アメリカ合衆国 ハワイ・コナ コナ・コーヒー・リビング・ヒストリー・ファーム
コナ・コーヒー・リビング・ヒストリー・ファーム
コナ・コーヒー・リビング・ヒストリー・ファーム(Kona Coffee Living History Farm)は、アメリカ合衆国(USA)(United States of America)ハワイ州(State of Hawai'i)ハワイ島(Island of Hawai'i)コナ地区(Kona District)に位置する農園です。
コナ・コーヒー・リビング・ヒストリー・ファームは、日系移民の内田 大作(Daisaku Uchida)によって設立されました。
内田 大作は、1906年に熊本県からハワイに移住しました。1912年に日本人女性と結婚し、1915年に長男の正男(Masao)が誕生しました。
内田さんの故郷は熊本県で1906年に日本丸でハワイにやってきた。カウアイ島のサトウキビプランテーションで3年間働いた後、ハワイ島に移ってコーヒー農園で働いた。20年ごろにはコナ地区の人口の約半分が日本人だったという。農園内に建てた家には長男家族が94年まで住んでいたが、その後、歴史的建造物として農園ごと地元の財団に引き継がれた。きちんと手入れされ、今もほぼ当時のままでコーヒーも栽培されている。
「せかい旬景 コナコーヒーに歴史の深み(ハワイ島)」,日本経済新聞 2019年11月22日.
内田は、1913年にグリーンウェル農園(Greenwell Farms)のヘンリー・ニコラス・グリーンウェル(Henry Nicholas Greenwell)の妻であるエリザベス・キャロライン・グリーンウェル(Elizabeth Caroline Greenwell)、そして後にヘンリーとエリザベスの息子であるアーサー・レオナルド・グリーンウェル(Arthur Leonard Greenwel)から土地を借りて、コーヒー農園を始めました。
1925年に内田ファーム・ハウス(Uchida Farm House)が建てられ、1994年まで3世代が住みました。農園は閉鎖され、現在はコナ歴史協会(Kona Historical Society)によって管理されています。
一帯で生産されるコナコーヒーはキリマンジャロ、ブルーマウンテンとともに世界三大コーヒーと呼ばれ、酸味と甘みのバランスが良く香り豊か。その発展に寄与したのが、1900年代に入植したダイサク・ウチダさん。ファームでは、ウチダさんが住んでいた母屋や作業場が保存公開され、当時の暮らしとコナコーヒーの歴史を今に伝える。
コナコーヒーは各国からやってきた移民が生産していたが、過酷な労働にギブアップ。それに耐えたのが、日本からの移民だった。熊本出身のウチダ夫妻ら日本からの移民の苦労を伝えるのは、70代の日系人ポーリン・ニシダ・ミラーさん。幼少時代は親のコーヒー栽培を手伝った。「とにかく休みがなかった。私たち子どももかり出された」
ファームの庭には豆の皮むきや焙煎(ばいせん)の機械が並ぶ。家に入るとかまどやおひつが残っていた。質素な暮らしぶり。神棚や仏壇があり、若いころの昭和天皇の写真も掲げられていた。移民のほとんどは家督を継ぐ長男ではなく、次男や三男…。帰る場所がない。故郷にも。だから意地がある。
「同級生のオニヅカさんも一生懸命親の手伝いをしていました」。エリソン・オニヅカ。福岡県うきは市出身の祖父母を持つ日系3世は、米空軍在籍中に宇宙飛行士に選ばれた。しかし、1986年のスペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故で6人の飛行士とともに亡くなった。
「爆発の映像は今も記憶に残っている。本当に悲しかった」とニシダさん。寸暇を惜しまず働き、ハワイでの生活を築いた日系移民にとって彼は出世頭。希望の星だった。「苦労をともにした友人。日系人のヒーローなのです」
ハワイの英雄でもあるオニヅカさんの名は空港の名前になった。ハワイ島の東西を結ぶ高速道路は、日系人初の上院議員で父が福岡県出身の故ダニエル・イノウエ氏にちなんで「ダニエル・イノウエ・ハイウエー」と命名された。極東からやってきた移民たちの多大な功績が感じられる。
「ハワイ島(米国)上 日系移民の足跡たどり」,西日本新聞 2020年3月16日.
グリーンウェル農園の向かいに、当時の日系人が建てたヘンリー・ニコラス・グリーンウェルの石碑があります。ヘンリーが当時の日系人の世話をしていたことから、彼らが感謝の意を込めて建てた石碑です。