帰山人の珈琲遊戯:メキシコ グアダルーペ・ザフ農園 H1 ナチュラル

帰山人の珈琲遊戯のメキシコ グアダルーペ・ザフ農園 H1 ナチュラルです。帰山人の珈琲遊戯は、2017年に始まった鳥目散 帰山人氏による焙煎豆販売です。

メキシコ グアダルーペ・ザフ農園 H1 ナチュラル

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メキシコ

メキシコ(Mexico)は、北アメリカ南部に位置する共和国です。北にアメリカ合衆国、南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカルブ海に面します。首都はメキシコ・シティ(Mexico City)です。

メキシコは、世界最大のコーヒー産地のひとつです。メキシコ南部のベラクルス州(Veracruz)、オアハカ州(Oaxaca)、チアパス州(Chiapas)が、メキシコのアラビカ種コーヒーの三大産地です。コーヒーはメキシコの主要な輸出品ですが、全日本コーヒー協会の「日本のコーヒー生豆の国別輸入量」によると、メキシココーヒーの輸入量は1,303トン(2017年)と少なく、日本での知名度は低いです。

メキシココーヒーの歴史

メキシコは、古代マヤ文明やアステカ文明など高度な文明が繁栄していましたが、16世紀のアステカ文明の時代にスペイン人によって征服されました。

メキシココーヒーの歴史は、18世紀後半のスペイン植民地時代にキューバとドミニカ共和国からコーヒーノキが持ち込まれした。そしてその数十年後、グアテマラやその他の中米諸国からのドイツやイタリアの移民が集まってきた。  メキシコでは1790年代、ベラクルス州(Vera Cruz)に最初のコーヒープランテーションが開かれましたが、メキシコには銀や金などの鉱物が豊富であったため、長い間コーヒーやその他の農産物は価値を見出されることはありませんでした。

メキシコにコーヒープランテーションが広がったのは、スペイン独立後からです。メキシコ独立戦争は1810年に始まり、1821年にメキシコはスペインから独立しました。

メキシコのヨーロッパ人入植以前の土地所有は、ほとんどが村落共同体の共有地でした。スペイン征服後の植民地時代においてもこの制度は維持されていましたが、メキシコ独立以降は欧米の自由主義思想の影響を受けて、土地の私有化が推進されました。土地登記制度によって、国家に接収された土地は競売にかけられ、国内外の富裕層や大土地所有者がそれまで「未登録」とされていた広大な土地を購入し、村落共同体の共有地は彼らに収奪されることになりました。この先住民からの土地収奪現象は、19世紀後半に出現した独裁者ポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz)政権下でさらに強まり、全国各地にラティフンディオ(Latifundio)と呼称される大荘園が形成されました。

国内外の富裕層や大土地所有者は自分たちの土地を確保するために、小規模農家を山間へと強制的に追い出し、代わりに先住民の男性を彼らのコーヒープランテーションで奉公させました。このようにして、メキシコは換金作物としてのコーヒー栽培に取り組むことになりました。

一方、山間部へと強制的に追い出された小規模農家は、メキシコ革命後の農業改革により、メキシコ南部の辺鄙な山間地に小さな土地や共有地を所有することを許され、コーヒーを栽培することになりました。そして、1914年の労働法によって農奴が解放され、コーヒープランテーションで奉公していた小作農が、自分たちの地域にコーヒーの苗やコーヒーの栽培技術を持ち帰りました。

20世紀初頭になると、制度的革命党(英語:Institutional Revolutionary Party、スペイン語:Partido Revolucionario Institucional(PRI))の台頭により、メキシコ国立コーヒー研究所(英語:Mexican Coffee Institute、スペイン語:Instituto Mexicano del Cafe(INMECAFE)が創設され、外貨獲得のための国策としてコーヒー栽培が始まります。アメリカなど世界のコーヒー需要の高まりを受けて、メキシコのコーヒー生産は爆発的に発展しました。

メキシコ国立コーヒー研究所は、小規模農家のコーヒー栽培を支援するために設立されました。この組織は、農家に技術支援と貸し付けを提供し、生産したコーヒーの購入と市場への輸送をサポートし、国際コーヒー協定(International Coffee Agreement(ICA))下で、コーヒーを国際市場に送り出しました。

1973年から1990年にかけて、メキシコ国立コーヒー研究所の支援により、農村部でのコーヒー生産は飛躍的に増加しました。しかし、政府はコーヒーの生産以外の支援を怠っていたために、チアパス州とオアハカ州の農民は、地方自治体の支援や基本的な公共サービスを欠いた、メキシコで最も疎外された人々のままでした。

そのため、これらの地域では、社会運動が盛んになりました。農民はさらなる土地の分配を要求するための運動を組織し、労働団体は労働者の権利と債務労働の禁止を求めました。また、先住民族のグループは何世紀にもわたって居住していた土地と資源に対する権利を主張し始めました。

1980年代、メキシコ政府は、主に多額の対外借入と原油価格の急落により、債務不履行になったため、新自由主義改革の道を歩み始めました。この10年間で、メキシコ政府は徐々にコーヒー農家と農業に対する支援を止め、1989年にメキシコ国立コーヒー研究所は空中分解しました。同じ年、国際コーヒー協定の輸出割当制度が停止されたこともまた、コーヒー農家の壊滅的な影響を与えました。

1985年に8億8200万ドルの農業輸出額を占めていたコーヒーは、1991年には3億7千万ドル以下にまで落ち込みました。農家からのコーヒーの買取価格は急落し、貸付は枯渇し、農家はコーヒーを売る方法を失いました。

メキシコ国立コーヒー研究所に代わって、コヨーテ(Coyote)と呼ばれるコーヒーのブローカーが台頭し始めました。彼らはメキシコ国立コーヒー研究所の空中分解によって失われた情報や貸付、輸送へのアクセスの欠如を利用しました。その後の数年間で、耕作放棄した農民の都市への移住とアメリカ合衆国への移民が急増しました。

コヨーテの搾取から農民を保護するために、やがて協同組合が結成されるようになりました。これら協同組合は、メキシコ国立コーヒー研究所に代わる役割を果たしただけでなく、オーガニックコーヒーの生産を積極的に推奨しました。これによって肥料などの資本集約的な投資への依存を減らし、安定した高い価格でのコーヒーの取引を可能にしました。

またこれら協同組合は、経済活動の多様化、環境への配慮、学校や病院などの社会サービスの提供とロビー活動を行うことにより、政府の支援から疎外されていたこれら地域の農民たちにも自己決定権を与えました。このようにしてメキシコの協同組合運動と市民運動は、世界で最も説得力のある社会運動のいくつかの基盤を形成しました。

メキシコのオーガニックコーヒー

メキシコは、世界の約60%(2000年)のオーガニックコーヒーを生産する世界最大のオーガニックコーヒーの生産地です。メキシココーヒー、特にオーガニックコーヒーのほとんどは、約50万人の小規模農家によって、オアハカ州とチアパス州の険しい山岳地区の急斜面で栽培されています。

オアハカ州とチアパス州はメキシコ国内の中でも先住民が多く住み、経済面ではメキシコ国内でも最も貧しい地域でした。これらの地域では、1982年にオアハカ州の「イスモ地区先住民族共同体組合(英語:Union of Indigenous Communities of the Isthmus Region、スペイン語:Unión de Comunidades Indígenas de la Región del Istmo(UCIRI))」、1989年にオアハカ州の「オアハカ州コーヒー生産者組合(英語:Oaxacan State Coffee Producers Network、スペイン語:Coordinadora Estatal de Productores de Café de Oaxaca(CEPCO))」、1993年に「チアパス州のチアパス州先住民有機連合(英語:Indigenous Ecological Federation of Chiapas、スペイン語:Federación Indígena Ecológica de Chiapas(FIECH))」と、コーヒー生産協同組合を設立され、オーガニックコーヒーとフェアトレードの運動が始まりました。

閑話休題:メキシコクラブ

1957年にメキシコクラブ(Mexican Club)というコーヒー輸出割当協定が結ばれました。

‘Coffee with the Kennedys’というTV番組のキャンペーンやマフィアと繋がった不正を重ねてアメリカ連邦議会議員から大統領にまで登りつめたジョン・F・ケネディは、世界各国へ拡がり進む共産主義化に対抗する一策をコーヒー協定に求めていた。1950年代後半の世界のコーヒー市場は、ブラジルをはじめとする中南米各国に新興したアフリカの生産地域も加えて過剰な生産と在庫、価格低迷に悩まされていた。1957年7月に中南米7ヵ国が集まってコーヒー輸出割当協定(メキシコクラブ)が結ばれ、翌1958年には参加15ヵ国に拡大したラテンアメリカコーヒー協定が締結された。アフリカの生産地域(当時の実権はヨーロッパの各宗主国)も諸国間コーヒー協会を設立し、さらに中南米15ヵ国輸出割当協定へ1959年にフランスとポルトガル、1960年にイギリスとベルギーが加わった。同時にアフリカの各地が宗主国からの(当初は形式的であるものの)独立を果たしていく動向を捉えて、アメリカのケネディ政権はコーヒー生産各国の共産主義化を懸念し、自らの反共政策の道具として使える新たなコーヒー協定を画策する。ソビエト連邦に接近する敵対国キューバが最大生産国として主導している「国際砂糖協定」(ISA)を嫌い非加盟であったアメリカにとっては、対抗策として反共戦略を象徴するにコーヒーは恰好の産品であった。1962年7月9日、国際(戦勝国)連合に名目を借りた国連コーヒー会議が招集されて、輸出割当枠制度を含めた協定の試案が作成された。このケネディ政権主導による試案は、同年9月28日に「国際コーヒー協定」(International Coffee Agreement:ICA)として成立した。その後の「国際コーヒー協定」に対して割当枠制度を廃止(1989年)して脱退(1993年)と復帰(2005年)をしているアメリカ、コーヒーを国際政争の具としてしか捉えられない憫然たる消費大国の愚劣なコーヒー侵襲は、半世紀前に始まっていた。

コーヒー新元年」,帰山人の珈琲漫考2012年1月1日.

ブラジル・コロンビア・コスタリカ・エルサルバドル・グァテマラ・メキシコ・ニカラグアによる‘メキシコクラブ’の企図から成立までは、ヨシフ・スターリンの死去からスプートニク・ショックまでの東西冷戦の雪融け期間に一致する。この1957年の協定はアメリカ合衆国にとって‘鶏肋’でしかなく、反共主義の再燃によって無効化されて、ラテンアメリカ・コーヒー協定へと乗っ取られた。1957年、後に世界遺産「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」が登録されるマエストラ山脈で、フィデル・カストロとチェ・ゲバラらはゲリラ活動をしていた。メキシコからキューバへ渡り、‘鶏が鳴く’東の地で巨悪なるアメリカ合衆国を倒す革命が始まっていた。

珈琲に酊う」,帰山人の珈琲漫考2017年1月1日.

帰山人氏は、2017年4月16日に名古屋市東区の太洋ビル催された「那須亮・還暦祝ディナー」で、メキシコクラブに因んだコーヒーを提供しています。

メキシコクラブについては情報が少ないですが、山田早苗 (2005)『珈琲入門』に記述があります。

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グアダルーペ・ザフ農園

グアダルーペ・ザフ農園、Bonaverdeより

メキシコのコーヒー栽培の伝統産地ソコヌスコの珈琲。
元は100年以上前から開かれて清流の名でサフ(Zaju)
と呼ばれていた農園の珈琲。 ドイツ人の夫ハンス・
ルエチェとペルー系メキシコ人の妻グアダルーペが
1945年に買収した農園の珈琲。 夫妻の息子フアンが
継いでいるがコーヒー危機によって所有は2004年に
エドゥアルド・エステベに移って再興された農園の珈琲。
コロンビアのコーヒー農園主カミーロ・メリサルデによる
サントゥアリオ・プロジェクトに乗り国境を越えた提携
でつくられた近来のスペシャルティな珈琲。 カミーロ
の口利きで入手したF1種たるハイブリッド栽培品種
H1(セントロアメリカーノ)の珈琲。 プロジェクトの一環
として圃場整備を進めてナチュラル(乾式)精製に
挑んだ珈琲。

今般の「メキシコから来た珈琲」は、「千の顔を持つ
珈琲」です。そして、その農園の来歴や生産の工程が
風変わりであるように、香味特性もまた「千の顔を
持つ珈琲」です。…だから、Sky High(スカイ ハイ)です。

フレーバー通販ページより

グアダルーペ・ザフ農園(Cafetalera Guadalupe Zaju)は、メキシコ南部チアパス州ソコヌスコ地域(Soconusco)に位置してます。経営会社は"Cafetalera Guadalupe Zaju SA de CV"です。

*帰山人氏は、グアダルーペ・「サフ」と表記しており、実際の発音もサフに近いです。

グアダルーペ・ザフ農園は、コーヒー・ルート(スペイン語:Ruta de Cafe、英語:Route of Coffee)近くに位置している農園です。コーヒー・ルートは、グアテマラの国境近いタパチュラ(Tapachula)からソコヌスコ(Soconusco)まで伸びるルートです。このルート上には、ハンブルゴ農園(Finca Hamburgo)やアイルランダ農園(Finca Irlanda)など、メキシコで最も有名な農園が存在しています。

グアダルーペ・ザフ農園の歴史

ソコヌスコ地域は、メキシコで最も有名なコーヒー生産地域の1つです。この地域は、1890年に当時のメキシコ大統領であるポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz)とオットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)によって設立されました。

彼らはタパチュラ近くの未開発地域に、農業開発のために約450のドイツ人家族を派遣しました。遠隔地に位置するこの地域は、彼らドイツ移民による管理と地元民の労働によって、一大コーヒー生産地へと変貌を遂げました。1895年から1900年の間に、1150万kgのコーヒーが収穫され、その70%がドイツに送輸出されました。

現在グアダルーペ・ザフと呼ばれるこの農園は、この地域に100年以上前に開かれましたが、1945年にハンブルク生まれのビジネスマン、ハンス・アスムス・ルエチェ(Hans Asmus Luethje)と彼のペルー系メキシコ人の妻によって買収されました。

グアダルーペの聖母、Wikipediaより

彼らの息子ホアン・ルエチェ(Juan Luethje)がこの農園を引継ぎました。当時この農園は、この場所を流れる川にちなんで、単に「ザフ(Zajú)」と呼ばれていました。この農園の礼拝堂にグアダルーペの聖母のイコンが掲げられてからは、農園名にグアダルーペの名前が加わり、「グアダルーペ・ザフ」の名前で呼ばれるようになりました。

ルエチェ家は50年以上にわたり農園を経営していましたが、コーヒー価格の下落により、2003年に売却されました。

グアダルーペ・ザフ農園の現在の農園主は、エドゥアルド・エステベ(Eduardo Esteve)氏です。

エドゥアルド氏は2004年にこの農園を購入しました。彼の家系はコーヒー、茶、カカオなどのコモディティ取引に、150年以上携わってきました。彼は1983年からこの家族経営の会社で働き始めましたが、それまでコーヒー栽培に関わったことはなく、キャリアの終盤にコーヒーに関する仕事を始めました。

彼は2011年に近隣のラ・グロリア(La Gloria)とチャンフル(Chanjul)の農園を買収しました。これらは現在グアダルーペ・ザフ農園の名の下に経営されています。

農園の標高は1,000m-1,600m、600ヘクタールと広大な農園面積のうち、350ヘクタールでコーヒーが栽培されています。その他は森林地帯となっています。コーヒーはシェードツリーの木陰で栽培されています。

コーヒー生産には専門家チームが関わっており、1ヘクタールあたり20-25キンタル(約60kg袋のパーチメント・コーヒー)で、チアパスの平均生産量の約2倍を誇っています。

受賞歴

グアダルーペ・ザフ農園は、2015年のメキシコ カップ・オブ・エクセレンス(Cup of Exellence(COE))で、カツーラ(Caturra)35%、マルセレサ(Marcellezas)35%、ハイブリット(Hybrid)10%、カチモール(Catimor)20%のウォッシュトが85.88点を獲得し第19位に入賞しました。

認証

農園は、レインフォレスト・アライアンス(Rainforest Alliance)、UTZ、 カフェ・プラクティス(C.A.F.E. Practices)の認証を取得しています。

品種

品種はH1です。別名セントロアメリカーノ(Centroamericano)とも呼ばれています。

ティモール・ハイブリット(Timor Hybrid)とカティモール(Catimor)のハイブリッドであるサルチモール T5296(Sartimor T5296)とルメ・スダン(Sudan Rume)のF1ハイブリッドです。

H1は品種の遺伝的多様性を高めるための取り組みの一環として、フランス国際開発研究センター(CIRAD)(英語:The French Agricultural Research Centre for International Development、フランス語:Centre de coopération internationale en recherche agronomique pour le développement)、中央アメリカのプロメカフェ(PROMECAFE)(英語:The Regional Cooperative Program for the Technological Development and Modernization of Coffee Cultivation、スペイン語:El Programa Cooperativo Regional para el Desarrollo Tecnológico y Modernización de la Caficultura)、コスタリカの熱帯農業研究および高等教育トレーニングセンター(CATIE)(英語:The Tropical Agricultural Research and Higher Education Center、スペイン語:Centro Agronómico Tropical de Investigación y Enseñanza) を含むコンソーシアムによって開発された品種です。収量が多く、耐病性があり、風味特性に優れている品種です。

F1世代(First filial generation)とは、P世代(Parental generation)(親世代)を交配させることで生じた雑種第一世代のことです。F1世代では、P世代の一方の形質のみが現れます。

F2世代(Second filial generation)は、F1世代の交雑や自家受粉によって生じる雑種第二世代のことです。F2世代では、3:1でP世代の形質が現れます。

コーヒーの場合、木と実はF1世代ですが種子はF2世代になります。ハイブリッドは種子で固定することが難しいため、このH1は栄養繁殖されています。

農園では、かつてカツーラ(Caturra)とカツアイ(Catuai)が植えられていた場所に、マルセレサ(Marsellesa)や、フランス国際開発研究センター(CIRAD)とイーコム・農産工業(ECOM Agroindustrial(ECOM))による、CIRAD-ECOMのコーヒー育種プロジェクトで開発された耐病性品種が栽培されています。

精製方法

精製方法はナチュラル(Natural、乾式)です。メキシコでは、ウォッシュト (Washed、湿式)が一般的で、ナチュラル精製は珍しいです。

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サントゥアリオ・プロジェクト

このメキシコ グアダルーペ・ザフ農園 H1 ナチュラルは、サントゥアリオ・プロジェクトの一環として栽培されたコーヒーです。

サントゥアリオ・プロジェクト(Santuario Project)」は、コロンビアのコーヒー生産者であるカミーロ・メリサリデ(Camilo Merizalde)氏による国境を超えた高品質コーヒー生産プロジェクトです。コロンビア、ブラジル、コスタリカ、メキシコの生産者による共同プロジェクトであり、希少性の高い品種や実験的な生産処理を試みています。

「Inmaculada Coffee Farms Fly Over」,Inmaculada Coffee Farms 2018年9月24日.

カミーロ氏は、1998年にコロンビアのポパヤンでサントゥアリオ農園(Finca Santuario)を創業し、スペシャルティコーヒーの生産を始めました。彼は2010年にコロンビアのカリ(Cari)でインマクラーダ・コーヒー農園(Inmaculada Coffee Farms)を創業し、実験的なコーヒー生産と研究を開始しました。

この農園は、エル・アルディン(El Jardin)、ラス・ヌベス(Las Nubes)、モンセラート(Monserrat)、インマクラーダ・コンセプシオン(Inmaculada Concepcion)の4つ農園に分かれており、ルメ・スダン(Rume Sudan)、ユーゲニオイデス種(C. eugenioides)ローリナ(Laurina)、ゲイシャ(Gesha)、マラゲイシャ(Maragesha)などの珍しい種や品種が栽培されています。

カミーロ氏は、2014年にカルモコーヒーズ(CarmoCoffees)のルイス・パウロ(Luiz Paulo)氏による「ニュー・フレーバーズ(New Flavors)」に関与しました。これはルイス氏の経営するイルマス・ペレイラ農園(Fazenda Irmas Pereira)をブラジルで最高品質のコーヒー生産農園にすることを目的としたプロジェクトでした。

「Field Day with Camilo Merizalde」,CarmoCoffees 2017年3月24日.

そして、カミーロ氏とルイス氏の共同でサントゥアリオ・スール農園(Fazenda Santuario Sul)が新しく拓かれることになりました。

この頃に、コスタリカのトレス・ミラグロス農園(Finca Tres Milagros)を経営するルシン・エルナンデス(Nelsyn Hernandez)氏、そして、メキシコのグアダルーペ・サフ農園(Cafetalera Guadalupe Zaju)とチャンフル農園(Finca Chanjul)を経営するエドゥアルド・エステベ(Eduardo Esteve)氏の、各国のコーヒー生産者と情報交換や試験結果の共有などが行われ、2017年から本格的にサントゥアリオ・プロジェクトが立ち上がりました。

コロンビアのサントゥアリオ農園については、以下の記事を参照してください。

帰山人の珈琲遊戯 メキシコ グアダルーペ・ザフ農園 H1 ナチュラル

【生豆と焙煎の仕立て】

メキシコ合衆国 チアパス州 ソコヌスコ地区
 グアダルーペ・サフ農園
 H1(セントロアメリカーノ) ナチュラル(乾式精製)  100%

直火の手廻し釜で火力一定の「一本焼き」、
18分30秒で中深煎りに仕上げています。
メキシコらしい爽やかな酸味はありますが、それが
ウォッシュトの通常のメキシコではキレ良く消えて
「優しい酸味」とか言われるのと異なり、けっこう
コクのある酸味が尾を引いて味わえるので、かなり
風変りな味わいです。でも、発酵臭で強引に魅せる
タイプの豆ではありません。香りはフラワリー(花)、
味はブルーベリーっぽい、という感じでしょうか?
但し、総じて重い感じはしません。空へ空へ
舞い上がってそのまま飛んでいくような風味です。
やっぱり「スカイ ハイ」なのです、ご笑味ください。

フレーバー通販ページより
帰山人氏による商品紹介 「週刊フレーバー・ミルっこのピッチを考える」,flavorcoffeeフレーバー放送局 2020年4月22日.

このロットは帰山人の珈琲遊戯には珍しく、フラットとピーベリーが混在しています。

ブルーベリー、プラム、ラベンダー、ハーブティー、スパイス、ブライトアシディティ、クリーミーマウスフィール

カッピングプロファイル、WATARUより

プラム、プルーン、ブルーベリー系のフレーバー、強いコクとスパイシーさが印象的です。重い印象のようで爽やかな印象があり、かなり変わった味わいのコーヒーです。

<参考>

「メキシコ フィンカ・グアダルーペ・ザフ H1 ナチュラル」,WATARU<https://www.specialty-coffee.jp/products/detail/472>

Guadalupe Zaju<http://www.guadalupezaju.com/>

「Finca Guadalupe Zaju - Mexico」,MERCANTA<https://www.coffeehunter.com/the-coffee/finca-guadalupe-zaju/>

「The Coffee Route in Chiapas: a journey through flavors and landscapes」,City Express<https://www.cityexpress.com/en/travel-blog/the-coffee-route-chiapas-journey-through-flavors-landscapes>

「サンチュアリオ・プロジェクト」,WATARU<https://www.specialty-coffee.jp/blog/article/7051>

「Day 1 - Santuario project」,Bills Beans<https://billsbeans.com.au/blogs/santuario-project/day-1-santuario-project>

「Day 2 - Santuario project」,Bills Beans<https://billsbeans.com.au/blogs/santuario-project/day-2-santuario-project>

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