松屋コーヒー本店のインドネシア スラウェシ島 トラジャです。松屋コーヒー本店は愛知県名古屋市中区に本社のあるコーヒー会社で、1909年創業の老舗です。昭和30年代に開発された松屋式ドリップ法でも有名です。現会長は3代目の松下和義(まつした・かずよし)氏です。
松下家のコーヒー屋は「松屋コーヒー本店(英語表記では、MATSUYA COFFEE)」までが社名と屋号で、「松屋コーヒー本店」は名古屋市中区大須にある本店に相当する店(その店は「万松寺店」として知られています)を指しているわけではないそうです。そしてこの「松屋コーヒー本店」から暖簾分けした「松屋コーヒー」が、「松屋コーヒー本店」とは別経営の会社としてあります。
「松屋コーヒー(「松屋コーヒー本店」ではない)」には、「松屋コーヒー分店」「千種松屋コーヒー」「松屋コーヒー部」「松屋コーヒー店」が別にあり、「松屋コーヒー部」は現在「ゴルピーコーヒー(GOLPIE COFFEE)」の名前で知られています(この部分は鳥目散帰山人氏からご教示いただきました)。
このコーヒーは「松屋コーヒー本店」で購入したコーヒーです。
インドネシア スラウェシ島 トラジャ
インドネシア
インドネシア(Indonesia)は一万数千にも及ぶ複数の島にまたがる東南アジアの島国です( 画像2枚目の太い線で囲まれている場所です)。首都はジャワ島に位置するジャカルタ(Jakarta)です。
インドネシアは世界第4位のコーヒー生産量を誇る世界有数のコーヒー大国です。インドネシアのコーヒー農園は小規模農園が全体の95%も占め、残りの大規模農園が国営と民営で半々です。インドネシアでは、17世紀にオランダ軍がアラビカ種をジャワ島に持ち込んだことにより、コーヒー豆の栽培が始まりますが、現在栽培されている品種はそのほとんどがロブスタ種です。これは19世紀後半にコーヒー栽培の大敵であるコーヒーさび病菌が流行し、従来のアラビカ種を栽培していた農園が壊滅的な被害を受けたため、病害に強いロブスタ種に切り換えられたためです。
具体的には、インドネシアのアラビカ種の主な品種は、カティモール種とジャワ・ティピカ種です。有名な銘柄としてマンデリンやトラジャ、ガヨ・マウンテンが挙げられます。1,000m以上の高地で栽培され、全体生産量の10%ほどです。残り90%以上を占めるロブスタ種は缶コーヒーやインスタントコーヒーの原材料となります。
主要産地は島ごとにスマトラ島がマンデリン、リントン、ガヨ・マウンテン、スラウェシ島がカロシ、トラジャを栽培しています。
スラウェシ トラジャ
スラウェシ島
スラウェシ島はヒトデの形をした島で、インドネシア諸島の他の島々よりはるかに古く、高山の斜面に広がる水田の外に永続的な霧に覆われた岩壁を持つ複雑な地形をしています。
気候はブルーマウンテンを産出するジャマイカ島に似ていて、高温多雨の熱帯雨林気候です。年間を通して気温が高く、日中は最高気温30℃程度まで上昇し、夜間になると10℃程度まで冷え込む寒暖の差があり、毎日定期的にスコールが降ります。熱帯高地の肥沃な弱酸性の土壌で、良質なコーヒー栽培に最適な条件が揃っています。
トラジャ
トラジャはトラジャ族(Toraja)によって生産されています。トラジャ族は、スラウェシ島の南スラウェシ州と西スラウェシ州の山間地帯に住むマレー系の先住少数民族です。コーヒーのブランド名「トラジャ」は、この少数民族から取られています。
トラジャ族はほとんどがキリスト教を信仰していますが、アルクトドロ教(Aluk To Dolo、英語でWay of the Ancestors)と呼ばれるアニミズム信仰で知られています。
トラジャ族の多くが住むタナ・トラジャ(Tana Toraja)は植物や野生生物が豊富な山岳地帯にあり、鉄分の豊富な土壌と約1,500mの高地の涼しく快適な気候に恵まれていいて、コーヒー生産には最適の土地です。
インドネシアのコーヒーの歴史は、バタヴィア(Batavia、現在のジャカルタ)のオランダ総督が当時オランダ領であったインドネシアのコーヒーを持ち込んだのが最初だと言われています。アラビカ種は1696年にスリランカ(Sri Lanka)からインドネシア(ジャワ島)に持ち込まれましたとも言われています。商業生産されたコーヒーの輸出の記録は、1717年にバタヴィアから2000ポンド輸出されたのが最初のようです。ただし、インドネシアのコーヒーの始まりについては、よくわからないことが多いようです。
インドネシアにコーヒーが伝わった年としては、文献上、1690年、1696年、1699年の3つの年代が挙げられている。このうち最初の「1690年」には、VOC総督ジョアン・ヴァン・ホールンが、ジャワ島のバタヴィアにあった彼の家の庭に、イエメンからこっそり持ち出したコーヒーノキを植えたとされる。これが記録上、インドネシアへの最初の伝播であるようだ。このときの木は、イエメンのアデンから持ち出されたものだと考えられる。ただし、この記録を採用している文献が多くない*1ため、正確なところはよく判らない。
*1:The Los Angeles Times, June 30, 1899, p. 7に見られる。ソースが新聞記事である点からも信憑性については疑いは残る。
旦部 幸博「インドネシアへの伝播」,百珈苑BLOG,2010年7月23日エントリー
(現在ロサンゼルス・タイムスのリンクは切れています)
トラジャとコーヒー戦争
トラジャ地区には1850年代にオランダによってコーヒーが持ち込まれました。1876年にさび病が発生したことにより、ジャワ島の大規模なコーヒー農園の多くが壊滅、小規模の独立農家によるトラジャ地区でのコーヒー栽培の普及が促進されました。しかし、これは来るべき争いの前兆でした。
トラジャ地区では、1890年代にトラジャ族とこの地区に侵攻してきた南スラウェシ最大の民族グループだるブギス族(Buginese)との間で、コーヒー戦争が起きました。当時コーヒーは1キロ数百ドルで取引され、貴族と裕福な商人だけが購入できる高級品でした。そのため、トラジャ族のコーヒーの所有や管理、供給や貿易ルートを征服しようと、ブギス族が侵攻してきたわけです。
トラジャは別名「ペラング・コピ(Perang Kopi)」と呼ばれることがあります。これは「戦争コーヒー(インドネシア語で"Perang"は「戦争」、"Kopi"は「コーヒー」の意味)」という意味で、このコーヒー戦争から来ている名称です。
ブギス族はスラウェシ島の底部に住む民族で、トラジャ族は高地に住む民族でした。トラジャ(ブギス族の言葉で「ト(to)」が「人」、「リアジャ(riaja)」が「高地の山」という意味)という名前も、トラジャ族が高地に住んでいるためにその名が付けられたという説があります。
トラジャとバルップ珈琲園
戦前にスラウェシ島(当時はセレベス島)では、日本人による農園の開拓が行われていました。日本人の岸将秀と三浦襄(みうら・ゆずる、または、じょう)によって「バルップ珈琲園(Baroeppoe Koffieonderneming) 」というコーヒー園が開拓されました(詳しくは脇田清之氏の「タナ・トラジャ Tana Toraja」と「セレベス時代の三浦 襄」を参照してください)。
キーコーヒーとトアルコ トラジャ
第二次世界大戦によって、トラジャ地区でのコーヒー生産は壊滅的な影響を受けました。しかし、日本のキーコーヒー(Key Coffee)がこの「セレベスの名品」を蘇らせるべく再生プロジェクトに乗り出します。そして、1978年キーコーヒーは「トアルコ トラジャ」を世に送り出すことに成功しました。トラジャ・コーヒーが今に知られているのは、キーコーヒーの功績が非常に大きいです。
インドネシアコーヒーと地理的表示
現在「トラジャ」は「地理的表示(Geographical Indication(GI)」という知的財産権で保護されています。そのため、現在の「トラジャ」は原産地や生産方法が保証されたコーヒーです。しかし、「トラジャ」はキーコーヒーの登録であり、また「ガヨ(Gayo)」はオランダのアムステルダムにある企業である「オランダコーヒー(Holland Coffee B.V.)、"B.V."は非公開株式会社のこと」による登録のため、インドネシアの製品であるにもかかわらず、商標権がインドネシアに属していません(アジア地区の地理的表示についてはこちらから)。
そのため、現地の人々が生産したコーヒーであるにも関わらず、彼らが自らの名前で販売することができないという問題が起きています。
品種と精製方法
品種や精製方法に関する詳しい記載は見られませんでした。
味
アーシーな(大地のような)フレーバーとハーブのような爽やかなフレーバーを併せ持ち、バターのような滑らかさとクリームのようなまろやかな口当たりを特徴としています。同じアーシーフレーバーでも、マンデリンのような重厚でカビっぽさのあるフレーバーとは対照的に、軽やかでハーブのように爽やかなフレーバーを有しています。
松屋式ドリップ法
松屋コーヒー本店は昭和30年代に松屋式ドリップ法という抽出法を編み出しました。
松屋式ドリップ法とは、安定した味が出しやすくコーヒーの旨味成分だけを抽出し、時間が経っても味が劣化しない独自の抽出法です。中部地区の多くのカフェや喫茶店でも支持されています。
「松屋式ドリップ」,株式会社 松屋コーヒー本店ホームページより
松屋コーヒー本店の松屋式ドリップのページで、松下会長の実演動画を見ることができます。松屋コーヒー本店では、松屋式ドリップ専用のオリジナル金枠とペーパーフィルターが販売されています。
挽き目
松屋式ではコーヒー豆を粗挽きにします。
味
松屋式では、粉が動かず、すべての粉から均一においしい成分だけが抽出されます。また、雑味やえぐみが出る以前に抽出を止めるため、非常にキレイな味に仕上がります。
松屋コーヒー本店のトラジャー
インドネシアのスラウェシ島に住むマレー系の少数民族の名が由来。
松屋コーヒー本店 ホームページより
「野性的な味」をお楽しみ下さい
焙煎
焙煎:シティロースト(8段階中5番目)
中深煎りです。2ハゼ(ピチピチという音)が始まったぐらいの焙煎度です 。酸味と苦味がともに突出せず、バランスよく飲める焙煎度です。
欠点豆少しあります。
味
バターのようなまろやかな口当たりが印象的です。トラジャコーヒーとしては浅めの煎りで、苦味が軽く、非常にキレイなスッキリとした味わいです。
<参考>
「Toraja Coffee」,Visit Toraja<http://www.visittoraja.com/toraja-coffee/>2019年9月13日アクセス.
「トアルコ トラジャの歴史」,KEYCOFFEE<https://www.keycoffee.co.jp/toarcotoraja/history.html>2019年9月13日アクセス.
「南スラウェシ州のこと」,スラウェシ島-インドネシア-情報マガジン<http://www5d.biglobe.ne.jp/makassar/up/sulawesi.html>2019年9月13日アクセス.
「タナ・トラジャ Tana Toraja」,スラウェシ島-インドネシア-情報マガジン<http://www5d.biglobe.ne.jp/makassar/up/toraja.html>2019年9月13日アクセス.
古川久雄「南スラウェシの稲作景観」,東南アジア研究 20巻1号 1982年6月<https://kyoto-seas.org/pdf/20/1/200103.pdf>2019年9月13日アクセス.