏とともに大坊コーヒーの再現に挑みました。

桜井さんと江崎さんは森光さんのコーヒーを、浅野さんと私は大坊さんのコーヒーをそれぞれ担当して抽出しました。浅野さんは慣れていてとてもスムーズに大坊コーヒーを再現していましたが、私は大坊さんが大切にしている深煎り珈琲の苦味の中の甘味を何とか再現しようと必死でした。

日本コーヒー文化学会 第21回年次集会 報告」,今井利夫の珈琲三昧 2014年12月19日.

2016年10月1日に渋谷ヒカリエで「d SCHOOL わかりやすいコーヒー コーヒーのルーツと今」というコーヒーの会が催され、「珈琲美美」の故・森光宗男(もりみつ・むねお)氏、ダフニの桜井美佐子(さくらい・みさこ)女史、大坊珈琲店の大坊勝次氏が集いました。この催しでも浅野氏は大坊氏のサポートについたようです。

ダフニ」の桜井美佐子女史は、襟立博保(えりたて・ひろやす)氏の下でコーヒーを学びました。

桜井さんは昭和17年(1942年)生まれ。OL生活を経て30歳で入社したコーヒーチェーンの蘭館珈琲ハウスで、伝説的なコーヒーの職人と巡り合う。戦後に開業した大阪の喫茶店「リヒト」や「なんち」のマスターとして知られた襟立博保(えりたて・ひろやす)さんだ。やはり戦後に東京・銀座で「カフェ・ド・ランブル」を開いた関口一郎さんと並ぶ業界のカリスマ的存在で、蘭館珈琲ハウスの創業期に顧問をつとめた。

在宅でとろり滑らかネルドリップ 達人が淹れ方指南」,NIKKEI STYLEより

桜井女史は「非凡な味覚」を持つ女性として、コーヒーのレジェンド達から一目置かれていたようです。

桜井は今は亡き標交紀(コーヒーの鬼と呼ばれた吉祥寺「もか」店主)の兄弟弟子で、

標の師匠筋に当たる襟立博保の秘書をやっていた。

標がもっとも信頼していた女性で、新しいブレンドを開発すると、

「桜井さんの感想が聞きたい」

と、まっ先に連絡した。桜井には非凡な味覚が備わっているらしい。

コーヒーに憑かれた女たち」,嶋中労の「忘憂」日誌 2014年10月2日.

浅野氏は、ダフニを2012年に訪れています。

やっと行くことができた

桜井さん(気楽によんですみません)にいろいろ教えていただいた

襟立先生のこと

標先生のこと

Daphne ダフニ」,讃喫茶室 2012年9月8日.

僕が浅野さんを初めて見たのは、2014年9月のネルドリップのイベントで、

ダフニの桜井さんのお手伝いとして来られていたのを記憶している。

そして最近では大坊モデルの手回し焙煎機のお披露目会に来られていたようです。

ゆるーいカフェ巡り はじまりのカフェからジェントルビリーフ」,Blog 喫茶 いずみ 2017年11月27日.

大坊氏は日本における深煎りネルドリップの名人として知られています。

繁田氏は2016年8月に設立した一般社団法人日本ネルドリップ珈琲普及協会の代表を務めており、浅野氏はこの日本ネルドリップ珈琲普及協会の理事です。

浅野氏のネルドリップの抽出は、動画で見ることができます。

「浅野嘉之の浅野嘉之的珈琲の入れ方」、TheThreecrossより

濃度のあるのもよし

軽い感じのものもよし

苦味強いものもよし

さわやかな酸のあるものもよい

すべてに中庸なものもよし

個性豊かなものもよし

珈琲で今おもうこと」,讃喫茶室 2012年9月12日.

ジェントルビリーフ

ジェントルビリーフ時代の浅野氏、「コーヒー好きインタビュー ⑩」,FNC コロンビアコーヒー生産者連合会 2014年11月27日.

浅野氏は、2014年5月に東京都港区南青山の外苑前にジェントルビリーフ(Gentle Belief)を開業しました。

このお店は、小型焙煎機のフジローヤル Discoveryによるオンデマンド焙煎を特徴としていました。生豆が40種類ほど取り揃えられており、浅煎りから深煎りまで15-20種類ほどの焙煎豆が用意されていました。

「昔は、小さなロースターはテストロースターとして使用されることが多かったのですが、いまのマイクロロースターは、能力的にもその域を完全に出ています。長年、焙煎士として向き合ってきて、高レベルの焙煎テクニックさえあれば、マイクロロースターを使いこなすことができると確信し、“オンデマンド焙煎”のお店をクリエイトする決心をしました」

名だたる自家焙煎の名店で修業し、焙煎歴30年というベテランならではのテクニックと知識の集大成だ。

特集|ロースターは燃えているか?|第2章「マイ・ロースターを求めて」」,OPENERS 2015年2月16日.

旦部幸博(たんべ ・ゆきひろ)氏は、2014年8月22日にジェントルビリーフで浅野氏と初めて出会っています。

2015年11月14日に富士珈機 東京支店 セミナールームで催された「日本コーヒー文化学会 焙煎・抽出委員会」に、山内秀文(やまうち・ひでのり)氏、鳥目散帰山人(とりめちる・きさんじん)氏、旦部幸博氏の"YKT48"という「闇の御三家」をはじめとするコーヒー界隈の恐ろしい面々が一堂に会しました。

今般の分科会テーマは「コーヒー生豆の性格の違いと焙煎方法」、先般(2015年2月15日)の「焙煎機DISCOVERYと焙煎技術について考える」に続いて連なる催し。今般は旦部幸博氏を招いて、山内秀文氏と鳥目散帰山人の珈琲狂3人が集まる、あな恐ろし。福島達男氏・浅野嘉之氏・大坊勝次氏・松下和義氏らも加われば、さらにもあらず。

再発見の逆襲」,帰山人の珈琲漫考 2015年11月17日.

この催しは、2015年2月15日に催された「日本コーヒー文化学会 焙煎・抽出委員会」に連なる催しでした。大坊氏と帰山人氏はこの催しではじめてフジローヤル Discoveryによる焙煎に挑んでいます。

よし、私の「はじめてのディスカバリー」焙煎、挑戦だ! 都市ガス圧を0.8kPaにして、ダンパーを3.5(ほぼニュートラル)にして、摂氏190度で投入して…後は何もしない。勝手に約95度で中点となり、勝手に約189度で1ハゼが始まり、勝手に約211度で2ハゼが始まり…火力も変えず、ダンパーも動かさず、サシ(スプーン)で豆も見ず…ん、ココだ、終了。後ろで見ていた大坊さんが「どこで(煎り止めを)判断したの?」と呆れ顔。「音と煙と時間と温度で」と私。「どうして(温度の)上昇率が自然に下がるの?」と訊く大坊さんに、「焙煎というのはですね」と説く私…無茶苦茶だナ。で、今度は大坊さんが本番「はじめてのディスカバリー」焙煎、挑戦だ!…え?そこでガス絞る!…え?そこでダンパー開ける!…ん? 2ハゼが始まって8分を過ぎて、まだハゼている! え? まだ引っ張る! さすが大坊勝次だ! 大坊さんも私も、手廻し焙煎をそのまま「はじめてのディスカバリー」へ映したがって、結果は各各ほぼ成功。まぁ、ディスカバリーを使いこなしたというよりも、意を通したか…再発見。

再発見の風来 後篇」,帰山人の珈琲漫考 2015年2月18日.

浅野氏はこの催しの翌日にあたる2015年2月16日のOPENERSの特集で、当時流行していた「サードウェーブ」に関して肯定的な見解を述べています。

そんな焙煎マスターへ、現在の潮流「サードウェーブ」に関してたずねると、「彼らのおかげで、コーヒー焙煎自体にも光があたったので、僕自身はとてもいい傾向だと思っています」と応えてくれた。

深煎りの魅力も教えてくれて、浅煎りのサードウェーブにも理解があって、コーヒーを美味しく飲める術はすべて試したい、という前衛的な焙煎士、浅野さんにならば、初心者も臆せずオーダーしやすいのではないだろうか。

特集|ロースターは燃えているか?|第2章「マイ・ロースターを求めて」」,OPENERS 2015年2月16日.

しかしこの肯定的な見解は、SCAJ 2015に参加した後の2015年10月04日のコメントでは、否定的な見解に変わります。

浅煎り
フルーティ
さわやかな酸味

僕には生の味しかしなくて
浅煎りはここじゃないだろうと心の中で
すべてが不思議で愕然としました
これがサードウェーブなのかと
無知でした

この日何の日 3」,帰山人の珈琲漫考 2015年10月1日.

*サードウェーブについては、「その4:コーヒーのサードウェーブを正しくとらえるには?(y_tambe氏によるコーヒー史概論の続き)」を参照してください。

僕はスペシャルティには功罪があるとおもっている

やはりわけの分からない履歴のものより

その珈琲がおおまかにどんなだということがわかったほうがいい

と格段に珈琲の平均値が向上したと思っている

一般にもその情報が知れ渡ってくると

作り手も学習をしていないと見放される

そういう緊張感はとても良いことだと思う

他方珈琲を点数にするのはいいのだけれど

確かにしっかりとしたカッパーがジャッジしているのだろうが、それは珈琲のひとつの側面でしかなく

珈琲の香味はそこから様々な要素をもってして最終決定するものと考えている

ひとつの参考にはなると思うのだけれど、それ一辺倒になると本質を見失うと感じる

コモディティーも(時にはこちらのほうが)とてもよいものがある

相場がゆれるときは確かに難しいけれど

経験からそう確信している

ニカラグア・リモンシニョ農園・ジャバニカを焙煎しての3」,讃喫茶室 2012年10月13日.

最近思うのです
スペシャルティとバリスタが蔓延
行き所を失ってしっちゃかめっちゃかになって
挙句の果てにプアオーバー持ち出してこれからはこれだ!って
せっかく築き上げた先人たちの珈琲をそんな道具に使われちゃあいくらなんでもなさけないなぁって

そんななかでも関口さん、故標さん、田口さんはそのような波とは関係なく理路整然と輝いている
ものごとの本質みたいなところをもってらっしゃる人は
多少の違いや出方の違いはあれどもぶれない
すごいことだと感じています

ニカラグア・リモンシニョ農園・ジャバニカを焙煎して」,讃喫茶室 2012年10月2日のコメント欄.

讃喫茶室

「浅野嘉之の浅野嘉之的こころ 第3回 ルイボス茶はうまし!」,TheThreecross 2011年7月5日.

自家焙煎珈琲店 讃喫茶室は、2010年に兵庫県宝塚市に開業しました。

2011年3月11日に東日本大震災が発生し、福島県飯舘村の名店「椏久里珈琲」も移転を余儀なくされました。

今日は普及協会の理事でもある、浅野さんが新店、讃喫茶室を世田谷区尾山台に開店させました。

一般社団法人日本ネルドリップ珈琲普及協会の喫茶店さんの投稿 2018年8月1日水曜日

2018年東京都世田谷区の尾山台駅近くに、讃喫茶室の姉妹店として讃喫茶室 尾山台が開業しました。浅野氏は現在、宝塚市の讃喫茶室と尾山台の讃喫茶室 尾山台の代表を務めています。

自分を徹底的に珈琲にのめり込ましてくれた人がいる

もしその方がいなければここまで珈琲屋を続けてくることが出来たかどうか  

それ以前に珈琲そのものに目を向けることとが出来たかどうか甚だ疑問だ

もう30年も前になると思うのが柴田書店の珈琲だけに焦点をあてた 

おそらく最初(ぼくがかってにそう思っている)の雑誌

“Blend”が発刊された

大変な名著でその後の珈琲関係の雑誌に少なからず

影響を与えたのではないかと考えている(中略) 

その“Blend”の編集長

山内秀文氏

当事彼にとってみればこのような人間がいることは

むろんあずかり知らないことではある

だが私にとっては大きなターニングポイントになった  

山内秀文氏に感謝

かってに恩人」,讃喫茶室 2010年8月31日.

<参考>

讃喫茶室 尾山台<https://cafe-san.stores.jp/>

讃喫茶室 F<http://w01.tp1.jp/~a000130051/>

FUJI ROYAL<https://fuji-royal.jp/>

handa pandaの珈琲探訪<https://ameblo.jp/carmojapan/>

カフェ・ド・カルモのブログ<http://cafedocarmo.jugem.jp/>

豆処ローストハウス ブラウンチップ<https://carmo.jp/>

Blog 喫茶 いずみ<http://blog.kissa-izumi.com/>

帰山人の珈琲漫考<https://kisanjin.blog.fc2.com/>

今井利夫の珈琲三昧<https://chuplus.jp/blog/list.php?category_id=297>

嶋中労の「忘憂」日誌<http://rouroushimanaka.blogspot.com/>

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