ミカフェートのCOFEE HUNTERS エルサルバドル モンテカルロス農園です。
ミカフェート(Mi Cafeto)は、「コーヒー・ハンター」ホセ(José. )川島 良彰氏によって2008年に設立されたコーヒー会社です。「すべては、コーヒーのために。(ALL FOR COFFEE)」を標語とし、「すべてのコーヒーをおいしくする」ことをミッションに、独自の明確な品質基準が設けられています。ホセ・川島良彰氏による「本当においしいコーヒーの楽しみ方」で、ホセ・川島良彰氏のコーヒーに対する考え方が簡単に紹介されています。
エルサルバドル モンテカルロス農園
エルサルバドル
エルサルバドル(El Salvador)は中米に位置する共和制国家です。北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南に太平洋が面していて、中米では大西洋岸を持たない唯一の国です。
エルサルバドルは「救世主」と言う意味で、単にサルバドルと呼ばれることもあります。エルサルバドルは総面積21,040.79平方kmとパナマ、ベリーズを含む中米7か国の中で最も小さい面積のなかに、火山が20以上もある火山国です。エルサルバドルは中米の日本と呼ばれるほど火山と温泉が多く、火山灰の土壌と水質は栄養分豊富でコーヒー栽培には適した環境です。標高600m以上の高原が大半を占めているため、熱帯性気候にもかかわらず内陸部は温暖な気候です。
首都はサンサルバドル(San Salvador)です。標高600m-900mのなだらかな傾斜地で、低所得者層は旧市街(セントロ地区)住んでおり、治安が悪いです。高所得者層は標高の高いところに住んでいます。
エルサルバドルはかつては一大コーヒー生産大国で、エルサルバドル国立コーヒー研究所(スペイン語:Instituto Salvadoreño de Investigaciones del Cafe(ISIC))という当時ブラジル、コロンビアの研究所と並ぶ世界屈指のコーヒーの研究所がありました。コーヒーハンターとして知られるホセ・川島良彰氏が唯一の研究生として留学していた研究所です。
エルサルバドルはかつては世界4位の生産量を誇るコーヒー大国でしたが、内戦、さび病の流行を経て衰退してしまいました。コーヒー大国としての復活の望まれる国の一つです。
エルサルバドルのコーヒーの歴史については以下の記事を参照してください。
モンテカルロス農園
モンテカルロス農園(Montecarlos Estate)は、アワチャパン県アパネカ地区(Apaneca)に位置しています。標高1,000-1,800メートルにまで及ぶエルサルバドル最大のコーヒー農園です。
農園はラ・ニンファ火山(La Nimfa Volcano)の最上部の西端に広がっており、グアテマラまで続くエルサルバドル渓谷に面しています。東にホンジュラス、西にエルサルバドル渓谷と太平洋が、そして南に火山の火口と湖があり、遠くに太平洋が見えます。
広大な農園の3分の2を占める420ヘクタールにコーヒーが植えられ、残りの3分の1を占める140ヘクタールに原生林が植えられています。農園は火山性の肥沃な土壌、高い標高、原生林がもたらすマイクロクライメイト(微気候)のために、理想的なコーヒー栽培の条件を備えています。
カルロス・バトレス
モンテカルロス農園は1870年創業の歴史のある農園で、農園主は5代目カルロス・バトレス(Carlos Batres)氏です。キューバ生まれの妻、ジュリー・バトレス(Julie Batres)女史とともに農園を運営しています。両氏ともにアメリカ合衆国で教育を受け、ワシントンD.C.、ニューヨーク、ロンドンで生活をしていました。
カルロス氏は若い頃、国際コーヒー機関(International Coffee Organization)のエルサルバドル代表としてロンドンやニューヨークに駐在していました。その頃、コーヒー市場はクオータ制(輸出割当制度)によって規制されていました。1985年のブラジルの干ばつによってコーヒー価格が急騰し、クオータ制が一時的に停止されたとき、カルロス夫妻はエルサルバドルに帰国しました。その後、彼らはコーヒー輸出業を営みながら、先祖代々受け継がれてきた農園の再開発の取り組みました。
モンテカルロス農園は、ラファエル・モラン(Rafael Moran)氏によって1870年に創業されて以来、カルロス家によって代々受け継がれてきました。
当時公式通貨に代わって、19世紀後半から20世紀初頭には希少だった「フィチャス(Fichas)」と呼ばれる代用硬貨が使用されるようになりました。これはコーヒー農園での支払いや、農園にある店から物資を購入するために使われていました。
モンテカルロス農園の土地は、世代ごとに兄弟、親類間で分割相続されてきました。カルロス氏が相続した土地は現在のモンテカルロス農園の土地の一部でしたが、彼は兄弟、親族間で相続されてきた土地を一つにまとめ、大農園として再建する計画を妻のジュリー女史に持ちかけました。
以後30年以上にわたり、カルロス氏は主に親族から隣接する土地を取得し続けており、農園は拡大と発展を続けています。
モンテカルロス農園とパカマラ
カルロス氏が土地を相続した頃、彼はパカマラ(Pacamara)という品種に出会いました。
エルサルバドル政府は、1960年代からパーカス(Pacas)とマラゴジぺ(Maragogype)の交配に取り組んできました。生産性の高いパーカスをサイズの大きいマラゴジぺと交配させることによって、パーカスの生産性とマラゴジぺのサイズを兼ね備えた品種を開発するという計画でした。
パーカスは、1949年にエルサルバドルのサンタアナで発見されたブルボンの矮性種です。
マラゴジぺは、1870年にブラジルで発見されたティピカ(Typica)の突然変異種です。マラゴジぺは19世紀後半に高く評価されていた品種で、特にグアテマラのマラゴジぺは最高品質のコーヒーとして、当時のドイツの貴族階級の間で珍重されていたそうです。
しかし、マラゴジぺは各国の農園が競って作付けを行った結果、品質は低下し、玉石混合になってしまいました。高品質のマラゴジぺは高地で栽培する必要があり、収量も低かったため、ほとんどの農園は栽培を辞め、他のアラビカ種栽培に切り替えてしまいました。
モンテカルロス農園はパカマラの先駆者であり、現在でも主要栽培品種の1つです。農園主のカルロス氏はパカマラの可能性を予見し、1987年-1990年の間に、モンテカルロス農園でのパカマラの栽培のための株の大部分を購入しました。
モンテカルロス農園は1992年/1993年に世界で初めて市場向けのクロップを栽培しました。パカマラは、市場から事実上姿を消していたマラゴジペの代替品として、主にフランスとイタリアのヨーロッパ市場で販売されました。
1990年代後半から2000年代初頭までに、アメリカ合衆国でスペシャルティコーヒー運動が徐々に形になり始め、パカマラもまた少しづつ知られるようになりました。
パカマラにスポットライトが当たったのは、2004年です。
2004年のエルサルバドルのカップ・オブ・エクセレンスで、モンテカルロス農園のパカマラが、サードウェーブの代表格であるスタンプタウン・コーヒー(Stumptown Coffee)とインテリジェンシア・コーヒー(Intelligentsia Coffee)に落札されました。
同じ2004年に、スターバックスがモンテカルロス農園のパカマラを「ブラック・エプロン・エクスクルーシブス(Black Apron Exclusives™)」の3番目のラインナップとして紹介しました。ここでは「繊細なフローラルノート、ジューシー、まろやかなフレーバー(delicate floral notes and juicy, round flavors)」と評されています。
そして、グアテマラのエル・インヘルト農園のパカマラが、カップ・オブ・エクセレンスで2008年、2009年、2010年と史上初の3年連続優勝を成し遂げ、パカマラは世界的に有名な品種となりました(詳しくは「エルサルバドル モンテカルロス農園 パカマラ クラテル」の項目を参照)。
ホセ・川島良彰とモンテ・カルロス農園
「コーヒーハンター」として知られる現・ミカフェート(Mi Cafeto)代表のホセ(Jose.)・川島良彰氏には、世界中に「コーヒーアミーゴ(コーヒー友達)」がいます。モンテカルロス農園のカルロス・バトレス氏もその一人です。
川島氏がモンテカルロス農園を最初に訪れたのは、2003年のことです。当時川島氏はUCCに在籍していました。彼はモンテカルロス農園のコーヒーを買い付けするように上役を説得しましたが果たせず、そうこうしているうちにスターバックスが独占的に買い付け契約を結んでしまいました。
その後UCCから独立した川島氏は、カルロス氏との長年の約束を果たし、2012年からモンテカルロス農園のコーヒーをミカフェートで取り扱うことに成功します。2018年の8月3日放送の『アナザースカイ』という日本テレビ系列のテレビ番組でも、この話が取り上げられました。
2003年の最初の訪問でこの農園の虜になった川島は、当時勤務していた会社に是非このコーヒーを日本で販売しようと説得した。だが農園から直接買うより商社が集めたコーヒーを買えばよいと反対されてしまう。「いつか必ず君の素晴らしいコーヒーを僕の手で日本に紹介する。」川島がそうカルロスに話すと彼は言った。「気にするな。ホセは、俺のコーヒーアミーゴだから、コーヒーを買わなくてもいつでも農園に泊まりに来てくれ。」その後アメリカの大手コーヒー会社が彼のコーヒーを非常に高く評価し、全量独占買い付け契約を結んだ。彼のコーヒーが正しく評価されたのである。しかしそれはカルロスとの約束を履行できなくなったという意味だった。
2008年にミカフェートにおける最上のコーヒー「Grand Cru Café」ができたとき、彼は自分のことのように喜んでくれた。それから3年後の2012年、農園を訪問した川島に満面の笑顔でカルロスが言った。「特別許可をとった。今年からホセにコーヒーが売れるぞ!」
現在では、ミカフェートではモンテカルロス農園のコーヒーを4銘柄取り扱う。
「アナザースカイ出演 記念特集 −コーヒーハンター José. 川島良彰「エル サルバドルは全ての扉を開いてくれた」」,Mi Cafetoより
品種
モンテカルロス農園には、異なる標高に4つの品種(パカマラ、ブルボン、カツーラ、カツアイ )のコーヒーノキが植えられており、そのふもとに平らな土地が広がっています。近年になって、ゲイシャの栽培も始めました。
農園は防風林によって保護された区画で形成され、全地形対応車(ATV)のトレイルで農園全体を行き来できるようになっています。
収穫は完熟実のみを手摘みするため、4度にわたって行われます。
精製方法
精製方法はウォッシュト(Washed、湿式)です。
ウォッシュトは収穫したコーヒーチェリーをパルピング(Pulping、果肉除去)し、発酵と水洗い後、パーチメント(Parchment)付きコーヒー豆を乾燥させ脱穀する方法です。ウォッシュトでは水洗いするためキレイな味わいに仕上がります。
モンテカルロス農園は、1870年代から5世代にわたって受け継がれてきたミルを所有しています。コーヒーは湿度を吸収しやすいレンガ敷きパティオで100%天日乾燥されます。日中は気温が低く、夜間は暖かいため、乾燥工程は15日に及びます。
この農園の凄さは畑ばかりでない。1880年代に建てられた精選工場の機械は、毎晩作業終了後にピカピカに磨かれる。園内の湧き水で丹念に濯がれたコーヒー豆は、握るとギシギシと音を立てる。天日乾燥の技術もとりわけ優れており、傾斜を使い機能的に設計されたレンガ敷きの天日乾燥場は、水分の吸収に優れ豆が蒸れず、作業後は水が蒸発し乾き易い。
「エルサルバドル モンテカルロス農園 パカマラ」,Mi cafetoより
提携ショップ
モンテカルロス農園はスターバックスと買い付け契約を結んでいますが、農園で生産される最高級のコーヒーは、日本では川島良彰氏のミカフェート、アメリカでは有名なジョージ・ハウエル(George Howell)氏のテロワール・カフェ(Terroir Coffe)で取り扱われています。
ミカフェートのCOFEE HUNTERS エルサルバドル モンテカルロス農園
エルサルバドル モンテカルロス農園 ゲイシャ
ゲイシャ
モンテカルロス農園では、パカマラ、ブルボン、カツーラ、カツアイが栽培されていますが、新しくゲイシャの栽培に取り組み始めました。モンテカルロス農園のゲイシャの種は、パナマのエスメラルダ農園から譲り受けたもののようです。
パナマのエスメラルダ農園については、以下の記事を参照してください。
モンテカルロス農園のゲイシャは、2020年にミカフェートのコーヒーハンターズシリーズで日本で初めて紹介され、非常に話題を呼びました。
味
ゲイシャ特有のフローラルで香水のような華やかなフレーバーが強く香ります。繊細な口当たりはミカフェートならではです。冷めてくると柑橘系の酸味が強くなり、後味にグレープフルーツのような渋みが若干残ります。このゲイシャは柑橘系の酸味よりもフローラルなフレーバーが前面に出た華やかな印象のゲイシャです。
コーヒー・ハンターズシリーズですが、ゲイシャフレーバーがはっきりと出ており、とてもクオリティの高いゲイシャです。
エルサルバドル モンテカルロス農園 ブルボン パラァ
ブルボン
品種はブルボン(Bourbon)です。
ブルボンはティピカよりも若干生産性の高い品種で、小粒の豆ですが密度が高く、身が引き締まっています。香り高く、ほのかな甘味のある品種です。
ブルボンはイエメンからレユニオン島へと渡り、さらにブラジルへと渡りました。これがブルボンの突然変異種であるカツーラや、ブルボンとティピカの自然交配種であるムンドノーボ、そしてカツーラとムンドノーボの人工交配種であるカツアイを生むことになります。ブルボンは世界最大のコーヒー生産国であるブラジルの主要栽培品種の元となった品種であるため、コーヒーの歴史を考える上で非常に重要な品種です。
エルサルバドルには古いブルボンが残っています。さび病などの病害虫がコーヒー生産に打撃を与えることがわかると、コーヒー生産国では耐性のある品種改良を進めていきました。しかしエルサルバドルでは、内戦の影響で研究所が閉鎖され品種改良ができず、他のコーヒー生産国とも断絶し新しい品種が伝わって来ることもありませんでした。エルサルバドルは内戦によってコーヒー産業は衰退しましたが、古いタイプの品種が生き残ることになりました。
エルサルバドルでは、2003年からカップ・オブ・エクセレンス(Cup of Excellence(CoE))が始まりましたが、その当時出品されていた品種のほとんどはブルボンでした。
エルサルバドルのブルボンについては、「コーヒーハンター川島良彰氏に聞く、「王国・エルサルバドル」復活への道」の川島氏の話に詳しいです。
剪定方法
剪定方法はパラァ(Parra)です。
この剪定方法では、直交異方性の幹(Orthotropic stem)を四方に曲げ、複数の垂直の枝が上向きに成長することを誘導します。幹を四方に曲げることをアゴビオ(Agobio)と呼び、複数の垂直の枝が上向きに成長するのを誘導することをパラァ(Parra)と呼びます。この剪定方法はアゴビオ・パラァ(Agobio Parra)と呼ばれることもあり、エルサルバドルのサンタアナ火山地域で伝統的に行われている剪定方法です。
「パラァ」は、ティピカやブルボンのように古くからある背の高い品種で行われてきた昔ながらの剪定方法です。後から生まれた矮性品種では絶対行われません。何故なら樹を植える間隔が短いからです。
しかし最近は、ブルボンでも間隔を狭くして植え付け、もっと作業の楽なカットバックや剪定方法を採用する農園が多いため、この「パラァ」で剪定されることは稀になってきました。パラァは、幹を四方に曲げてそこから新しい幹を出させるシステムです。広げた傘を逆さにしたようになり、そこから幹が伸びていくので、全体に陽の入り方よく品質が均一な実ができます。
「モンテカルロス農園 ブルボン パラァ COFFEE HUNTERS」,Mi Cafetoより
味
ブルボンに特有のナッティーなフレーバーとオレンジのような爽やかな柑橘系の酸味が印象的です。浅煎りのため、チョコレートのようなボディと甘味よりも柑橘系の爽やかな柑橘系の酸味が目立ちます。香り高く、スッキリした飲み口です。
エルサルバドル モンテカルロス農園 パカマラ クラテル
パカマラ
品種はパカマラ(Pacamara)です。
パカマラは、ブルボンの突然変異種パーカス(Pacas)とブラジルで生まれたティピカの突然変異種マラゴジッペ(Maragogype)の交配種で、エルサルバドルコーヒー研究所(スペイン語:Instituto Salvadoreño para Investigaciones del Café、英語:Salvadorean Institute for Coffee Research)によって最初に開発されました。当時エルサルバドルコーヒー研究所に留学中だった川島氏も研究開発に関わっています。
モンテカルロス農園は、パカマラを世界で最初に栽培した農園です。農園主のカルロス氏はエルサルバドルコーヒー研究所で研究されていたパカマラの可能性を予見し、1987年-1990年の間に、モンテカルロス農園でのパカマラの栽培と開発に利用するための株の大部分を購入しました。
モンテカルロス農園は1992年/1993年に世界で初めて市場向けのクロップを栽培しました。パカマラは、市場から事実上姿を消していたマラゴジペの代替品として、主にフランスとイタリアのヨーロッパ市場で販売されました。
エルサルバドルでは、2003年からカップ・オブ・エクセレンス(Cup of Excellence(CoE))が始まりました。このカップ・オブ・エクセレンスでは、エルサルバドルの各農園から主にブルボン、そしてパカマラが、国を代表する品種として出品されました。この時パカマラは、83.82点を獲得し第12位に入賞したシャングリラ農園(Shangrilá)が最高順位でした。
2004年のカップ・オブ・エクセレンスで、モンテカルロス農園のパカマラ・ピーベリー(Pacamara Peaberry)が89.60点を獲得し第7位に入賞しました。このロットを落札したのが、サードウェーブの代表格であるスタンプタウン・コーヒー(Stumptown Coffee)とインテリジェンシア・コーヒー(Intelligentsia Coffee)で、ここからパカマラが注目を浴び始めました(85.76点を獲得し第19位に入賞したモンテカルロス農園のパカマラは、スイート・マリアズ・コーヒー(Sweet Maria’s Coffee)が、84.00点を獲得し第35位に入賞したモンテカルロス農園のパカマラは、インテリジェンシア・コーヒーがそれぞれ落札しています)。
同じ2004年に、スターバックスがモンテカルロス農園のパカマラを「ブラック・エプロン・エクスクルーシブス(Black Apron Exclusives™)」の3番目のラインナップとして紹介しました。「繊細なフローラルノート、ジューシー、まろやかなフレーバー(delicate floral notes and juicy, round flavors)」と評されています。
パカマラを一躍有名にしたのは、グアテマラのエル・インヘルト農園です。エル・インヘルト農園は、グアテマラのカップ・オブ・エクセレンスで2008年、2009年、2010年と史上初の3年連続優勝を成し遂げます。
グアテマラのエル・インヘルト農園については、以下の記事を参照してください。
このロットは、モンテカルロス農園の標高1,600mの火口(クラテル(Crater))付近で栽培されたパカマラです。そのため、パカマラ・クラテル(Pacamara Crater)と名付けられています。2004年に出品されたロットも、このパカマラ・クラテルでした。
味
様々なフルーツフレーバーとチョコレートが融合したようなパカマラ特有の味わいが印象的です。浅めの焙煎ですがボディがしっかりしており、冷めてくるに従ってチョコレート感が強くなります。
<参考>
川島良彰(2013)「私はコーヒーで世界を変えることにした。」ポプラ社.
Montecarlos Coffee Estate<https://www.montecarlosestate.com/>
「モンテカルロス農園 ブルボン」,Mi Cafeto<https://www.mi-cafeto.com/brand/grandcrucafe/12>
「モンテカルロス農園 パカマラ」,Mi Cafeto<https://www.mi-cafeto.com/brand/grandcrucafe/10>
「Featured Producer: Carlos and Julie Batres, Montecarlos Estate」,Passenger Coffee<https://www.passengercoffee.com/blogs/news/montecarlos>