エクアドル ガラパゴス諸島のコーヒーの歴史
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エクアドル ガラパゴス諸島のコーヒーの歴史

ガラパゴス諸島

ガラパゴス諸島(英語:Galápagos Islands、スペイン語:Islas Galápagos)は、エクアドル(Ecuador)本土から西に約900kmから1,000km離れた大西洋に浮かぶ諸島です。ガラパゴス諸島はスペイン語で「ゾウガメの島々」という意味で、正式名称は「コロンブスの群島」を意味する「コロン諸島(スペイン語:Archipiélago de Colón)」または「ガラパゴス諸島(スペイン語:Archipiélago de Galápagos)」です。ガラパゴス諸島は、127の島、小島、岩で構成されており、そのうち19は大きく、4つの島に人が居住しています。

ガラパゴス諸島とその周辺の水域は、行政区分としてガラパゴス県(Galápagos Province)、自然保護区としてガラパゴス国立公園(英語:Galápagos National Park、スペイン語:Parque Nacional Galápagos)とガラパゴス海洋保護区(英語:Galápagos Marine Reserve、スペイン語:Reserva Marina Galápagos)を形成しています。

ガラパゴス諸島は赤道直下に位置していますが、冷たいペルー海流(Peru Current)(または、フンボルト海流(Humboldt Current))の影響を受けるため、気温と水温は低くなります。また、クロムウェル深層流(Cromwell Current)が豊かな栄養と冷たい風を運んできます。そして、北と南から吹く貿易風がペルー海流とクロムウェル海流に影響を与えるため、様々に影響を与え合う気候と海流が、多様性豊かな環境を生み出します。

ガラパゴス諸島は、ナスカプレートにあるホットスポット上にできた大小多くの火山の島々であり、ナスカプレートは東南東方向に年5㎝の速度で移動しています。東のサン・クリストバル島(San Cristóbal (Chatham) Island)と南東のエスパニョラ島(Española (Hood Island) Island)は古く500万年前から600万年前の火山活動で生まれた古い諸島です。それに対して、西に位置するフェルナンディナ島(Fernandina (Narborough) Island)やイサベラ島(Isabela (Albemarle) Island)は6万年から30万年前の火山活動で生まれた新しい諸島で、現在も火山活動が続いています。

ガラパゴス諸島のコーヒーの歴史

ガラパゴス諸島の発見

ガラパゴス諸島は1535年、パナマからペルーへ向かって出帆したスペイン領パナマ司教フレイ・トマス・デ・ベルランガ(Bishop Father Fray Tomas de Berlanga)が強い風と波に煽られて、偶然漂着したことがきっかけで発見されました。

ガラパゴス諸島の最初に入植者は、アイルランドの船乗りであるパトリック・アトキンス(Patrick Watkins)であると考えられています。彼は1807年に、ガラパゴス諸島のフロレアナ島(Floreana (Charles) Island)に取り残されました。

彼は2年間野生の状態で生活し、2エーカーの小さな土地で野菜を栽培して生活していました。彼はフロレアナ島を通過する船と、彼が育てた野菜とラム酒を交換することでその存在を知られるようになりました。逸話によると、彼はフロレアナ島にいる間は、ラム酒でつねに酔っぱらった状態であったようです。

パトリック・アトキンスについてはあまり多くのことが知られていません。太平洋を航海したデヴィッド・ポーター船長(Captain David Porter)の記録に、彼についての記述があります。

私が彼について受けた説明から、この男の外観は、想像できる限り最も恐ろしいものであった;ボロボロの服、彼の裸体を覆う欠乏、そして害虫;彼の赤い髪ともじゃもじゃのあごひげ、太陽につねに晒され、焦げすぎた彼の肌、非常に野生的で野蛮な彼のマナーと外観、彼はすべての人を恐怖で襲った。

The appearance of this man, from the accounts I have received of him, was the most dreadful that can be imagined; ragged clothes, scarce sufficient to cover his nakedness, and covered with vermin; his red hair and beard matted, his skin much burnt, from constant exposure to the sun, and so wild and savage in his manner and appearance, that he struck every one with horror.

R. D. Madison(2016)"The Essex and the Whale: Melville's Leviathan Library and the Birth of Moby-Dick: Melville’s Leviathan Library and the Birth of Moby-Dick"p.84

1832年に、エクアドルがガラパゴス諸島の領有を宣言、ホセ・デ・ビジャミル(José de Villamil)が最初の知事になりました。

1835年には、イギリスの著名な自然科学者であるチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)が測量船ビーグル号(HMS Beagle)に乗って来航し、進化論の着想を得ました。

ガラパゴス諸島は、大陸とは隔絶された環境で天敵となる大型哺乳類が存在しないため、ガラパゴス・ゾウガメやガラパゴス・リクイグアナなど独自の進化を遂げた固有種が多く存在します。ベルランガの記録によれば、ガラパゴス諸島の生物は天敵のいない環境のため警戒心がなく、簡単に捉えることができたそうです。

19世紀初頭、ガラパゴス諸島は過酷な環境であると評されていたため、実際に入植する人はほとんどいませんでした。初期の入植者の一部は、1832年にクーデターが失敗した後、政府によって囚人として島に送られたエクアドルの兵士でした。

マニュエル・J・コボス

左端 マニュエル・J・コボス

ガラパゴス諸島で最初にコーヒーが持ち込まれた島は、ガラパゴス諸島の中で最東端のサン・クリストバル島(San Cristóbal (Chatham) Island)です。

1866年に、マニュエル・J・コボス(Manuel J. Cobos)がサン・クリストバル島に到着し、島の最初の所有者となりました。彼は「エル・プログレソ(El Progreso)」というコロニーを建設しました。

サン・クリストバル島は、ガラパゴス諸島最大の島の1つで、安定して新鮮な水を供給できる唯一の島です。サン・クリストバル島は諸島において唯一の淡水の供給源であるエル・フンコ(El Junco)と呼ばれる湖があるため、諸島のなかでも最も古い入植地になりました。

コボスはコーヒー農園の設立のために、フランス領ポリネシアからブルボンを輸入し、1,000ヘクタールの土地にこれを植えました。この農園は、「エル・カフェタル(El Cafetal)」として知られるようになりました。

コボスがサン・クリストバル島に建設した「コボス帝国」は、グアヤキル(Guayaquil)から移送された囚人を労働力として利用していました。彼らは、エクアドル政府によって島での労働を余儀なくされた人たちでした。

コボスは、労働者に対して非常に厳しいことで知られていました。1904年に、コボスの労働者たちは彼に反旗を翻し、コボスは彼らに暗殺されたため、エル・プログレソとエル・カフェタルは長い間にわたって放棄されることになりました。しかし、植民地支配は続き、サン・クリストバル島はガラパゴス政府の所在地であり続けました。

サンタ・クルス島(Santa Cruz (Indefatigable) Island)のすぐ北に位置するバルトラ島(Baltra (South Seymour) Island)は、第二次世界大戦中にアメリカ空軍基地として使用されていました。戦後、エクアドル政府は島の領土を回復し、エクアドル本土の市民にガラパゴス諸島への移動を奨励しました。

この頃エクアドルからガラパゴス諸島に移住した、特にエル・オロ県(El Oro Province)やロハ県(Loja Province)からの移住者から、ガラパゴス諸島にコーヒーが持ち込まれました。この時代のコーヒー栽培は、主に個人消費や地元の取引のためのもので、とても小さな場所で栽培されていただけでした。

ガラパゴス諸島のコーヒー生産が再び復活したのは、スペシャルティコーヒーが広まり始めた1990年代のことです。エクアドルのコーヒー輸出業者であるゴンザレス家(Gonzalez Family)が、1990年にコボスの「エル・カフェタル」を再建、2000年代にサンタ・クルス島にコーヒー生産を拡大したことから、ガラパゴス諸島のコーヒー生産は本格化しました。

現在ガラパゴス諸島のコーヒー生産は、ガラパゴス農務省(MAGAP)(Ministerio de Agricultura, Ganadería, Acuacultura y Pesca)の支援を受けて、協同組合を組織し、より高品質で高価格のコーヒーを販売するためのスペシャルティコーヒーの基準を確立するための取り組みを行っています。

ガラパゴス諸島のコーヒー生産

ガラパゴス諸島のコーヒーは、サン・クリストバル島、サンタ・クルス島、イサベラ島で栽培されています。ガラパゴス諸島の97%は、エクアドル政府によって国立公園として保護されています。また、ガラパゴス諸島は、ユネスコ世界遺産(UNESCO World Heritage)に指定されています。そのため、農業と開発が許されているのはガラパゴス諸島全体の2%のみです。

ガラパゴス諸島は、法律により化学肥料の使用が禁止されているため、そこで生産されるコーヒーは有機作物改良協会(OCIA)(Organic Crop Improvement Association)認定のオーガニック・コーヒーです。しかし、ヒアリのような侵入種がコーヒーの収穫を困難にしているため、化学駆除剤を使用している生産者もいます。

標高は200mから400mと低地ですが、独自のマイクロクライメイト(微気候)の影響で、標高1,000m以上に匹敵する環境です。栽培品種は、ブルボン(Bourbon)が89%、ティピカ(Typica)が8%、カツーラ(Caturra)が3%です。

ガラパゴス諸島のコーヒーの生産量は、年間3,000袋から4,000袋と少量で、最大生産量は年間5,000袋までと法律で決められています。

ガラパゴス諸島のコーヒーは、エクアドルのコーヒー輸出業者であるエクスピゴ株式会社(Expigo S.A.)がすべて管理しています。



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