UCCカフェメルカード:UCC直営農園 アメリカ合衆国 ハワイ島 コナ地区 UCCハワイコナコーヒー・エステート
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UCCカフェメルカードのUCC直営農園 アメリカ合衆国 ハワイ島 コナ地区 UCCハワイコナコーヒー・エステートです。

UCCは、上島珈琲店や珈琲館などのブランドを運営する大手のコーヒー店です。UCCカフェメルカードはクラシフィカドール(コーヒー鑑定士)により、味覚、香り等、徹底的な品質テストをしたコーヒーだけを取り揃えています。

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ハワイ州

アメリカ合衆国の50番目の州となったハワイ州(State of Hawaii)は、ハワイ・コナが生産されるハワイ島(Island of Hawai'i)をはじめ、カウアイ島、オアフ島、マウイ島など、8島と100以上の小島から成り立っています。なかでも最も新しくできた島であるハワイ島は面積1万456㎢とハワイ諸島最大の島で、ハワイ州の他の島をすべて合わせた面積よりも大きいことから、「ビッグ・アイランド (Big Island)」とも呼ばれています。

ハワイ島には5つの火山があります。島の西部にはコナ・コーヒーの産地であるファラライ山(Hualalai Mountain)(2,521m)、島の西北端にあるコハラ山(Kohala Mountains)(1,637m)、世界最先端の天文台があるマウナ・ケア山(Mauna Kea)(4,205m)、地球で最も体積の大きいマウナ・ロア山(Mauna Loa)(4,170m)、マウナ・ロア山の南嶺には世界で最も活発な火山の一つであるキラウエア山(Kīlauea)があります。 キラウエア山は、2018年5月に噴火しました。

ハワイ島は火山でできた島のため、ハワイ島の沿岸部には白い砂浜ではなく、黒い火山性の砂浜となっている場所も多いです。

気候

ハワイ島の気候区分 「気候と気象」,ハワイ州観光局公式ラーニングサイト.

ハワイ島には、さまざまな気候が共存します。ケッペンの気候区分によれば、世界にある17の気候区分のうち、北極気候とサハラ気候を除く15気候があるとされます。

ハワイ島には、東から西へ貿易風(偏東風)が吹き付けます。これがマウナ・ケア山とマウナ・ロアの山にぶつかり雲を発生させるため、島の東部は降水量が多い地域です。島の西側は降水量が少なく、乾燥した地域です。

コナ・コーヒーが生産されるコナ地区(Kona District)は、ハワイ島西部に位置し、ハワイ州で最も乾燥した地域にあたります。

ハワイ州のコーヒーの歴史

カメハメハ2世、Wikipediaより

スペイン人のフランシスコ・デ・パウラ・マリン(Don Francisco de Paula Marín)が、1813年1月21日付けの彼の日記に、オアフ島(Oʻahu)にコーヒーの苗を植えたと記録しています。これが最初の栽培の記録です。商業用のコーヒー・プランテーションは、1836年にカウアイ島(Kauaʻi)のコロア(Kōloa)で始まりました。

コーヒーは現在のハワイ大学マノア校(University of Hawaii at Manoa)近くのマノア・バレー(Mānoa Valley)に植えられ、そこからオアフ島の他の地域や近隣の島々に広がっていきました。

1825年に、カメハメハ2世(Kamehameha II)とカマルマル女王(Kamehamalu)、そしてオワフ島の総督であるボキ首長(Chief Boki)は、ロンドン滞在中にコーヒーを初めて味わいました。カメハメハ2世とカマルマル女王は、ロンドン滞在中に麻疹で亡くなってしまいましたが、ボキ首長は帰国し、その途中に停泊したブラジルでコーヒーの苗木を手に入れました。

この苗木は、カメハメハ2世とカマルマル女王の遺体を乗せたHMS ブロンド(HMS Blonde)によってオワフ島まで運ばれました。そして、イギリス人の農業従事者のジョン・ウィルキンソン(John Wilkinson)によって、オワフ島の総督であるボキ首長(Chief Boki)の農園にあるマノア・バレーに植えられました。

1828年にアメリカ宣教師のサミュエル・ラッグルズ(Samuel Ruggles)が、マノアからコナ地区へ挿し木を持ち込み、栽培を始めました。コナ地区の温暖な気候と最適な環境のおかげで、わずか数年の内にコナ・コーヒー栽培は繁栄し、その気品ある香りは、特に捕鯨や貿易をする船員たちの間で名を馳せるようになりました。これがハワイ島コナ地区のコーヒーの歴史の始まりです。

1825年、ハワイ王国カメハメハ2世とカマルマル女王、オアフ総督ボギ酋長の一行は訪問先のロンドンで初めてコーヒーを味わいました。しかし、残念なことにロンドン滞在中にカメハメハ2世と女王はハシカで亡くなってしまいます。ふたりの亡骸を連れて帰国の途についたボギ酋長は、途中立ち寄ったブラジルのリオ・デ・ジャネイロでコーヒーの苗木を手に入れ、帰国後に植民者のウィルキンソンに命じてオアフ島のボギ農園に植えさせましたが、ウィルキンソンの存命中にコーヒー産業を成功させることはできませんでした。しかし、1828年サミュエル牧師が、ハワイ島コナ地区の自宅庭にボギ農園から持ち帰ったコーヒーの挿し木を鑑賞用に植えたところ、コナの気候がコーヒーに合ったのか、木は瞬く間に生長し、僅か数年の内にコナ一帯でコーヒーを植えることが流行り、やがてこの地域の基幹産業に発展していきました。

UCC直営農園 1 ハワイコナコーヒー誕生物語」,UCC.

コナ・コーヒーを世界市場に売り出したのは、ヘンリー・ニコラス・グリーンウェル(Henry Nicholas Greenwell)です。彼は1873年にオーストリアのウィーンで開催された万国博覧会(Weltausstellung 1873 Wien)で、彼のコナ・コーヒーに「認定証書(Recognition Diploma)」が授与されました。彼の子孫は現在、グリーンウェル農園(Greenwell Farms)でコナ・コーヒーの栽培の伝統を引き継いでいます。

グリーンウェル農園については、以下の記事を参照してください。

http://real-coffee.net/sazacoffee-usa-hawaii-kona-greenwell-farms-geisha

コナ・コーヒーの品質は、作家のマーク・トウェイン(Mark Twain)も評価しています。彼は手紙の中で、「私はコナ・コーヒーが他のどのコーヒーよりも豊かなフレーバーがあると思う(I think the Kona coffee has a richer flavor than any other)」と記録しています。

1892年にヘルマン・ワイドマン(Hermann Widemann)が、1892年に、現在「コナ・ティピカ(Kona Typica)」として知られている「グアテマラン(Guatemalan)」という品種をハワイ島に紹介しました。彼はジョン・ホーナー(John Horner)に種子を与えました。そして、ジョンはハワイ島北部のハマクア(Hāmākua)で栽培を始めました。

ジョンは、400本の新しい品種のコーヒーノキと400本の既存のコーヒーノキの、計800本のコーヒーノキを植えて比較しました。この既存のコーヒーノキは、「ハワイアン・コーヒー(Hawaiian Coffee)」として知られる「カナカ・コッペ(Kanaka Koppe)」で、ウィルキンソンによってブラジルから持ち込まれた30のコーヒーノキに由来すると考えられています。

1875年に、アメリカ合衆国とハワイ王国の間で、1875年互恵条約(Reciprocity Treaty of 1875)が締結されました。これによって、ハワイの砂糖を非関税でアメリカに輸出することが可能になったため、ハワイの大規模コーヒー・プランテーションのほとんどがサトウキビに転作しました。しかし、傾斜した地形で溶岩の多いコナ地区でのサトウキビ栽培は現実的ではなかったため、コナ地区ではコーヒー栽培が生き残ることとなりました。

1890年にアメリカ合衆国で「マッキンレー関税法(McKinley Tariff)」が成立すると、ハワイからアメリカ合衆国に輸出される砂糖に再び関税が課せられるようになったため、ハワイの砂糖産業は不況に陥りました。

砂糖プランテーション間の競争の激化による労働者不足と西洋人が持ち込んだ疫病による人口の減少から、ハワイのプランター(プランテーション経営者)は世界各国から労働者を輸入するようになりました。ハワイには、1885年から1924年の間に14万人を超える日本人が労働者としてやってきました。

世界各国からやって来た労働者たちは、砂糖プランテーションで3年間の契約労働に従事していました。しかし、1898年のハワイ併合(United States Annexation of Hawaii)によって、アメリカ合衆国の法律がハワイにも適用されることとなったため、アメリカ合衆国同様にハワイにおいても契約労働が禁止されることになりました。

契約期限が切れると、彼らの多くはコーヒーを栽培するためにコナ地区に移住しました。

1890年代にノース・コナ地区(North Kona District)でのコーヒー栽培がブームとなり、コナ地区にポルトガル人と日本人が移住してきました。しかし、コーヒーの価格が下がり、砂糖プランテーションがより繁栄したため、コナ地区の大規模コーヒー・プランテーションは、3エーカーから5エーカー程度の小さな区画に分割され、労働者に貸し出されることとなりました。

彼らの多くは砂糖プランテーションで労働者として働き、副業として自らのコーヒー農園を営んでいました。しかし、コーヒー価格の低さから、ポルトガル人はコーヒーの耕作を放棄し、コーヒーを栽培するのはほとんどが日系人となりました。

19世紀から20世紀の変わり目に、すでにハワイ州の主要な島のすべてでコーヒーが栽培されていました。1930年代までには1,000を超える農園があり、1950年代には、コナ地区の6,000エーカーでコーヒーが栽培されていました。現在、ハワイ州全体で約700のコーヒー生産者がいると言われており、そのうち600の生産者がハワイ島でコーヒー生産を営んでいます。

コナ・コーヒー

14) ハワイコナ : アメリカのハワイ州南コナ地区及び北コナ地区にて生産されたアラビカコーヒー豆をいう。

(別表2)産地、品種、銘柄の区分及び範囲の例示 「レギュラーコーヒー及びインスタントコーヒーの表示に関する公正競争規約(平成30年6月更新)

コナ・コーヒー(Kona Coffee)とは、ハワイ島西側のコナ地区(Kona District)で生産されるアラビカ種コーヒーのことです。

コナ地区のコーヒー農園は、ファラライ山とマウナ・ロア山の西側斜面を走るハワイ・ベルトロード(Hawaii Belt Road)(以前は、マラホア・ハイウェイ(Māmalahoa Highway)と呼ばれていた)に沿って走る「コナ・コーヒー・ベルト」と呼ばれる、長さ約32km、幅3,2kmの狭い一帯に集まっています。

コナ地区は、標高約250m-800mと低い標高ですが、火山性の肥沃な土壌、昼夜の寒暖差のある気候、適度な降水量など、コーヒー生産に恵まれた環境です。また、海面の水蒸気が雲を作り出し、直射日光を防ぐため、シェードツリーは必要ありません。

コーヒーノキを庭に植えると農園扱いとなり、固定資産税が安くなるため、副収入源として個人でコーヒーを栽培する農園も多いようです。コナ地区の有名農園には、日本人の山岸秀彰・真理夫妻が経営する「山岸コーヒー農園」があります。

現在ハワイ州では、ハワイ島以外にも、マウイ島、オアフ島、カウアイ島などでもコーヒー栽培が行われていますが、コナ地区で生産されるコナ・コーヒーが最高品質とされています。

品種と等級

コナ・コーヒーの主な栽培品種は、ティピカです。

コナ・コーヒーは、生豆の粒の大きさと300g中の欠点豆の数によって等級分けされ、粒の大きいものから「エクストラ・ファンシー(Extra Fancy)」、「ファンシー(Fancy)」、「No.1」と等級分けされます。No.1以下は粒の大きさには関係なく、300g中の欠点豆のg数のみで等級分けされ、欠点豆の割合の少ないものから「セレクト(Select)」、「プライム(Prime)」と等級分けされます

この「プライム」までがコナ・コーヒーを名乗ることが許され、「プライム」以下の等級の生豆は、コナ地区で生産されていても「ハワイアン・コーヒー(Hawaian Coffee)」と呼ばれて区別されます。

コナ・コーヒーと認証

コナ・コーヒーは、年間約1,000t-1,500tの生産量しかなく、希少なコーヒーとして取引されています。

「コナ」のラベルを使用するには、アメリカ合衆国では10%以上のコナ・コーヒーが含まれている必要があります(日本での表示の基準は30%です)。コナ・コーヒー100%の表示には、ハワイ州農務局(Hawaii Department of Agriculture(HDOA) )の認証が必要です。

しかし、「ハウス・ビル 1886(House Bill 1886(HB 1886))」という法案が成立したことにより、2022年7月1日以降は10%から51%にまで配合率が引き上げられることになりました。

この闘争は、1990年代初頭から始まりました。

コナ・コーヒーに関しては、かつてコナ・カイ農園(Kona Kai Farms)が、パナマとコスタリカの中央アメリカ産コーヒーをコナ・コーヒーとして販売していたという詐欺事件がありました。

この事件では、コナ・カイ農園の共同経営者であるマイケル・ノートン(Michael Norton)氏が、1996年11月にマネー・ロンダリングと郵便・通信詐欺で起訴されました。

このスキャンダルは、コナ・コーヒーの認証闘争を前進させるきっかけとなりました。

UCCハワイコナコーヒー・エステート

「UCC COFFEE TRIP Hawaii」,UCC上島珈琲公式チャンネル 2020年6月4日.

UCCグループは、ハワイ島コナ地区にUCC ハワイ(UCC Hawaii Corporation)を持っています。UCC ハワイは、ハワイ島で農園経営やレギュラーコーヒーの製造販売を行っています。

UCCハワイは、ハワイ島コナ地区で直営農園として「UCCハワイコナコーヒー・エステート」を経営しています。UCCハワイコナコーヒー・エステートは、1989年にUCCは2番目の直営農園としてを設立しました。

UCCの1番目の直営農園は「UCCブルーマウンテンコーヒー・クレイトンエステート」です。UCC ブルー・マウンテン・コーヒー・クレイトン・エステートについては、以下の記事を参照してください。

https://real-coffee.net/ucc-cafe-mercado-jamaica-blue-mountain-craighton-estate

UCCハワイコナコーヒー・エステートは、ハワイ島コナ地区フアラライ山の裾野、標高460m付近に位置しています。農園面積約16ヘクタールで、約1万8千本のコーヒーノキを栽培しています。

ホセ・川島良彰とUCCハワイコナコーヒー・エステート

「コーヒー・ハンター」として知られるホセ(José. )川島良彰は、UCC在籍時にこのハワイの農園開発を託されました。

この農園開発のエピソードは、川島良彰著『私はコーヒーで世界を変えることにした。』第四章「次の舞台は、ハワイの溶岩台地」に詳しいです。

また、川島良彰著 『コーヒーハンター 幻のブルボン・ポワントゥ復活』第3章「ジャマイカ、ハワイ、スマトラ、そしてレユニオンへ」にも記述があります。

 一九八九年三月、ジャマイカからマイアミに飛び、テキサス州ダラス経由でホノルルへ。さらにアロハ航空でコナ近郊のケアホレ空港へ向かった。三十二歳のときだった。(中略)

 ここコナでの農園開発は、会社が購入した小さな農園を中心に、その周辺の土地を買い足してプランテーションにするというものだった。標高二千五百二十一メートルのフアラライ山の斜面にある農園はブルーマウンテン山脈ほど険しくはなかったが、急こう配で幅が狭い土地だった。数年おきに発生する豪雨対策も緊急を要した。

川島良彰(2013)『私はコーヒーで世界を変えることにした。』,ポプラ社.p.144-145.

コナ地区の溶岩の土壌で農園を開発するのは、大変な苦労があったようです。

農園開発にあたってはなみなみならぬ苦労がありました。もともとコナ地区はフアラライ山の溶岩によってできた地形上にあるので、雨が降っても雨水が染み込みません。そこでまずは溶岩を引き剥がして砕き、その下にある土を掘り返して溶岩と反転させることからはじめなければなりませんでした。時にはダイナマイトで砕かなくてはならない固い溶岩にあたることも。また、農園開設時は灌漑工事も充分でなく、土壌が流出することもしばしばで、そのため、環境保護に重点を置きながら工事を施して、近代的灌漑設備を備えた農園に改良していったのです。

UCC 直営農園 3 直営農園 開設秘話」,UCC

こうした苦労が報われて、UCCハワイコナコーヒー・エステートは、1993年にハワイ州政府機関によって、「ハワイ島西地区最優秀農園」として表彰されました。

農園観光

UCCハワイコナコーヒー・エステートでは、「焙煎体験ツアー」、「農園見学ツアー」、「コーヒー収穫体験ツアー」を行っています。

コナ・スノー

コナ地区のコーヒーノキは1月-3月頃に一斉に真っ白な花を咲かせます。それはまるで農園一帯に雪が降ったかのように見えることから、「コナの雪」、「コナスノー」と呼ばれています。

コーヒーの花は、2-3日のうちには茶色に変色してしまいます。その後、緑色の実を結び、やがて真っ赤に完熟したコーヒーチェリーを手摘みで収穫し、その日のうちに精製工場へと出荷されます。

コーヒーチェリーは、9月-2月までの6ヶ月間で、6-8回に渡って収穫されます。

UCCでは、「幻のコナスノーに出会う旅」という研修ツアーも行われていました。

UCCの協賛イベントと受賞歴

ハワイ島コナ地区で催されるUCCの協賛イベントに、「コナコーヒー・カルチュラル・フェスティバル」と「UCCコナマラソン」があります。コナコーヒー・カルチュラル・フェスティバルでは、ハワイコーヒー協会(Hawaii Coffee Associacion(HCA))主催の「ステートワイド・カッピング・コンペティション(STATEWIDE CUPPING COMPETITION)」というコーヒーの品評会が開催されています。

川島氏とグリーンウェル農園のトム・グリーンウェル(Tom Greenwell)氏は、ハワイコーヒー協会(Hawaii Coffee Association(HCA) )とハワイコーヒー生産者協会(Hawaii Coffee Growers Association(HCGA ))の設立に携わりました。

UCCハワイコナコーヒー・エステートは、2019年の第11回のステートワイド・カッピング・コンペティションで、ティピカ(Typica)のパルプト・ナチュラル(Pulped natural)が83.560点を獲得、ブルボン・ポワントゥ(Bourbon Pointu 'Laurina')がフリー・ウォッシュト(Fully washed)が81.060点を獲得しました。

また、「UCCコナマラソン」は、1997年からUCCがスポンサーとなったマラソン大会です。

 一九九七年からは、日系三世のジョン・国武が三年前からおこなっていたコナマラソンのサポートを始めた。貧しい家庭に育ったジョンは、小さな身体を生かしてアメリカ本土でジョッキーとして成功し、四十代後半に故郷コナに戻り、コーヒーの精製工場を始めた男だった。

「コナを元気にするために」とマラソン大会を始めたジョンだったが、なかなかランナーが集まらず盛り上がりに欠けていた。そこで、私は本社と交渉し、その年からUCCが冠スポンサーになった。そして、スタートとゴール地点にテントを張り、ランナーや応援する人たちにコナ・コーヒーを提供した。

川島良彰(2013)『私はコーヒーで世界を変えることにした。』,ポプラ社.p.155-156.

品種

品種はティピカ(Typica)です。

ハワイ・コナ地区では、伝統的にティピカが栽培されています。コナ・ティピカは独特の豊かな酸味を特徴としています。

精製方法

精製方法はウォッシュト(Washed、湿式)です。

コナ地区では、ウォッシュト精製が一般的です。

ハワイコナでは水洗式(ウォッシュド)と呼ばれる方法で精製します。コーヒーチェリーから果肉を除去し、パーチメントと呼ばれる殻付きのコーヒーに仕上げ、乾燥したパーチメントコーヒーを脱穀して生豆にします。その後、等級ごとに麻袋に詰められます。

UCC直営農園 5 品質管理のもと、出荷へ」,UCC.

UCCは独自管理のもと、コーヒーチェリーを精製所を持ち込み精製するため、純粋なUCCハワイコナコーヒー・エステートの生豆に仕上がります。

精製された生豆は等級ごとに麻袋に詰められ、ハワイ州農務局で品質の検査を受けます。ハワイ州農務局の発行する「品質証明書」によって、生産履歴をさかのぼることができます。

ハワイ・コナコーヒーは、蝋のようなツヤのある青緑色の大粒の豆です。独特の爽やかな酸味、芳醇な香り、柔らかな甘味、苦味が少なく、滑らかな口当たりのコーヒーです。

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焙煎

UCCハワイコナコーヒー・エステートのハワイ・コナは、シティローストで焙煎されています。

コナコーヒーの特徴は、そのユニークな酸味とコク、そして焼きあがった後の芳醇な香りといわれています。 UCCハワイの厳しいトレーニングを積んだ焙煎技師は、その知識と経験からコナコーヒーの特徴を最大限引き出すための焙煎度合いは、シティーローストだと言う結論に達しました。

これより浅めの焙煎では、コナ本来の爽やかな酸味が鋭い舌に刺さる酸味になってしまい、これより深い焙煎では、コーヒーの苦味が強調されコナコーヒーがもつ特有のボディが消えてしまいます。焙煎技師は常に同じ焙煎をするために細心の注意を払っています。

焙煎 コナコーヒーとは」,UCC Hawaii.

フローラルで華やかなフレーバーとパイナップルのような酸味、滑らかな口当たりが印象的です。華やかなフレーバーが花開く含み香とハワイ・コナ特有の爽やかな酸味、じんわりと広がる柔らかな甘味が 、全体として明るい印象を残します。

<参考>

UCC Hawaii Kona Coffee Estate<https://www.ucc-hawaii.com/ja/>

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