ローマ皇帝 カリグラのコーヒーテーブル
ネミ湖の船
「人はみなつつましくあれ、さもなければカエサルであれ」といつも言っていた。
かてて加えてカリグラはユリア公会堂の屋根のてっぺんから、相当額の貨幣を数日間にわたって、民衆にばらまいた。十段櫂(かい)の快速船を建造し、船尾に宝石をちりばめ、さまざまの色彩の帆をたて、広々とした贅沢(ぜいたく)な浴場と柱廊と食堂を設け、さらにたくさんの種類の葡萄(ぶどう)や果樹を植えた。このような船の中で昼日中から横臥し、合唱や合奏を聞きながら、カンパニアの海岸を航行した。
スエトニウス『ローマ皇帝伝』(下),国原 吉之助訳,岩波文庫.p.51-52
残虐と放蕩の限りを尽くした暴君として知られているカリグラ(Caligula)ことガイウス・カエサル・ゲルマニクス(Caesar Augustus Germanicus 在位:37年 - 41年)が建造した、古代において最大規模の豪華船を飾っていたモザイクが、2000年後にニューヨークのアパートで発見された。
ネミ湖は古代ローマ皇帝の別荘地として利用されていて、カリグラはここに二隻の船を持っていた。ネミ湖に沈んだこの二隻の船は、一隻が長さ70m、幅20m、もう一隻が長さ長さ73m、幅24mの平底で、水上で過ごすためのはしけとして作られたと考えられる。船の上にはシルクの帆が張られ、果樹園やブドウ畑、さらには水道のあるバスルームまであったらしい。
モザイクは、1895年のシニョール・エリセオ・ボルギ(Signor Eliseo Borghi)による調査によって発見された。1898年のニューヨーク・タイムズ(The New York Times)の記事によると、イタリアの考古学者ロドルフォ・ランチャーニ(Rodolfo Lanciani)が、この発見についてユースズ・コンパニオン(The Youth's Companion)に寄稿している。
「甲板は見る者を驚嘆させるものであったに違いないし、その強さと優雅さは想像力を超えている。カリギュラのためにこのようなものを作った空想上の海軍技術者は、自分が船の甲板ではなく、皇帝の浴場のホールを敷いていると思ったに違いない。」
「まず、10インチの梁と4インチの厚さの板でできた木の骨組みがある。この木の床の上に、コンクリートのベッドが敷かれ、その上に2フィート四方のレンガが敷かれているが、このレンガは何百個も回収され、さらに多くのものが下に残されている。」
「皇室の足で踏まれた舗道は、銀貨ほどの厚さの斑岩や蛇紋石の円盤でできており、白と金、白と赤、白と赤と緑のエナメルの分割線で縁取られている。色は完璧に鮮やかである。現代のヨットの甲板がエナメルで埋め尽くされているのを想像してみよう。」
"The deck must have been a marvelous sight to behold, and it goes beyond the power of imagination for its strength and elegance. That fanciful naval engineer who built these things for Caligula must have thought he was paving a hall of an imperial bath instead of the deck of a ship."
"First come the framework of wood made of beams ten inches and of boards four inched thick. On this wooden floor is laid a bed of concrete and upon it a pavement of bricks each two feet square of which many hundreds have been recovered, and many more have been left below."
"Last of all comes the pavement trodden by imperial feet, made of disks of porphyry and serpentine, not thicker than a silver dollar, framed in in segments and lines of enamel, white and gold, white and red, or white, red, and green. The colors are perfectly brilliant. Fancy the deck of a modern yacht inlayed in enamel."
"The Sunken Barges in Lake Nemi of Caligula's Time.",The New York Times 1898年1月22日.
この調査では、C. CAESARIS AUG. GERMANICIと刻まれた鉛のパイプが発見されている。
ネミ湖に沈んだ船を引き揚げようとする試みは、ルネッサンス期の建築家、レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404年 - 1472年)によって行われたが失敗に終わった。この船が地上に姿を表すのは、カリグラに心酔したイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883 - 1945)を待たなければならない。彼はこの船のために博物館を建設したが、第二次世界大戦時の戦災によって焼失した。
ローマ皇帝 カリグラのコーヒーテーブル
イタリアの古代大理石や石材の専門家であるダリオ・デル・ブファロ(Dario Del Bufalo)は、2013年にローマ皇帝が愛用していた赤紫色の岩石についての著書『ポーフィリー』(原題:Porphyry)を出版した。この本には、カリグラの二隻の船のうち一隻の床の一部を構成し、長らく失われていたモザイクの写真が掲載されている。
デル・ブファロは、マンハッタン5番街のブルガリで講演とサイン会を行った際に、あるカップルの会話を耳にした。
「なんて美しい本なんだ。ああ、ヘレン、見て、これは君のモザイクだよ。(What a beautiful book. Oh, Helen, look, that's your mosaic.)」「ええ、それは私のモザイクよ。(Yeah, that's my mosaic.)」
驚いたデル・ブファロは、すぐにサイン会を終えて2人を探した。彼らはこのモザイクが、パーク・アベニュー(マンハッタン)にあるヘレンの自宅のコーヒーテーブルだと教えてくれた。
ヘレンとは、ヨーロッパのアンティークを扱うギャラリーを所有するアートディーラー、ヘレン・フィオラッティ(Helen Fioratti)のことだ。彼女は夫のイタリア人ジャーナリスト、ネレオ・フィオラッティ(Nereo Fioratti)とともに、1960年代にイタリアの貴族からこのモザイクを購入した。フィオラッティ夫妻はモザイクをパーク・アベニューのアパートに持ち帰ると、コーヒーテーブルにするために台座に貼り付けた。彼らは45年間それを所持し続けた。
このモザイクは4.5平方フィートの幾何学模様で、緑と白の大理石、ローマ皇帝が好んで使用した赤紫色の班岩(ポーフィリー)で構成されている。火災による損傷の痕跡が見られないため、火災の前に博物館から持ち出されたか、あるいは湖から採取されたときから個人の手に渡っていたのではないかと推測される。しかし、マンハッタン地方検事局の検察官は、モザイクが博物館から盗まれたことを示唆する証拠があるとし、2017年9月にモザイクを押収してイタリア政府に返却した。
このモザイクは、コーヒーや紅茶、時には花瓶が置かれていた痕跡を消すために徹底的に洗浄された後、2021年3月にネミ湖の古代ローマ船博物館で公開された。
デル・ブファロは、このモザイクを忠実に再現したレプリカを作成し、フィオラッティ夫妻のアパートに返却することを考えているという。
<参考>
"Roman Emperor Caligula's coffee table",CBS News<https://www.cbsnews.com/news/roman-emperor-caligula-coffee-table-60-minutes-2021-11-21/>
"Priceless Roman mosaic spent 50 years as a coffee table in New York apartment",The Guardian<https://www.theguardian.com/artanddesign/2021/nov/22/priceless-roman-mosaic-coffee-table-new-york-apartment>