コスタリカ カフェ・ブリット(Café Britt)とスティーブ・アロンソン(Steve Aronson)
カフェ・ブリット(Café Britt)とスティーブ・アロンソン(Steve Aronson)
カフェ・ブリット(Café Britt)は、1985年にスティーブ・アロンソン(Steve Aronson)によって設立されました。彼はアメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス出身のコーヒーの仲買人兼輸出業者で、1970年代にヨーロッパのコーヒー商社で働き始めました。1977年に彼はエクアドルからコスタリカにやってきて、サン・ホセ州の食品業者であるグラネックス・インターナショナル有限会社(GRANEX INTERNATIONAL LTDA. )を通じて生豆を輸出していました。
アロンソンは、グラン・ホテル・コスタリカ(Gran Hotel Costa Rica)でコーヒーを飲んだ時、コスタリカの最高級のホテルでさえ、まともなコーヒーを飲むことができないことに気付き、これを変えるために別の事業を始めることを決心しました。彼はコスタリカで焙煎したコーヒーを販売するため、1985年にカフェ・ブリットを設立しました。
これはコスタリカ国内で最初のグルメコーヒーの焙煎業者でした。当時、高品質コーヒーのほとんどは、海外市場に輸出されていました。しかし、コスタリカでは観光産業が成長していたことから、高品質のコーヒーは国内においても消費されるべきであると彼は考えました。
スカンジナビアは、世界で1人当たりのコーヒー消費量が最も多いため、アロンソンはノルウェー、スウェーデン、デンマークで一般的に使用されている名前から、自らの事業を「カフェ・ブリット(Café Britt)」と名付けました。新事業の初期の目標は、コスタリカの首都サン・ホセの最高級ホテルで飲まれるコーヒーの主要な供給業者になることでした。アロンソンは、観光関連のホテルやレストランの経営者に高品質のコーヒーの必要性について説得しようと試みましたが、多くの経営者は彼らが提供しているコーヒーで十分だと信じていたので、これは困難であることがわかりました。
ブリット・コーヒー・ツアー
カフェ・ブリットは、1991年にコスタリアで最初のコーヒーツアーとなるブリット・コーヒー・ツアー(Britt Coffee Tour)を開始しました。コーヒーツアーは1991年11月15日に初めて行われ、これには当時のコスタリカ大統領ラファエル・アンヘル・カルデロン(Rafael Ángel Calderón)が出席しました。
ブリット・コーヒー・ツアーは、ツアーというよりもショーであり、観光客は農園を見学し、栽培から焙煎に至るコーヒーの生産過程について学んだ後、アンフィテアトルムに招かれ、エチオピアのコーヒーの起源から現在のコスタリカ文化への影響に至るまでを演じたミュージカルコメディに、古代ローマの観客のように接しました。そして、土産やコーヒーを販売する店に立ち寄ることで終了しました。
ブリット・コーヒー・ツアーの参加者は、初年度は1,000人未満でしたが、1999年までに年間の訪問者数は30,000人に増加し、その年のコスタリカへの全訪問者の4%を占めました。 2007年の訪問者数は40,846人に増加し、その年のコスタリカへの全訪問者の2.1%であり、2010年までに約21,800人、コスタリカへの全訪問者の1.0%になりました。コーヒー・ツアーは、カフェ・ブリットの事業において決して大きな売り上げを占めていませんが、将来的に通信販売の顧客となるであろう人々との最初に出会いのきっかけとして重要なものであると考えられました。
焙煎豆の輸出
コスタリカコーヒー協会(ICAFE)(Instituto del Café de Costa Rica)は、すべての農家に同じ金額が支払われるように、高収量の品種の植え付けを推進してきました。しかし、その後コーヒーの価格が下落したとことにより、品質の向上、地域の差別化、環境に配慮した栽培方法の推進に焦点が当てられるようになりました。
コスタリカの主要な換金作物は、今も昔もバナナです。コーヒーも重要な換金作物でしたが、近年になり、GDPの数%にまで価値が低下しました。
基本的な問題は、コーヒーがコスタリカ経済にとってもはや重要ではないということである、とアロンソンは言う。
「70年代と80年代には、コーヒーはGDPの約30から40%に相当していた。現在は7%にまで低下している」と彼は言う。 「200万袋を1袋75ドルで輸出すると、1億5000万ドルになる。斜陽産業に資金を提供するために業界の規則を破る人は誰もいない。彼らにある唯一の政治的な理由は、協同組合に所属する小規模なコーヒー生産者で、彼らのクレジット・ラインはすでに限界まで延長されている。」
「伝統的な民間のコーヒー輸出業者は、80年代後半までドイツの銀行から資金提供を受けていた。ベルリンの壁が崩壊すると、これらのドイツの銀行はすべての資金を東ヨーロッパに投入し、存在していたクレジット・ラインのほとんどが消滅してしまった。アメリカの銀行は本気でこの分野に参入したことはなく、地元の銀行システムは規制されている。このことは生産コストを下回って販売している事業に関与している企業や、資産と負債の比率が規制要件を満たしていない企業には融資できないということを意味している。彼らはコモディティ・ファイナンスを行うようには取り決められてはいないのである。」、と彼は付け加えた。
その結果、「この国の伝統的なコーヒー当局の仕事は、業界全体を守ることであるため、ある種の絶望感がある。この国は社会契約が機能することでシステム全体を構築してきた。したがって、大部分の生産者がうまくいっていないのに、一部の生産者がうまくいっていても、政府当局は喜べないのである。」
The basic problem, says Aronson, is that coffee is no longer important to the Costa Rican economy.
"In the '70s and '80s, coffee was equivalent to around 30-40% of our GDP. Now it's down to 7%," he said. "If you export two million bags at $75 a bag, that's $150 million. Nobody is going to break any rules internally to finance a losing industry. The only political reasons they'd have would be small coffee growers belonging to cooperatives, and those credit lines are already extended out to their limit."
He added: "The traditional private coffee exporters were financed by German banks until the late '80s. When the Berlin Wall came down, these German banks put all their money into Eastern Europe and most of the credit lines that existed disappeared. The American banks really have never gotten into this area, and the local banking system is regulated. That means they can't finance companies that are involved in a business where you're selling below the cost of production, and where your level of assets to debt don't meet the regulatory requirements. They're nor set up to do commodity financing."
As a result, "there's a certain desperation on the part of traditional coffee authorities here, because their job is to defend the whole industry. This country has built its whole system on having a social contract that works. So the government authorities can't be happy about a small percentage of growers doing OK when a large percentage of growers are not doing OK."
"Steve Aronson: Costa Rican coffee pioneer."Tea & Coffee Trade Journal 2003年6月20日.
アロンソンは、コスタリカでコーヒーの品質について注目した最初の人物でした。カフェ・ブリットの設立以前は、コスタリカコーヒー協会(ICAFE)の規制により、高品質なコーヒーを国内で消費することは禁止されていました。
「1991年までは、地元で消費されるコーヒーは中央倉庫でのオークションでしか購入できないという法律がありー2週間に1度行われるオークションではーコーヒー生産者が配達量の9%を納めなければならないという決まりがあった」とアロンソンは説明する。「生産者は、定められた9%の保持量の国際価格の約4分の1を得ていた。このオークションで販売されたコーヒー豆は、輸出業者が買わないようにICAFEによって青く染められていた。」
「1991年に、政府のコーヒー輸出政策を見直す委員会にアロンソンが入ったことをきっかけに、カフェ・ブリットは法律の免除を勝ち取り、少量のコーヒーを焙煎して輸出するようになった。コスタリカに観光ブームが始まると、我々は法律を吹き飛ばしてしまった。」
"Up until 1991, the law was that coffee for local consumption could only be purchased at a central warehouse by auction, and the auctions -- held once every two weeks -- were based on a quota of 9% that the coffee growers had to deliver," Aronson explained. "The growers got about one-fourth the international value of their obligatory 9% retention. The coffee beans sold at these auctions were dyed blue by ICAFE to make sure exporters didn't buy it."
"In 1991, after Aronson was put on a committee to review the government's coffee export policies, Cafe Britt won an exemption to the law and began roasting small quantities of coffee for export. "As the tourist boom started in Costa Rica, we blew away the law."
"Steve Aronson: Costa Rican coffee pioneer."Tea & Coffee Trade Journal 2003年6月20日.
1992年まで、コスタリカは生産国の中で1人当たりのコーヒーの消費量が最も多く(1人当たり7.35kg)、カフェ・ブリットは、グルメコーヒー市場で60%のシェアを持っていました。その価格(1kgあたり7.00米ドル)は、平均して、他の輸出業者5社よりも45%高値でした。 この成功により、アロンソンは製品をアメリカ合衆国とカナダで販売することを決意し、これらの国々に焙煎豆を輸出し始めました。
カフェ・ブリットの最初のアメリカ合衆国の顧客は、コスタリカでカフェ・ブリットと接触のあった通信販売事業者でした。しかし、アロンソンは、コスタリカで当時施行されていた法律や規制の問題に直面し、焙煎豆の輸出が妨げられました。当時の法律と規制の建付は、焙煎豆の輸出を想定していませんでした。コーヒーは69kgの袋でしか輸出できないと規定されており、これは生豆と焙煎豆の両方に適用されました。これらの手順にかかる推定コストは、量に関係なく、出荷ごとに75ドルでした。さらに輸出許可の事務処理は官僚的で、迅速な対応がなされないことも問題でした。
1994年11月に外国貿易法案が可決され、5kg以下の袋に入った焙煎豆は、政府の特例措置の対象となる「非旧式 輸出(Non-traditional export)」に分類されました。 10.5%の税金の還付、生豆に課される輸出税および機械設備の輸入税の免除、加速減価償却費が適用され、これらの特例を利用して、カフェ・ブリットはアメリカ合衆国への輸出を増やしました。
1994年の法律により通信販売の輸出事業が可能になりましたが、規制の枠組みは依然として複雑なものでした。カフェ・ブリットは、貨物を40フィートのコンテナでコネチカットの請負業者に送り、請負業者はコーヒーを再梱包して最終消費者に届けるという手順を踏む必要があり、これにより輸送コストが嵩みました。これらの困難にもかかわらず、アロンソンは、コスタリカから顧客に直接出荷するという野心を捨てることなく、政府へのロビー活動を続けました。その結果、1996年にコスタリカコーヒー協会(ICAFE)は、コーヒーの輸出を管理する法律は生豆に適用されるものであり、焙煎豆はその対象ではなかったと宣言しました。その結果、出荷ごとに文書で報告する必要はなくなり、毎月の輸出の報告で済むようになりました。これにより、通信販売はコスタリカからロジスティクスを処理できるようになりました。
カフェ・ブリットは、有機栽培焙煎豆の環境に配慮したパッケージを開発し、地元のオフィスに高品質なコーヒーを提供するサービスを開始しました。また、コスタリカから宅配便(DHL)経由で直接配達する3つの異なるプログラムを開発しました。 コーヒー・ラバーズ・プログラム(Coffee Lover's Program)では、アメリカ合衆国とカナダに向けのサブスクリプション・サービスで、コーヒーの定期便とコスタリカへのコーヒー・ツアーの手配を提供しました。ギフト・プログラムでは、世界中どこでも利用できる単一購入サービス、卸売プログラムでは、注文量の多い顧客への割引サービスを提供しました。
1993年頃までの数年間、カフェ・ブリットはスターバックス(Starbucks)やシアトルズベストコーヒー(Seattie's Best Coffee)など、グルメコーヒー業界の様々な企業の主要な供給業者でした。1996年から、カフェ・ブリットは、アメリカの大手食料品会社アルバートソンズ(Albertsons)を通じてコーヒーを販売しました。また、コーヒーツアーにコーヒー業界の専門家を対象とした3日間のコーヒートレーニングセミナーを追加しました。1998年、販売量をさらに増やすために、サムズクラブ(Sam's Club)での販売を開始しましたが、2000年代初めまでにこれらの小売業は失敗することになりました。
小売店の拡大
アメリカ合衆国での失敗の経験し、2001年には新たな成長の機会を求め、カフェ・ブリットの事業をラテンアメリカ全体に拡大することを決定しました。この決定は、2001年にコスタリカ政府がファン・サンタマリーア国際空港の運営を民間事業者に譲歩するという決定によって生まれた機会を利用したものでした。カフェ・ブリットは、1994年に観光客向けのコーヒーのスタンド店をファン・サンタマリーア国際空港に開いており、これを新しいコンセプトの店舗に改善することが可能になりました。
新しい店舗のコンセプトは、観光客がコスタリカでの休暇での経験を、より素晴らしいものにすることでした。そのため、コーヒーだけではなく、チョコレート、地元の手工芸品、コーヒーツアーの店で入手できるグッズなどを取り揃えました。このコンセプトは大きく成功し、経営幹部と取締役会は、このコンセプトが会社を成長させるための有効な方法であることにすぐに気付き、地元のホテルや観光地にも出店することになりました。
2004年、カフェ・ブリットは、ペルーのホルヘ・チャベス国際空港に出店する機会を得ました。コスタリカの店同様に、コーヒーやチョコレート、土産品などが取り揃えられていましたが、大きな違いはコーヒーとチョコレートがペルー産であったことでした。カフェ・ブリットはその土地に合った品揃えによって、これらの土地の人々、色、匂い、味などの場所の感覚を引き起こすことによって、観光客の思い出を具現化することを狙いました。小売業は急速に成長しましたが、店舗の場所に合わせて、コーヒーやチョコレート以外の製品をリニューアルする必要が生まれました。 2010年までに、カフェ・ブリットは製品ラインを拡大し、菓子、ホワイトチョコレート、ダークチョコレート、チョコレートパウダー、コールドドリンク、ビスケット、ゼリー、ホットソースなど、様々なオリジナル製品を開発しました
ブリットは、2006年にキュラソー、2007年にチリ、2008年にマイアミとセント・トーマス、2009年にアンティグア・バーブーダ、2010年にメキシコと、他の空港に出店することで、この事業を拡大しました。2010年後半までに、カフェ・ブリットは9か国の空港、ホテル、観光地に76を超える店舗を持ち、4,500を超えるストック・キーピング・ユニット(SKU)(Stock keeping Unit)を持っていました。様々な場所に出店された店舗やコーヒー・ツアーは、世界中の観光客、特にアメリカ合衆国からの観光客にカフェ・ブリットを宣伝するのに役立ちました。多くの人がこのブランドに夢中になり、コーヒー・ラバーズ・プログラムを利用するようになりました。
カフェ・ブリットは、空港、ホテル、観光地への出店と並行して、ラテンアメリカでのより広範な流通も推進しました。カフェ・ブリットはラテンアメリカで事業を展開する企業との契約により、貿易の開放性が達成されたことにより、これらの地域で事業を拡大することが可能になりました。カフェ・ブリットはHORECA (hotels, restaurants and cafés)というレストランやカフェのプラットフォームを開発し、コーヒー、冷たい飲み物、チョコレートなどの様々な製品を様々な方法で提供しました。
カフェ・ブリットは、コスタリカで最も人気のあるコーヒーのブランドとなりました。
オーガニック・コーヒー
カフェ・ブリットは、1991年からオーガニック・コーヒーを販売しています。
オーガニック認証を受けるためには、「3年間、化学肥料、農薬、除草剤を使わないようにしなければならない」とアロンソンは説明した。以前、彼はある雑誌にこう語っている。「オーガニックはコーシャのようなものだ。そのルールは厳しく、必ずしも論理的ではないが、それに従わなければならない。」
コスタリカで有機コーヒーを生産している4、5社のうちの1社であるカフェ・ブリットは、10年ほど前からそのようなニッチな市場に参入している。同社は現在、数百人の組合員を抱える6または7の協同組合と、独自の精製所を持つ4または5の大規模生産者から購入している。
To be certified organic, Aronson explaned, "You have to avoid using chemical fertilizers, pesticides and herbicides for three years." As he once told a magazine: "Organic is like kosher. The rules are strict and not always logical, but you have to follow them."
Cafe Britt, one of four or five producers of organic coffee in Costa Rica, has been in that market niche for about 10 years now. The company currently buys from six or seven cooperatives -- each one with several hundred members -- as well as from four or five larger growers with their own mills.
"Steve Aronson: Costa Rican coffee pioneer."Tea & Coffee Trade Journal 2003年6月20日.
引退
2009年にスティーブ・アロンソンに代わり、フィリップ・アロンソン(Philippe Aronson)が代表に就任しました。2017年に、会社はモルフォ・トラベル・リテイル(MORPHO Travel Retail)とカフェ・ブリットの2つの異なる会社に分割され、フィリップ・アロンソンはカフェ・ブリットの最高経営責任者(CEO)に就任しました。これによりカフェ・ブリットは、グルメ製品の製造と流通、カフェの運営、ブリット・コーヒー・ツアーの運営に事業を集中させることができるようになりました。
スティーブ・アロンソンは引退後、自由な時間を教育と環境保護に捧げています。彼はコスタリカ国際バカロレア学校協会(ASOBITICO)(Asociación de Colegios del Bachillerato Internacional de Costa Rica)の会長を務め、コスタリカの国立公園の持続可能性を目指す非営利団体プロパルクス(Proparques)の会長兼創設メンバーでもあります。
「コーヒーは非常に伝統的な産業であり、ジャーニーマン、ギルド、見習いのシステムに基づいている」、と彼は最近マイアミの雑誌に語った。 「物事は父から息子へと受け継がれる、そして最も重要な資本は評判と知識である。」
"Coffee is a very traditional industry, based on a system of journeymen, guilds and apprentices," he told a Miami magazine recently. "Things go from father to son, and your most important capital is reputation and knowledge."
"Steve Aronson: Costa Rican coffee pioneer."Tea & Coffee Trade Journal 2003年6月20日.
<参考>
Café Britt Coffee<https://www.cafebritt.com/>
"Steve Aronson: Costa Rican coffee pioneer.",Tea & Coffee Trade Journal<https://www.thefreelibrary.com/Steve+Aronson%3a+Costa+Rican+coffee+pioneer.-a0103381825>
Esteban R. Brenes, Amitava Chattopadhyay, Daniel Montoya C.(2013)"Grupo Britt N.V.: should it seek to expand business in the USA?",ResearchGate<https://www.researchgate.net/publication/280160106_Grupo_Britt_NV_should_it_seek_to_expand_business_in_the_USA>